~~interlude~~
丘の上に聳え立つ教会。その前で青い男が一人、佇んでいた。
「あー……クッソ。つくづくついてねぇな、俺も」
毒づく。神聖なる神の家の前で、唾すら吐きかねない勢いで文句を垂れる。地面を足のつま先で掘り返す。全く持って甚だしい罰当たり者である。
しかし、その正体を聞けば誰もが驚く。彼こそが、かのアルスター伝説最高の英雄クー・フーリンなのだから。
クー・フーリンといえば――曰く、鍛冶屋の巨大な番犬を素手で殺した。曰く、一度火がつけば、大樽三杯の水をかけても収まらない。曰く、たった一人で前軍と戦った。等々、日本での知名度こそ低いが、伝説の枚挙には遑がない大英雄である。
つまりは誰しもの憧れの的となる、力強き最強の雄。
――ぶつぶつと腐る姿で、そのイメージから恐るべき勢いでかけ離れているのが残念である。
もっとも彼とて半分は人の子であるからして、理不尽に怒ることがあるのは半ば必然だった。
ただ、腹を立てている理由というのがまた彼らしい。それは、強い敵と戦えないから、なのだ。
「コトミネの野郎めが」
そしてその理由を作った人物の名前も挙げ、ますますクー・フーリン/ランサーの怒りは燃え上がる。
もし戦えないのが、満足できる敵がいないだけなら良かった。最善ではないが、まだ探す楽しみがある。
だが、そうでないのならどうか。目の前に最高の相手がいるにも関わらず、無理やりにおあずけをくらうことがあればどうなのか。
――ランサーよ。全てのサーヴァントと戦い、引き分けろ。
答えは単純。彼でなくとも頭に来る。
もっとも、彼ほどの英雄ならば、むかつく相手はぶっとばして己の道を行けばよさそうなものだが、サーヴァントという立場上そうもいかない。
聖杯戦争では、令呪というものがあるのだ。人知を超えた存在であるサーヴァントを、三度限りという制限はあれど、意のままに操ることのできる魔法のような呪い。
これによって強制された命令に彼は苛立ち、更にその命令を放った相手を令呪の為に攻撃することも叶わない。
令呪の持ち主からしたら、一つで二度美味しいのだろうが、命令される方は堪らない。
まずもって、聖杯で願いを叶えるためではなく、生前のような戦を求め、ランサーはこの地に降り立ったのだ。
それができない。させて貰えない。
――ならば、自分は何のためにここにいるのか!
そして、初めの腐った状態に至るわけである。
しかし、そうはいえど百戦錬磨の鬼神。生きてさえいればチャンスはいずれ巡りくることを、ランサーは経験の内に知っていた。
こうやって愚痴るのは、悔しさを忘れないための儀式のようなもの。それが済めば、彼は花壇の水やりなどを始めるのだった。
これまた英雄に似つかわしくはない行動だが、意外と洗練された動きゆえ、先のぶーたれ状態より大分マシだった。
なぜそんな技能があるのかと疑問も沸くが、若かりし修行時代には、師匠であるスカアハの下で、戦術と性技を学んだ彼である。女性にも例えられる花の扱いには慣れているのか。
或いは、おとぎ話のヒーローよろしく、草木や動物に優しい男であるのか。真相はランサーのみが知っている。
暫くの間は、草花の健康状態も確かめつつ、水やりを黙々と続けていたランサーは、ふと雰囲気を変えた。
如雨露を静かに地面に置き、やおら立ち上がる。更には霊体状態になり姿を消す徹底振りだ。
水やりの音もなくなると、一際目立つ異音が聞こえてきた。階段を昇りくる足音だった。
今や夜も更け、尋常の客が訪れる時刻とも思えない。だから彼は警戒して姿を隠したのだ。彼の現マスターは、サーヴァントを持っていないことになっているし、そうなれば彼もここにいてはならない存在となる。
ただの一般人であればそれでよし。
だがもし、マスターやサーヴァントであるのなら――――彼の望む、"戦闘"という行為が或いは繰り広げられる。
ランサーは油断なく階段の最上部を見つめ続けた。そしてとうとう一つの影が姿を現した。
階段を上りきった人影。その第一印象は、とかく細長い。
針金細工、とは言いすぎかもだが、そういっても差し支えないほどに酷く細い体だ。
その痩身は恐らく病気とかいった物のせいではないのだろう。足元の確かさがそれを教えていた。
人影は、明確な目的があるというように、一歩一歩歩みを進め――止まった。
付け加え、丁度見えないランサーと相対するような位置で、だ。
少々の停止時間。その間に、ランサーは謎の人影の全体像を掴んだ。
頭。ニット帽を目深に被り、射抜くように鋭い目つきが見えるか否かという具合。目の下辺りから胴体にかけて、包帯がキッチリと巻かれている。故に体は仄かに凹凸が見える程度に留まっている。
手足。全体的な細長さに負けず劣らず、こちらもやけに細く、何より長い。長い袖のぴちりとした服に包まれているため腕の途中を窺うことはできないが、手
はこれまた細やかな指が曝されていた。その指にも首元辺りと同じく包帯が掛けられてはいるが、或いはピアニスト向きのそれとも見える。
そこまで見たところで、その謎の人影から声が聞こえた。男の物であった。
「出て来いよ。英霊サマ……匂うぜ。居るんだろ?」
素面か、或いは本気か。一瞬だけ考えたランサーだが、すぐに霊体化を解いた。この時期のこの町において、英霊に出て来いというのだ。いずれにしろ聖杯戦争関係者に違いあるまい。ランサーはそう睨んだ。
包帯の下からのくぐもった声が、ランサーの姿を捉えたことで更に続いた。短く、ただ一言。
「俺と戦え」
男の手には長い槍。驚くべきは、ランサーですらそれをいつ取り出したのか知れぬ事か。しかし、こと速さにおいてランサーも負けてはいない。男が瞬きを終えるよりも早く、槍を出しそして構えた。
「ランサーに槍で挑むか、貴様」
「生憎だが、こちらにはそれしか心得がないんだよ」
包帯の上からであるのに、男がにいと嗤っているのを、ランサーは感じ取った。それはランサーも同様ではあったのだが。
先手は正体不明の男。いきなりランサーの顎下目掛けて槍が迸った。咄嗟にランサーは己の槍で軌道を変え、その攻撃をやり過ごした。自分より細い体から出
される力にしては思ったより強かったが、ランサーにとっては軽い攻撃であった。
今度はランサーの反撃。
男の攻撃速度を嘲笑うよなスピードで、額、喉、水月という正中線三連撃。先程の一撃が男の最速であるならば、かわすこともいなすことも出来ぬ速攻だ。
しかし防がれた。男が、これもまた何時持ったのか知れぬ二本目の槍を、一本目の槍とは別々に動かして全ての攻撃を逸らした。しかも、先の攻撃より早い動きで。
ランサーも見た事のない戦法に、やや驚きを見せた。
「ほう、随分と妙な槍の使い方をするな」
「たかが二本だろう?それとももう怖気ついたかい、英霊サマよぉ」
男の威勢に、ランサーはクッと喉を鳴らした。
壮絶な凄みの笑みが止まらない。
「ハ――――抜かせッ!!」
一撃。二撃、三撃、四、五、六七……
一つ撃つ毎に速度が増す。一つ撃つ毎に威力が増す。一つ撃つ毎に過激に、猛攻になる。次第にネガティブになるのは謎の男の余裕のみだ。
既に最初の頃の威勢は失せ、防ぎきれぬ槍撃が男の腕や体に鮮血を咲かせ始めた。
「――よう、どうした。怖気ついたか」
猛攻を一時止め、ランサーがからかう様に男の言葉を言い返した。
だがしかし、男は答えない。
代わりに、俯き加減の彼から漏れたのは、引き攣るような嗤い。
笑うのではなく、嗤う。例え見えずとも、相手の愉悦が手に取るように分かる事もあるのだな、とランサーはやけに冷静にそう思った。「おい」「―――
ケッ、ケケケ!…ヒッ!最ッッッッッッ高だなぁッ!それでこそ英霊ッッッ!それでこそ、目標たり得る!!!」
「……あぁ?」
次の瞬間、ランサーは久々に我が目を疑うという体験を得た。
細身の男。彼の両腕が、天に掲げられるかのように上方に伸ばされ―――花開く。
それは、ばらり、ばらりと。
腕と槍が増えてゆく。2つが4つ、4つが6つ。最後には4組8本の腕と槍が、ランサーに狙いを定めていた。
「…キ、ヒッ。……この
神話にある、ヘカトンケイルを思わせる異形。しかし最初こそ驚いたとはいえ、ランサーはその程度で怖気づく英雄などではない。
ともすれば、欠伸でもしてしまいそうな表情で、凶蜘蛛の口上を聞き流す。
「……んで、そろそろ再開したいんだが…それともレディー、ゴーが必要か?」
「ヒッヒッ…要らんさ。そんなことを口にする前に、お前が死ぬだ……ッ!!??」
今度の口上は待たなかった。無駄と分かっているのだからカットする。至極当然の結末である。
これで決着がつくならばただの馬鹿。だが、これを受けてももはや待ったなし。英霊であろうがなかろうが、全力で殲滅するのみ。
その結果は火を見るより明らかに後者。よって死合続行だ。
8槍は、攻撃/防御と巧みに使い分けられながら、ランサーを迎え撃って、彼を押し返した。原理は分からぬが、8本もの腕を持ちながら凶蜘蛛はその動かし方に無駄はない。
上下左右、いずれからも攻撃が迫り、反撃をしようとも他の腕が防ぐ。
4人が1人。1人が4人。個人で超えられる筈もない戦力。如何に反応しようとも、攻撃・防御もままならぬ内にこの世を発つ。自分に迫り来る死をただ見送るのみ。抗いなど無駄なのだ。
――そう、抗いなど無駄。その筈であった。
しかし、違った。ランサーは己に陳腐な方程式を当て嵌めるのを良しとはしなかった。
4対1?その程度を超えられずして、何の英霊か。相手の攻撃が四方から襲うというならば、同時に四方を防御する。相手の防御で攻撃が届かぬならば、相手の盾を打ち壊す。
普通ならば出来ぬ。自分には出来る。だからこそ後世、幾霜雪もの時を越えて語り継がれる英雄にまで上り詰めた―――!!
「ぐぅ…ぅぅぉぉおおお!!」
「ハッ――!!」
忽ちの内に、八本の槍は一本の槍によって退かされ、攻撃どころか防御すら危うくなり始める。
鮫の牙の如く、隙間が空けばすぐさま次の腕が補填し反撃に繋げる筈が、まるで追いつかない。八つの腕をもってしても、弾かれた腕が懐に戻りきらぬ。
ランサーの槍は余りの速さに段々と霞んできていた。対して、凶蜘蛛の槍はランサーにより弾かれてばかりで中々攻撃らしい攻撃に繋げる事が出来ていない。
だがそれでも、素人目にもハッキリとした劣勢に追い込まれている凶蜘蛛に、死に対する恐怖や怯えなどという感情は浮かんでいなかった。見えるのは、包帯の上に浮かぶ愉悦。
闘志は消えない。どれほどの劣勢に追い込まれても、恐らく体が
全身を槍の顎で食い破られ、鮮血を流しながらも哄笑する凶蜘蛛。恐らくは無意識の内に発しているその笑いを聞き、ランサーも口端を持ち上げつつあった。
漸くだ。凶蜘蛛は英霊ではなく、それほどまでに強いともいえない。だが、今自分は戦っている、戦えている!
ランサーが高揚するのも当然だ。これまで目に見えない力で押さえつけられていた鬱憤が、こうやって晴らせている。さあもう少しで終結。後一歩で終末。
後一撃で、凶蜘蛛の心臓を穿つ――――――!
――だから、誰が予想出来よう。
「ふっ!!」
「何!?チィ!!」
終了まで緊迫した勝負に割り込む者がいるなどと、その場の誰も想定だにしてなかった。
鎬を削りあう二人の間に滑り込んだのは一筋の閃光。黄金色に自ら光り煌くような剣を持った、蒼銀の騎士が二人の間を抉じ開けた。
強制的に争いを停止させたその人物に、ランサーよりも早く凶蜘蛛が反応した。
見様によっては彼こそその騎士に助けられたとも思えるが、彼は相当に激昂していた。
「オォオイィイッッ、セイバー!きっさま、一体どういうつもりだっ!?お前からバラされたいのかっ!?」
「……セイバー、だと」
ランサーが訝しんだ声で言う。顔すらも防具の内に隠れて見えぬが、確かに格好だけ見るならばセイバーのように思える。だがしかし、どうしても彼には、その蒼銀の騎士を
自分達の戦いに割り込み、己を押し返した技量も力も、常人のそれとは明らかに異なる。なのにセイバーどころか、そもそも英霊とは思えないと感じるのは何事か。
しかし、そんなランサーの懊悩など『セイバー』に分かるはずもなく、また凶蜘蛛の恐喝すらどこ吹く風で、剣士はその口を開いて厳かに告げた。女の声だった。
「黙れ。そなた口が過ぎるぞ、凶蜘蛛。とうに帰還命令は出ている。戦闘は終了だ」
怒りは収まらず、すぐにでもにも爆発させそうな凶蜘蛛だが、それでもギリギリセイバーの言葉に従うように腕の数を減じていく。こうなると、突然蚊帳の外
に置かれたランサーとしては堪らない。「――ちょっと待てよ、おい。何だそりゃ」
「聞こえなかったか。こちらの戦う理由は失せた。戦闘は終わりだ」「ふざけろ。決着は着いてねぇ。そこを退け」
ぶんと音を立て、槍を向けるランサーに『セイバー』はふむと考え込む仕草を見せた。そして、剣を腰に仕舞いながらランサーにこう言い放った。「ああ、一
つ言っておくが、この凶蜘蛛は今ので本気という訳ではない。そちら同様に厄介な制約が掛かっているものでな」「…それが、どうした」「物分りが悪い訳では
ないだろう。つまり、『見逃せ』といっている。次回には全力のあれと戦わせてやる故、な」
上から見下すような物言い。更に、攻撃出来るならしてみろとばかりに剣を片付けたセイバーをランサーはギシリと睨みつける。そして一見隙だらけの敵を前に、槍へと魔力を込め始めた。
「そこで、はいそうですかと逃がすわけにはいかんだろ。俺の立場的には」
多少魔術に通じているものなら、大気中のマナが凍っているように感じただろう。だがセイバーはそれすらも気にしないとばかりに、ランサーに背を向けた。
「感情的には、じゃないのか?まあ、事実がどうあれ知ったことではない。――マジシャン、跳ばせッ!」
…ランサーは宝具を放つ準備こそしたものの、恐らくはそれが役にたたないだろうと感じていた。そして彼の予測は、彼にとって嬉しくない方向で正しい事が、セイバーの合図の後に証明された。
セイバーと凶蜘蛛の二人を魔術的な力場が取り囲み、次の瞬間には消し去った。『空間転移』の類だろう。ランサーには何処にいるか分からなかったが、どうやら更なる伏兵がいたらしい。
唐突に置いてきぼりを食らった形になるランサー。その心はまた文頭に戻ったように、不満の感情がぐずぐずと燻っていた。
「クッソ。つくづく――ホントついてねぇよな、俺も」
~~interlude
out~~