胸に、ぽっかりと大穴が開いてしまった。

 起きると同時に悟った。
 よくもまあ、再び意識を取り戻したものだ。自分の体ながら、彼はホンの少し笑った。
 しかし、終わっていた。戦いに敗れ、胸は裂け、命は既に飛び出す寸前だった。血は止まらない。鼓動は弱まる一方。頭はぼうと霞になり、最も大事であった はずの双子の言葉も耳を素通りする。

 それでも。だがそれでも、最後まで残ったものがあった。
「…………勝つぞ、この戦い」
 死ぬまでなくならない馬鹿な意地。

 

 神話になった少年と 第弐拾伍話

 

 十数分前に遡る。シンジのATフィールドに守られ、士郎達は森を移動していた。
「…………」
 ぐっ、ぱっ/掌を見つめ、握っては開く。そんな動作を、シンジは繰り返していた。
(……どうして僕の記憶は戻らないんだろう)
 やはり、一番に優先して考えるべきは、それだった/思うシンジ。今更過ぎたが、それでも彼の思考は更に沈んだ。
(いや、全く戻っていない訳じゃない。少しずつ、思い出してきているんだ。さっきみたいに、突然フラッシュバックすることもある)
 例えば、ライダーのサーヴァントとの邂逅前/例えば、あの黒巫女=敵の親玉らしい女性が、桜という少女をL.C.L.に 還元した時。
 いずれの瞬間も、少年の記憶は、かなり彼に戻っていた。なのに、その瞬間が過ぎてしまえば、それらは再び失われたのだ。

「……あれ?」
 だが自分の思考に引っかかりを覚えた。
「L.C.L.……? L.C.Lって――――なんだ?」
 まただ/唇を噛む/悔しかった。
 『L.C.L』/そんな言葉は知らない/でも、知っている/どうして?/どうして僕が知らないことを、僕が思い出すんだ?

 "パ、パッ"――――意識が明滅しフラッシュバック――――<L.C.L.は、エントリープラグ内を満たす特殊な液状物質。耐衝撃性を備え、肺に 直接酸素を送り込むことを可能とする。そ して最も重要な役目は、エヴァとの精神接続――――>

 

「シンジ?」
「――――…………え? あ、はいっ。なんですか、遠坂さん」
「どうしたのって……あのね。それはわたしの台詞。周りをよく見てみなさい」
「周りって……あ」
 言われてシンジは気付いた。ATフィールドが、頼りなく明滅/出力が落ちているのは明らか/考え込みすぎて、フィールドの展開が疎かになっていた。
「す、すみません。すぐに直しますから!」
「あのね。怒ってないから、落ち着きなさいよ。それに、キツいならそう言いなさい。あなたが倒れたら困るんだから」
「あ、いえ、その」流石に、考え事をしていて集中が途切れました、とは言えない。「……僕は大丈夫、ですから」
「そう。じゃあ続き、頼むわよ」
「はい」
 応え、慌てて意識を集中させるシンジ。フィールドの出力上昇/揺らぎ停止/が、やはり戻り掛けた記憶に気を 取られ、またもや自己埋没してしまう。
(L.C.L.……血の臭い。血の味……きっと、多分、それがL.C.L.の臭いと味。そして、またエヴァ。くそっ……エヴァって、一体何なん だ?)
 葛藤は続く。

  

「また考え込んでる……」溜息=凛。
「なにか思い出しかけているのかもしれないぞ。ちょっとそのままにしてあげた方がいいんじゃないか」
「優しさを発揮する場所を間違えているわよ、士郎。ここが戦場じゃなかったら、わたしもそれを許すわ。家で寛いでいる時なら、それも考えてあげるわよ」
 しかし現実を見ろ=視線を横に誘導/分かってる=士郎は返す。
「でも、今はそんなことしている暇はないの。死んだらそこで終わりなのよ」
「それは、そうなんだけどな」
 顔を顰めて、シンジを見る。
 ゆっくりとはいえ、障害物の多い森の中を歩き続けながら思案に耽る少年/ぼうとしているようだが、足下で丸まった蔦は 回避/意外と器用?/ただATフィールドがまた揺らぎだした。
「……仕方、ないよなあ」だから言ったでしょうと、ちくちく痛い視線を感じつつ。「悪い、シンジ君。今は、目の前のことに集中してくれ」

 びっくーん=悪戯がばれた子供の驚き。「あ、いや、その、大丈夫、ですからっ」
「うんうん。分かった。分かったから、足下とATフィールドに気を付けて」
「うぅ……はい」
 しゅんと落ち込む。余りにも恐縮しすぎなその姿は、見る者二人の心にむず痒いものを感じさせるほどだった。

「……凄く悪いことをした気がするぞ、これ」
「奇遇ね。わたしもよ」
 足は止めず、互いの顔を見合わせる。
「先を」
「急ぎましょう」
「ああ」

 

 戦場の中心ではないためか、妙に穏やかな雰囲気があった士郎達のパーティー。
 しかし、突如沸き上がった圧力すら感じる寒気が、緩やかな流れを一刀両断した。
「なんだ? 急に寒く――――」
「そう、ですね。僕も何だか」
 士郎とシンジは、がらりと変わった空気に思わず足を止め、そして凛は、あからさまに表情を変えた。
「マナが収束して――――いえ、これは無色の存在が意味付けされて、ベクトルが確定を始めているの……?」
「遠坂、日本語で頼む」
 夜叉降臨/振り向いた少女の顔を見て、男性陣は揃って逃げ出したくなった。
「ぼうっとしている暇はないわよ! ここら辺一体が、巨大な儀式場になってるのよ! ああ、もうっ! どうして気付かなかったのよ、わたしも!」
「ぎ、儀式場? じゃあ、この寒気もそれのせいなのか」
「だからっ、何ボケっとしたこと言ってるのよっ。こんなことをセイバーができると思ってるの?!」
 今一問題が分かっていなかった士郎も、その一言で気付いた。
「……ちょっと待て、それじゃあロビンの仕業なのか? まさか、あいつ魔術師だったのか!」
「そんなこと今はどうでもいいわよっ。力の収束が始まってる! 収束点は――――あそこ!」
 魔力の通り道だろう。見えないなにかを追い、凛が視線を上げた。士郎達もそれに続く。そして、信じがたい光景が現れた。

 黒雲/遠く、木々が蹴散らされた向こうにあったもの/こぼれ落ちるように、それが地上に落ちる/そこで初めて、雲の正体が矢の大群だと三人は知っ た/そして雲は渦を巻き、巨大な槍となり、一人の少女に向けられた。

「っ?! セイバー!」
 槍の先にいたのは、三人が探していた、蒼くも銀でもある少女騎士。巨大槍を向けられた彼女に、士郎が叫ぶ。だが声は届かない。そして、攻撃は無情にも止 まらなかった。
「逃げろ、セイバー! くそっ、遠いっ。遠坂、あの槍はなんなんだ?!」
「違う……。あの矢じゃない」
 望んだ返事ではないが、聞き逃せない情報だった。
「なんだって? 何が違うって」
「力が集まっているのは、もっと奥の方!」
「あれで本命じゃないってことかよ――――ッ!」
 言い合いの内に、大槍と化した矢の軍勢が、いよいよセイバーに迫った。
 拙いか/答えは、否だった。
「見て下さい! セイバーさんの剣が!」
 シンジが言う。士郎達も見た。
「あれは……金の、剣?」
 目も眩む黄金の輝き。ついに、セイバーが剣の力を解き放った証左だった。共に、台風の如き暴風が巻き起こった。
「宝具?!」
「分からないけど、多分そうよっ。……けど」
 口ごもる凛。目の当たりにするだけで、セイバーの剣がどれほどの力を秘めているかは分かる。だが、彼女の中の嫌な予感は、膨らむことを尚止めないのだ。
「遠坂さん?」
「士郎、シンジ、足を止めないで走って。きっと、セイバーは大丈夫だから」
 彼らに言い聞かせるためではなく、寧ろ自身に言い聞かせる言葉だった。あれほどの力を持つ存在を、ロビンが打倒できるはずがない。実に現実的で、当たり 前な答えだと、秒間に何度も確認する。

 しかし、決定的な瞬間は訪れた。
「っ?! ロビンだっ」
 セイバーが、矢の軍勢を激風を持って蹴散らした後、森に隠され続けていた、緑の衣装がちらりと覗いた。士郎らのほぼ延直線上にいる彼女も、彼を見たのだ ろう。金色に輝く剣を振り上げようとし、

「……セイバー、さん?」
「様子がおかしい!」
 剣を振り上げ、だがそこで彼女の動きは止まった。
 なにかがおかしい。士郎達が思うのと、彼女が大地に崩れ落ちるまでは、そう差がなかった。
「セイバー!」
「まさか、あのセイバーを破った……?」
 呆然とする凛。駆け出そうとした士郎は、赤い壁が留めた。
「シンジ君、解除してくれ! 早く!」
「バカなこと言わないで! シンジ、消さなくて良いから走って! 絶対に解除はしないで!」
「は、はい!」
 ATフィールドが不安定に揺れ始めた。
「く……あぐっ」
 負荷が上がり、シンジの額に脂汗が浮き始めた。あっという間にそれは滝となり、彼の額から頬を通り、顎先から垂れだした。だが、誰もそれを見ることはな い。全ての視線は、セイバーとロビンに向いていた。

 やがてロビンが動いた。弓に矢を番え、セイバーへと狙いを定めていた。
「あの野郎、止めを刺す気か!」
 それが分かっていても、士郎にはできることがない。強化した木の枝を投げたところで届かない。駆けつけるのはもっと無理だ。
「もっと近づいてからにしろってのよ!」
 それは凛も同様だった。ガンドで撃とうにも、流石に距離が離れ過ぎている。見えているのは、森に一直線に見通しがよい線ができているからなのだ。それが セイバーの作り出したものだと分かるだけに、妙に心がざわめいた。
「う、ぐ……ぐぐぐ」
 シンジに至っては、二人に輪を掛けて無力。走るだけで顔色は危険域。攻撃しようにも腕以上にリーチはなく、遠距離攻撃など持ってはいないのだから。

 ――――嘘だね。あるじゃないかそこに。
「っ――――はっ!」
 下を見る。矢の軍勢から零れた、三本の矢が落ちていた。「……ああ、これかっ!」
 壁が邪魔だった/無くなれ/念じる。

「ATフィールドが?! シンジ。貴方一体何をするつもりっ」
 フィールドが消え、凛が驚きの声を上げる。だが、シンジの意識に彼女は、もう入っていなかった。
「これがあれば!」
 彼は答えない。代わりに手を伸ばし、落ちていた矢を、少量の土ごと纏めて掴みとった。

「シンジ君、なにをする気なんだ!」
「駄目! 士郎、聞いちゃいないわ! 早くこっちに!」
 凛が士郎を引っ張る。直後、彼らのいた場所をシンジが駆け抜けた。それも、凡そ普段の彼からは考えられない速さで。
「うぉぉぉぉおおおおおおおおあああああああああ!」
 腕を振る/三本の矢が直線に並び、彼の右手に収まっていた/互いが離れないように纏め上げる赤色のATフィールド/ロビンのものとは違う、シンジの槍 だった。
 そしてシンジは、つんのめる勢いで右踵を地面に押し込んだ/左足は曲げて上に向かうベクトルを水平に変換/背骨は一つずつ右回転を極大に近付けさせる/ 握り込んだ左拳は勢いよく引く/糸で繋がっているように右腕は突き出され――――流れるように、槍は投擲された。

 ――――ドグマを下りて槍を使え。

 手放す瞬間、何かが彼の中を通り抜けた。

 手応え、確実にあり/赤色の槍が、緑の弓兵を過たず穿った感触を、彼は感じ、
「ああ――――なんて」
 気持ち、良いんだろう。
 舌が唇をなぞり、意識のブレーカーが切られた。

 

 ******

 

 ミルク色の五里霧から、ゆっくりと意識が浮上する。
「……あ、れ?」
「お。気がついたか、シンジ君」
「僕……どうしたんですか」
「覚えてないのか?」
 訝しげな顔をする士郎の背中から下り、シンジは少し考えた。ゆっくりと首を左右に振り、そして歩き出しながら言った。
「……いえ、今度は、覚えています。あの、ロビンを、僕」
「ああ。倒した。どうやったのかも覚えているか?」
 今度は、首を縦に振った。「……あ、そ、それより、セイバーさんは!」
「わたしなら無事です」
 声は前から聞こえた。
「よかった……怪我はないですか?」
「ええ」元通りになった胸当てを右手で撫でる。「大丈夫です。もう、治っています」
 彼女の言葉を額面通りに受け取り、シンジはほうと息を吐く。だが、それに納得がいかない男もいた。
「セイバー。辛いならちゃんと言ってくれよ」
「貴方がそんなことを言ってどうするのですか」
「言うさ。お前、さっきまで胸に矢が突き立ってたんだぞ」
「ええっ?!」
 驚愕するシンジ/露骨に顔を歪めるセイバー。
「シロウ、わたしはもう平気です」
「セ、セセセ、セイバーさんっ、胸に矢がって」
 溜息。「こうなるのが目に見えていたから、告げないでくれと言ったのです」
「シンジ君だけ知らないのはフェアじゃない。お前を助けてくれたのは、誰でもない彼なんだからな」
「む」
 そこを突かれると痛いとばかりに、彼女は口を噤む。
「まあ、その矢に、セイバーの再生を妨害するような効果があったから危なかっただけでしょ。抜けば元通りになったんだから、あんまり責めないで良いんじゃ ないの。士郎」
「そ、そうです。大丈夫と言ったら大丈夫なんですから。大体シロウは、サーヴァントをなんだと思っているんですか。ちょっとやそっとでやられたりはしませ ん」
 我が意を得たり/ここぞとばかりに、士郎を自分理論で押し流そうとするセイバー。しかし、そうは問屋が卸さない。
「ま、ちょっとやそっとじゃなかったのも確かよね」
「……リン。貴女は一体誰の味方ですか」
「ん、わたし? わたしは、わたしの味方」
 悪戯っぽく言い、凛は足を止めた。「で、気付いてる? シンジ……は無理でしょうけど、残りのお二人さん」
 返事を待たず、彼女は壁に近づいてある印を指さした。
「これ。わたしがさっき付けたものよ」
「さっき? おかしいぞ、それ。俺達はずっと真っ直ぐ進んできてただろ」
「そ。つまり」
「どこかで空間がループさせられている、のでしょうか」

 

 ――――ず・ず・ず。石臼を引くが如き、重低音とある声。「ソの、通リ、だ」

 

「!!」
 つい先ほどまで聞いていた声に、全員が振り返った。
 果たして、そこには、緑だった頃が見る影もない、赤黒い衣装のロビンがいた。顔は俯いていて表情は伺えない。
 だからか、余計にその手にあるものが、異常 に感じられた。

「士郎、あれ……なんだと思う?」
「……金属の塊、か? ――――いや、待て……違う!」

 ロビンが引き摺っているものは、確かに直方体の金属塊だった。
 だが、それには後二つ特徴があった。僅かな反り、そして、張り付くほどに引き攣った一本の糸。まるで形は違うが、その扱いを得意とするために、士郎は、 金属塊の正体が分かった。分かってしまった。

「弓だっ。それも、途方もなくバカでかいっ!」
「――――は」
 彼の結論に、誰しもの顔が凍り付いた。
「馬鹿な。ありえません、あんなものを人間が扱えるわけが」
「あ、ル」
 セイバーの言葉の途中、ロビンの身長を超えた巨大質量体が、彼の手によって浮かんだ。みりみりと音を立てる左腕一本によって、それは掲げられたのだ。

「ほ、本当に人間――――?!」
 目を見開いたシンジの言葉は、声を発することすら忘れた、残り三人の代弁であった。

「てン、ガイ魔キュう、テんペスと・ブレいカァあ………ッ」
 ロビンの左腕が振り下ろされる。
 "天外魔弓テンペスト・ブレイカー"/そう告げられた巨大すぎる弓は、着地の音を、ずん、などという生温いもので収めなかった。
 なにがしかの魔術が施され、無限回廊と化したここでなければ、船の底まで抜け落ちた。そう思わせるに十分な大音声を響かせたのだ。
 びりびりと、全方位が震え、廊下の壁面に据え付けられていた幾つもの鏡が落下し、砕け散った。

「……こレで、最後、ダ」
 告げるロビンの姿は、完全に弓の向こうに消えていた。それほどの大きさだった。全長は二メートルを優に超え、幅も一メートル近い壁。士郎達の目には、碑 のように廊下 に突き立った巨弓と、それに比べると余りにも小さな鏃が映るだけだった。

「じ、冗談、きついぞ、これ」
 士郎だけでなく、誰もの額に、玉のような汗が浮いていた。
 彼は、テンペスト・ブレイカーをバカでかい弓と呼んだ。セイバーは、それを扱える人間などいないと評した。
 どちらも正解である。確かにそれは大きすぎる弓であり、誰にも扱えないものなのだ。元々、"そうなること"が目的なのだ。

 その弓の正体は、錬金術の応用により融合した、金属と鉱石の超多層体である。層の総数は実に一万二千。引き分けに必要な力は測定不能。
 タイヤを取り外したジャンボを引く方が、きっとマシ/テンペスト・ブレイカーを作り上げた魔術師すら言った。

 正に誰にも使えない最終兵器。みんなが嗤い、日の目を見ることはない究極。だが、一人の男だけが、それを手に取った。"自分はこれで良い"と、文 字通り引き出した。
 その結果が、今。
「魔ダん――――ゼん、かイ」
 ロビンが告げる/ここまで来るために、血を巡らせていた能力で巡らせてい能力を解放する宣言/途端、ばしゃばしゃと盛大に胸から溢れ出した/命と引き替 えに、運動制御能力を全て弓の引き分けに注ぐ/それでも、彼の指は千切れ始めていた。

「おい、引くのか……あれを!」
「させない! やらせはしないぞ、ロビン!」
 踏み込みの爆音と共に、セイバーが飛び出す。しかし、存外ロビンとの間は広く、彼女が疾駆する間にも、引き分けは続いた。

「う、おぉおおおおお」
「ぬうううぅぅううううう」
 残り三十と数歩。まだ、矢は放たれない。一つの影がロビンに取りついた。

「駄目だよロビン、止めて!」
「なっ」
 飛び出したセイバーより先に、ロビンにしがみつく影。彼を幾分か幼くした風貌の少年だった。恐らく彼の仲間であろうが、少年は図らずも彼女に味方してい た。

「もう止めて! そんなのを使わないでよ!」
「――――」
 ロビンの口が動くが、なんと言っているのか思いを巡らせるよりも、セイバーは自らの足に力を込めた。一秒でも早く、彼の元に辿り着くのが、今の彼女の目 的だった。

 だが、足に力を込めたのは、彼も一緒。
「フッド……お前は、生きろ」
「ロビ――――ぐげぇ!」
 最後に明瞭さを取り戻したロビンの声/それと共に、彼はフッドを蹴り飛ばした/後には、片膝をつき、天殺しの弓を引ききった男の姿だけが残る。

「やっ、やめろっ、ロビン!」
「断る」

 

 ――――づ、ん゛/凡そ、射出とは思えぬ音/事実、それはロビンの指が飛んだ音であった/それでも、矢はスタートを切っていた。

 射出に合わせ、弓は崩壊を始める/元々が無理に合わせられた不安定な存在故の必然/だが壊れながらもその弓は、弦を前に引き続けた。
 か細い弦には、瞬時に音を超える速さが与えられた/空気と共にロビンの体表面を引き裂く/それでも、 まるで加速は止まらない。
 顔の右半分から、皮も神経も肉も削げ落とされたロビン/だが彼は、こぼれ落ちる寸前の目で、矢の行き先を追い続けていた/"その目に映る移動体の運動を 操る能 力"を全て、その一本の矢に注ぎ込んでいた。

「お」
 セイバーのたった一言よりも絶望的に速い。
 矢は、弦から完全に離れた時、彼女の反射も予知も完全に越えた存在となっていた。
 もっとも、どれだけの速度や威力を備えようと、金でもなく桃でもない矢である。あくまで"ただの"物 理攻撃。だから英霊であるセイバーには、全く意味を成さない。

 故に、矢はなんの抵抗もなく彼女の傍をすり抜けた。

 そして、"ただの"物理攻撃であるために、天殺しの矢は、それからが真骨頂/与えられた速度を余すことなく飲み干して突き進む/大気との摩擦+断 熱圧縮により赤熱/殆ど光線化/廊下を融解/音も理解も置き去りに、暴力的に進撃する。
 英雄になどなれなかった少年が放った一撃は、終に、英霊の宝具にも匹敵する威力を持って、最後に士郎達に食らいついた。

 着弾/音が消し飛ぶ轟音/巨大客船が、出鱈目に傾いだ。

 その瞬間人間を遙かに超えた存在であるセイバーも、完全にバランスを崩して廊下に転倒した。急ぎ立ち上がるが、もう廊下には何も残っていなかっ た。豪華絢爛な絨毯も、高級であっただろう調度品も、全て溶けて混ざり、派手に蒸気を上げていた。

 

「…………ああ、ああああああああっ!」
 喪失を確信した絶望/大事なものを奪われた悲哀/敵への怒り/止めきれなかった自分への罵倒/全てがない交ぜになった絶叫。
「シロウ! リン! シンジ! ああ、あああっ、なんてことをっ!」
 名を呼び、彼らがいたであろう場所にセイバーは駆け出した。
 彼女が振り返ることは、もうなかった。

 

「――――――――」
 反りが逆転し、完全に丸まった後に爆散した、天外魔弓テンペスト・ブレイカー。それを支えていたロビンの左腕は、今や形なく。弓の崩壊に巻き込まれ、た だの赤い飛沫として、辺りに転々と付着するのみだった。
 しかしもう彼が痛がることも、腕の喪失を嘆くこともない。
 第一の敵、弓使いロビン。彼は、片膝立ちのまま硬直し、そして命を失っていた。

 

「シロウ! 返事をして下さい!」
 晴れぬ蒸気の中を、セイバーは疾走する。足に纏わり付いていた、溶けた壁だか芸術品だかも、次第に固体化を始めていた。
「邪魔だっ、どけえ!」
 状況が落ち着きを見守るのももどかしく、セイバーは先も解き放った宝具/風王結界をまたも解放。局地的に発生した台風が、蒸気をあっという間に浚った。

 そして、

「……セイバー。ちょっと、お前のことが分かった。意外と短気だってな」
「ああ……シ、シロウ……よかった、生きていた」
 キャノピー状に展開されたATフィールドの中に伏せ、怪我一つない三人を彼女は見つけた。

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