士郎達は、目も開けない暴風の中、それでも然りと見えた。
 風が選定の剣を包み、得物を不可視と化す、その瞬間が。
「剣が消えた……! これじゃまるでっ」
「まるで? まるで、どうした?」
 剣の隠し方も、声も、構えも、セイバーと同一だった。顔もまた同様だ。
 しかし、同じ顔のはずなのに、なぜだろうか。その少女が嘲る様は、セイバーとは全く違っていた。

「さあ、言ってみろ」
 彼女が発したのは、士郎や凛達が聞き慣れた、澄んだ鈴声だった。しかしそれは、彼女が”彼女”ではない確信をますます強めた。
「どうかしたか。変な顔で人を見て」
「セイバーなら、出し抜けにそんなことは言わない」
「だろうな」
「お前、誰だ」
「お前達の次の相手であり、最後の相手だ」
 言って、ゆっくりと不可視の剣を構える。
「お前達の最後を、このわたしが飾ろう。このセイバーが」

 と。そこで唐突に、相手は緊張を緩めた。
「しかし」
「……?」
「名前が被ってしまうのは好ましくない。そうは思わないか」
 ぽかんとする士郎達。相手が、そういったことを気にするのは意外といえば意外だった。だが、確かに同じでは混乱の元だ。
「じゃあ、どうするってんだ」
「ここは、そちらのセイバーに敬意 を表し、わたしが別名を頂戴しよう」
「意外ね。自分の方がセイバーとして譲らないかと思ったわ」
「今のわたしはセイバーだが、わたし自身がセイバーであるわけではないのでな」
「……また謎かけ? さっきのロビンといい、そういうことが好きなのかしら。それとも、正体に関わるヒントのつもり?」
「解釈はどうとでも。兎に角、これよりしばらくは、ルイスと名乗り、相手を仕る」
「ルイス、だと? それがあんたの本名か」
「いいや」
 否定の首振り後、彼女はすぐ、形のいい頤を上げた。

「相手をするのはわたし一人ではない。上を見ろ」
「なに?」
 空が翳り、白い羽がひらりと舞い落ちてきた。それは、地上に着く前に砂 細 工よろしく、崩れて消える儚い影だ。
「魔力でできた羽……?」
 魔術の知識にはまだ疎い士郎ですら、その正体を容易く悟った。
 魔力の羽が落ちてくる。なら、魔術師が控えているのか。
 彼に限らず、セイバーに凛も、皆が空を 見上げた。そして、ぽかんと口を開けて固まった。
「なん、で……空から、シスターが」
 言葉通りの驚きだった。ゆるり舞い降り来たのは、修道女を思わせる少女だった。その背には羽があり、そして、同時にどこまでも 白いシスターだった。以前、バーサーカーとルイスがやり合ったときにも居合わせた少女だが、改めてみるとやはり異色だった。

 帽子に法衣、靴に至るまで。何もかもが白色。僅かに金の縁取りが混じるのみで、他の色は徹底的に排除されている。変わった意匠のワンピースとも見える修道 服を着ているのだ。そして、その背に揺らめく魔力で編まれた羽。それも相まって、或いは、天使の降臨を思わせた。

 

「天使……? う、ぐっ」
 イメージを言葉に出した瞬間、シンジは、頭にちくりとした痛みを感じた。苦痛の時間は短い。ここで気絶などしたら、格好の的。だが幸いにして、シスターの降下中に頭痛は収まっていた。
(天使。それが、僕の忘れた記憶の一つ?)
 知らず知らずの内に、彼は右手を忙しなく開閉させていた。
(痛みは嫌いだ。だけど、無くした僕を取り返さなきゃいけない。だから、この痛みから、逃げちゃ駄目だ)
 なぜかは知らない。だが右手が、何かを掴んだ気がした。

 

 ***

 

 シスターが着地するまで、誰も動かなかった。理由はない。どこか現実離れした光景に圧倒されたからかもしれなかった。
 その後、初めて動いたのはルイスだった。
「では紹介しよう、わたしの半身だ」
 彼女の大仰な語り口に合わせるように、ゆっくりとシスターは腰を折る。次に顔を上げた時、その瞳は文字通り怪しい光を湛えていた。紫がかった怪光が、薄ボンヤリとした霧を照らす。

「さらっと攻撃準備してくれちゃって……!」
 凛は、じわりと緊張の度合いを高める。それを知ってか知らずか、シスターはゆっくりと口を開いた。
「……マジシャンです」
「こちらは被っていないので、そのままでいいだろう。さて……っと」
 世間話でもするような調子でルイスは語り、しかし彼女の顔のすぐ傍を、高密度の魔力弾が掠めた。顔を僅かに倒さなければ、或いは直撃していただ ろう――――凛の ガンドだった。

「こらえ性がないな。手が早い」
「早い? そっちのマジシャンとやらは、既に攻撃態勢ばっちりじゃない」
「この子は、荒事に慣れていない。ハンディキャップ、とでも思ってくれ」
「却下。当然でしょ」
 下らないと吐き捨てる。対してルイスは、口元を緩めて満足げだった。
「実に結構。戦闘態勢は十分らしい。良いな、合図一つ要 らないというのは」
「はン。随分とまあ、舐められたものね」
「悪く思わないでくれ。本気を出す前に叩いてしまっては、騎士の誇り”とやら”に傷が付く”らしい”のでな」

 ”とやら”に”らしい”。全く同じ顔が吐いたその言葉に、セイバーの片眉が、かちんと上がる。
「待て」
「うん? どうかしたか」
「まるで、聞きかじったことを渋々やっているといった風情だ。我が顔を真似ておきながら、騎士の誉れのなんたるかも知らず、それを守ると言うの か」
「ああ」
 即答に、ますますセイバーのプレッシャーが高まり、ルイスの嘲笑が深まる。
「怒るか、亡霊。しかし勘違いをするな。誇りならある。ただそれは、騎士のそれではないと言うだけの話だ。騎士の誇り? そんなものは知らない。わたしの誇りは、仲間のために戦えると言うこと。それに尽きる。仲間のための戦いに勝つことが、わたしの誇りなのだ」
 手が上がる。そしてルイスは、その手に握ったボロボロの“日本刀”をセイバーに突き付けた。
 得物は、いつの間にか変わっている。セイバーは、その事実に露骨に動揺した。

「どういうことだ。先ほどの剣は、どこにやったっ」
「この辺りにある。見えないだけだ。隠し方は、それこそよく知っているはずだが」
「どうして、変えたのです」
「わざわざ得物を合わせる必要はないと、判断したからに過ぎない。それに」
 言葉を切り、刀をすいと持ち上げた。そして軽く素早く振り下ろす。地面より、ホンの少し上で止まった筈の切っ先は、しかし、深く地面を裂いていた。

「此方の方が、個人的にやりやすい」

 分かりやすい示威行為に、誰もが警戒感を強めた。
 その刀は、一見ただのオンボロ刀。だが、実態はまるで違う。薄らと赤茶けた刃は、いっそ錆びているようで、拵えも解れている。人など斬れそうもない。それどころか、まともに何かを傷つけられるかも怪しいボロさ。
 なのに、それはただの擬態だと嫌でも理解できた。

「なんだ、あれ。くそ、ヤバイ感じしかしないぞ」
「同感ね」
 顎を引き、脂汗を浮かべる士郎と凛の姿に、ルイスが、く、と喉を鳴らす。
「そうさ。ただの錆びた刀などと思ってくれるなよ。余りに血を吸いすぎたがために、”妖”が宿った一振りだ。ただひたすら、斬ることに特化し た怪物刀」
 そして、刀の腹を、士郎達に押しつけるように見せつけた。
「聞こえるはずだ。幾人もの罪人の首を落とした、はたもん場の研ぎ音が」
 言われるまでもなかった。刀を研ぐ掠れた音は、先ほどから聞こえている。ひたすらに「切る……! 切る……!」と恨みの声も響いているのだ。

「地獄の鬼すら切り裂く刀だ。怨念兵装とでも呼ぼうか。英霊といえど、当たれば滅するぞ」
 彼女の言葉に嘘はない。直撃でなくても、掠ればサーヴァントにすら呪いを刻む刀が、それだった。しかし、セイバーは一歩も引かずに応えた。
「当たればの話だろう? できるものならやってみるがいい」
「ああ、やってやろうともさ」
 ぶつかり合う視線。当然、互いに負けなどは考えていない。闘気のぶつかり合いが、今にも目に映りそうだった。

「いざ」
 初めに動いたのは、やはりというべきかルイスだった。
 左手をだらりと脱力し、首元に寄せる。右手は、刀の柄を軽く握り、そのまま肩に置いていた。異な構え。まるで刀を担いでいるようだ。巫山戯ているような構えながら、しかし、隙がない。ぴぃんと緊張が走った。
「来い。射程に入らば、即座に首を刎ねる」

「…………」
 正面切っての挑発に、だが、セイバーは応えない。ただ冷静に、研ぎの音を響かせる妖刀とルイスの動きに、注意を注いでいた。一挙手一投足も見逃さぬと、静かに集中を高める。相手の肩が僅か にでも動けば、呼応してぴくりと刃先を揺らす。相手が、ず、と足下の土を鳴らせば、同じく鳴らした。

 息を呑む、酷い緊張の場面だった。それは、自分と全く同じ容姿でありながら、自分とは全く違う価値観を持っている相手だったからだろうか。
 意識が完全にルイスのみに集中していたセイバーは、“それ”こそが相手の狙いだと遂に看破できなかった。

「チェックだ」
「……なに?」
 聞き返したセイバーに答える代わりに、ルイスは構えを解かぬままに一歩ずれた。
 お陰でセイバーは、彼女の隣に控えていた筈のマジシャンが、いつの間にか数歩後ろに下がっていることを知った。そして、その目の輝 きが、先よりも尚増していることも。

「っ」
 辺りにぷんと匂う、魔力香が示すのは、彼女の目が発動寸前の魔術を湛えているという事実。だが、
「わたしに、そんなものが通ると思ったか!」
「ああ、通らない。通らないだろうな。お前には」

 背筋がぞっとした。その一言で、相手の狙いが分かった。マジシャンの魔術は、最初からセイバーを狙ってなどいなかったのだ。彼女が狙っているのは、

「俺たちだってのか、くそっ」
「シロウ――――!」

 しかし、狙いが分かっていても振り向けない。彼らの前に走ることもできない。なぜなら、ルイスの兇刃が狙っている。既に、相手の攻撃の有効範囲に セイバーはいるのだ。射程に入れば斬る、との言葉すらブラフ。今ですら、かなりの間があっても、相手の射程範囲にいるのだと、彼女の経験は告げていた。
(はめられた!)

 そして、士郎達もまた、はっきりと敵の攻撃範囲にいることを理解していた。魔術に詳しい/疎いの区別なく、マジシャンの力ははっきりと分かる。彼女の目に湛えられた光が示す図形。それは、烈火と力を意味するのだと。

「防御魔術を……! だめっ、シンジ、フィールドを早くっ」
「もう遅いっ! やれ!」
 凛の指示よりも早く、ルイスが叫ぶ。マジシャンの瞳の奥から図形が飛び出した。
 三次元の立体だった。数珠よろしく繋がる無数の円。繋がった円達を挟むのは二つの大円。そして大円の中心に向け、端より伸びる放射状の収束 線。
 意味は、光の 収斂と発射。それを説明するのに適しているのは、魔術ではない。それは、科学で言うところのコヒーレント=位相の揃った/光の束――――

 ――――レーザービーム。

「”Divine Javelin”!」
 トリガーワードと共に、魔法陣が一瞬だけ膨れ上がった。それはやがて弾け、光子の槍を吐き出した。真に光速たる攻撃だった。

「やめ――――」
 セイバーの反応すら、あまりに遅い。秒と経たず、焦点温度数千度の光束が、全てを薙ぎ払った。

 

 

「……けほ」
 蒸気に塗れた一帯。
 霧の平野を模した空間に、もはや生き物の吐息は感じられない。その惨状を生み出した張本人とは思えぬ軽さで、マジシャンは可愛らしく咽せていた。
 その横で、ルイスは漏れ出そうになる笑いを噛み殺していた。
「ふ、ふくく。なんだ、はは、他愛もないじゃないか。サーヴァントなど、魔術師など、所詮このようなものか」
「…………」
 セイバーと同じ作りの顔とは思えぬ、嘲りの表情。沈痛な表情を取るマジシャンを補うように、彼女は勝ち鬨の声を上げた。
「は、はは……はははははっ! 勝ったな、やっと勝てたんだ。なあ、言……マジシャン」
「……うん」
「頼むから、暗い顔をしないでくれ。これで、わたし達は自由になれる。わたし達は、わたし達の国を作れるんだ」
「でも」
 訴える眼差しを、首を振って否定する。
「犠牲は必要だ。彼女達がそうで……そして、ロビンもそうだった。それだけだ」
 冷たく言ってのけようとしたのだろう。だが、滲む後悔の念は隠し切れていなかった。それを理解し、実践するには、彼女はあまりに幼すぎた。

「……さ、行こう。報告をしなければ」
「そう、だね」
 途切れ途切れに返事をするマジシャン。仕方ないかと割り切り、ルイスは先に歩き出した。

 その時だった。
 ふと、マジシャンが振り向いたのは全くの偶然であった。だから、幸いにしてその動きに気付くことができたのだ。

「ア、アリスッ!」
「?!」
 煙の中から飛び出した“何か”。いち早く気づいたマジシャンの叫びを聞き、ルイスは咄嗟に振り向き、自分の得物を縦に構え、体の横に添えた。
 しかし、刀は脆いものである。そのままでは容易くへし折られてしまう。ならばと、“何か”が当たって来るであろう鎬の 反対部位 には掌を当て、折られまいと備えた。
 ただでさえ怨念の籠もった妖刀である。ここまで備えれば、多少の攻撃ではびくともしない。彼女が反射的に取った行動は、とても的 確だった。

 運が悪かったのは、その“何か”が彼女 の武器と逆の力であったこと。人の呪いを一身に背負った妖刀といえど、人の願いが鍛えた星の聖剣が相手では、止めきれない。

「そん、な……っ!」
 如何にもか細い日本刀は、内に秘めた呪いと共に叩き割られた。肉厚な剣はそれでも止まらない。ルイスの手にも、その刃は届いた。
「しま……っ!」

 結果、その場には、はたもんばの切っ先と、ルイスの指先だけが残された。

 

「ア、アリスッ! ああ……あああ!」
 ぼとりと落ちた指、そしてルイスが壁に叩き付けられたのを見て、マジシャンが悲鳴をあげる。彼女を斬り飛ばした者も、その頃にはしゃんと立ち上がっていた。
 鎧に些かの曇りもな い蒼銀の騎士、セイバーである。ルイスを斬り飛ばした刃を、容赦なくマジシャンに向けた。

「アリス、ですか。前にもそう言っていましたね、貴女は。それが彼女の名前であることは間違いがなさそうです」
「あ……うう……」
 マジシャンは愕然としていた。それが、ルイスがやられたことに対してなのか、自分の迂闊さに対してなのか、それとも窮地に追いやられたことに対してなのか。セイバーには判別がつかなかった。

「正体の追求は後にしましょう。しかし、貴女も彼女も、敵の生死も確認せず背中を向ける。甘いとしか言いようがない」
「う、う……」
「引かないのであれば、貴女もここで切り伏せます」
 告げてはみたものの、尻餅をつき、今にも泣き出しそうなマジシャンに戦意は残っていそうになかった。だが、確信は早い。セイバーは、不可視の剣は、突き付けたま まに言った。
「否か、応か。返答を」
「……ら」
「なに?」
「こ、答えたら……」
「なんですか」
「わたし達を、助けてくれるんですか」
 セイバーの眉が、微かに持ち上がった。
「……降伏するなら。少なくとも、命は奪いません」
「だったら」
 ん、く。と唾を飲み込むマジシャン。闘志は完全に萎えていて、答えは聞くまでもなかったが、耳を傾けた。
「だったら?」
「こ、答えは」

 ぼん、と膨れあがる闘志を、セイバーは感じた。マジシャンではなく、瓦礫の中からだった。
「降伏など断るっ!」
「なにぃっ」
 瓦解した岩の中から飛び出したのは、ルイスだった。そして勢いはそのままに、セイバーに迫った。
 ああやって飛ばされることまで計算していたというのか、彼女の手の内には、また新たな刀があった。鬼の片手を切り落とした鬼切丸/髭切の太刀である。
 そして、切り落としたと言えば、ルイスもまた指をなくしたはずだったが、突撃してきた彼女は、欠けたるところのない両手で、しっかと刀を握っていた。

「ぐっ」
「このタイミングでも受け止める! 未来予知に近いという直感! やはり伊達ではないなあっ」
「ルイス! なぜ、手が?!」
 手応えはあったはずと驚くセイバーに、あっただろうさとルイスは吠えた。
「確かにわたしは斬られた。指もそこにも転がっているのだから、それは事実だ。刀まで折られてしまった。だがそんなことはどうでもいい。こうしてわたしはピンピンしているのだから! 詰めが甘いのはお前も同 じだ、セイバー! せ、ぇいっ!」
 腹の奥から絞り出された裂帛の吐息と共に、ルイスは一閃を放つ。
 セイバーには、魔力噴射をする間すら与えられなかった。思わぬ剛力に転がされてしまう。だが、すぐに立ち上がった。奇しくも、両者の立ち位置は始めと同じに戻されていた。

「ん」軽く目を瞑り、ごきん、と大きく首を鳴らすルイス。「セイバーが生きていたことから想像は付いていたが、残りも生きているようだ」
「……ええ、そうよ。お生憎様。この通り、元気一杯ってね」
「どうやって生き延びた、と聞こうかと思いましたが、考えてみれば当然か。風王結界は光を曲げる。多少減衰させれば、後は防御結界で何とかなる」
「よく、分かってるじゃない」
 やはり油断がならないと、凛は唇を噛む。彼女達が先のレーザービームから生還できたのは、ルイスの言った通りの方法だったのだ。

 セイバーは、初めこそ間に合わなかったが、シンジがATフィールドで一瞬だけ拮抗を作ると同時に、風王結界を解き放ち、ビームを減衰させた。そして弱まったそれなら、ATフィールドでシャットアウトできる。
 風王結界にATフィールド。どちらが欠けても、彼女らは生き延びられなかった。
 ただ、セイバー達の行動を見ることなしに、即座に生還方法を看破したルイスは、ただの猪武者ではなく、頭も切れることを示したのだった。

「こちらの種ばかり明かすのも癪ね。そっちこそセイバーの攻撃から、どうやって生き延びたのかしら」
 問いに答えず、ルイスはその手に持つ刃を自分の顔に当てた。そして、引く。あ、とシンジが声を漏らす。彼女の顔には、決して浅くない一文字の傷ができていた。だが、五秒と経たぬ内に、その傷は 塞がり消えた。

「傷が……」
「そう。これが理由というわけだ。不死の霊薬“ノスフェラトゥの軟膏”。制限時間付きだが、今のわたしは不死身というわけだ」
「不死の薬? 不死身、ですって?」
「そう。わたしを殺すのは骨が折れるぞ」
 攻撃的な笑み。二度三度髭切の太刀を振り、彼女はそれをすとんと自分の足に落とした。
「あ!」
 またもシンジが声を上げるが、今度の行動は、自傷のためではなかった。
 足を覆う鎧すら貫通し、深々と刺さった刀。しかし、鎧の穴からは血の一滴も垂れない。足の指と指の間に、ちょうど落としたらしかった。

「天下人の剣、ではないが、貴様を屠る剣がそうそうあるわけではないからな。これで決めさせて貰う」
「そんな構えから何が――――」

 いや、できる。セイバーは、そう確信した。
 ルイスは、刀を鎧越しとはいえ、杖のように突いている。そんな構えから攻撃をする剣術など、彼女の経験にはない。
 だが分かる。あれはすでに体勢の整った構えだ。そして、
(またもここは、射程距離……!)
 防御はできないことも、同様に悟った。
 ぴくりとも動けば、体を股から頭まで真っ二つにされるイメージが、信じがたい強さで迫ってくる。
(くそ、わたしが見送るタイミングに、必殺の攻撃態勢を整えるのが上手すぎるっ)
 死の足音は、すぐ背後にあった。

 動けないのは、セイバーばかりではない。
 彼女の援護として凛や士郎達が動けば、状況は変わるだろうが、先ほどのようにぎらぎらと光るマジシャンの瞳が、それを封じていた。
(シンジに防御させれば――――)
「無駄です」
 心を読んだかのマジシャンの声。
「その子の結界は、確かに堅いし早い。でも、わたしは相手の行動に対し、“必ず魁ける”対抗呪文を放ちます」
「“必ず魁ける”? そんなの聞いたことがないわ」
「でしょうね。でもできます。わたしなら」
 目を見開く。ますます光が強まった。
 嘘はない。凛は、臍を噛んで引き下がるしかなかった。

 唯一、引き下がらなかったのは、
「シンジ。頼んだ!」
「し、士郎さん?!」
 雄叫びを上げて、突進を始めた士郎だけだった。

「! “ジャスティス”!」
 “必ず魁ける”。その言葉通り、士郎の突進の後に発動したにも関わらず、マジシャンの魔術は、一瞬で形を為した。
 光り輝く人の姿。数は三つ。頭には光冠。背中には白鳥の羽。そして手には、長く大きな木槌。光の球を木槌で打ち、人に罰を下す天使の姿だった。

“キィィィィイイイイイイ―――――――――――――!”

 人の可聴範囲を遙かに超えた発声と共に、天使は木槌を振りかぶる。先に動いている士郎より早い。まるで“先に振りかぶっておいた”ように、自然にその体勢となっていた。

(必ず魁ける、て。そういうことかよ。反則だろ、ちくしょうっ!)

 天使の殴打が迫る。
「っ!」
 だが士郎は、歩みを止めなかった。木槌で叩かれた光球が飛んでこようと、木槌自体が迫ろうと。なぜなら、彼には見えていたからだ。

「――――助かる……!」
 “必ず魁ける”攻撃に、更に魁けて展開された赤い壁が、自分を守っているのが見えていたから。

「うそっ」
「たあああああぁぁぁぁぁ!」
 魁けられるのは、どうやら一度きりらしかった。驚きに目を見開くマジシャンに、士郎は木の棒を振るった。狙いは胴だ。
 敵とはいえ、女の子を傷つけるのは忍びない。しかし、このままでは確実にセイバーに死が訪れる。それだけは避けなければならない。
 攻撃するには攻撃するが、殺したり、傷つけたりする気はさらさらない。気絶かもしくは悶絶を狙った胴払いで、彼はこの場を切り抜けるつもりだった。

(マジシャンとルイスは、ほぼ横並び。横で騒ぎが起これば、ルイスが動揺して、セイバーが隙をつけるかもしれない。だったら――――!)
 迷わず突進し、迷いながら攻撃を放つ。これで、セイバーの危機を救えると信じて。
「悪いけど、でも……!」
「きゃ!」
 振り抜く。虚空をひゅんと鳴らした。悲鳴を上げるマジシャン。彼女の胴は確かに払われた。

「え」
 熱い、赤い、鉄臭漂う、命の川が。
「――――あ」
 白い服は、真っ赤に染め上げられていた。そしてそれ以上に、士郎の服の両袖は真っ赤だった。

 「誰に、攻撃をしようとした。貴様、殺すぞ」
 ルイスが初めて見せた怒気も、マグマのように煮えたぎる怒りの籠もった言葉も、士郎には届かない。それどころではなかった。
「あ……ああっ! があああああああ!」
「シロウ!」
 肘から先を失った両腕を見て、士郎は崩れ落ちた。

「せい、ばぁ」
「シロウっ」
 出血のショックで、痙攣が起き始めていた。助けなければと踏み出したセイバーを、しかし、同じ顔が止めた。

「こいつは斬る」

 一言だった。
 もしかしたら、言葉ではなかったかもしれない。
 強すぎる気持ちが、目で伝わったのかもしれない。
 ルイスはもう、譲る気がないと言外に伝えている。

 だが、それはセイバーとて同じ。
「……そこをどけぇ!」
 彼女とて譲れないのだ。
 後先など考えなかった。今持ちうる技量、技能、全てを注ぎ込み最速で踏み込んだ。
 魔力噴射は極大。凛やマジシャンといった魔術師の目には、セイバーがオーロラを纏って跳んだようにすら映る。

「うおおおおおおおお!」

 セイバーは、ここまでルイスと戦って一つだけ気づいたことがある。
 彼女は容姿のみならず、技量も自分に近い。だが、決定的に欠けているものがある。

 “力”だ。彼女は、腕力や膂力、脚力、全てが自分に劣っている。
 なぜかは考えるまでもなかった。劣っているのではない。彼女は、全く自分と一緒なのだ。セイバーも、素の力は然程強くはない。それが、バーサーカーなどとも正面から打ち合えるのは、一つのタネがあるからだ。

 魔力噴射と呼ばれる技能が、それだ。名前の通り、魔力を勢いよく放出する技である。放出された魔力は、ロケットのブースターよろしく、セイバーの推 進力となる。踏み込むとき、或いは剣を振るうとき、それらに合わせて魔力噴射をすることで、彼女の力は巨人のそれに並ぶ。逆を言えば、それがなければ、よ く鍛えた少女の力しか持たないのだ。彼女がセイバーとして存在するには、或いは無双の騎士として立つには、魔力噴射のスキルが必要不可欠なのだ。

 それがルイスにはない。そもそも、彼女からは魔力が感じられない。彼女がから辛うじて感じられる魔力はといえば、彼女の武器が放つものだけである。彼女自身には全く魔力が備わっていないのだ。

(わたしの姿形を真似る魔術? それとも技か? それ自体は見事! だが、わたしの持ちうる全てを模造しなければ、化けの皮ははがれる!)
 一足飛びのまま、大上段に振りかぶり、上方に魔力噴射。瞬時に下向きの推進力を得た。

「如何に不死身だろうと、真っ二つでは!」
 飛び込みざまに、真っ向唐竹割り。ルイスの反応速度を遙かに上回る攻撃だった。
 避けることも、受けることもできない。当然だ。勝負を決するとどめとして、セイバーは咄嗟に出せるという条件付きながら、全力の攻撃を行ったのだから。

 狙いは違わない。至極当然の帰結として、ルイスの体は縦に裂かれた。
 深々と。少なくとも、頭頂から胸元まで割った感触があった。ぴしゃんと音を立て、鮮血が、セイバーの頬を打った。

 

 離れてみていたシンジは、一瞬の決着に、畏怖と興奮を隠せなかった。人の死を実感する前であったので、純粋にセイバーの技に気を取られていた。頬を紅潮させ、「凄い」と唇を震わせる。
「やっぱり、やっぱりセイバーさんは、凄い!」
「……」
 一方の凛は、何も言わなかった。それよりも、すべきことがあった。すぐに処置しなければ、士郎は失血死してしまうだろう。故に、言葉にはしないが、“あの馬鹿”と彼女は踏み出し、そして、足を止めた。

「! セイバー! 引きなさい!」

 

「……いいえ。引けません、凛」
 凛に言われるまでもなく、セイバーも気づいていた。
 斬り込んだ感触はあった。血だって溢れんばかりに吹き出している。

 だが、そこに絶命させた感触は、一切なかったのだ。

「それが……騎士の、戦い方か!」
「言ったはず。騎士としてではなく、仲間のために戦うと」
 更に力を込めようと、セイバーの剣は進まない。それだけではない。元から、ルイスの顔に傷一つ付けることができていなかった。相手が、尋常ではないやり方で、剣を止めているのだ。

「不死身には、不死身なりの体の使い方がある」
 血が収まっていき、彼女の行動が明らかになった。剣は、ルイスの左腕に深々とめり込んでいた。つまり彼女は、腕の骨、肉、血、そして鋼鉄の小手。体の内外を使い、剣の切れ味、衝撃、推進力全てを奪い、セイバーの攻撃を失敗せしめたのだ。

 だが、例え不死身だろらと、治るからと言っても、防御のために腕一つと引き替えにするという選択肢は恐怖を伴う。それをあっさりとしてのけるルイスを、セイバーは、だからこそ惜しいと思った。

「なぜ……なぜそこまでの心を持っていながら、どうしてあの女に手を貸す!」
「誰かにとっての英雄ではなく、家族にとっての英雄になれれば、それでいい。そう考えるのは、間違いか?」
「なら尚更っ。貴女なら家族のために、戦えるはずです!」
「そうだったら、どれほどよかったか……」
 刀がめり込んだままの腕を勢いよく捻る。彼女の言葉に一瞬気を取られたセイバーは、あっさりと体勢を崩した。
「気が変わった」
「く!」
「お前から冥府に落とす」

 串刺しにされたままの腕を、物か何かのように扱い、ルイスは右腕の刀を振るう。狙いはセイバーの首。再生能力に優れるセイバーにとっても、確実に致命傷になり得る部位だった。
 思わぬ力で振り回され、咄嗟に剣を握りしめたセイバーでは、対応が間に合わない。

(まさか。こんなところで――――わたしは)
 迫り来る刀が、動かそうとする自分の体が、余りにも遅い。
 そして、首に刃が届くのを見送り、意識の電源が落ちた

 

 ***

 

「おーい。おーきーろー、なのだー」
「!」
 暢気な子供の声が聞こえた。死を覚悟した直後からのギャップに、セイバーは飛び起きた。いや、飛び起きようとして、頭から叩き付けられた。
「ぐっ、なにが!」
「お控え、なさい。マスターに、頭突きを、する、つもり、ですか」
「…………」
 言葉を失う。片言のメイドだった。機械的な目でセイバーを見下ろし、白い手袋に包まれた手で、セイバーの頭を押さえていた。メイドの横には、先の声の持 ち主と思われる子供がいた。染めているのかは不明だが、前髪の一房だけが白かった。身長からして、小学校就学前の女子児童と言ったところ。だが、セイバー を見る目の色は、無垢な子供のものと、老熟した研究者が観察対象を見るようなものの両方があった。

「む~。飛び起きるからビックリしたのだ」
「いえ、今のはどちらかというとわたしの方が」
 途中まで言いかけたところで、再度頭を地面に押さえつけられた。
「また……! 何をするんですか!」
「マスターを、驚かせたのは、貴女の、方、です。もう、少し、落ち着き、なさい」
 言って、メイドは手を離した。くらくらする頭を振りながら、セイバーはゆっくりと体を起こす。メイドに対する怒りは残っていたが、確かに飛び起きて子供に頭突きをかましそうになったのは自分の失態。だから、彼女の言葉に従うのではないが、落ち着こうと思ったのだ。

「ここは……」
 見渡す。不思議な空間だった。マーブル状の光の壁とでもいうのか。一瞬たりともとどまらず、壁や天井の色が変化し続けていた。
「あの、ここは一体」
「ここがどこかなんてことより先に、することがあると思うのだ」
 立てた人差し指をくるくる回しながら言う子供。やがて、止めた指である場所を指した。

「ほら。さっさとしないと、死んでしまうのだ。あれ」
「あれ?」
 振り向き、目を見開いた。「シ、シロウっ!」
 女児が指さした先には、倒れ伏す士郎の姿があった。その両腕は勿論――――

「あ、あれ? ……腕が、あ、る?」
 自分の主人は、ルイスのように不死身だっただろうかと考え、何をバカなと打ち消す。では、自分の見間違えだっただろうかと思い、彼の服にしっかりと残っている血痕に、その考えも否定された。
「セイバー」
「リン。良かった貴女もいましたか。それで、その、シロウは」
「いや、ああ、うん。言いたいことは分かるんだけどさ。まあ、なんて言うか見たまんま? 治ってるみたいなのよね。訳分かんないけど、まああのルイスとか言うやつもいないみたいだし、ここは助かったって見るべきよね」
 納得はしていないが、認めざるを得ない。そんな複雑な表情だった。だが、その“助かった”という言葉に水を被せるように、女児は繰り返した。

「おーい。もしもしー。聞いてるのだー? だから放っておいたら死んでしまうのだ」
「怪我のせい、って訳じゃなさそうね」
「腕は治ってますから、違うと思います。……でも、士郎さん、さっきかなりの血を流してましたから」
「それなのだ」
 女児は、ふんと鼻息荒く頷いた。「さっさと血を入れないと死ぬのだ。それとも、それでいいのだ?」
「よくなどありませんっ! 何をバカなっ」
「だったら、さっさとついてこいなのだ」
 言うだけ言い、女児は歩き出す。メイドも併せて動き出した。今更だが、メイドと言われて連想するような、ヴィクトリアン調の白いエプロンに黒ドレスのメ イド服ではなかった。どこか中華風の白い肩掛けと、青いドレスが一緒になったような姿だ。よくよく見れば、どうしてメイドだと思ったのか分からない格好で すらある。

「いつまで、止まっている、つもり、ですか」
「あ。いえ、すみません。すぐに」
 自分の些細な疑問のために、主人を殺すわけにはいかないと、気を失っている士郎を、慌ててセイバーは抱え上げた。傷一つないとはいえ心配だったので、腕を掴み上げることはせず、彼の体と両膝の下に腕を回して持ち上げていた。
「……リン。どうして笑っているのですか」
「ん。いやね。女の子にお姫様抱っこされたって聞いたら、士郎はどう思うのかなーって」
「何を言っているのですか。この身は、女である前に剣士です。それにわたしが運ばずして、誰がシロウを持ち上げるのですか」
「えと、セイバーさん。よければ僕が」
「て、言ってるけど?」
 すっかり失念していた男手に、セイバーは一瞬顔を曇らせたが、すぐに取り戻した。
「いいえ。これは、マスターを守りきれなかったわたしへの戒めでもあります。ですから、どうかお気になさらず」

 そこまで言われてしまえば、シンジは反論などできない。せめて道を譲ることでしか、彼女の手伝いとならないのだった。

「……っぷ、くく」
「凛さん? どうかしたんですか」
「いやね、シンジ。あの子ったら、素直に言えばいいのになって思って。士郎を手放したくない、離れたくないんですぅー、ってさ」
 先を行くセイバーが、ちょっとだけ士郎を落としかけた。
「なっ、何を言うのですか、リン! それはひどい言いがかりだ!」
「あらあら。そんなに騒いで士郎を起こしたら、シンドイ思いさせちゃうんじゃないの?」
「ぅ……っく」
 勝者は明らか。ずしずしと音を立てそうなほど乱暴に歩くセイバーと、にししと笑う凛はとても対照的だった。

 

(これから先、できるだけ凛さんとは口げんかしないようにしよう)
 シンジは、心の中にその考えをそっと仕舞った。

 そして、一分と経たぬ内に女児の案内は終わった。
「……何じゃこりゃ」
「ふふん、驚いたかなのだ」
 膨らみもない胸を張って威張る女児。確かに凛を始め、シンジもセイバーも言葉を失うほどに驚いていた。彼女とメイドが案内した先の部屋は、それほどに変わっていた。

「超々大魔導士、びぃね様の工房に特別に招待してやったんだから、もっとありがたがるがいいのだ!」
「いや、超々大魔道士って……。貴女のことなんて、全然知らないし」
「にゃ、にゃにおう!」
「それにここ、工房って言うより」
 ぷんと漂うカカオの香り。噎せ返るほどに濃い、甘い甘い砂糖の匂いが充満している。
「……チョコレート、工場?」
 呆然とチョコレートの滝を見るシンジの言葉が、全員の心中だった。
 自らを超々大魔道士と名乗る女児=びぃねの工房は、どこかの児童書にでも載ってそうなチョコレート工場の体であったのだ。
 曲がりくねり、部屋を横切るチョコレートの川だけではない。辺りに生えた木も、芝生のように敷き詰められた緑の葉っぱも、この匂いからすると全部食べられるお菓子らしかった。

「ふっふーん。びぃねのチョコレート工場なのだ」
「自分で言っちゃってりゃ世話ないわよ。やっぱり工房じゃないでしょ」
「むかっ」
 感情を言葉に出す辺りは、見た目通りの子供だった。
「そんなこと言うなら、やっぱり助けてやらんのだ! 大体、わたちは最初から乗り気じゃないのだ。そんな奴を助けるなんて!」
「……わたしのマスターを、そんな奴呼ばわりはやめて貰いたい。この人と貴女にどんな繋がりがあるのかは知らないが、失礼です」
「そいつは、わたちの大事な物を壊したのだ!」
 所々口が回っていないが、吠えるように叫ぶ彼女の怒りは本物だった。

「大事な物って?」
「あの子なのだ!」
 見ろと平手で示す。赤い半透明の液体が入ったポットだ。チョコレート工場の中では、不自然極まりない人工物だった。その中には、真にびぃねが示したかった”もの”がいた。

「貴女、は」
『……あら。セイバー。数時間ぶり』

 微かに目を細める藍がそこにいた。

 

 おまけ

「数時間? 数年ぶりの気が……」
『メタメタメタ』

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