規格外の超巨大弓、天外魔弓『テンペスト・ブレイカー』が、ロビンの手により振り下ろされた廊下。落下の衝撃で鏡が外れ、砕けていく音が響く。
 だが、シンジは、現実離れした弓に対する恐れよりももっと別のことに気を取られていた。
 訴えたのは、五感以外の感覚。それこそまるで、自分と誰かがビニール越しに握手でもしているようなぬらりとした手応え。

<感、じる……? 僕以外の誰かの存在を感じる……。これは一体何だ? 君は、一体誰なんだ>
<……この声。赤い魔法使いのサーヴァントか>
<!?>
 返事が返ってくるとは思いもしなかったため、彼は飛び上がるほど驚いた。
<だ、誰?>
<誰とは、ご挨拶だな。目の前にいる>
<まさか>
 壁の如く聳え立つ大強弓。彼が聞いたのは、その後ろにいる弓兵の声であった。いや。聞いたというのは、或いは適切ではない。互いに、一言も発せずにその 会話は行われているのだ。
 会話のスピードは異様に速い。人は感覚の世界では、光速すら上回る/どこかで聞いた、そんな話を思い出しつつ、彼は弓兵に問うた。
<どうして? どうして、貴方の声が聞こえるんですか>
<さあ、知らんよ。大方貴様の心の壁とやらが、俺の心に突き刺さったからじゃないか>
 突き放すような言い方/だが同時にどこか子供を宥める優しさ。シンジは、きっとそう伝えてきた時の弓兵の顔は、少しだけ微笑んでいるものだろうと自然に 思った。

<なあ>
 少しだけ間をおき、改めて呼ばれる。
<え、はい?>
<一つ、頼まれてくれ>
<……え?>
 敵からの思わぬ申し出に、シンジは眉を顰めた。
 受けるか、受けるまいか。優柔不断な彼は、即決できない。話を聞く前だからというのもあるが、聞いた後でも大して変わらないだろう。それを知ってか知ら ずか、弓兵は構わず続けた。
<これから放つ一撃を、防げ>
<攻撃を、防ぐ?>
<ああ、それだけだ>
 身構えていた分拍子抜けする。ちょっとだけむっとした色を乗せて言う。
<当たり前です。僕は、死にたくありませんから>
<そうだな……それで良い。良い、返事だ>
<……ロビン、さん?>
 酷く、満足げで、安心した声。シンジは、何故かそれが妙に怖かった。

<いいか、絶対だ。絶対にそこの二人を守り切れ。セイバーは良い。こいつなら平気だ。所詮過去の亡霊。彼方の者に此方の攻撃は通じない。だからお前 は、その二人を引き倒して、地面に伏せてお得意の壁を張るだけでいい。それを全力でやったらいいんだ。後、壁の形を……そうだな。戦闘機のコックピットの 覆いのようなものにした方が良いかもな。多分防ぎやすい>
<ど、どうしてそんなことを? 僕らに当てる気がないんですか?>
<ない>
 断言。
 あからさまな予告と助言に、シンジが抱いた疑問は、たった一言で切り捨てられた。

<ロビンさん、どうして>
<無駄口もそろそろ止めだ。絶対に避けて防御しろよ。掠ろうがなんだろうが、当たれば死ぬ。そういう物を、これから放つ>
<あ、当てる気がないのに、じゃあどうして僕らを撃つんですか?!>

 返答/<――――そんなこと、自分で考えろ>

 文字通り心の通い合った会話はそこで切れた。
 そして、ぞくりとシンジは総毛立った。ロビンの言葉には一粒の嘘もなく、直撃すれば絶対に防ぎきれない攻撃が来ると、理屈抜きで確信できた。不思議だっ たが、彼はその直感を信じた。
「っ、あああぁぁぁぁぁああああっ! 凛さん、士郎さん! 伏せてぇっ!」
 彼女達の返事を待たず、二人を押し倒す。
 そして彼はATフィールドをイメージした。弓兵に向けて尖る流線型/鋭く/強固/世界の全てを拒絶する壁を。
「フィールド――――」

 離れて立ち会う剣士と弓兵。
 二人の声を、やけに遠くに感じた。

 ――――やっ、やめろっ、ロビン!
 ――――断る。

 ばつんと、音/即座に反応/目を見開き、そして、
「全開ッ!」
 途端、拒絶の壁が三人を世界から遮断。
 刹那、天を射殺す絶叫が、ついに口火を切った。

 

 

 ――――今更だが、ATフィールドとはなんであろう。

 一言で答えるならば、世界を明確に、彼方と此方に分け隔てる壁である。
 現象としての説明なら、それで事足りる。しかし、そこには一つだけ重要なポイントが隠されている。
 次元を支える存在などというものを、"まだ人間は発見していない"のだ。

 次元を揺らがせる/こじ開ける/固定する。いずれも、神の御業である。だからだろう。何らかの要因で開いた次元の穴に、落ち込んでこの世から消え てしまうことを、人は"神隠し"と呼び、畏れる。
 そも、次元の穴を支えるには、理論上の存在=エキゾチック物質/超高密度/負質量の物質――――が必要。
 次元の穴をブラックホールとし、そしてエキゾチック物質に代わる存在を、ATフィールドとするなら、即ち解は次の通りだ。
 ATフィールドとは、ブラックホールすらものともしない"未知の物質"X-material。 破壊は極めて困難。仮にエキゾチック物質同様に負質量であるなら、プラマイゼロにするための質量/エネルギーが必要となる。
 当然ながら、たかだか人間が放った矢では、その条件を満たせない。小難しい理屈を知らずとも、シンジは、感覚としてそれを知っている。

 そして、感覚として知る彼だからこそ、これからのロビンの攻撃によってフィールドが"破られる"と直感できた。全身が震え、縮み上がるほどの恐怖 を覚えていた。
(駄目だ、これじゃ破られる……!)
 確信/絶望/しかし、思考は彼の意志を離れて、爆発的に加速していた。
(いつも通りの壁じゃ、全然足りない。これは、ただの攻撃じゃないっ)
 瞬きも許されぬ間、時間の制約を振り切り、彼の思考は最適解を組み立て始めた。
 確認/ロビンの攻撃は正しく、彼の命を賭けた攻撃。言葉遊びではなく、この矢玉は、彼の命そのもの。だから恐ろしい。負けぬという思い故に、恐ろしく重 い。貫 くという意志が通っている為に、万物を貫通する結果しか残らない。
(なら)
 必要なのは理屈ではない。全てを貫く一矢。
 それに対抗するためには、こちらも理屈であってはならない。常識を外れなければならない。"貫かれる全てに該当しない"楯を出さなければならない。
(光子、粒子、電磁波……違う。何もかもを遮断する壁ッ!)
 どこかで聞いた言葉が思い出された。
 そして遂に――――(こ、れ、だ!)――――"結界"と呼ばれた最強の壁が顕現する。
 それは、光も音も感じられなくなる真の暗闇。その中に、彼は見た。

 ――――生と死は、等価値なんだよ。僕にとってね。
 銀を塗した白髪/血の通い、そのままの色をした瞳/こちらの心の奥底まで見透かし、なおかし微笑むその顔。
 胸を掻き毟りたくなる罪悪感が飛来した。
「カ、カヲル君――――っ!」

 ……なぜか、右手に温かさとぬめりを感じた。

 

 

「もう、出てもいいでしょう」
 僅かに赤らんだ顔のセイバー。崩壊した廊下の熱気が収まったのを見ての一言だった。
「ありがとう、セイバー。シンジ、これ消して良いわよ」
「はい。今すぐ」
 こつんとATフィールドを叩く凛。真黒のそれではない。大分前からそうだ。と言うよりも、ロビンの一矢が最接近した瞬間限定の最大出力だった。
 原因は、使用可能魔力の制限である。最大出力のまま、いつまでも保てるはずがない。幸い余波だけなら、いつもの出力で耐え切れる範囲だった。
 ただ、シンジの心中は多少複雑である。
(もう少し持っていたら、セイバーさんのあれ見なくて済んだのかなあ)
 勿論、時は既に遅い。士郎の中で、セイバーには"ちょっと短気"のレッテルが貼られた後である。自分の手落ちではないが、シンジは彼女と目を合わせづら いと感 じていた。
(仕方がない、よね? うん)
 "ごめんなさい、セイバーさん"/弁解は心の中で済ませた。
 凛からフィールドの解除依頼を受けて、一秒にも満たぬ間の葛藤だった。

「……ふう」
 溜息と共にATフィールドを解除。直後、むわりとした生暖かい風が、フィールドの中にいた 三人に絡みつく。
「うお、っと……。よく、残ったな、ここ」
 立ち上がり、改めて周囲を見渡した士郎。ATフィールドで囲まれなかった部分の悲惨さは、彼の想像を超えていた。ぐずぐずに混ざり合った調 度品/壁面。
 なまじフィールドに包まれ、川の中州よろしく、崩壊から取り残された場所にいたため、ロビンの攻撃力が実感できなかったのだ。だが、一度目の当たりにし てしま えば、後追いの恐怖が背を滑り落ちた。
「また、シンジ君に助けられたな。ありがとう」
「いえ、そんな、ことは」
 同じく立ち上がり、彼から礼を言われたシンジ。複雑な表情で応える。敵から宣言と助言があったとは、最後まで口に出さず、噤んだままだった。だが、それ を見咎め、凛から呆れ混じりの声が掛けられる。
「なにを口籠もってるんだか。素直に受け取りなさいよ、そこは。わたしからもお礼。今回も助かったわ、シンジ。ありがとうね。――――ま。欲を言えば、魔 力奪 取は、もう少し手加減して欲しかったけど」
「え? ええぇぇぇー……。その、すみません」
 流石にそこまで気が回る状況ではなかったが、じっと見つめてくる凛の目が怖かったので、シンジは素直に謝る。
「お、おいおい。そりゃないだろ、遠坂」
 諫める士郎に、肩を竦める凛。
「今のは流石に冗談だったんだけど……変に生真面目よね、シンジって。確かに、キツかったのは本当よ。だけれど、あれに対抗するには、そうする他なかっ た。そういうことでしょ?」
「え、と。はい」
「ならよし。必要なところで力をケチって死ぬくらいなら、事後に文句を呟く方がマシってものよ」
「いや、だから、助けて貰って文句付けるなって」

 

 ぐだぐだになり始めた二人。彼らを差し置き、シンジは歩き始める/セイバーの片眉が上がった。
「どうかしましたかシンジ」
「――――行かなきゃ」
 どこへ、とは問わなかった。彼の足取りを見れば、行き先は明らかだった


「ロビン……さん」
 シンジが辿り着いた時、ロビンの遺体には、もう一人の緑の少年が泣きついていた。
 ロビンの目は、両目とも開いていた。顔の右半分が皮ごと剥がされ、閉じられる状態ではなかったというのもある。だが、それ以上に、彼には最後まで目を閉 じる意志がなかったのだと、ヒシヒシと伝わる形相だった。更に見ると、右手の指は数本飛び、左腕も失われていた。
 凄惨。この一言は、今の彼のためにある言葉だった。
「ロビン……ロビン……」
「あ、あのっ」
 遺体にすがりつく緑の少年=フッドに声を掛けたはよいが、それ以上何を言っていいのか、シンジは分からずに言葉を途切れさせた。
 無力だ/シンジはこの時ほど、自分の人生経験のなさを悔いたことはなかった。
 しかし、ややあって、少年が彼に振り向いた。身構え、相手の言葉を待つ。

「……ありがとう、ございます」
「え?」
 どんな罵倒が来るだろう。そう覚悟していただけに、お礼の言葉が来て、シンジの声は素っ頓狂な物になった。
「ど、どうして、お礼なんて」
「……ロビンは、ずっと言ってたんです。自分の力で勝ちたいって。――――きっと、あの桃木の矢で勝ったとしても、この人は納得しなかったんだ。だから、 あ りが とうございます、シンジさん。彼の攻撃を防いでくれて。ありがとうございます、セイバーさん。死なないでくれて」
「……うん」
「ええ」
 シンジと、いつの間にか彼の横に来ていたセイバーは、微動だにせずフッドの言葉を受ける。

 少年はそれから、泣き顔をもっとくしゃくしゃに歪めて言った。
「でも……最後のロビンの攻撃は、貴女に勝ちましたよね? セイバーさん」
「――――ええ。彼は、とても強かった」
「うん。だって、だって――――ロビンは、僕達みんなのお兄ちゃんだから」
 そう言って笑う彼の顔は、悲しくも、誇らしげで。
 シンジもセイバーも、しばらく視線を外すことができなかった。

 少年が泣き止むまで、二人は静かに待った。そして赤くなった眼を擦り、彼は言った。
「行って下さい。もう、無限結界は解除されてます」
「はい、すぐにでも……いえ、待って下さい。まさか彼は、それを破壊するために?」
 確かに廊下がこの状況では、魔術式もなにも吹き飛んだだろう。或いはそれが、ロビンの望んだ結果ではなかったか?
 そうセイバーに問われても、フッドは震える唇を必死で笑みの形に整えるだけで、答えることはなかった。それが、何よりの答えだった。
「この勝負、僕達の負けです。僕ら、"ロビン・フッド"は、貴女達に負けました。勝者は先に進んで下さい。先に進むべきです。それが僕と、ロビンの願いで すから」

 

 崩れた廊下を歩いていた士郎、セイバー、凛、シンジ達一行。線引きされたように崩壊が途切れている地点に辿り着いた。
「ここが、結界の基点だった訳ね。やられたわ」
「って、ここ、ロビンの部屋のすぐ傍じゃないか」
「前に歩いているつもりで、後ろに歩かされていた、と。うわぁ、性格悪い罠だわ、これ」
 そう言って彼女は、"楽しい悪事のはじまりはじまり"と呟く/初めからこれを使えばよかったと愚痴りながら。
 彼女の手にある一枚の紙から、ふわりと立体映像/船内地図が浮かび上がる。
「……ん? ん、ん、ん?」
「どうかしたか、遠坂」
 地図を見てすぐに彼女が上げた不審の声に、士郎は即座に聞き返す。
「士郎」
「おう」
「わたし達、階段とか上がってないわよね」
「当たり前だろ。なに言ってんだ」
「うん、わたしもなに言ってるんだろって思う。でもね、これによると、いつの間にかわたし達第二階層にいることになってる」
「え?」
「ほら、ここ」
 凛の指さした先/Now Pointと表示された部分は、確かに第二階層にあった。第一階層は、Clearと表示され、黒く塗り潰されていた。
「地図が間違っているのでは?」
「かもしれないわ」
「でも、間違った地図を渡す人には見えませんでしたし……もし地図が当たっているとすると」
「ロビン・フッドの部屋の出口が、第二階層の入り口になっているのか、って話よね」
 ありえないと思っていることが明らかな表情で、凛は言う。
「ま、本当かどうかは進めば分かるか」
「確かに。では、先を急ぎましょう」

 と。
 唐突に凛とセイバーの二人が顔を強ばらせ、体を硬直させた。士郎も同様。分からない顔をしているのはシンジだけである。
「……あの? どうかしましたか皆さん」
「なあ今」
「ええ」
「宝具ですね」
「ほう、ぐ?」
 どっかで聞いたようなと、とぼけたシンジを置き去りにして、話は進んだ。
「しかも、この発動。覚えがあります」
「偶然ね、わたしもよ」
「えーと。みなさーん」
 声を掛けても、誰も振り向かない。「……泣いて良いかな、これ」
 それでも反応はなかった。
「しかし、どうしてこの場所に」
「一、同じく招かれた。二、勝手に入った。どっちだと思う?」
「二の可能性が高い気がするな」
「彼の性格を考えると、シロウの意見に賛成です」
 そう言って三人は駆け出す。シンジも渋々続く。そして四人は、結界を破って尚延々と続く廊下の中、ぽつんと一つ浮いた扉の前で止まった。
「シンジ」
「ひ、ひゃい!」
「なに変な声出してるのよ」
「だ、だって、みんなが聞いても答えてくれないから」
「あー」拗ねているシンジを見て、ぽりぽりと頭を掻く凛。「悪かったわよ。でも、もう一回気合い入れてついてきて頂戴。あんたも知っている相手が、この先 にいるわ」
「僕も知っている相手?」
「そ」
 扉に手を掛ける。大した抵抗もなく、それは凛達を招き入れ、中身を晒した。

「ほら、ね」
 彼女の滑やかな顎が示した先には、槍を抱え、両脚を曲げて座り込む青い槍兵。
「よう。遅かったな。ここはもう終わってるぜ」
 振り向いたニヒルな笑みに、シンジは召喚の夜の恐怖を思い出した。
「ラン、サー」
 彼の震えを見て、透かさずセイバーが、彼と槍兵の間に体を割り込ませる。そして問うた。
「……ランサーか。ここで何をしている」
「おっと。やる気があるのは結構だがなセイバー。会ってそうそうに、殺気を撒き散らすもんじゃない。気のつえーのは良いが、先走りすぎると男が引くぞ?」
「余計なお世話だ!」
 剣を向けられても、軽口を叩くランサー/セイバーは、彼の言葉を聞くと更に殺気を強めた。
「おっとと。まあ落ち着きな。さっきも言っただろう? ここはクリア済みだ。そして俺はもう戦う気はねえ。マスターが帰ってこいとうるさいからな」
 立ち上がり、爪先を地面に二三度打ち付ける。戦意はないと言うだけあって、槍の先は士郎達の方をちらりとも向かない。
「向こうさんのランサーも、中々だったぜ。俺ほどじゃねえが。……ま。俺の槍に心臓を抜かれてしばらく動いていたのは、少し驚きだったな」
「その物言い……勝ったのですか、向こうのランサーとマジシャンに」
「だーかーらー、始めからそう言ってるだろ? そうじゃなきゃここに立ってる訳がねえ」
 戦いを思い出しでもしているのか、虚空を見上げるランサー。されど隙はない。戦場で気を抜いてやられるような男ではない。

 

「じゃあ、その戦った奴らは、どこにいるんだ」
 勝ったと言いつつ、部屋の中に敵の姿がないのを不思議がっての一言。一度殺された恐怖を押さえ込み、士郎がぶっきらぼうに言いのけた。それがおかしいの か、ランサーは口を軽く歪める。
「さあな」
「さあって」
「今の俺は機嫌もそこそこ良いし、暇だってあると言えばある。それこそ一から十まで説明してやっても良い。が、お前らはンなことを気にしている暇があるの か?」
「む」
 口を噤む士郎。ランサーの言う通りだった。彼がここで戦い、終わったというのだから、さっさと次に進むのが正しい選択だ。
 が、士郎の反応に返ってきたのは呆れの溜息だった。
「鎌掛けのつもりだったんだが、どうやら本気っぽいな」
「……ちょっと待て。知ってて言ったんじゃないのかよ!」
「知るかよ、そっちの事情なんざ。ほれ。さっさと行きな。俺は帰る」

 手をひらひらと振り、あばよと告げる彼に、
「待て」
「なんだ、セイバー。まだなにかあるのか」
「壁が埋もれている。せめて、どこが出入り口かを教えていっても良いと思うが」
 言われて初めて気付いたとランサー/及び士郎達三人。戦いの余波でか、部屋の中はあちこちが崩れており、扉らしきものを見つけることは能わない。
「ああ、これじゃあなあ」
「分かったか。なら」
 我が意を得たりと、先を促すセイバー。しかし、
「知らねえ」
「なに?」
「初めからなかったんだよ。ま、しかしどっかにはあんだろ。とっとと探せよ」
 再度歩き出す。「大体、良いもんもってんじゃねーか。後ろの嬢ちゃんがよ」
 流し目の先=凛の持つ船内地図。
「じゃ、行くぜ」
「あ、待――――!」
 手を伸ばすセイバー。その前で、ランサーの体は透明度を増し、やがて消え去った。
 霊体化して壁をすり抜けたのか。士郎が聞くと、セイバーは静かに頷いた。
「近くにはもういない?」
「そのようです。本当に撤退したのでしょう、この分では」
「……そんな簡単に出られるんでしょうか?」
「壁から魔力は感じるけれど、結界ではないということかしらね。なんにせよ、出られたんだから出られるとしか言いようがないわよ」
 穴があるんだかないんだか/文句を呟きつつ、凛は再度地図を広げる。

「現在地点はここ……通路はここ、と。あ」
「どうですか、リン」
「ランサーが消えたそこの壁――――その向こうが通路よ。ちっ。知ってたわね、あいつ」
 聞くなり、セイバーは不可視の剣を下段に構える。
「斬り破れるでしょうか」
「ドアを探すという段階は、最初から飛ばすんだな」
 士郎の中で、やはりセイバー=短気の図式が確定していく。
「時間がありません。決してわたしの気が短いわけでは」
「うん。そうか。そうだな。分かっているよ」
「なんですか、その目は」
「他意はないぞ?」
「そうでしょうか」
 言い合う二人を尻目に、凛とシンジは壁に近づいていく。
「どこかに扉がないかしら」
「あの瓦礫の下とかだと……セイバーさんじゃないですけど、壁を破らないといけないですかね」
 シンジの言葉を聞き、凛はしばらく沈黙。壁をぺたぺたと触る。
「遠坂さん?」
「シンジ」
「あ、はい」
「ちょっとさ、本気でこの壁殴ってみてくれない?」
「うえ?」
「ほら、一発がつーんとさ」
「い、いやいやいや、僕なんかがやってもどうしようもないですよ!」
 いけいけと立てた親指で壁を指す彼女に、シンジは手と首を大きく振って否定の意を示す。
「大体なんで突然そんなことを言うんですか?!」
「いけると思うのよね、これ意外と脆そうだし。わたしがやっても良いけど、手を痛めたりしたらことでしょ?」
「あの……僕は……?」
「もし痛めても、すぐに治るからわたしがやるよりマシ。それに」
 ついとシンジの耳に口を寄せて。「さっきセイバー助けたのはシンジだけど、でもずっと戦ってたのはあの子よ? ここでも働かせるの?」
「う、う」
 ずるいと思ったが、シンジには言い返せない。きゅと唇を結んで、拳を握りしめた。
「ATフィールドの出力には注意してよ。残りが心許ないわ」
「……ハイ」
 肩を落として、フィールドの出力も落とす。赤色のフィールドどころか、全く色もなかった。ホンの僅かだけ揺らめいたのだけが、発動を示す。
「――――せえ、の……!」
 突き出した拳/思ったよりもずっと手応えは軽い/どころかあっさりと抜けた感触/直後、破砕音/大きな鏡を叩き割ったような大音声が部屋に木霊する。
「うわっ!?」
「あ、やっぱり」
 意外な結果に驚くシンジとは対照的に、凛はのほほんと崩れる壁を見やっていた。士郎とセイバーも、彼女達の後ろでぽかんと口を開けていた。
「……おーい。遠坂。こりゃどういうことだ」
「いやあ。触ってみたら、触感がおかしいかったのよね。だから、張りぼてじゃないかと思ってシンジに殴らせてみたら、ご覧の有様というわけ」
「やるならやるといってくれ。心臓に悪い」
「時間がなかったからね」
 悪びれた様子のない凛だが、そこでふるふると肩を震わせるシンジの後ろ姿を見た。
「えーと、シンジ? シンジくーん?」
「……と、ととととと、どお゛ざがざぁ゛ん゛!」
「うわっ!?」
 振り向きざまに凛の袖にしがみつくシンジ。
「び、びびび、ビックリするじゃないですか! がしゃーんて、あんな勢いよく割れるなんて聞いてないですよ!? 分かってたなら言って下さいよぉ!」
「あ、うん、ご、ごめん。流石に泣くとは思わなかった」
「な、泣いてなんかいません!」
「でも、ほら目の端が」
「埃が目に入ったんです!」
「……立たなかったけど、埃」魔力の壁だったしと呟き、「分かった。そう言うことにしておくから、また進みましょう。セイバーもそれで良いでしょ?」
 向けられる視線が痛かったので、凛はセイバーに声を掛けつつも、そっちを見ることができなかった。

 

 壁の向こうの通路には、なんら変な箇所はなかった。地図で調べても、先と同様第三階層に来ており、やはり第二階層には"Clear"の表示がある だけ。彼らが進めば、現在地点の表示も進んでいくことから、無限回廊の罠もないようだった。
 そして、すぐに彼らは第三階層の扉の前に立っていた。
「ここが、三番目の敵の場所ですか」
「次は確か」
「セイバーとマジシャン、とか言ってましたよね」
「てことは、前にバーサーカーをぶった切ったアイツか」
「……では、開けます」

 ヒンヤリとした空気が、四人の頬を撫でた。 
 霧。部屋の中は、薄冷ややかな霧で満たされていた。足下には草が生えており、葉に付いた露の重みで頭を垂れている。
「また広そうな場所だな。しかも、前が見えない。セイバー、敵は近くにいそうか?」
「そう、ですね。それほど遠くない場所に」
「……セイバー?」
 どこかそわそわしている彼女に、士郎は訝しげに振り向く。
「どうかしたのか?」
「いえ……まさか……ここは」
 視線が揺れる彼女に、ますます不審を募らせる。
「この場所がどうか――――」

「彼らが敗れましたか」
「!」
 敵のセイバーの声だった。霧に隠れて姿は伺えないが、声の聞こえた方向に、即座に四人は振り向く。
「もっとも、ランサーとドクターには会わなかったようですが。アーチャー……いえ、ロビンは下したのでしょう?」
「そうだ。……隠れていないで出てきたらどうだ」
「誰が隠れているものか。それよりも、ロビンはどうでしたか」
 剣を下段に構えたまま、セイバーは声のする場所に近づく。段々と浮かび上がってくる人型は、それが跪いていることを教えた。
「どう、とは?」
「強かったはずですよ、彼は。何しろ、わたしは結局一度も、彼に勝てませんでしたから」
「……ほう」
 更に近づく。人型は動かない。
「初期ロッドの彼は、能力的にわたし達には圧倒的に劣る。それでも勝てなかった。彼の戦い方が上手かったから? いえ、今なら分かります。あれはきっと、 兄として負けられなかったからなのでしょう」
「兄、と? フッドもそのようなことを言っていましたが」
「そうだ。わたし達には、遺伝子の共通項は少ない。が、それでも同じく人造人型兵器として、ある意味では家族のように繋がっている。先に生まれた彼 を兄と呼ぶのも、なんらおかしくはない」
 そこで初めて人型が動いた。立ち上がる。セイバーは、それを見て警戒を強め、足を止めた。
「セイバー。貴女は、わたしの先ほどの言葉を聞いて、こうは思いませんでしたか? ロビンに勝つことのできなかった者が、自分に勝てるわけがないと」
「さあな。生憎、そんな甘い考えで戦ってきた訳ではない」
「ああ、実に好ましい。そうだ、それでこそ――――」
 人型が、なにかを掴む/地面から伸びた細い棒状のものを。
「――――それでこそ、ブリテンの騎士王だ」
「なに?」
 示し合わせたように、風がひょうと啼く。霧が薄れ始め、人型が掴んだ棒の正体が明らかになってくる。

 はっきりとそれが見え始めると、セイバーは目を見開いた/ずくんと胸が高鳴った。
「――――ぁ……」
「断っておくが、わたしはロビン以外に負ける気はない。彼に勝つことは、もうできなくなってしまったが、だからこそこれからは不敗となろう。我が家族の目 的の ために」
「ま、さか、それは」
 敵のセイバーの言葉など、今のセイバーの耳には入らない。相手が掴んでいる物から、目が逸らせない。心臓が暴れるのを止めない。

 これを引き抜いたものは王となるだろう/台座に刺さった剣/"失われてしまった"あの剣――――セイバーの剣。
 それが今、再び彼女の前に現れた。

「……これを抜くことで例え人をやめてしまうことになっても」
「あ、あああ……!」
「一切合切、構うものか」

 ――――!
 硬質の響き。台座から、引き抜かれたのは選定の剣。
 ここに、伝説が再臨する。

「これより先は、一歩も進ませない」
 抜剣と共に、完全に霧が吹き飛んだ。
 そして振り向いた敵の顔は――――セイバーと全く同一。
 呆然となる士郎達の前で、選定の剣が不可視の風に包まれていった。

貳拾㯃話へ
弐拾伍話へ

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