千切れた布片が風に舞っていた。
 月光に輝く破片も、そこかしこに散らばっている。

 ランサーが一歩を踏み出す度に、ギチ…ギチ…と破片がコンクリートに押し付けられて軋みを上げた。――――戦闘は終わった。そして勝者は言うまでもない。歩いているのは、動いているのは、ランサーしかいないのだから。彼が勝者であることに相違など、ない。

 「――――まあ、人形にしてはやる奴だったよ、テメエは」

 構えを解き、槍を下ろしたランサーの視線の先にあるのは、最早原形を留めていない藍の姿だ。彼女は誰の助けもなく単独で、それこそ後退の螺子をどこかに飛ばしてしまったかの如く退く意思も見せず、馬鹿正直に、ランサーと真正面からやりあっていた。無論、結果が芳しいものである道理もなく、その姿は悲惨という言葉で形容される他なかった。

 最早、ほんの少し前までは、自由闊達に動き回っていたのが嘘のように、もう彼女はピクリとも動かない。
 人間であれば、死んでいると表されるであろう。尤も、動いていたといっても人形に過ぎない藍を、死んだというのは正確ではあるまい。だが、それでもランサーは、今の藍のことを『壊れた』とは、到底言う気になれなかった。彼女と直接相対した彼が、何よりその表現に違和感を感じるのだ。

 「人形…いや、藍と紅、とかいったかよ。何がテメエをそうまで駆り立てたのか――ハ、やる前に聞いときゃあよかったな」

 ゆらりと向きを変え、

 「……さて、後はあの男か」

 そこで、ふ、と。まるでランサーの言葉に呼応するように、藍の倒れこんでいる辺りから、小さな音が鳴った。合わせて、歩き出そうとしたランサーが、再び停止した。
 あるかないか分からないレベルのものといえ、確かに音がした。音があるということは当然、何がしか動くものがあるということに他ならない。まさか有り得ない、とは思いつつも、思わずランサーは振り向き、藍に目をやった。

 「…………」

 だが――いや、やはりだろう、藍が動いている様子は、無い。無論、それも仕方が無いことだ。とうの昔に、彼女の両手両足は破壊され、胴体すら着物を通して分かるほどに穴だらけ。英霊でもましてや人間でもなく、人形だということを考慮しても尚、つい数分前まで動いていたのが不思議に思えるほど、彼女の損傷は甚大だったのだ。


 ――――もう、彼女から音はすまい。ならば、どうして音が聞こえたのか。一体全体、何が音を立てたというのか。それは、ランサーがじいっと見続けることで、自然に正体を露にした。

 先刻の音は僅か過ぎて、発生源の判別も発生物の判別もままならなかった。だが、視覚情報も併せることで、今度は判明した。

 音の正体とは、髪だ。見れば、倒れこんでいる藍の顔の横より、彼女の頬の曲線を伝い、髪が徐々に滑り落ちていた。先ほどの音は、今同様に、髪の一房が地に落下した時の物だった。恐らくは、微かな風でも吹いたために、絶妙なバランスが崩れ、堰を切ったように髪が滑り出したのだろう。

 「……ん」

 しかし、正体が判明してから少々の間、藍の残骸を見続けていたランサーは、ふとその首筋に奇妙な切れ目があることに気付いた。彼女の首に対し彼は自分から攻撃した覚えはない。余りに細すぎたため、狙いをつけ難かったからだ。だから、ランサーの攻撃で付いた傷の筈はない。でも事実、はっきりと藍の首には大きな傷がついている。

 大方、最後に地面に倒れた時に割れたのではないだろうか、とランサーは当たりをつけた。……つけたが、謎の切れ目は、妙に気を引いた。そんな時間はないだろうに、ランサーは藍に近づかずにはいられなくなっていた。

 「ああそうだ。分かってる、分かってるさ…急いだ方がいいんだろう……分かっちゃいるんだが、生憎モヤモヤするのは嫌いなんだよ」

 自分に対して言い訳か。口数も多く、ランサーは藍の残骸に近づいていく。早く確認を済まそうとの気負いからか、幾らか急ぎ足だ。

 「悪いな。引っくり返すぜ」

 藍の顔は、見えない。やや仰向け気味だが、巻き付くように顔に髪が絡みついているからだ。その彼女の首を確かめるには引っくり返すしかない。だから、彼女に対して断りを入れつつも、ランサーはその体を動かすために手を伸ばした。そして、彼の手が彼女に到達しようとした、正にその瞬間の出来事だ。


 「……――――シャアッ!」

 「なァ――にぃッ!」

 壊れていた筈だった。傍目にも、動けるわけがなかった。だというのに、突如彼女は動いた。弾けたように、手も足も無いというのに、胴体と頭部を使った動きだけで飛び上がった。その速度は実に速い。それに、なまじ手を伸ばしきっていたのも拙かった。ランサーが気付いたときには、時既に遅しという奴で、彼の手は藍に噛み付かれていた。しかし、噛み付いたとは言ったものの、一般的に思いつく顔にある口で彼女は噛み付いたのではなかった。

  首だ ( ・・ ) 首筋が噛み付いた ( ・・・・・・・・ ) のだ。

 首にあった切れ目は、攻撃によってできた傷でも、ましてや倒れたときに割れたわけでもなかった。ずっと髪が掛かっていて、背後にあったせいで気づかなかったが、もともとそこには二つ目の口があった。――――ランサーは、図らずも首にあった切れ目の謎を解いたわけではあるが、手放しに喜べる状況では、当然ない。何しろ、放そうにも手に喰いつきがあるのだ。

 「こッ、こンの……クソがあッ!!」

 急ぎ、残された左手を使って、藍を無理やりにも引き剥がそうとするランサーだが、その前に彼女の首の第二の口に込められる力は最高潮に達し――――ぶぢんと、 喰い千切られた ( ・・・・・・・ )

 信じがたい、信じられない出来事。槍の英霊が、その武器を持つ手の一部を奪われてしまったという事実。だらりだらりと血を滴らせる首筋のもう一つの口は、ランサーの様子がさも愉快であるように、げたげたと下品で豪放な笑い声を、高らかに上げた。

 「ゲッゲッゲ!油断したなッ!ゲッゲッゲッゲッゲッ…ゲッ…ゲッ……ゲ………………」

 しかし、笑い声は次第に掠れていき、最後には消えた。それが正真正銘の終わりだったのか。口調からして紅と思われるが、彼女は最早キリキリと音を立てることもなくなり、完全に沈黙した。

 首筋の口は、先ほど手を噛み千切ったのが嘘のようにこざっぱりしており、血の雫はどこぞに消え去っていた。そして、もうその凶悪な口も、一筋の線と見間違うほどぴたりと閉じられ、僅かなりとも動きを見せなくなった。

 ランサーは、今度は槍で引っ掛けて返してみるが、彼女の体はランサーの動作に合わせて力なく転がり、横たわり続けるだけだった。先ほど同様、『死んだフリ』をしているかもしれないが、それならそれで今度は近寄らなければ済む問題だ。

 「……してやられた。鼬の最後っ屁って所か――よくも、まあ」

 手に怪我を負ったというのに、ランサーは意外なほど冷静だ。寧ろ、紅の行動を心の中では少し評価していたと言ってもいい。ランサー自ら近寄らなければ、彼女の行動は成功しなかっただろうが、現実には噛み傷を負わされた。自身の活動停止と引き換えにするには、余りにも小さい怪我だが、それでも能力的な差を考慮するなら、驚異的なダメージを与えたのだ。ランサーの口調は、変わらず粗野ながらも、どこか相手を讃えている感があった。

 「こうなりゃとことん最後の最後まで磨り潰す……ってやりたい所だが、残念だな。人が寄ってきやがった。まあ――そうだな。人形が来るかはしらねえが、あの世で会ったら再戦といこう」

 誰ガヤルカ阿呆、と空耳が聞こえた気がした。もう、ランサーは構わない。地を蹴り、あ、も言い終えられないであろう間に跳び去った。

 彼がいなくなった今、動くものは何もない。微かに聞こえるのは、飄々と啼く風の音。これが西部劇などなら、適度に間を置きtumbleweedなどが転がるところだろうが、生憎この場にそんな気の利いたものはない。ただ寒々とした月の光が照らすだけの風景は、切り取れば一枚の絵画のようでもあった。

 もう、この場に用はない。時と、場所を移そう。






 ***






 「一体何なんだ……?」

 衛宮士郎は、状況の変わる余りの早さに付いていけず、しばし思考停止状態に陥っていた。確認しよう。今までの流れはこうである。


 藍に『切り札』があるとそそのかされ、家まで帰った。

 しかし、やはりそんな都合のいいものはなかった。

 強化した鉄棒を手に、藍を助けに行こうと決意した。

 刹那、あの槍を持った男が現れた。

 その男に、藍を破壊したと聞かされた。

 そして、立ち向かおうとするも惨敗、死の危機に追いやられた。

 殺される直前、土蔵に光が溢れ、一人の少女が現れた。

 自分の右手の痣を見るや否や、その少女が外に飛び出した。

 外には、当然あの槍を持った青い男がいる。


 ――――、そこまでようやく追いつくと、士郎も事態の深刻さを悟った。

 「馬鹿――…ッ!ぼおっとしている場合じゃねえだろ、俺!」

 先ほどあの青い男に、まるで太刀打ちできなかったということも忘れ、士郎は土蔵を飛び出した。少女を助けよう、と思っての反射的行動だ。彼女は、自分よりも小さい女の子。武器を持っていたとしても、あの男に勝てるはずがない、とまるで自分の事を棚に挙げてそう思い込み、そしてあの少女の負ける姿を……想像できなかった。

 士郎は大した戦いの経験があるわけではない。命のやり取りとなれば尚更だ。それは、現代のこの国の民としては至って一般的なことである。だが、そんな彼でも本能的に嗅ぎ取れるほど、少女の力量は高かったのである。故に、彼女が負ける姿など、冗談でも浮かばなかったのだ。

 そして事実、蒼銀の鎧に身を包み、騎士然としたその少女は、士郎と藍を軽く打ち負かした槍の男を完全に圧倒していた。

 「――っ、はぁあああッ!」

 少女の一撃は、重い。素人目にも容易に分かる。でなければ、大の成人男性が、あの青い槍の男が、あそこまで押されるものか。一撃一撃が、あの槍の男という巨大で強大な山を切り崩していく砲撃のようなものだ。

 対し、傍目にも押されていると評されるだけあって、青い男の旗色は良くない。彼がベストコンディションなら、また結果は変わったかもしれない。だが、今の彼は右手が半分掛けている状態。槍を握る力を込めようにも、ないものはどうしようもない。殆ど左手だけで槍を扱っているに近い現状で、蒼銀の少女の攻撃に持ちこたえているほうが驚異的といえた。

 そしてもう一つ、男が押し負ける理由があった。今、彼は少女と打ち合っている。だが、その少女の武器がまるで見えない。見えないが、ある。実在するにはするが、それが一体どれくらいの長さかも、どんな形状の武器なのかも分からなくては、攻めようがない。即ち、体調の好調不調に関わらず、彼は受身に回るしかなかったのだ。

 やがて、油断して大振りになった少女の一撃を、何とか槍の男がかわして距離をとった。人間を軽く上回る感覚と、獣のようなスピードがあって初めてなせる業だった。そこで初めて少女の顔を確認したのか、槍の男が軽く表情を変えた。

 「……テメェはつくづく間が悪いな。前は戦闘中、今度は俺の手が半欠けの時に来やがったか。まあいいさ、セイバーとやりあえるなんざ、願ってもないチャンスだ」
 「――何を言うか、ランサーよ。貴方と私は初対面だ。以前も何も、ありはしない」

 ランサーの言葉が余りに意外だったのか、少女は彼を睨み返しながら答えた。

 「それに、なぜ私がセイバーだと思う。この手に持つ武器は、戦斧かもしれぬし槍剣かもしれない。或いは――」
 「なぜだと。以前、その武器で勝負に水を差されたからな。当然知っているさ」

 ランサーは自らが、セイバー、と呼んだ少女の様子に或いは、ああ、前の奴とは違うのかもしれないな、という感想を抱いていた。だが、それでもはっきりと言い切った。揺らがないランサーの態度とは裏腹に、少女の表情は厳しさを増す。武器は、ランサーのいう通りなのだろう。ならば彼が少女をセイバーと呼ぶのにも納得がいくというものだ。

 「よう、セイバー」
 「…なんだ、ランサーよ」

 もう、少女は自分がセイバーではないと、反論しはしなかった。

 「願ってもないチャンスだ、とは言ったが――どうだ、ここらで分けにする気はないか」
 「何だと?」
 「どうやらそちらのマスターは、状況の理解が出来ていなさそうで、うちのマスターは戦場にも出てこない腑抜けと来た。俺としては、もっと全力で戦える時に再戦を……」

 ランサーの言葉は、それ以上続かなかった。少女が、セイバーが、それを許さなかったのだ。

 「いいえ、その申し出は却下させてもらう。貴方はここで倒れろ」
 「――は、そうかい」

 そうだろうな、と呟く男の空気が、変わった。先刻のような軽い様子は消えうせ、目に、手に、体に、殺気が篭る。魔力が、彼の槍に収斂していく。

 「ならばその心臓、貰い受ける」

 ランサーが、前に飛び出した。セイバーに向かって、足元で爆発でも起こったかのような速さで迫る。右手をレール代わりに左手で槍を繰り出し――しかし、血で滑ったか攻撃はガクンと下に堕ちていった。あってはならぬ、攻撃失敗。少なくとも士郎にはそう見えた。同時にそれは、ランサーの死をも意味する。そして、その予想を現実にしようと、すでにセイバーは、ランサーの首を刎ねるように不可視の剣を振るっていた。

 だが、それでもランサーはランサーであり……詰まるところ、彼の攻撃は失敗などではなかった。

 「“―― 刺し穿つ ( ゲイ ) ――”」

 下に落ちたはずの槍が突如上がり――――

 「“―― 死棘の槍 ( ボルク ) !”

 ――――セイバーの胸を刺し穿った。
 
 奇妙で、且つ、問題なく現実的。相反する感想を抱かざるを得ない、ランサーの一撃であった。明らかに始めは、下に落ちすぎていて、正に的外れの攻撃だった。なのにその途中、槍はまるで変化していないのに、ぐにゃりと軌道が曲がり、穂先がセイバーの心臓に向かったのだ。

 それは、相手の心臓を既に貫いているという結果を前提とした攻撃。当てたから当たったのではなく、当たっていたから当たった。結果が先にあるが故、過程はそれに沿ったものに変更されるという出鱈目。因果の逆転を体現した奇跡だとは、傍で見ていた士郎ですら知り得る筈がない。

 だから、必中にして必殺、ランサーの虎の子であり最終手段。ただしそれは、

 「ッ、く…」

 胸を押さえ、たたらを踏みつつも止まったセイバーにより、必中ではあっても必殺の奥義という名を失墜させられた。

 よもや、その一撃が耐え切られるとは思いもしなかったであろうランサーは、ギリ…と射殺さんばかりの視線で、セイバーを睨みつけていた。

 「貴様、我が必殺の一撃を躱したか」
 「…ゲイ・ボルクだと。まさか、御身はアイルランドの光の御子か――ッ!」

 ランサーの顔が、ますます不愉快そうな色を増す。必殺の攻撃を回避されただけでなく、そのお陰で自分の正体までばれてしまっては、業腹になるのも仕方がないだろう。しかし、流石に彼は戦士である。いつまでも苛立たしげにして、行動を止めているはずもなかった。

 セイバーは、いつの間にやら血は止まっているが、未だに胸を押さえたまま苦しがっている。感情を飲み込んだランサーはそこで追い討ちを掛けると思われたが……

 ――――予想に反し、彼はセイバーに対して何もせず、恐るべき自然さで庭の隅の壁側に飛び退った。

 「宝具を見せちまったんだ、本当はどちらかが消えるまでやりあうのがセオリーだろうさ」

 だがな、とランサーは続ける。

 「うちのマスターがトコトン腰抜けでな。槍が躱されたのなら、とっとと帰ってこいなどと抜かしやがる。だから、勝負はおあずけだ」
 「……逃げるのか、ランサー」

 苦しげながらも、セイバーはランサーを睨みつけ、低い声で問う。

 「そういうことだ。追いかけてくるか?それならそれでも、俺は一向に構わん。ただし、今度は決死の覚悟を抱いてから掛かってくることだ」

 後はあらかじめ定められた行動のように、軽い跳躍で、トン、と壁を乗り越え、闇の彼方にランサーは溶けていった。それを見たセイバーは、先ほどやられたのもどこ吹く風と、追撃を始めようと動き始めた。

 「ばっ…おい!」

 いや、今止めねばセイバーは確実に追撃をし始めるだろうと悟った士郎は、彼女を止めるべく全力で庭を疾走した。だが程なくして、士郎の行動や言葉、そのどちらにも関係なく、セイバーは停止した。或いはすぐにでも、壁を乗り越えそうだった彼女は、壁に辿り着く直前で、相当に痛むのだろう胸を押さえて立ち止まったのだ。

 今が好機とばかり、士郎はセイバーに近寄り――言葉を失った。

 士郎は、(半人前といえど)魔術師であり、例の人形のこともあって、少々の不思議なら動じないでいられるだけの経験を積んでいた。しかし、セイバーに対しては違った。それらの経験が、まるで意味を成さなかった。

 彼女の身を包む銀色に輝く防具は、どこからどう見ても重厚な本物の鎧であるし、どんな技法で染め上げたのかも知れぬ真っ青な服は、明らかに現代のものとは違っていた。いいや、士郎が見とれたのはそのような付属品ではな。何を差し置いても、セイバー自身の容姿に、彼は言葉を奪われたのだ。

 容姿端麗とか美人などという薄っぺらな言葉で表せないほど、彼女は綺麗であり、正に彼は言葉に詰まっていた。

 「あ――……」

 声を掛けようにも、うまく言葉が出てこない。ありきたりな言葉でこの少女に話しかけるのは、なんとなく気恥ずかしい気がしたが……結局士郎の口から出てきたのは、普通でありきたりの言葉だった。

 「だ、大丈夫なのか?」

 言ってすぐ、士郎は自分の迂闊な言動を後悔した。つい先ほど、槍で胸を貫かれたのだ。少女が何者であれ、それだけの攻撃を受けて平気なわけがない。急いで怪我の治療を――いや、病院にでも連れて行かねば、と士郎は考え、セイバーの傷に目をやった。…胸には手が当てられている。しかし、少しして彼女はその手を胸から離した。そしてすでに、確かに開いていた胸の傷は、手品のように消え去っていた。

 「傷が――ない?」

 治療の魔術が行なわれた形跡はなかったが、もしかしたらこの少女は勝手に怪我を治す能力でも持っているのだろうか。そこまで考え、士郎は急にこの少女の得体の知れなさに不安を覚えた。
 一歩下がり、警戒心も露わに少女に問う。

 「お前、一体何者だ」
 「何者、とは?私はセイバーのサーヴァントです。呼び出したのは貴方でしょう、確認を取る必要がありますか」

 サーヴァント、どこかで聞いた名だ――ああ、遠坂が言ってたっけ、そんなこと。

 「セイバーのサーヴァント……?」
 「はい、ですから私のことはセイバーと」

 静かな声だった。はっきりと通る声だった。そして、士郎はその声を聞くだけで、頬が高潮していく気がして、誤魔化すように「そ、そうか、変な名前だな」などと、割と失礼なことを口走っていた。セイバーはそれ以上口を動かさず、士郎も暴言じみた言葉の後、少し黙り込んでいた。

 「…あ、あー。俺は、士郎。衛宮士郎っていって、この家の住人だ」

 ようやく口を開いたかと思えば、単なる名乗り返しであった。尤も、茹で上がっている士郎の頭で、他に気の利いた返答が出来たかといえば、当然ムリだったので仕方がないことである。

 「い、いや待て。違う、今のは違う。ああ、違うってのも違う、丸っきり違うって訳じゃないんだ…名前は当たってるし――や、それよりも俺が聞きたいのはもっと別のことで」
 「分かってます、貴方は正規のマスターではないのでしょう」
 「……え?」
 「しかし、それでも貴方が私のマスターであることに変わりはありません。契約を交わした以上、貴方を裏切りはしない。ですからそのように警戒する必要はありません」

 う、と士郎は言葉に詰まった。決してセイバーの言葉を聞き流しているわけではないのだが、全然頭が理解してくれないのだ。彼女が、マスターなんてとんでもない言葉で自分のことを呼んでいるのは――ああ、そういえば藍も似たような呼び方してたなあ――辛うじて判ったのだが。

 「ちょっと待ってくれ、俺はマスターなんて名前じゃない」
 「ええ、ではシロウと。この発音のほうが私には好ましい」

 下の名前で呼ばれたことで、士郎の紅顔具合は更に上昇した。それに対し、彼は何か言い返そうとしたが、その前に、セイバーの口が動いた。士郎ではなく、塀の向こうに注意をやっているような様子で――声は、冷たかった。

 「――シロウ、傷の治療を」

 だが、治療をなどといわれても、士郎としては困ってしまう。医学に精通しているわけでもなければ、有効な魔術を使えるわけでもない。そして何より、

 「治療って言われても…俺には何にも出来ないぞ。怪我も治ってるみたいだし…」

 ぴく、とセイバーの眉が動いたことで、士郎は自分が恐ろしく勘違いをしているのではないかと思ったが、彼女はそれ以上彼に治療を求めはしなかった。顔を上げ、もう意識は彼から離れているも同然だった。

 「……では、このまま臨みます。表面だけの修復ですが、あと一度の戦闘ならば問題はないでしょう」
 「ちょっと待て、それは」
 「敵の数は三人ですが――大したことはありません、この程度ならば数秒で片をつけられます」

 待て、とは間に合わなかった。静止しようとした士郎の手が、空しく宙を切った。それはランサーと同様に行なわれた跳躍で、後には続けない士郎だけが残される結果となった。

 「敵…だって?――ッ!まだ戦うつもりなのか!?」

 先ほど少女がランサーに向かっていった時のように、士郎は後先も考えず全力で門へと駆け出していた。幸い閂は掛かっていない。帰宅の時も追い詰められていたという証左だが、今はそんなことはどうでもいい。そして門を飛び出す直前で、がぅいぃん、と重い金属音を聞いた。

 「ヤバイ!」

 セイバーが強いというのは分かる。分かるが、理性が彼女を止めろと叫んでいた。しかし、二回目、三回目の音は聞こえない。代わりに、聞き覚えのある声が流れてきた。

 「まぁちやがれですぅ!テメェは主人の言うこともきけない、ヘボ騎士ですか!?違うというなら、少し黙ってやがれです!」
 「…藍!?」

 なぜか、時折、ガリガリというノイズが声に混じってはいたが、確かに藍のものだった。門を潜り終えた、士郎はすかさずその声の方向に振り向き、藍の姿を捉えた。変わり果てた、彼女の姿を。

 「…遅かったですね、デァ・ガッテ。お陰でまた体が痛んだですー」

 明るく振舞おうとはしているが、明らかに無理があった。両手両足がなく、胴体も穴だらけ、そんな状況の彼女を見て笑えるほど、士郎は情が薄くも、人間をやめてもいなかった。

 「…藍」

 そして別の問題として、その場にいるのは藍だけではなかったことが挙げられる。

 まずは遠坂凛。藍を見て、突然喧嘩別れしてしまった彼女が、どうしてここにいるのかは分からないが……いや、でもこの面子であるならいても、まだ、何とはなしに不思議じゃないような気がするのは何故だろう。

 そして、彼女のそばにいる一人の男の子。初見であるので、ここにいて適切か不適切かの判断は下しにくいが、それでも、その気弱そうでどことなく女の子に近いような顔つきは、やはりこの場には相応しくない気がした。

 問題はもう一人だ。セイバーは「敵の数は三人」と言ったが、実際には藍を抜いての三人であった。藍は人形であるので、それでも適当だろうが、その人物はやはりこの場に相応しくなかった。寧ろ、士郎の心情としては、いてはいけない、いて欲しくなかった。

 見覚えのありすぎるその服。

 「……しー、ろー、うー?」

 聞き覚えのありすぎるその声。

 「ふ、藤ね…」
 「この状況!ちゃんと説明してもらうまで、お姉ちゃん帰らないからねッ!!!」

 何を隠そう、士郎たちの担任にして、彼の後見人ともいうべき人物。『冬木の虎』こと、藤村大河、その人であった。


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