衛宮士郎の思いはこう、――説明しろといわれたところで、何をどこからどう説明したらいいのさ――、である。

 この場合、たった今襲い掛かった(と思われる)セイバーのことについての説明を、一番先にすべきだろう。いや、しかし彼女のことは彼自身でも良く分からないのだし、これはどうにも説明のしようがない。

 ならば、藍がバラバラに壊されかけていることを話せばいいのだろうか。だが、これもまた満足に説明できるかは怪しい物である。藍は、紅い槍を携えた青いライダースーツを着た男にやられました、なんて余りにも非現実が過ぎる現実だ。事実であることは士郎自身がよく知っているが、説明しきれないであろうことも彼は分かっていた。

 しかし、目下の問題は何を説明するかではなく――

「ちょ…ま…ふ、藤ね…くるし…」

「こらー! ちゃんと説明しないさいよ、士郎ー!」

 ――まず、何はともあれ自身の肩をぐわしと掴み、ぐわんぐわんと振り回す暴れ虎を落ち着かせることであった。説明しろという割に受け入れる態勢が整っていないとは、全く持って本末転倒であるが、それはそれ、藤村大河のことであるから仕方ない。

 そしてまた一つ、そうこうしている内にも別の問題が生じてきた。元来人間の体は、強烈な衝撃に耐え続けることは出来ないのである。この言葉だけでお分かりになるだろうか。そう、余りにも激しいシェイクが士郎の意識を深遠の奥底へと叩き落し始めたのだ。結果、これで更に一歩、正常な話し合いから遠のいてしまったのであった。

 しかしながら、騒がしい二人――いや騒がしいのは実質一人だが――の周囲は対称的に静かである。慌てている人を見ると大抵落ち着くが、それと同じ理屈だろうか。慌てず騒がず取り乱さず、それこそ冷静に、非常に静かに士郎と大河の様子を窺っていた。

「あーあー。まぁったく、あそこまでガクガク振り回したら、話したくても話せねーだろーです」と藍が至極真っ当な意見を述べれば、

「それだけ仲が良いってことでしょ」と凛が軽く受け流すという具合だ。

 簡潔に補足しておくが、現在藍は凛の腕に抱かれている。先程大河が士郎に向かう前に、藍がこれ以上壊れるのは困ると彼女に預けていったのだ。冷静さを 失っているように見えても ( 明らかに失っているが ) 、そういうところはちゃんとしているのが、現在進行形の暴れぶりと合わせて大河らしいといえばらしい。

 そうしてしばらくは、凛も藍もついでにおどおどしながらシンジも、黙って士郎と大河のやり取りを見守っていたのだが、ややあって、やおら凛が行動を開始した。いつまでも進まない口論で時間を潰していられるほど、彼女は暇ではないからだ。無論、状況が予断を許さないものであることも関係している。

「…頭が痛いわ。一般人を巻き込むなんて、全くもって悪い状況じゃない。しかも、その相手が藤村先生だなんて、ね」けど、と凛は続ける。「ああやって注意が逸れてるなら……シンジ!」

 びくん、と小さく跳ね上がってシンジが反応する。「は、はいっ!なんですか、遠坂さん」

「この子お願い」

 言い終わるが早いか、凛は大河から渡された藍を更にシンジに回し、そして士郎と大河に向けて歩き始めていた。つい先ほどセイバーに襲われたばかりだというのに、彼女の足取りは確かなもので、そこに動揺や怯えといったものは微塵も見受けられない。

 一方シンジはといえば、突然藍を回されるとは思ってなかったのか、一時は藍の体を取り落としかけるという醜態を晒していた。何とかぎりぎりで掴み直すことは出来たが、やはり生きているように動いて喋る人形というのに、やや恐れを感じているのは変わらない。腕を目一杯に伸ばし、自分の体からなるべく離したところで藍を摘み上げるのが限界であった。少なくとも先ほどの凛のように抱きかかえるということは出来そうにもない。

 そうなると気になってくるのは藍の方だ。普通の感性の持ち主ならば、そのような扱いを受けたとなると、大なり小なり機嫌を損ねるものであるからだ。彼女が人間ではないということを差し引いても、余りいい気分とは言えまい。しかし彼女は、多少振り回されても、シンジに無下に扱われようとも一向に動じていなかった。ただぷらぷらと風に揺れながら、進み行く凛の背中に言葉を掛けていた。

「そこな魔法使い、うまくやりやがれです。でないと、わざわざあの鎧っ娘止めて助けてやった意味がねーのです」

 そこな魔法使いこと凛は、ふっ、と短く鼻を鳴らして答える。

「そんなこと、言われなくてもやってやるわよ」

「だったらいいのです」

 一々おちょくる様な調子が見え隠れする声で、藍は凛を送り出した。

 

 ――いや、送り出そうとしたのだが、そこにシンジが横槍を入れた。

「あの、やるって何を……」

「あんたは黙って見てなさい」「お前は黙って見てろなのです」

 空気を読まないシンジに、二人は冷たい。南極行った方がマシではないかとシンジに思わせるほどだ。しかし、迂闊な真似をしてしまったのは彼の方であるから、事を収めるには「……ゴメンナサイ、スミマセンデシタ」と素直に謝るしか道がない。――教訓、女は怖い。

 

 さて、藍との連携突込みから間も無くだが、凛は大河の背後に立つことを果たした。無造作に近寄ったというのに、大河は未だに士郎の方を揺さぶるのに夢中なのか、まるで彼女に気付いていない。これから凛がすることを考えれば、気づかれていないことは寧ろ重畳でもある。だが、それは自らの美意識が許さないとでもいうのか、凛は行動に移る前に大河に短く一言だけ告げた。

「藤村先生、すみません」

「コラ、士郎ー!…って、え? 何、遠坂さ…きゃうっ!?」

 些か失礼な言い方になるが、歳に合わず意外と可愛い悲鳴を上げて、大河は膝を折った。気を失ったのだ。当然ながら、凛の使った簡易魔術が効果である。当然そうなることを期待して凛は魔術を行使したので、彼女はしっかりと大河をキャッチする態勢を取っていた――後ろから腕を回し、そのまま地面に崩れ落ちるのだけは防いだ。大河の方が、凛よりもやや身長が高めなのだが、彼女は問題なく支えを成功させた。

 一方、大河が気を失ったことにより、振り回されることもなくなった士郎。開放を喜ぶ場面かと思いきや、白濁とする意識もそのままに凛に噛み付かんばかりの勢いで突っかかり始めた。普段の彼からは予想も出来ない剣幕で、である。

「げほ……ふ、藤ねえ! 遠坂、藤ねえに何をしたんだ!」

 しかし凛は至って冷静――士郎のそういった反応は予測に折り込み済みだとでも言うかのように、取り乱す様子は見られない。そして彼を落ち着ける意味を込めてか、やや低めの声で彼を宥めた。

「騒がないで。ちょっと眠って貰っただけよ。……それより、そちらからも支えてくれない? それとも女の子一人に任せるつもり?」

 さらりと言ってのける凛に、流石に士郎も一瞬言葉に詰まる。自分でやっておいて白々しいとも思った。しかし、同じような調子で突っかかるのも躊躇われた。勿論、収まりがついたわけではない。だが確かに、自分は糾弾を行うだけで、肝心の大河の体を凛一人に預けるのも如何なものかという意識が働いたのだ。そういうわけで、仕方ないといった風情ながら士郎も大河を支えるのに手を貸すことにした。

 しかし、考えてみればつい今し方自分の目の前で、家族同然のものを昏倒させた相手との共同作業だ。心中は穏やかでない。それでも、その加害者たる相手が凛であるという事実が、士郎の理性をギリギリの所で保たせていた。なぜならば、彼女は学園一の高嶺の花で、彼自身も仄かな憧れを抱いている女性――遠坂凛なのだ。例え酷いことをしたように見えても、唐突に片思いの相手を攻めることは難しい。そうであったからこそ、士郎は自分を抑えることができたのだ。

 幸い、門に程近いところで大河は気を失わされており、家まではさほど苦痛になる距離ではなかった。少し歩くだけですぐに玄関に辿り着く。士郎が先に戸を開けて入り、続いて凛も進もうとして――そこで歩みが止まった。

 先に、士郎は自分を辛うじて抑えられたといった。つまり完全に抑えたわけではない。だから少々怒りの収まりのつかない内心があり、それが微かに漏れ出したのだろう。彼のとどめ切れぬ心に、先ほど彼の従僕となったセイバーが反応した。大河が彼を振り回していた間も、彼の静止に従い不思議なほど沈黙を保っていたセイバーが、とうとう、彼と共に家に入ろうとする凛を「止まれ」と立ち止まらせたのだ。

「待て、メイガス。これより先に立ち入らせるわけにはいけない。その女性をこちらに渡した上で、この場よりお引取り願おう。さもなくば――この場で切り捨てる」

「…え?あ、おい! いきなり何言い出すんだ!」

 急変したセイバーの態度に士郎は困惑する。とはいえ、頭のどこかでは彼にも分かっていた――こちらが彼女の地である、と。

 セイバーのことを『不思議なほど沈黙を保っていた』と評したのは、冗談や軽口ではない。なぜならば彼女が静かにしてくれたのは、士郎にも幾ばくかの驚きを与えていたのだ。彼女とはまだ出会ってからまだほんの十数分である。だが、分かるのだ。彼女は、相手が男だろうと女だろうと、問題があるものに容赦しない。平和に慣れ切った人間相手にも、本能でそう悟らせる雰囲気を彼女は持っていたのだ。当然、士郎も本能でそれを感じていたのである。

 とはいうものの、今凛を斬られては非常に困るのも事実。士郎自身も、まだ彼女を敵かどうか決めかねているのだ。そもそもが、そういうものをすぐに割り切れるほど、彼は戦い慣れしてはいない。日本の一般生活において、そんなものを判断する機会などそうそうない。しかし、煮え切らない士郎とは対照的に、セイバーの態度は実に堂々としていた。

「シロウ。予め断っておきますが、私はこのメイガスとそのサーヴァントを信用などしていません。いえ、寧ろ敵だと考えています。マスターも現在そう思っているのでは、或いは思い始めているのではないのですか?もし、違うというのであれば、それなりの説明を私に対し行って貰わねば、とてもではありませんが納得しかねます」

 よくもまあと思えるほどに、つらつらとセイバーは言葉を並べ立て、士郎の胸に突き立てていった。言葉が刺さるのはそれが正論であるからだ。これほどはっきりと言われてしまえば、士郎は自分が余りにも筋の通らないことをしていたと口を噤まざるを得ない。だが、このまま黙っていたら、本当に凛が追い返されるか、或いは斬られてしまうのは目に見えている。だから彼も、引くわけにはいかなかった。

「いや…だけどな、その…遠坂は、俺の学校の同級生であって、それで――」しかし言葉が続かない。セイバーの目つきが段々と冷めていく様子を、鈍感と人に評される士郎にもしっかりと感じ取れたからだ。

「それで?それがどうかしましたか。シロウ、貴方は甘い。もしやその程度の絆が、金剛石のように壊れないものだとでも思っているのですか?」セイバーの言葉はナイフのように鋭い。

「っ…! そうは言ってない! 確かにお前の言っていることも分かる気がする。だけど…やっぱり待ってくれ。俺は――あいたッ!」

「シロウ!? おのれ、メイガス。やはり敵か!」

 またも士郎の言葉が止まったのだが、今度はセイバーの視線という精神的に来るものではなく、凛の拳骨という物理的かつ強制的なものだった。それにより一瞬、セイバーが色めき立つが、それでも士郎は必死に手を突き出して彼女を止めた。

「ストップストップ! 待ってくれセイバー! 何でもない、何でもないから! ……何するんだよ遠坂! あいつを今刺激したらヤバイって、誰でも簡単に分かるだろッ」

 士郎の言うことは確かに正しい。だが、それを承知の上で彼らの言い合いを止めなければならない言い分が凛にもあった。

「あのね、一ついい? 大声出したりして刺激したら拙いのはこちらも一緒なのよ。さっさと、藤村先生を家の中にでも運んで、それから記憶の操作でもしないと始まらないんだから」

 何気ない様子で言われた凛の言葉だが、最後の部分は士郎の表情を動かした。

「操作? 記憶の操作だって? 待て、遠坂。それは、つまり――」

「藤村先生の記憶から、さっきの出来事を、聖杯戦争に関する知識をなくすってことよ」

 凛は淡々としたものだが、士郎はいかにも納得がいかないという具合だ。

 しかし、凛としては早い内に彼に承知させる必要がある。己の魔術の有効時間も無限ではないし、何より一般人に自分達の世界の出来事を見られてはならないのだ。だから、彼女は別の側面から、士郎の拒否感を崩す作戦に出ることにした。押して駄目なら引いてみろという訳である。

「なに、なによ? わたしを責める前に考えてみなさいよ、衛宮くん。あなた、この状況を余すことなく満足に、且つ、納得させられるような説明を藤村先生に対し出来るっていうの?」

「あ、いや、それは…」

 凛はまだ大河を支えるために、彼女の脇から右腕を通している。しかし、そんな状態にもかかわらず、凛は左の人差し指をずいずいと士郎に突きつけていくという器用な真似をして、彼を言葉と仕草の両方で追い詰めていった。そして、そこまではっきりと凛に言われてしまえば――或いは言われなくてもだが――大河に満足な説明をするなんてことは出来ないような気が、士郎にはしてきた。彼の心の揺れは当然凛にも伝わる。そこで彼女は更に畳み込んだ。

「それに、衛宮くんは見たところ本当に何も知らないようだし、どうかしら。とりあえず今の状況の説明くらいは、わたしの分かる範囲でしてあげる。――それなら、あなたもわたしを攻撃しないでいてくれるでしょう?」

 言うまでもないが、前半は士郎に対してのもので、後半はセイバーに対しての言だ。

「あ…いや、まあそれは助かる、けど。な、なあ、セイバーもそれならいいだろう?」

 先ほど自分が敵だと断じた魔術師こと凛の言葉を鵜呑みにした、些か主体性が欠けているように見受けられる士郎の言葉に、セイバーは冷ややかであった。それは態度も、言葉もだ。

「敵から施しを受けるのを良しとしろと、つまりシロウはそう言いたいわけですね?」

「だから敵じゃないって!」

 互いに視線を逸らさず、自分の意見を譲らないという状況は、しかし今度はすぐに崩れた。士郎の怒鳴るようでありながら、懇願するようでもある声に負けた訳ではないのだろうが、しばらくセイバーが黙り込み、そして士郎と凛の間で視線を彷徨わせたのだ。そして、やや間を空けてから彼女はポツリ、こう結論を出した。

「――ええ、分かりました。メイガス、あなたの提案を受けましょう」

 しかし、勿論簡単に受け入れるはずもない。言葉は続いた。

「ですが、妙な真似をしたり、如何わしい仕草があった際は――」

「ええ、構わず斬るといいわ。尤もそんなことはしないけど」

 頭に美をつけても成り立つ少女二人の舌戦、視戦は壮絶だ。挟まれた士郎は、或いは離れてみているシンジは、おろおろするばかりでなんら口を挟むことは出来ない。ある意味で士郎は、セイバーのような凄まじいプレッシャーを持った相手にも怯むことなく、堂々と正面から立ち向かっている凛の姿に、憧れや尊敬の念を新たにもしていたのだが――それはただの余談である。尤もそのお陰で、士郎の凛に対する不信感がやや薄れもしたので、セイバーとのやり取りは凛にとっては良いことになっただろう。

 考えてみる間でもなく、今の状況は凛達にとって圧倒的に不利である。セイバーの、しいてはそのマスターたる士郎の機嫌を損ねようものなら、一体いつ死ぬかもしれない。彼女は階段の十三段目に立っているに殆どイコールの立場なのだ。だから、幾ばくかでも士郎の心象が回復したのは、彼女にとって良い事といえた。

 ちなみに、元より士郎側の藍は気楽なもので、彼女の立場から見れば、そういった心理的変化も外面的な対立も然したる問題ではなかった。だからこの場において唯一、彼女のみが状況を楽しみつつ、三人の様子を見守ることのできる存在であった。

「あーあ。今からこれじゃ、将来が思いやられるのです」困ったようなことを口にしながらも、口調は実に軽やか極まりない。語りというのは、それに含まれる以外の意味も如実に表すものである。

 尚、昔これに近いことがあった気がする、と、シンジが別に頭を悩ませていたことも追記しておく。

 

 舞台は変わり衛宮家の中。凛は、布団に横たえられた大河に対して、早速記憶改変の魔術を施し始めていた。それは基本的に一人で行う魔術なので、彼女が行動を始めた時点で必然的に士郎には仕事が無くなる。しかし、手持ち無沙汰なのが気になるのか、彼はそわそわと落ち着かなかい。勿論のことだが、幾ら気になるからとはいえ声を掛けたりはしない。自分に出来ることがあるかどうかの確認にしても、それはどうしても彼女の邪魔になってしまうからだ。魔術の行使には細心の注意が必要なのを、彼は身をもって知っていた。ましてや今は記憶を書き換えるという魔術を行っている最中である。もし自分のせいで失敗したらと考えると、最悪の事態に思い至り身震いがしてくる。

 だから士郎は、ここは凛に任せることにして、自分はお茶でも入れようと――――立ち上がろうとしたのだが、セイバーに阻まれた。凛の一挙一動から視線を外さず、黙したままのセイバーが、彼の服の裾を掴んで立ち上がっていくのを引き止めたのだ。

「どうしたんだよ、一体」

「シロウこそ、どこに行くつもりですか」

 凛の邪魔になるまいと小声で反論したのだが、即座にセイバーからもやや小声気味の言葉が返ってきた。

「いや、ちょっとお茶でも入れに行こうかと…」

「現在の状況を正しく理解してください。もし、目を離した隙に、彼女が何か罠を仕掛けていったらどうするつもりですか」

「なっ…!」

 セイバーの冷たいが、的確な意見に士郎は一瞬言葉に詰まるが、それに対する答えは本人から直接返された。

「そんなことはしないわ」

 はい、終わり、などと呟きつつ、涼しい顔で凛は士郎達に向き直った。

「罠なんて仕掛けていくほど、陰湿な性格はしてないつもりよ。とりあえず話を続ける前に、先に場所を移しましょう?」

 確かに、このまま大河の横で話をするのも良くはあるまいと、みんな揃って居間に移ることとなった。また、廊下に出て今に行くまでの間、どのような順番で並ぶかもセイバーがやや口うるさく決めたのだが、結局重大な問題は起こらなかったのでこれは割愛する。

 そうして居間に到着。たかだか数分の移動でどうしてこうも疲れるものかと士郎は息を吐いたものだが、気を抜くのと同時に思い出した。それは藍の現状だ。一瞬でも忘れていたというと酷い話に聞こえるが、怒涛のごとく流れる展開に、流石の士郎も表面上はギリギリ落ち着いているように見えても、中ではしっかり混乱していたのだ。だから、同じような体験をして混乱をしなかった者にしか、彼を責めることはできまい。

「藍、そうだよ、お前の体…!」

 急に大声を上げた士郎に、未だシンジに持たれたままの藍は珍しく目を丸めるが、すぐにゆるゆると閉じて静かに言った。

「今更気にしないでも…デァ・ガッテにはどうしようもないのです。だから考えても意味が無い藍のことは気にせず、その魔法使いの話でも聞いて、とりあえずは現状を把握しやがれ、なのです」

 突き放すように。事実を声の抑揚を抑えての語り。いつもと違う調子の話し方が、本当に手の施しようの無い状態なのだと、士郎にどうしようもなく悟らせた。

「何か――せめて俺にも何か出来ないのか」

「今言った通りです」

 そうか、と項垂れる士郎の様子を、もう藍は見ようともしない。自分はこれ以上語ることは無いと割り切っているのか、それとも彼の姿を見たら何か言ってしまいそうな自分の弱さを気にしているのか、目を閉じ、口も噤んで沈黙を開始した。

 藍の態度を確認した士郎も黙りだし、終いには辺りに重い空気が漂い始める。とはいえ、当事者や或いは傍から見る分にはまだマシな部類で、藍を持ったままのシンジなど展開には付いていけないわ、藍を下ろしたくとも動けるような状況でないわと散々だった。

 沈黙を破ったのは、今の話を聞いて疑問を感じた凛である。

「…ちょっと待ってよ。何、その子って衛宮くんが作ったんじゃないの?」

 それは凛だけじゃなく、セイバーも感じているようであった。両名とも、藍が士郎のことを『デァ・ガッテ』――自分の主人といっていることから、彼女は彼が作った人形なのだろうと思っていたのだ。セイバーを召還したことから、士郎が魔術師であることは知れているし、そう考えるのは至って自然な流れである。

 しかし、彼らの話を聞いている内に、どうもそうではない様子が伺えた。そして事実、確かに藍は士郎の創作物ではないのであった。

「いや、違う。藍を作ったのは俺じゃない。あいつは…なんていうか、その…人から貰った」

「人から貰…ああ、なるほど。引き継いだって訳ね」

 つまり、自分が作ったのではなく、自分の魔術の師が作ったのを引き継いだ。それなら納得できると、凛は考えたのだが――士郎の答えはその予想すら綺麗に裏切るものだった。

「いや、全く違う。赤の他人だ」

「――は?」

 最早普通の魔術師である凛の理解が及ぶ領域ではなかった。一体どういう理由があって、あのような人形を赤の他人から貰えるというのか。それでも彼女はまだ諦めきれず、ギリギリ納得が出来そうな答えを搾り出して聞いてみることにした。

「それは、つまり、衛宮くんが何かしらの依頼をこなして、その対価として貰ったってところかしら?」

「そ、そういうのとも違うんだ。本当にただで貰ったって…感じ、で…」

 一言喋ることに雰囲気が重くなっていく。ありのままを語っているだけとはいえ、ここまでくると士郎もそれ以上言っていいのかどうか迷い始めていた。尤も、それ以上も何も、殆ど話してしまっていたのだが。

「そんなこと…!」

 あるわけないと、凛が声を荒げかけたその瞬間だった。丁度狙い済ましたように、というよりはいい加減に重い沈黙は耐えられないということか、これまで静かにしていた少年が口を開いた。碇シンジ、本日二度目の横槍だった。

「す、すいません! もうこの子下ろしてもいいですか?!」

 絶妙のタイミングで茶々を入れられた凛は、口を半開きのまま固まってしまう。余り知られてないことだが、彼女はこうした突発的な事態に意外に弱い。勿論今回の場合はそこまで意外なものでもなかったので、割り合いすぐに立ち直ることが出来た。ただ、話を逸らしたいと考え始めていた士郎にとっては、その僅かな沈黙で十分であった。

「ああ! ずっと任せてて悪かったな!」 些か不自然さも漂う明るさで、シンジから藍を受け取りつつ、「ところで、自己紹介もまだだったよな?俺は衛宮士郎って言うんだが、そっちは?」と問うた。

「は、はい。僕は…碇シンジです。よ、よろしくお願いします」

「あ、こちらこそ」

 丁寧にもお互いに名前を交換した直後、シンジが後頭部をはたかれる様子が、士郎の目に写った。今度は彼が目を丸くする番だった。

「と、遠坂…?」

「馬鹿ッ! あんた何すらすら名乗ってんのよ!」

 士郎には凛が怒っている理由が分からなかったが、セイバーの反応は当然違っていた。

「…なるほど。或いは偽名かと思いましたが、その反応を見るにやはり真名ですか」

 セイバーの突っ込みに凛は露骨にしまったという表情を浮かべた。類稀なる精神力ですぐに顔を戻すも、セイバーの指摘通りなのは火を見るより明らかだった。しかし、士郎は未だに事の重要性が理解できず、結局その説明を求めることになった。

「なあ、どうしてそんなに名前を気にするんだ?」余りにも間が抜けた質問だったか、と睨み付ける凛の目を見てから考えたが、どう考えても遅すぎる反省だ。

「…ああ! 分かったわよ! もういいわ、今ので本当に衛宮くんが何も知らないと分かったから! この際、一から説明してやるわよ!」

 どうみても自棄だが、士郎は下手に突っ込むと彼女の逆鱗に触れてしまいかねないと本能で悟り、遠坂先生の授業を静かに拝聴することにした。

 聖杯戦争を作った三家の話。聖杯戦争の目的。サーヴァントとは何者か。細々した物を除けば、それらを主軸に話は進んだ。話は短くはなく、だからといって冗長でもなく、要点だけを掻い摘み行われた説明であった。お陰で話が終わる頃には、士郎にも少なくとも今巻き込まれているものがどういったものか、おぼろげながら理解できるようになっていた。

「サーヴァントとして召還される英霊ってのは、つまり過去の英雄なんだな?」

「そう。現代じゃ考えられない、身震いする伝説を持った英雄達よ。…ちなみに、あなたが召還したのは、その中でも最強を謳われるセイバー」

 じと、とねめつけてくる凛の目が怖くて、士郎は即座に切り返した。

「じゃ、じゃあ遠坂の英霊は何なんだ? えらく和風な名前だったけど、結局…クラス名? とかいうの聞いてないぞ」

「…それがねえ…」

 士郎の追及に、ばつが悪そうに頬を掻き出す凛。最早真名がばれているのだから、クラス名を教えるなど今更ではないのかと士郎は思ったものだが、色めき立ったセイバーに押され明かされた事実を聞いて、単純な問題ではないことを知った。

「正直に言うわ。あの子、記憶がないの。不慮の事故でね…まあ、真名だけは何とか知れたんだけど、クラス名が未だに知れないのよ」

 だからこそ、と凛は付け加え、セイバーとシンジの間で視線を行ったり来たりさせ――溜息を吐いた。

「っはあぁ。何でセイバー、そっち行っちゃったんだろ」

「おい、さりげなく俺を馬鹿にしてないか?」

 さりげなくも何も、確かにそれ以外に凛の言葉が指すところはなかったのだが、彼女は悪びれもせず、「別に」と言ってのけた。そして、自分から始めたくせにサーヴァントに関する話題はそこで終わりと言わんばかりに、さて、といって立ち上がった。

「では、衛宮くんが聖杯戦争に参加するにしろ、そうでないにしろ、そろそろ行きましょうか」

「ちょっと待った。行くってどこにさ」

 余りの脈絡のなさに士郎は思わず突っ込むが、凛は表情を変えず、ぴんと右の人差し指を立てて言った。

「聖杯戦争についてよく知っている奴のところによ。だって衛宮くんはまだこの戦いについて納得してないんでしょう?」

 立てた人差し指で突いたんじゃないかと思うほど、的確に士郎の心中を射抜く言だった。

「それは、まあ…そうだけど」

 だったら行かなきゃね、と凛は歩き出す。シンジも彼女に習って歩き出したものだから、焦るのは士郎だ。

「え、おい。これから本当に行くのかよ。もう夜遅いし、あんまり遠くなら行けないぞ」

「それはほら、明日は休みだし。多少の夜更かしはいいでしょう?」

 だからそういう問題じゃなくて、と反論しようとする士郎だが、意外にもセイバーが先に割り込んでその言を止めた。

「シロウ。私は彼女に賛成です。貴方には知識が足りなすぎる。もっと強くなってもらわねば、私も困ります」

 セイバーの言葉は、先ほどから常に的確だ。ぐうの音も出ないとはこのことであろう。しかし、このままでは士郎に残されたのは、行くという道のみになってしまう。

「くそう…藍、あいつらに何か言ってくれ!」

「さっさと行って、少しはマシになって帰ってきやがれです」

「うわ、ようやく喋ったと思ったら、お前もかそうきたか!」

 ささやかな反論を藍に変わってもらおうとしたが、逆に裏切られしまう。しかしそれを悲しむ間もなく、凛はずんずん歩いて既に廊下に出ている。先程までなら、セイバーが絶対に許さなかっただろうが、開けっ広げに聖杯戦争についての知識を士郎に教えたのが良かったのか、彼女はもう止めたりはしなかった。反対に士郎を急かす程である。

「わ、分かった。すぐに行くよ」言って、セイバーを先に玄関に向かわせ、自分は藍に向き直った。

 藍は、いつも通りまっすぐ彼を見ていた。

「…じゃあ、行ってくる。留守番頼んだ」

「任されたです。――まあ、この有様じゃ何が出来るって訳でもねーですから、できればちゃんと戸締りはしておいて欲しいです」

 必死に取り繕ってはいるが、喋るたびにポロポロと着物の裾から、或いは着物に開けられた穴から、彼女の体の破片が零れていた。恐らく、口だけでも動かせる状態ではないのだ。だから士郎は、返事はいらないからなと断った上で、彼女に言った。

「絶対、帰ってきたら治してやる。どれだけかかってもいい、必ずお前を治してやるからな」

 直すではなく治す。その微妙なニュアンスが言葉でも伝わったのだろうか。藍は、恐らくは初めて士郎に微笑み、そして静かに目を閉じた。

 深く呼吸をして、士郎は立ち上がる。そして振り返らず、真っ直ぐに玄関へと向かった。凛達は、当たり前だがちゃんとそこで待っていた。そして、遅れた彼をやじることなどせず、行きましょう、と声を掛けてきた。

「ああ」

 続けて、行こう、と言い歩き出そうとした士郎だが、ふと言葉も行動も止まった。あれ?と思った。何か、違和感を感じたのだ。

 その正体に思い至ったとき――

「……すまん、セイバーの格好を隠せるもの、何か持ってくる」

 ――なんとも締まらない出発だった。


 
 

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