切り出した巨岩、そのままの石斧。バーサーカーが手にしたそれは、見た目以上に凶暴であった。最早凶器の範疇に収まらない。武器ですらない。言うなれば、全ての敵を殲滅する兵器だ。

 アスファルトが捲れた/地面が剥き出しになる。電柱が折れ飛ぶ/中身が無様に晒された。絶え間なく生み出される暴風は、台風にも匹敵する過激さであった。

 当然、人の身では及ぶべくもない。近代兵器を使用するにしても、辺りを巻き添えにすることを考えねば、この化物には到底太刀打ちはできない。

 そうせねば勝てない。死にたくないのなら、後の取る手段は逃げるというものしか残っていなかった。

 

 だが、ある者はそのどちらも選ばなかった。

 それは剣士だった。柱のような石斧に比べれば、針にも等しいであろう剣のみを携えた一人の剣士。

 屈強な男などではない。なだらかな曲線を描く肢体は、その剣士が女性/しかも少女であると一目で分からせる。

 少女に緊張はあっても怯えはない。自分の力が、相手の力が拮抗していると信じているように。己が負ける訳がないと、その一振り一振りで示していた。

「ぬぅぅううう! おぉぉおおお!!」

sakebi.gif - 1,033bytes!!!」

 不可視の剣が、バーサーカーの斧と打ち合わされる度、大量の火花が宙を舞った。鉄火を金槌で打つが如き閃光は、過激にして華麗な一瞬を、見る者全ての記憶に刻んでいった。

 同時に、大砲同士が面と向かって打ち合えば、或いはこうなるのではないかいう程の轟音も轟く。しかし、耳を塞ぐ者はいない。誰もがその戦いに見入っていた。

 だが、それはあってはならない。のめり込んでよいのは、バーサーカーと少女剣士だけだ。

 特に、士郎、凛、セイバー、シンジの四人にとって、この状況は既に限界の土壇場。余裕は微塵もない。ならば、思考も行動も止めてしまってはならない。

「――――ッ!」

 最も先に意識を戻したのは、やはりセイバー。主らを守るべく臨戦態勢を取る。予想以上の相手剣士の動き等でやや戸惑いはあったものの、歴戦の勇士たる彼女の立ち直りは素早い。

 そして次点は遠坂凛。先に何度か実戦を経験しているのが役立ったか、比較的早めの復帰だった。

 彼女は、目を離せぬ蟲惑的な戦いから、理性を総動員して目を逸らすことに成功/無論視界の片隅に入れておくのは忘れないが。やっとのことで、バーサーカーのマスターを睨みつけることに成功した。

「……ちっ」

 そして、それができたからこそ、更に憎たらしい事実に気付いてしまった。

 バーサーカーのマスター/自分よりも幼く見える少女は、我を忘れて見入ってなどいなかった。

 剣士の頑張りなどまるで予想の範疇とでも言うように。実に気軽な観戦の風情だった。

 それだけではない。触れれば確実に粉砕される暴力のぶつかり合いを目前にしながら、彼女はあくまで淑女の品を忘れていなかった。

 決して大口など開けない、微かな微笑み。何らの乱れもない白銀の髪は風にのみ自由に。首元から足元まで覆う紫のコートは、更に彼女の淑やかさを引き立てるようだった。

(初戦はわたしの負けね)

 勝手に定めた勝負と判定を勝手に受け入れ、しかし彼女はそれをおくびにも出ない。すかさず第二回戦を始めた。

「どうにも、凄い化物を飼っているみたいね。貴女は?」

 元より彼女は、相手をただの少女などとは微塵も思っていない。だが少女のサーヴァントの力量やマスターとしての心構えは、評価を更に上方修正せざるを得なかった。

「初めまして、トオサカリン。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと言えば分かるでしょう?」

 しかしそれでも間違いだった。少女/イリヤが優雅な一礼と共に告げたその言葉は、凛に重ねて緊張を要求した。

「そう、貴女があのアインツベルンなのね」

 彼女には聞き覚えがありすぎる名前だった。古くは仲間として、今では敵として。生前の父親から聞かされ続けたその名。

 疑いなど持ちようがない。目前のバーサーカーのように強力なサーヴァントを使役するなど、並の魔術師では不可能。

 だが現実にはそれを可能としている。誰ならば一体それを為せるか。それこそ魔術師の名家でもなければ、かの『アインツベルン』でもなければ、出来るはずがない。

 しかし、そうであるなら納得がいかない。

「でも、なら何故? アインツベルンがわたし達を助ける理由なんてない筈」

 聖杯戦争中で最も恐るべき敵の一つであるアインツベルン。割って入り、自分達を助ける必要などない。しかしそれをした理由は何か。

 もしかすると味方になるというのか? 今回は敵じゃないのか? ありえない思いが脳裏を巡る。しかし答えは聞いてみなければ、本当のところは分からない。

 イリヤの回答は。

「ぷっ」 憎たらしいほどあっさりとした嘲りの笑み。

「助ける? 助けるって誰が? わたしが、あなた達を? 今代のトオサカは随分と間の抜けたことを言うのね。わたしはあの勘違い女にお仕置きをしているだけに決まっているでしょう?」

 外見に合わぬ妖艶な笑み。 「その次が、あなた達の番」

「やっぱりこっちの素性も知ってたか」

「当然でしょう、トオサカリン?」

 言って、壁にもたれ掛かったシンジを見やる。

「それにしても、そちらのサーヴァントは随分と貧弱なのね。そんなのでわたしのバーサーカーと戦えるの? ああ、でもさっきのは良かったわよ。よく見えなかったけど、あの女の攻撃ではね飛ばされたんでしょう? まるで埃か紙屑みたいでそれなりに愉快だったわ」

 この台詞には壁際にいるシンジも、彼をそこまで運んでいた士郎も、空恐ろしさを感じていた。

 シンジは、確かにサーヴァントという位置づけである。しかし、見た目は人と変わらない。それが酷い目に遭った事実に、少女は全く恐怖や驚きというもの感じていない。それどころか寧ろ喜び、楽しみ、もっとそうしろと笑っている。

 士郎達にはない未知の感覚。それに彼らは恐怖を覚えていた。しかし、会話をすることで何とか恐れを軽減しようと、士郎は立ち上がりイリヤに声を掛けた。

「君みたいに小さな子までマスターだっていうのか?」

「そうよ」

「そして――――戦う、のか」

「ええ、そう。その通りよ」

 イリヤには今更過ぎる問いばかり。そんなもので彼女の心は微塵も揺らがない。ほんの僅かな掛け合いだが、それは彼にも十分に感じられた。

 しかし、ここでやめるわけにはいかない。 「待ってくれないか? 俺は君と」

「戦う気はない、なんて下らない事言わないでね?」

「……なに?」

 最後まで待たずして、言葉を先読みしたような返事。士郎は思わず凍りついた。

「そんなこと言ったら、幾らお兄ちゃんでも殺しちゃうんだから」

 自然に出たような『殺す』という言葉。だが嘘は感じられない。

「なん、で」

 これほど恐ろしい本音を聞くのは、士郎にとって初めての経験だった。

「士郎!」

 呆然としかけた彼を呼び止める声。見やれば、凛が首を横に振っていた。

 これ以上深入りするな。理解しようとするな。そう、目で告げていた。

 イリヤが微笑む。 「リンの方がまだ分かっているみたいね。そ。この場の主導権を握っているのは、わたし。機嫌を損ねるべきじゃないわ」

 手を後ろに回し、前屈み気味の体勢。笑っていた。どうにかできるものならしてみろと。彼女は何も気負いってはいなかった。

 なるほどその通り。ここで最も強いのは、主導権を握っているのは、確かに彼女だった。

 

「ふん」 だが、だからなんだというのだ。

「さて――――それはどうかしら?」 例え劣勢であっても、ただでは負けてやらない。

 イリヤは目を丸める。 「驚いたわ、リン? まさかあなたも状況を理解していないの?」

 嘲りを鼻で笑った。 「それはこっちの台詞。本当に分かっているの? こちらにはセイバーがいるのよ。わたしのサーヴァントだってね。でもあなたのサーヴァントはどう?」

「…………」

 そんなもの、見る間でもなかった。

「そこで足止めを食らっているんじゃないの?」

 ジワリと空気が重く/凛の声が低くなる。 「お分かり? 改めて聞くわよ。今、本当に危ないのは誰?」

 彼女は言っている。イリヤは現在、最も余裕を持っているようで、その実、最も危ないと。今の彼女にバーサーカーという最強/最高の壁はなく、周りには敵しかいないのだから。

「貴女は優れた魔術師かもしれない。だけど、それは人間として。サーヴァントに、セイバーにその魔術は通用するのかしら?」

 彼女が倒れれば、バーサーカーも消える。残るのは、凛達の勝利という結果のみである。

 つまり、最も敗北に近いのは凛達ではない。乱入して間もない内に、死に体となったのはイリヤとバーサーカーであったのだ。

「くす」

「…………」

 しかし尚も笑ったのは、イリヤ。勝利を手中に収めたはずの凛は、対照的に渋面だ。

「なるほど。確かにわたしの傍にいるのはバーサーカーよりも、そっちのセイバー。危ないのはわたしね」 微笑んだまま頷く。

「ご理解頂けたみたいで大変結構だわ」 やはり警戒は解かない。

 

 なぜなら。

だから ・・・ ?」/イリヤは未だに

「バーサーカーがそんなこと 如き ・・ でわたしを護れないと?」/負けを認めてなどいなかった。

 余裕の訳に薄々気付いている凛。それでもここは通すしかない。

「サーヴァントとほぼ同等の剣士の相手をしながら、別のサーヴァント二体の攻撃から貴女を守る。そんな芸当が、貴女のサーヴァントには出来るというの?」

「出来るわ、バーサーカーなら」

「…………」

 強がりなど通用しなかった。逆に言葉に詰まってしまう程、イリヤはきっぱりと言い切る。

「敵を褒めるようなことは言いたくないけど、あの仮面女は強いわよ。そうそう上手くいくものかしら?」

「あらそう? だったらゴチャゴチャ言ってないで、さっさと向かって来たらいいじゃない」

 言葉を聞きつけたセイバーは。――――しかし、一歩も踏み出しはしなかった。

 剣を斜め下に構えたまま、その体勢のままで身じろぎ一つしない。明らかな絶好の機会を彼女は見逃そうとしていた。

 目には厳しく殺気を湛え、体は今にも飛び出しそうなほど張り詰めているというのに、幼子のマスター一人相手に最強と謳われるサーヴァントは攻撃を仕掛けはしない。

 イリヤに意地悪な笑みが浮かんだ。

「ほら、出来ないじゃない?」

 凛は舌打ちを持ってその言葉を迎えた。最早、ハッタリを続けることは不可能と判断し、言葉を返しもしない。

「あなた達に、わたしを攻撃することはできないわ。当然よね、だってバーサーカーがいなくなったら、あの剣士にやられちゃうんだから」

 先程までセイバーが手古摺っていた少女剣士。それを今抑え付けているのはバーサーカーである。なら、彼女に対して打つ手を見つけぬ内に、重しを取り去るわけにはいかない。

 敵とはいえどバーサーカーを失うわけにはいかないのだ。無論マスターのイリヤを攻撃し、殺害せしめるなどもっての他だ。

「どの道あなた達が負けるのは決定しているのよ。バーサーカーに殺されちゃうか、剣士にやられちゃうかの違いだもの。チェックですらないわ。もうチェックメイトなのよ」

「く」

 バーサーカーが剣士に勝てば、凛達はあの規格外の化物と戦わなければならない。

 イリヤを倒し、バーサーカーを間接的に倒したとしても、待っているのはシンジを一撃で伸した女剣士。

 なるほど、どちらに転んでも分は悪い。

 絶好の機会などとんでもない。やはり、先に言われてしまったように、凛達は最悪の立場に立たされている。

 希望があるとしたら、バーサーカーと少女剣士が共倒れしてくれること/互いに当たれば必殺だけの攻撃をしているこの状況。そんな都合のいいことが起こるとは考えられなかった。

 

 そしてここで、現状の認識が終わったのを見計らったように、目端に捕らえられていた戦いが動いた。恐らく単純な力だけなら、今期の聖杯戦争中最強と目されるバーサーカーと、それに立ち向かう仮面の少女剣士の拮抗が崩れ始めたのだ。

 押されているのは、予想通り少女の方。既に肩どころか全身で息をついている様。疲労がピークに達している事は誰の目にも明らかだった。

「そろそろ終わりね。ほら、早く何とかしないとお兄ちゃん達もバーサーカーにやられちゃうよ?」

 それとも、小悪魔の口が二日月をなした。 「逃げる? それでもいいよ、鬼ごっこも面白そうだし」

 士郎や凛も、仲間が満足に走りきれるならその手段を取ったかもしれない。しかし、今は無理だ。シンジが、今の彼が走れる状況にない。先の攻撃により、腕と肋骨を折られている。内臓までそのダメージは及んでいる可能性すらある。

 そんな彼を連れて、数分で安全地帯まで走り抜けられるかなど、子供でも無理だと分かる。ここで凛達が逃げ切るためには、特一級の奇跡が必要だ。

 例えば、凛が思わず素っ頓狂な声を出してしまう位の、出来事でも起きねば。

「……あっ!」

「なあにそれ。面白くない冗談よ、リン。そうやって逃げようなんて、トオサカはせこいのね。ま、いつものことだけど」

 しかし驚きは、イリヤの気を逸らすためのものではなかった。その驚愕の具合を表すように、彼女は皮肉に反応を返さなかった。寧ろイリヤを飛び越した先に、視線を放り投げたまま固まっていた。

「一体何よ」

 流石におかしいと思い、イリヤは己のサーヴァントの戦いに再び目をやった。同時に、バーサーカーが地面に叩きつけられ、アスファルトに亀裂が入るのを目撃した。

「え?」

 意味が分からないという顔になった彼女を尻目に、技後硬直から復帰した少女剣士が口を開いた。無論、仮面で口元は見えないが。

「流石はバーサーカー。……まさか、肉体強化呪文を二つ重ねがけする羽目になるとは思いもしなかった」

 唸り声を上げて、バーサーカーが立ち上がり、剣士を睨みつけた。

「いいだろう。ここから先は私達も本気でやる、出し惜しみはもう無しだ。マジシャン、いいな? 『流星』だ。あれを出す」

「え……あ。う、うん」

 言葉が余程意外だったのか、一拍置いてからマジシャンと呼ばれた少女は頷いた。

 だがそれからの行動は早い。すぐさま目に、魔法陣が浮かばせ、次々と魔術が完成させていく。攻撃的な魔術ではないらしく、一つとしてバーサーカーに矛先が向くものはない。

 それらは全て、剣士に向けたものだった。

「バーサーカー、さっさと起きて止めを刺しなさい」

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 進められていく準備に何かを感じ取ったのか、イリヤが早口でバーサーカーに命令を下した。その言が終わるや否や、投げ飛ばされたことで少しだけ開いた間を埋めるため、バーサーカーの突撃が再開した。

 先には、突進をまたも真正面から受け止めようとする少女剣士。しかし、彼女は別人のように変わっていた。

 これまで不可視だった武器が、マジシャンの魔方陣を受けて、突然姿を現している。しかし、魔法陣の効果は透明化解除ではない。物質転送だった。故に、その武器は既にセイバー打ち合いの中、感触から想定した肉厚の両手剣ではなくなっていた。

「まさか。あんなもので攻撃を受け止めるつもりか」

 セイバーが息を呑む。それは、更に貧弱さを増した感すらする、細長い日本刀だった。

 武器の耐久性に疑問も浮かべば、構えも奇妙である。セイバーも、この場の誰も、そんな構えは見たことがなかった。

 柄を猫手にした右手の人差し指と中指で挟み込み、左手でも同じように丸めた人差し指と中指で刀身を挟み込む妙な姿勢。普通ではない。受けるどころか斬り合う格好ですらなかった。

「バカね。何をするか知らないけど、そのままそこで終わりなさい!」

 イリヤの罵倒は、恐らく耳に入ってすらいない。少女剣士は、腰を少しだけ落とし、足はしっかりと大地を踏みしめ、既に気合は十分の迎撃体勢に入っている。

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 しかし、バーサーカーは意に介さない。構えるなら構えろ。受けられるなら受けてみよ。少女の気迫ごと纏めて叩き潰さんと一気に迫る。

 そしてとうとう、豪腕が/石斧が、少女目掛けて振り抜かれた。

 

「      」

 

 既に、死は発射されていた。決められたことは覆せない。死んだ者には何もできない。剣士ができることは何もない。

 だから、少女は確定した死より先に、それを返すことにより、自らの死を打ち消した。

 それは、速さという点において、他の追随を許さない光のような一撃。場の誰もが、捉えられない速さ。セイバーですら、斬撃が終了しブレーキが掛かり始めてからしか、見ることができなかった。

「何が……」

 呆としたセイバーの呟きは、巨大な石斧と丸太のような巨大な腕の落下で掻き消された。

 続けざまに、バーサーカーの首も胴体から滑り落ち、鮮血が開花した。誰が確認する必要もない。それは、絶命していた。

「なんだよ、これ」

「嘘、あのバーサーカーが?」

 負けるはずがなかった。バーサーカーが負ける道理などなかった。なのに、こうもあっさりとやられてしまった。その事実に誰も彼もが閉口していた。

 じゃり、と剣士が足元を踏みしめる音。彼女は、バーサーカーの亡骸、及びイリヤや凛達に振り直って勝ち誇った声を上げた。

「見たか。これが、これこそが、私達の力だっ! 私達が揃えば、過去の亡霊共に負けるわけがない!」

 高らかな勝利宣言が、冬木町の夜空に響いた。圧倒的存在を倒した高揚感からか、少女剣士の声はやや震えていた。

 

 それから数秒ほど間が開いただろうか。イリヤが口を開いた。

「ふぅん」

 自分の僕がやられたというのに、更にその相手が勝ち名乗りを上げたというのに、紫の少女の口調は実に穏やかだった。

「いいわ。あなた、褒めてあげるわ」

 言葉とは裏腹、くっと唇の片端を上げて、邪悪な笑みを見せ付ける。

「バーサーカーを殺してみせるなんて、思いもしなかった。だけど奇跡は二度も起こらない。あなたがバーサーカーを殺せるのは一回だけ、たった一度だけよ」

「……何? 何だ、一体何を言っている」

 どんな相手でも殺せるのは一回だ。死んでしまえば、当然もう生きてはいないのだから、二度も三度も殺せるわけがない。しかし彼女の言葉はまるで――――。

「その正体こそ最後まで知れなかったが、奴はもう死んでいる。終わりだ。同じく鬼籍に入りたくなければ、ここで引け」

「ああそう。やっぱり分からなかったのね。じゃあ、教えてあげるわ」

 

 噴水のように血を吹き上げていたバーサーカーの体が、ぐらりと。

「バーサーカーの正体はね、」

 崩れ落ちる動きではなく、それは明らかに自発的なものであり――。

「ギリシャ最大の英雄」

 立ち上がったバーサーカーには、首と腕が備わっており、傷は僅かも残ってはいなかった。

「ヘラクレスよ」

 

「な、に……こんな、バカな」

「どうして! 倒したのに!」

 凛達にも驚きはあった。だが、直接相対して、殺し合いを制したはずの少女剣士とマジシャンの驚きは一入だった。

 それでも、イリヤの言葉を聞き漏らさなかったのは、流石であったかもしれない。

「ヘラクレス! バーサーカーがか!? ……まさか!」

「バーサーカーになったら宝具は使えない。発動ができないものね。だから、十二回の試練を乗り越えたヘラクレスには、それに等しい命が与えられたのよ」

 説明を聞き、剣士は仮面の奥に隠された歯をギリギリと軋らせた。

「ならば、後十一回だろう! 同じように殺しきってやるまでだ!」

 この戦いで二度目のあの構え。既にバーサーカーは死の間合いにいる。後は放つだけだった。

 

「喰らえっ!」

 間を空けることなく星が流れた。

 先程と何も変わらない。

 構えも、軌跡も、跳躍も、速度も、強さも、

 何もかにも先程と同等。

 

 ただ、一つだけ。違ったのは、今度力なく宙を舞ったのが、少女の持つ刀の刃であったことだった。

 くるりくるりと回って、アスファルトに突き立ったそれを、剣士はわなわなと手を震わせて見送った。

「そんっ、そんな、筈は……ッ!」

「なに? 二度も同じ攻撃が、バーサーカーに通用するとでも思った? とんだおバカさん」

「くそっ!」

 それは、その可能性に気付かなかった自分に対してか。或いはイリヤに向けての悪態か。その両方か。いずれにしても今はどうでもよかった。

「あらあら、レディーが「くそ」だなんて。汚らしい言葉遣いね。そんな口の悪い子は潰しちゃいましょう、バーサーカー」

 鬼が、得物はなくとも凶器そのものの腕を振り上げた。刀と共に心まで折れたか、剣士には避ける素振りが見えない。ただ、静かにバーサーカーの動きを見送り呟くのみ。

「あ、あ……」

「ア、アリスぅー!」

 それが引き金。巨大な腕が剣士/アリスの顔面目掛け落下した。

 誰もが惨劇を思い浮かべ、彼女から目を逸らした。だが、いつまでたっても骨と肉が砕け、血が飛び散る音が聞こえることはない。

 代わりに、心の臓腑まで貫くかと思うほどの轟音が耳朶を打った。何かが粉みじんとなる代わりに、バーサーカーの体を傾かせることに成功した光景が、目に飛び込んだ。

「今度は何!」

 イリヤは咄嗟に、"何か"が飛来した先を見やるが、あるものといえば精々塀や木、家といったもの。攻撃してきそうなものなどない。

 にも関わらず依然その"何か"は、縦横無尽の経路をとって殺到しており、それによりバーサーカーの巨体は無理やりにアリス達から引き離され始めていた。

 

 

「ったく」

 激戦の地より、遠く離れたビルの屋上で、深い緑色の衣装を纏った青年が、舌打ちを一つ。しかし手は休めない。

「馬鹿高い妖刀を使って、強化呪文で龍に匹敵する力を手に入れて、刀に巨人殺しの概念を付加した挙句、奥義を使ったんだ。それでも駄目なら潮時だろ。退くぞセイバー、マジシャン」

 伝えろ、と背後に立った少年に言い残し、青年は遠く離れた戦場に意識を集中する。

 ビルから戦場までは、直線距離でも双眼鏡なしには見えない距離だ。それでも、彼には何の問題もない。

 例えそこが、建物や塀に囲まれていて、直接視線が通らなかったとしても。何も問題はなかった。

「ああ全く、どこぞの科学者風に言うなら、『こんなこともあろうかと』か。正にこんなこともあるかと、鏡を変えておいて助かったな」

 鏡である。それは、凛達がいる路地に立てられたカーブミラーのことであった。最近になって、古びてボコボコになっていたものが、新品に取り替えられている。無論彼らの仕業だ。彼はそこに写ったバーサーカーを見て、攻撃を繰り出しているのだ。

 とはいえ、常人ならそんなもので見通すのは不可能。また、彼の攻撃=弓矢による狙撃も、本来なら届くわけがない。

 矢で打ち抜くには余りにも距離が遠い/飛距離が足りない/射軸が通らない。それだけ不可能要素が挙げられる。

「だが、それは常人の話だ」

 そして青年は常人ではなかった。彼には、完全にバーサーカー達の姿が見える/攻撃を当てることもできる。それを為すだけの能力が、魔弾の射手の異名をとる彼には与えられているのだ。

 能力は二つ。『地の果てまで見通す』超視力/『確実に中るよう矢を導く』念動力。それらの力を持って、彼は遠く離れた鏡に映った敵の姿を認め、そこに対して矢を様々な角度から打ち込んでいるのだ。

 一瞬見当違いの方向に跳ねたように見えても、矢はすぐさま的に必中すべく空中で行き先を変更する。出鱈目に撃っても一本も外れが出ない。反則極まる狙撃である。

「矢の追加。急げ!」

「う、うん!」

 それでも問題はある。バーサーカーには生半可な攻撃は通用しない。今押している様に見えるのは、あらゆる方向から相手に当て、矢の速度を念動力で限界ギリギリまで上げているからに過ぎない。

 常に全力/最速で当て続けなければならないのだ。精神も矢玉も消耗は激しい。山ほどあった矢も残り少なく、額には大粒の汗が浮く。だが彼は、仲間の為にそれを為し続けた。

「……おいおい、そこまで焦るなよ。人の名前まで呼びやがって。戦いの間の俺は、『アーチャー』と呼ぶんだろ」

 余裕はないはずだが、それでも気になったのか、彼は数キロ先の仲間の口の動きを読んで呟く。

「どうしかしたの、ロビン?」

 後ろに控えた少年が、今し方読み取った仲間と同じことを口にしたことで、彼の目が細まった。

「……お前もだお前も。何ていったかな、こういうのは。壁に耳あり、障子に目あり、だったか」

「うん、日本の諺だっけ?」

「そうだよ。誰が聞いているか分からないんだ。気を抜くな」

「? ああっ! ごめん。分かった、これからは気をつけるよ、ロビン!」

 がくんと首を落としかけるが、それをしてしまっては矢のコントロールができなくなるので、言葉だけで反応を返した。

「仕舞いにゃお前も撃ち抜くからな」

「ええっ、そりゃないよ!」

 そこで突然青年/ロビンの手が止まる。少年は、自分の言葉が彼の気を悪くしたのかと、ぎくりとした表情になった。

「あ、あああ、あの、ごめんね?」

「もういい。後だ。それより、俺達もそろそろここを離れるぞ。準備しておけよ」

 最後の仕上げ。ロビンは、矢筒に残った全ての矢を一気に掴み上げ、弓に番えた。

「しかし、なあ。こっちもこれで本気なんだが――――全く効かないか。中々堪えるな」

 ――――『 射手座 サジタリウス 』。

 片膝をつき、斜め上空を狙い撃つ。弓を離れた幾本の矢は、慣性の法則を忘れ、放物線状ではなく直線で高度を増していく。

 そして、突然地面と垂直に/何らの減速なしに落ちた。その先にあるのは、バーサーカーという獲物だった。

 それで仕舞い。全弾命中。外れが一本もないことに満足気に頷き/そうでもなけりゃやってられんなと、彼は弓を肩に掛け、立ち上がった。

「終わりだ。長居は無用、ここがばれる前に帰るぞ」

「う、うん! ロビン!」

「……」

 少年のおでこを一弾きして、青年は張りぼてのドアに向かった。少年が準備したものだ。二人はそのドアを何の躊躇いもなく開き、そしてくぐる。

 一体どういう原理なのか。彼らはたちまちにドアの奥に消えていく。残ったドアすらも、下から次第に薄らぎ、影も形もなくなった。

 最早そこに、彼らがいたことを示すものは、何も残ってはいなかった。

 

 

 息をふっと抜く。握り締めていた宝石は、じっとりと濡れていた。

「……これは助かった、と見ていいのかしら」

 疑い混じりの声。誰もすぐに返答することはできない。それが、全員の思いでもあったからだ。

「助かった、んだろうな」 やっと士郎も続いた。 「まさか、あの剣士達だけじゃなくて、バーサーカー達までいなくなるなんて思わなかったが」

 あれほど少女剣士の次は士郎達だと言っていたイリヤだが、彼女達が引き下がると、 「つまらない、帰る」 などと言い、バーサーカーと共にいなくなったのだ。

「周りに敵の気配は感じられません、となるといよいよ」

「本当に危機は脱したって訳ね」

 注意深く辺りを探っていたセイバーが剣を下ろしたのを見て、凛はようやく胸を撫で下ろした。本当なら、この路地まで届いていた射の主に対しても注意をすべきだが、そこは何となく大丈夫だろうという思いがあった。

 事実、この頃には彼らも扉の向こうに消えていたのだから、良い勘をしているという他ない。

「うう……」 詰まるような咳一つ、軽くもう一度。シンジが顔を上げた。 「も、もう大丈夫ですか?」

「ああ、どうやらそうらしい。……何だか、楽になったみたいに見えるけど」

 腕がしゃんとしていたり、喋ることも普通になっている彼を見れば、士郎でなくてもそう言ってしまうだろう。それに対する反応は、

「あ、ええと――――はい。なんかもう治っちゃったみたいです」

 軽く胸を叩いて立ち上がり、自分の無事を知らせる。その様子を見るに、どうやら本当に先程やられた怪我は治っているようだった。

「良かった。もう、治るならもっとさっさと治しなさいよ」

「え、あの、その……ごめんなさい」

「いや、今のは謝るところじゃないって。遠坂も無理言うなよ」

 張り詰めていた神経がようやくほぐれ、凛にも冗談を言う余裕が戻ってきた。本気でシンジを咎めているものでないとは分かっていたが、士郎は性格ゆえ釘を打っておいた。

 後は、家に帰って体を休めるのが、彼らの仕事であった。

 


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