イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
現バーサーカー――神の子『ヘラクレス』をサーヴァントとして従える、遠くドイツより来たりし少女。
外国より来た彼女ではあるが、勿論日本での寝床は確保済みである。彼女が、というよりもその一族がではあるが。
場所は深く暗い森の奥底。そこに、日本には似合わない西洋風の城が建っている。他でもないアインツベルン家が、聖杯戦争に参加する一族のための城をわざわざそこに用意したのだ。
しかもそれは、元々ドイツにあった城を運んできたもの。滅茶苦茶以外の何者でもない。聖杯戦争の御三家中最大の資金力を持つアインツベルンならではのごり押しであった。
では、イリヤへと話を戻す。彼女は士郎達との戦いの後、すぐさま城に引き返していた。どこにも寄り道せずの直帰である。そして彼女は、自ら門を開ける手間など当然かけず、二人の世話役によって迎えられていた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「お帰り、イリヤ」
「ええ」
口数が少ないのは、ここまでの道のりで疲れたためばかりではない。彼女は非常に寒さに弱いのだ。豪奢な防寒着に身を包もうとも、体は冷え切っている。口を動かすのも一苦労というわけである。
二人の従者もそれが分かっていたので、イリヤにまず風呂で体を温めることを薦めた。もちろん彼女に異論などある筈もなく、帰宅後間も無くその小さな白い体を温かな湯の中に沈めていた。
「ふう」
湯船に浸かった彼女の全身を、ピリピリとした痺れが駆け抜ける。熱めのお湯により、少女の体温はあっという間に上昇する。浴場を後にする頃、彼女の体は湯気が立ち上るほどに暖められていた。
風呂から上がった彼女が向かったのは、暖炉のある部屋だった。ふかふかとした毛皮の着衣を纏いつつ、赤く照らされた椅子に腰掛ける。
そしてふうと一息つくと同時。ことり、と椅子の横の小さなテーブルに温かいココアが置かれた。いつも通り、無表情を崩さないセラが運んできたものだ。
「お嬢様、お体の方は」
「ええ、十分温まったわ」
既に寒いという不満事項が改善されたはずの少女の表情は、しかし一向に晴れてはいない。その様子を気遣い、セラが更に言葉を掛けてきた。
「外の方で何か心配になるようなことがございましたか?」
「ええ、まあ。ちょっとね。気になることがあったわ」
セラが直立不動となり、イリヤの話に聞き入る体勢を見せた。
「リンの連れていたサーヴァントの正体が、まず分からないわ」
「それは、どういうことでしょうか。お嬢様が分からないということは」
コクリと頷く。 「ええ、あってはならない。だからこそおかしいのよ」
そこで彼女はカップとソーサーを持ち上げ、自分の胸の前で保持した。
「あれは一体何? セイバーはお兄ちゃんが連れていたから違う。前に見た青い男とも違うからランサーでもない。バーサーカーでもあるはずがない。キャスターだとしても、魔力なんて感じられなかった。なら、アサシンとでもいうの?」
消去法で考えると、残るサーヴァントは少なかった。
「では、アーチャーという線はどうでしょう」
「いえ、それにしてもおかしいわ。わたし達を遠くから狙撃していた奴もいたし、むしろアーチャーというならそっちじゃないかしら」
ココアの表面に浮かんだ波紋に目を落とす。 「それと、バーサーカーが一度殺されたわ」
「それは……」
「もちろんね、無傷で済むとは思ってないわ。だけど、相手はサーヴァントですらなかった」
「まさか」
「本当よ。仮面をつけた巫山戯た女だったわ。しかも本物のセイバーの前で、セイバーなんて呼ばれていたの。――――まあアリスという名前らしいけれど。後、その後ろにマジシャンとか呼ばれている奴もいたわね」
つっかえていたものを一気に言い出したからか、そこで一旦言葉を切り、イリヤはココアの注がれたカップに口をつけた。甘く、熱を持った茶色い飲み物が彼女の喉を滑り落ちていく。
小さな喉がなり終わるのを確認して、セラが再び口を開いた。
「サーヴァントではないセイバー、そしてマジシャンという名前のことですが、今日耳に入れたことが、それに関係するかもしれません」
「なに?」
「しばらく前から日本に寄港している豪華客船があるのですが、どうやらそこでキナ臭いことがあると」
「え? あの船?」
彼女も豪華客船の話は、以前聞いた覚えがあった。初め耳に入れた時には、こんな季節に、こんな辺鄙な場所に寄るなど、変わった船もあると思ったものだ。
だが、そこで妙なことが行われているというなら、話は別。
「キナ臭いってどういうことかしら。余計な言葉遊びは要らないから、どういうことかさっさと言って」
「はい。どうやらそこで、兵器の売買が行われるという話がありまして」
思いもしなかった返事に、思わずイリヤも「はあ?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。ある意味では寄航の理由にはなるだろうが、物には限度がある。
「安全といわれてた日本も随分物騒になったものね。でも、それがわたしの話と何の関係があるの?」
「銃や爆弾といったものなら特に関係はありません。ですが、どうやら――生体兵器というものが取引をされている可能性がある、と」
「生体兵器、ですって?」
「はい。それは複数あるそうで、そのコードネームが――――セイバー、ランサー、アーチャー、マジシャン……」
息を呑む。 「まさか」
「その計画名は、『英雄兵器』と」
***
<超大型クルーザー 『サンタ・クロース』>
個々でも十分個性的な者達が五人、船の中とは思えない程大きな通路を進んでいた。
士郎や凛達と対峙した少女達。バーサーカーを一時止めた青年。ランサーと激突した男。白衣の男。最後の男以外は、どれも鉄火の戦場に身を晒した面々だ。その時と違い、彼ら彼女らに戦闘中の厳しさは見られず穏やか。寧ろ砕けた雰囲気が、彼らの間に漂っていた。
だが、ある話題が始まると次第に雰囲気が変わり始めた。そして、ランサーと戦っていたひょろ長い男が一際大きな声を上げたのを皮切りに、セイバーと戦っていた仮面の少女が不機嫌な気配を露にし始めた。
「なんだぁ?それで手前ら負けて帰ってきたってーのか」
「……うるさい、うるさいぞ、負けたわけではない。バーサーカーがあれほどとは思わなかっただけだ。ふん、大体それをいうならば凶蜘蛛、お前だってランサーに大負けして帰ってきたではないか」
「はっ、ありゃ腕の調整不足だ。俺のせいじゃねえなあ」
この言葉に反応したのは、彼の隣にいた白衣の男だ。
「聞き逃すわけにはいかないな。何が腕の調整不足だ。確かに技術の追求に終わりはないが、手を抜いた調整をするほど私は落ちぶれてはいないのだぞ。自分は、常にそのとき施せる最高の物をお前には与えている。然るに考えられる原因はお前の鍛錬不足以外にないな」
「ドクター、テメエ……!」
思わぬ援護を受けて、仮面の少女――アリスが嬉々とした声で追い討ちをかけた。
「そら見たことか、このヘタレめ」
「んだと、コラ」
長身を生かし、上から圧力をかけていく凶蜘蛛。それに対しアリスは、顎を上げて凶蜘蛛を見下す格好を見せた。もっとも身長がまるで違うので、傍からは逆に子供が大人を見上げるようにしか見えない。そんな二人を宥めようと、今度はアリスと並んで歩いていた白衣の少女が、口を挟んできた。
「あ、あのねアリス、そこまで言っちゃうのはどうかなって思うんだよ?」
「そうか? 言葉」
ふんと鼻を鳴らす凶蜘蛛。 「どう考えてもそうだろうが」
ぱきりと拳を握るアリス。 「お前がそういうと、全くそう思えないな」
ぱちぱちと見えない火花を散らす両者を見かねてか、先頭を歩いていた緑の青年が割って入った。
「どっちもどっちだ。今回は俺達も準備不足だったからな。それでも生きて帰ってこれたのだから、まずまずの結果とするべきだ。気に入らないというなら、次を目指して精進したらいい」
青年の言葉と今回は収めろという視線。それを受け、アリスと凶蜘蛛は一度顔を見合わせてから、一言ずつ漏らした。
「分かった。ロビン、あなたがそういうのなら」
「ああ、はいはい、分かったぜ先輩さんよ」
和解した二人を見て、白い法衣の少女/言葉はホッと溜息をつき、白衣の青年/ドクターはどうでもいいと気だるげな顔を見せ、深緑の貫頭衣の青年/ロビンはよしと笑った。
その後はやや気まずい雰囲気が流れたが、無口でいるのに耐え切れなかったらしく、再び取り留めのない雑談が始まるのにさほど時間は掛からなかった。話がようやく途切れたのは広々とした通路の終わりに差し掛かった時だった。
「さて、我らが王様と女王様に謁見の時間だ。心の準備は良いか皆の衆?」
大きな通路の最後にある扉の前で、ロビンが振り返り全員を見渡した。無論、今更異議を申し立てる者がいるはずもなかったので、これは形式的な問いかけに過ぎない。それでも改めて全員の意思を確認してから、ロビンは扉を開いた。
開けた視界の先にあったのは、目も眩まんばかりの大きく煌びやかな部屋、ではなかった。そこはそれなりに豪奢であるが、この船の一間としては些か質素感すら感じられるしつらえの広間だった。
入室寸前までは何かしらの曲が流れていたようだが、ロビン達が入るなりそれは停止。その曲は、ある4人組のヒップホップグループのもので、部屋にもそこの主にも似つかわしくないものであったが、一々それに突っ込むような者達はこの場にはいなかった。
ロビンは心の中で、今のは猿の仕事とかそんなタイトルだったな、などと思いつつ女王の眼前で片膝を突く。
「ロビン以下五名、ご報告に参りました。……クイーン様、キング様のお姿が見えないようですが」
「ご苦労様。ええ、キングは現在所用で席を外しておりますわ。代わりにわたくしが報告をお受けしましょう」
言葉を受けゆったりと頷いたのは、二つの玉座の一つに腰掛けた黒の女王。顔を少し動かす度に流れる黒髪から始まり、切れ長の黒目、口元には黒いルージュが引かれ、首周りも黒いチョーカーが覆っている。体を包むのも、黒色でゴシック調の衣服。彼女を表すのに必要なのは、黒という言葉に他なかった。
無論ロビン達にとっては見慣れた格好であるから、他から見れば異常なまでの黒使いだとしても、彼らは気に留めたりはしない。促されるままに報告を始めた。
「では、まずランサーとドクターより」
ロビンの言葉に従い、凶蜘蛛と白衣の男が前に一歩進み出た。凶蜘蛛の話の内容は、以前に戦ったサーヴァント/ランサーとの物であった。その時に起こった事実や結果のみならず、相対してどのように感じたか、手応えは等といった主観的な情報をつらつらと述べていく。途中途中でクイーンの疑問とそれに対する回答も行われた。
凶蜘蛛に引き続き、ドクターと呼ばれた白衣の男は、凶蜘蛛が使用したマシンアームが戦闘を終えた後どのように壊れていたか、それに対する対策は何かなどを実に簡潔に話した。また、アームの破壊状況から敵の力や速さといったものも試算し、示して見せたりもした。それを上回る性能を達成する目処は立っているとのことで、話は纏められた。
「では次に、セイバーとマジシャンより」
次に歩み出たのは、アリスと言葉だ。彼女らが語ったのは、話の流れから分かるように先のセイバー、バーサーカー戦のことだ。敵のセイバーは圧倒していたということで、余り報告に時間は掛けられず、代わりに特に重要視されたのは、バーサーカーの蘇りであった。
「そう、流星を使って首を跳ねた、と」
「は。確かにサーヴァントといえ、絶命しうる一撃でした」
「しかしすぐに復活」
「付け加えるなら、私の攻撃に対する耐性も備えたようでした」
アリスの手には、未だバーサーカーの首を刎ねた感覚と、逆に刀を折られた感覚の両方が残っている。そこにイリヤの言葉を加味して、前記の結論を導き出していた。
「では復活と強化、それがバーサーカーの能力と見てよいかしら」
「少なくとも復活は能力です。それのマスターがべらべらと喋っていましたので」
アリスはバーサーカーのマスターことイリヤの喋った内容を語った。即ち、バーサーカーがヘラクレスであること、その命は十二であることだ。しかし既にバーサーカーはアリスとマジシャンが協力し一度倒している。失った命を戻す方法がないのなら、彼を倒すには残り十一回の殺害が必要ということになる。そうなると、とクイーンが口を開いた。
「残りの回数分殺しきるのが、随分難儀そうですわね」
にっこりととまではいかないが、柔らかい調子の物言い。ロビン達もそれにつられて、幾分か緊張感を和らげた。
「クイーン様、お戯れを」
「我々の力はあなたが最もご存知でしょう」
「まあ、セイバー達にはちょっと大変かもしれんがな」
「え、ええと、しかしクイーン様」
「大丈夫ですっ、なんら問題はありません!」
上から順に、ロビン、ドクター、凶蜘蛛、言葉、アリスの言である。それぞれの様子と反応に、目を細めつつ初めて満足げな笑みに表情に変えて、クイーンは立ち上がった。
「次は快勝の報告を期待しておりますわ」
それだけを言い残すと、クイーンの姿が段々と薄らぎ始める。消え入る蜃気楼のように、ゆらりゆらり姿が揺れていた。
「了解いたしました、我らが女王陛下。――もし。宜しければどのような用か尋ねても?」
「"あれ"の指示ですわ。癪に障りますが、少々海を隔てた向こうの国まで行って参ります」
一瞬で快から不快に変わった女王の顔を見て、ロビンは自分の迂闊さを呪った。"あれ"などと彼女が呼ぶのは限られていた。それこそ穏やかならざる心中も十二分に伝わってきた。
彼にできることといえば、胸に片手をやり、片膝を突いて一際深く礼をし、クイーンを送り出すこと程度であった。
「成程、お引止めして申し訳ありませんでした。どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ええ、見送り感謝するわ」
主が二人とも不在になった玉座は、不要を悟ったか自ら明かりを落とした。それは同時に、ロビン達にもう立ち去るよう告げてもいた。
「では、ゆこうか」
五人はロビンの一声に合わせ踵を返し、玉座の間を後にした。
次なる目的地は、彼ら専用の食堂。そこでは、また別の仲間が生還祝いと称して沢山のご馳走を用意しているはずだった。
しかし歩いていくとなるとそれなりに時間が掛かる。何しろこの船は異様に広い。必然的にまた無駄話が再開されることとなった。しかし緊張から開放された所に更に空腹も合わさり、彼らの口は先の雑談時よりも軽さを増していた。戦いの時とも、先のクイーンとの面会の時とも違う彼らの明るさ。だが、それが寧ろ彼らの地である。
喧騒はやがて通路の奥に消えていった。ロビン達が進む度に勝手に明かりは落ちていき、後に残るのは、先のクイーンの格好よりも深く暗い闇だけ。
――――その闇が、薄っすらと微笑んでいた。
***
< アインツベルン城 >
「以上が私が聞き得た話です」
「ふうん…」
空になったカップをソーサーに置き、イリヤは訝しげな声を上げた。セラの話を疑っているわけではない。また彼女の話し方に問題があったわけでもない。
――――しかし一つ、イリヤは話を聞き進める内にある疑問を抱いたのだ。
「……お嬢様?何かお気に召さないことでも?」
「いいえ、別に。面倒ごとが増えたと思っただけよ」
嘘だ。一番気にかかったのは、そんなことではない。彼女が疑念を抱いたのは、セラの話が具体的過ぎるということについてだ。
彼女が前置きしたように噂の範囲だというなら、それはもう少しはっきりしない物になるはず。勝手に誰かが根も葉もないことを付け足していったとしても、それぞれの名前や彼らの話した話など分かるはずもない。
それに、生体兵器などと銘打った特殊能力者達を売り買いする程の組織が、一般人にも知れ渡るほど話を漏らすわけがない。
ならば、どうしてセラはそこまで知っているというのか。
それは、つまり――――、
かちゃり、とセラが持ち上げたカップとソーサーが奏でた音で、イリヤの思考が分断された。
「カップの方は下げてさせていただきます。それとももう一杯お飲みになられますか?」
「いえ、もう寝るわ。片付けておいて」
「かしこまりました」
何となくセラの姿がなくなるのを確認してから、イリヤはのそのそと移動を始めることにした。そして床に就くまで、いや寝床の中でも先程の続きを考えるつもりだった。疑念はすぐに払拭しなければならない。
が。
「……あれ?」
思考も何もなく、
「わたし、何を考えていたんだっけ……?」
彼女の記憶から、先程までのセラの話は掻き消えていたのだった。
* * * * * *
イリヤが飲み干したカップを片付けているはずのセラ。しかしその手には既に食器はなかった。誰か見ている者がいれば、それは途中で蒸発するように宙に胡散していたのを目撃していただろう。
最も目撃者足りえるものが一人もいないこの状況では、土台無理な話であるが。
と、彼女はある部屋の前で足を止めた。そして何ら躊躇することなく、その部屋の扉を開け放つ。その中には、――――セラとリーゼリットが、縛られた姿で放られていた。
「ご機嫌は如何?」
もう一人の自分を前にして、全く動揺を見せることなく、扉を開けたセラは語り始めた。
「あなた達のご主人は随分と可愛らしかったわ。わたくしの話も随分と素直に聞いてくれて、とてもいい子ですのね? ついつい話しすぎてしまいましたわ」
「むー!」
「……」
縛られたセラとリーゼリットは、片や激しく、片や静かに、目の前に立っているセラを睨みつけていた。
「心配しなくても良くってよ。今日のところは何もしていませんもの。少しだけお話をして、少しだけ記憶を触らせて貰っただけですわ」 くすり、と笑う。
「――――まあ、バーサーカーに関する記憶を取り出すのには少々苦労しましたけれど。魔法使い、いえ魔術師とは随分と精神防壁が堅く構築されているのね。いい勉強になりましたわ」
いつものセラからは考えられない満足げな笑みが深まる。
「あなた達からも、すぐに不快な記憶は消して差し上げます。次に目が覚めたときは、何の疑念も抱かず、どうぞいつも通りの仕事に精を出してくださいな」
すう、と立っているセラが虚空より一つの細い棒と、四角い箱を取り出した。見ればそれは、マッチ棒とその箱である。
「さあ、お休みの時間ですわ」
マッチが擦られ、ぼうと火が上がり――――
「……ラ、セラ」
「え? あ、はい、何ですかリーゼリット」
突然話しかけられてはっとなる。セラは、自分が通路の真ん中で突っ立っていたことに、その時初めて気付いた。
「ぼうっとしてた」
「し、失礼なっ。考え事をしていただけです!」
リーゼリットの言葉に、馬鹿にされてなるものかと即座に反論するが、そもそも何を考えていたかはついに思い出せなかった。
「んんっ!」 気まずさを払拭する為に、わざとらしくも咳払い。 「と、ところでお嬢様はもうお休みになられましたか?」
「うん。セラがさっき確認してた」
「……そう、でしたね」
いつものセラらしからぬ失態の連続に、リーゼリットが首を傾げるが、まあそういうこともあるかと屋敷内の見回りに戻っていった。取り残された形になるセラは、自分の仕事を求めてキッチンへ。
「あら?」
そこには一揃いのカップとソーサーが、ぽつんと取り残されていた。
「洗い忘れた、のでしょうか」
今日の自分は、余りにもおかしすぎるとセラは、両頬を自分でぺちぺちと叩いた。
「しっかりしなければなりませんね」
お嬢様の前で失態を見せるわけにはいかないと、彼女はいつも以上に改めて気合を入れ直した。そして、とりあえずは洗い残したと思しきカップ達を片付けようと、それらを流しに運び始めるのだった。
* * * * * *
同時刻。イリヤスフィール城正門前。城の主を始め、誰にも勘付かれることもなく、そこに一つの影が存在していた。それはセラと全く同じ姿である。
だがその影は、歩き出すと一歩ごとにその姿は変わえていき、最後には全身黒尽くめの女性/あの豪華客船にいたクイーンのものとなった。
「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、そしてバーサーカー。あなた方に恨みがあるわけではありませんわ。ですが、わたくし達が生きるための踏み台となってもらいます」
およそ森を歩くには適さない格好のクイーンだが、何ら障害を感じる様子もなく、彼女は滑るようななめらかさで歩いていた。そして、次の瞬間には船内から消えた時のように姿を揺らがせ始める。その口は、彼女のいた部屋でも掛けられていたグループの歌を紡いでいた。
「――――What's wrong with the world mama?」
彼女の歌が佳境に差し掛かったとき、彼女の姿もまた限りなく不可視を極めていた。
「Where is the love?」
後日、イリヤになされた報告。
森への侵入者、無し。