結果から言って、衛宮士郎は何も見ていなかった。サーヴァントのシンジとライダーの争いや、そのマスター達の凛や慎二のやり取りに至るまで、その一場面 たりとも彼は目撃者足り得なかった。

 辛うじてその目に焼きついたのは、地面から天に駆け上がるように迸った一条の光のみだ。しかしそのことよりも彼の気にかかっているの は、光の発射地点と思しき場所にいた遠坂凛や碇シンジのことである。尤もシンジの方の名前を彼は知らなかったが。

「遠坂……大丈夫かな。結構ふらふらしてたし、一緒の子も目を覚まさなかったし」

 送り届けて、しかも自分の家が目前というときになって、やはり病院に連れて行く必要があったのではないかと今更ながらの念を抱く。た だ病院は嫌だという相手の意見もあったわけだし、それなら間違ってはいないかもしれないとも思う。

 悩みに悩む。

 しかし幾ら悩んでもしょうがないので、一先ず荷物だけでも落ち着けようと家の扉を開こうとして――。

「もうとっくに開いてるーのです」

「うわ! な、何だ俺が帰ってきたの分かってたのか」

 手を取っ手にかけるよりも早く、玄関の扉は開け放たれた。

 しかし士郎の視線の高さがそのままだと誰もいない。戸を開けた張本人の姿を確認するには少々目線を下げる必要があった。廊下の先から 玄関との境界まで、そこまで視点を降ろして初めて声の主にたどり着く。 

「遅いのですよ」

 それは頭の先から踵まで、目一杯伸ばしても士郎の足の長さにも足らない身長。背丈とほぼ同じくらいの長さの黒髪を持ち、淡い桜色の着 物に身を包んだ――日本人形。但し立って歩いて、あまつさえ喋っていることよりもただの人形でないことは明白であった。

 人のそれよりも一際強く光るガラスのような丸い目で士郎を見上げたまま、人形は真紅色の小さな唇を動かした。

「どうしてぼぅっとしてるのです? それともご飯抜きですか? 酷いマスターもあったものです」

「い、いや違うんだ、ごめん。すぐに行く」

 士郎の言葉を聞くや否やこくんと頷き、その人形はするりするりと廊下を歩き出し、そうして居間に消えた。

 余りに自然に行われた行動故見逃しそうだが、それでもやはり傍目には不自然である。幾ら精巧な出来とはいえ人形が人間同様の動きを 行っているのだ、無理もない。事実、あの人形との生活が始まって数日たった士郎でも未だに慣れていない。

「藍……か」

 どうやらそれがあの人形の名前であるらしかった。確かに奇妙な人形である。しかしそれは数日前より分かっていることだ。なので衛宮士 郎は深く考えに耽るのをやめ、とりあえずの目的――料理を済ませる為に台所に向かうことにした。

 但しここにも先客がいた。士郎の後輩に当たる少女で名を間桐桜という。彼女は家主である士郎よりも先に到着し、更には料理すら始めて いるらしかった。

「すまん、桜。ちょっと用事があって遅れた。後は任せてくれ」

「あ、先輩大丈夫ですよ。もう大体の調理は済んでますから……。あ、先輩お皿出してください」

「じゃあ明日の朝は俺が作るよ。っと、皿はこれで良いか?」

「はいOKです」

 和気藹々と盛り上がる二人を見て、自称士郎の保護者「冬木の虎」こと藤村大河ならば、「新婚さんみたいねー」とか冷やかすところだ が、あいにく彼女は未帰還であった。そしてどこはかとなく呪いとかの曰くがありそうな藍はというと、ちょこんと座って普通の人形に戻ったように静かにテレ ビを眺めていた。

 桜も気にならない筈がないこの人形だが、既に彼女は士郎から「新しい技術の使われた最新鋭ロボットがとある研究の為に家に来ることに なった。極秘だから誰にも話さないでくれ」と如何にも嘘臭い説明を受けている。

 人に対して余り強気に出られない桜としては、幾ら怪しくてもそれ以上士郎を問い詰めることは出来なかった。

 何より士郎が戸惑っていることを感じたのも、敢えて質問攻めにしなかった理由の一つである。彼が嫌がることをして、今の関係に無用の 厄介を作るべきではないと判断したとも言える。

 藍が衛宮家にいることについて物申しそうなもう一人、藤村大河はどうだったのか。

 結果的に彼女との交渉も大して揉めはしなかった。藍は見た目こそ少女っぽいが、よくよく見れば人形と分かる容姿であり、士郎も前述の ような説明を繰り返したからだ。立って動いて、喋る人形なんてロボット以外には考えにくい。

 故に大河としては、研究の為なら特に問題は無いだろうと判断し、何より藍が気に入ったのかそれ以上問い詰めようとはしなかった。

 ただ、彼女を学校に連れてくるのだけはNGといったが、それは当然だった。士郎としても藍を学校に連れて行くつもりは毛頭ない。下手 したら妙なレッテルを貼られて学校に行きにくくなるだけだし、それに自分の説明の中で極秘とか言っているので、おいそれと公開する訳にはいかない。

「たっだいまー!ねーねー、士郎ー。お腹空いたよー!」

「はいはい。今出すから藍と一緒に座っててくれよ藤ねえ」

「おっけー!よしよし藍ちゃんこっちおいでー!」

 大河が帰ってきた後は、当然ながら夕食開始。

 士郎達が普通に料理を出して、皆で声を揃えて「頂きます」。問題はその後に起こった。

 背がこの中で最も低く、しかも箸を進める速さは和服にあったゆったりとしたそれ。そんな様子の藍であるのに、彼女の前にあった料理が 次々に失せていくのだ。

 大河も負けじと対抗するものだから、士郎達としては堪らない。自分達の分をあらかじめ退避させておかねば食料がなくなるというとんで もない事態にも発展しかねないからである。

「ふ、二人とも? 藤村先生も藍ちゃんももう少し落ち着いて食べましょうよ。ね?ね!?」

「そ……そうだぞ。桜の言うとおりだ!」

 桜が窘め、士郎もそれに同意する。しかし二大怪獣はまるで意に介さなかった。

「むぐ、むぐ……藍は普通に食べているだけーです。トチ狂っているのは虎模様だけーなのぉー」

「誰が虎かー! おおおー!? 狙っていた春巻きロストッ!? なんという早業!」

 士郎と桜からはもはや溜息しか漏れない。自分の分はとっとと食べた方が得策なので黙々とご飯を口に運ぶことにした。

 ちなみに、くどいようだが藍は"最先端"のロボットであるので、食事は出来るということになっている。国民的人気を誇る、例の青い奴 も食事くらいとるのでそれと同じと藍に言われていた士郎達だが、正直ここまで食うとは予想だにしていなかっただろう。想定の範囲外もいい所だ。

「こ、今月大丈夫でしょうか…?」

「――何とかなる……といいんだが」

 皿と箸の触れ合う音、時折怒号、時折溜息。食卓の時は今しばらく。

 * * *

「……なんでかな。最近、食事時が一番疲れる気がする」

 夕食を終え、後片付けを済ませ、桜や大河を見送った後、士郎は一際大きく息を吐いた。場所は土蔵で、現在そこにいるのは士郎一人であ る。

 藍はというと、前夜録画していた番組を見ている最中だった。

 士郎は見ていないので内容をよくは分からないが、ゴシック調の衣装に身を包んだ少女の人形達が楽しい日常を謳歌したり、或いは戦いで 鎬を削ったりするものらしい。 

 どことなく、自分が今置かれている状況に似ているかもしれないと士郎は思った。

 ズボンのポケットに手を伸ばすと、硬くて細長い金属に指が触れた。摘んでポケットの中より引き出し掌に乗せてみる。

 色は黄金、片側はハートを平たく押しつぶしたような形で、更にハートの尖った先からは垂直に細長く棒が突き出ている。ハート状の金属 板には細かく蛇の装飾が施されており、ご丁寧にも目の部分には小さな宝石が嵌められてすらあった。

 やたらと高価そうな"それ"こそ、士郎と藍を繋ぐたった一つきりの発条巻きの鍵であった。

「発条仕掛けの筈なのに、あいつはまるで魔法みたい…だよな」

 衛宮士郎は魔術師だ。碌に扱えないとはいえ、魔術の世界を知っている身。だが、彼からしても藍の存在は珍妙奇天烈摩訶不思議。

 生きて、自らの意思を持つ人形。そんなものと自分は一緒にいる。士郎は未だに実感が沸かないのを感じていた。

「切継だったら、何か分かったかもしれないけどな」

 つい口をついて名が出た男は既に故人。この世にはいないのであった。

 最近士郎はこのようなことばかり繰り返していた。藍の事について、さして豊富とはいえない知識でその存在を定義しようと思考を巡ら し、最後は行き詰る。

 行き詰った後の行動も毎日一緒だった。

 もやもやした気持ちを変えるために、小さな頃から反復していた魔術の鍛錬を行う。そして殆どが失敗し――疲労で眠りに落ちる。目を覚 ます頃には朝になっていて、また土蔵で眠ってしまったと一日の始まりから後悔してしまう。

 不思議なことに、自分でも知らぬ間に布団がかかっているので、体を壊すまでには至っていない。

「――――――っく、は――――――」

 また、失敗。

 手に持っていた鉄の棒が形を保てなくなり、崩壊した。

「ああ…畜生。駄目だったか……」

 気を抜くと強烈な睡魔がやってきた。うつらうつらと体が重力に逆らえなくなってくる。なので士郎は思い切って背中から倒れた。冷やや かな地面が、火照った体には心地良い。

(でも、このままだと流石にちょっと寒いなあ……)

 眠ってはいけないという気持ちはある。だが既に体の疲労は限界値、強大な睡眠欲はちっぽけな理性を容易く押し流す。

 手が体に掛ける物を求めてあちらこちらへ彷徨うが、目当ての物は中々見つからない。一秒ごとに意識が朦朧としていく中で、ついには指 を動かすのも億劫になった。

 ――丁度その時、ぱさりと体に何か掛けられた。温もりが増し、更に眠りの世界に近づく。

 薄く目を開くと、小さな人形の姿が見えた、気がした。

(ああ――いつも掛けてくれたの…お前……か…・・・)

 ありがとう、と感謝の言葉を口にしたと思うが、士郎にはそれが夢の中か現実の事かは判断できなかった。

 * * *

 藍がいることに、士郎は慣れ始めた。しかし違和感はどこまでも付きまとう。何かがおかしい。疑念が尽きない。世界がちぐはぐで出鱈目 になったような歪な感触。

 おかしいのは自分か、それとも世界か。士郎にはその判断は付かないが……その数日後に、彼は一体の人形と、一人の少女に命を救われる こととなった。

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