地を迸る一条の流星。

 流星の正体は妖しい光を湛えた女性の長髪。それは紫に色付く地に届けとばかりに伸ばされた髪。

 その持ち主たる女性が行ったのはこれ以上なく確かな奇襲だ。但し残念な事にそれは失敗に終わった。攻撃が直撃する寸前で、何らかの障壁のようなもので止められたのだ。

 とはいえ、奇襲を仕掛けた女性は何ら気落ちもしなければ、攻撃を防がれたショック等で固まるといった愚も犯しはしなかった。


 女性が今、身を置いている戦の名は聖杯戦争という。参加する人数はいっても七人ちょっとで、規模的に見れば戦争とはとても呼べないものである。しかし、これは一騎当千の英雄……言い方を悪くするなら兵器級の『化け物』が参加する戦だ。ならば成る程、これは戦争以外の何物でもない。

 女性のみならず参加者の殆どの認識はそうであるが故、今先ほど放った程度の攻撃では仕留められずして当然と考えるべきなのだ。もし仮に仕留められたとしたら、それは僥倖以外の何物でもない。本来無い事ならば、期待する方が愚かだ。

 彼女がすぐさま次の行動の態勢に移る事が出来たのはそういう訳である。余計な打算が無かったからこその建て直しの早さ。それはけちの付けようもなく素早く行われ、付け入るような隙はどこにも見当たらなかった。

 だから、彼女――ライダーは、自分が攻撃した少年が何ら怯むことなく反撃を行ったのが、意外といえば意外であった。


 「おおおおぁぁぁぁぁあああああああaaaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAhhhhhhhh!!!」


 武術のような構えも、実戦で研ぎ澄まされたような鋭さも無い。掛け声すら狂ったように滅茶苦茶。それが飛び掛ってきた少年の姿だ。

 ――自分でも目の端に捕らえられた、自マスターの変化に対する関心はどうやら一欠けらも無さそうですね。少々……いや、今は相手の攻撃を対処せねば――

 ライダーは集中して情報と思考を限定していく。やや余計なことを考えたせいで相手はもはや目前にいる。それならばと、引き戻した己の獲物を使って相手の攻撃を、或いはただの拳撃にしか見えないそれを受け止めた。


 力なら負けない、次はすぐに刺してやろう、と体が自動的に準備をして――――

――――鎖が嘶き、杭の如き先端部が思わぬ過負荷に悲鳴を上げた。ライダーも思わず「く」と声を上げかけた。

 相手の攻撃は予想を軽く上回っていた。ライダーはそれなりに自分の腕力に自負があったのだが、その彼女がいとも容易く後ろに押し返された。

 些かの油断があったかと、ライダーは自分を恥じた。但しそれも一瞬のみ。すぐさま二手、三手と相手の攻撃が続いたからだ。それからは、一撃目で油断が失せたライダーをシンジが圧倒するという事態には終に陥ることは無かった。


 何度か分からない衝突の後、ライダーは距離を取った。合わせる様に相手も少しだけ動きを止めた。流石にサーヴァントであるライダーは息を切らせている様子は見受けられない。恐らく、疲れているという事もまるで無いのだろう。


 「驚きました。攻撃こそ拙くはありますが、腕力は中々の物です」


 賛辞を送るライダーだが、シンジからの返事は無い。向こうから聞こえるのは激しい呼吸音だ。尤も、息のピッチが早いのは疲れているというよりも興奮している所為と見える。目も嫌にぎらついて、見る相手を射殺さんばかりのそれだ。が、『見た相手を殺す』などというのは他ならぬライダーの領分。シンジ程度の視線では、ライダーにとって何のプレッシャーにもなりえなかった。


 寧ろ自身のマスターが姿を表そうとしている事の方が、よほど面倒であった。


 「……シンジ、危険です。下がっていてください」

 「チ…いちいち煩いな、ライダー!お前、誰に命令をしているつもりだ!」


 ライダーのマスターこと間桐慎二は、彼女の警告を受け入れたり、譲歩をするなどといったことは一切無い様子だった。

 誰にも気づかれぬ程控えめに、ライダーは息をついた。相手がそれほど強いとは言えなくても、慎二が自ら危険に身を投ずるというのならばそれなりに戦い難くなるというのに、このマスターは何を考えているのかと思ったのかもしれない。


 ――だが、現在の己が身はサーヴァント。たとえ不利になろうとも面倒であろうとも、マスターを守らねばならぬ。


 それでもライダーは忠実なサーヴァントであり続けた。マスターには何も通じはしないという事だけが、彼女の不幸であった。

 ライダーの現マスターである間桐慎二が向かったのは、慎二に魔力を急激に奪われて足元の覚束無い遠坂凛の目前であった。ニヤニヤとした笑みが、この場では無性に癇に障るそれに成り下がっていることには一番本人が気付いていないだろう。


 「やあ遠坂じゃないか。おやぁ、どうしたんだい?たかだかサーヴァントの一体を操るのにそんなフラフラになるなんて、名門の魔術師としては随分とらしくないんじゃないの?」

 「……それはもう当然です、サーヴァントを使役することで疲れるわけがありません。間の抜けたあなたのその気の抜けた薄ら汚い顔が、ついうっかり目に入ってしまったものですから、それで気分をとても害しましたの」


 それまでニタニタといたぶる様な嫌らしい笑みを浮かべていた慎二の表情に、ピキリ、と皹が入った。そして毒舌を返している間に、凛は何とか体勢を立ち直した。

 ややふらつきそうになるが、「大丈夫だ、いける」と凛は自分に言い聞かせる。少しだけ深めに呼吸をして丹田に気を込める。そして、ギッと眼にも力を持たせて、慎二を睨み付けた。


 「今日は、間桐くん。あなたなどがサーヴァントを召喚出来るなんて、全く、毛ほども、これっぽっちも思っていなかったものですから、今の所心底驚いています」

 「な……ッ!」


 更に慎二が言葉に詰まって、顔を高潮させていっても、凛の口は止まらない。悪い意味で最も弱みを見られたくない相手に、思わぬ失態を見られてしまった。それが彼女を更に加熱しているかもしれない。だがそれ以上に、彼女の怒りを煽るのは――


 「…何を考えているんですか?ここが人目に付き難いとはいえ、まだ日も残っている内から攻撃を仕掛けてくるなんて……魔術師とはとても思えない大馬鹿ね。聖杯も随分と甘いことだわ、そんな程度の者にも奇跡を顕現させてしまうんだから」


 凛は自分の口調が地に戻ってきている事はよく分かっていたが、かなりの悪意を込めた愚痴を漏らさずにはいられなかった。そして、それをぶつけられた慎二からはもはやぐうの音も出なかった。尤も、ポストのように赤い顔が内心を表していたが。


 「口をパクパクさせちゃって…今度は金魚の真似?ギャグのセンスもないわよ、アンタ」


 最後のこの言葉が、慎二の怒りを頂点以上に引き上げた。つまり彼はキレた。それはみっともなく、とても無様に。


 「こ…こ、こ、殺せよっ、ライダー!!その餓鬼をとっとと殺れ!!それからこの馬鹿女も痛めつけてやれっ!!良いなッ!?」


 口端から泡を飛ばし、慎二が吠えた。今や一欠けらの冷静さも彼には欠片も残っていない。それでもライダーに振り返り命令を飛ばす姿には未だ自分が上だという優越感が見え隠れしていた。

 だがこれこそ、熱くなったように見えた凛が、計算ずくで待っていた瞬間。既に優劣関係は覆る寸前なのだ。


 「私が馬鹿?なら、あなたは何かしら、ね?」


 凛に言われてようやく慎二も気付いた。彼女の右腕には光が灯っている。当然ただの光などではなく、それは魔力の生み出す光だ。凛の準備は万全、行動にはいつでも移れる。対し、慎二は気づくのが余りにも遅れすぎた。


 弓に例えるなら、弦が極限まで引っ張られた状態にある、その魔術の名は『ガンド』。或いは威力の違いから『フィンの一撃』とも呼ばれるそれは、殆ど魔力を持っておらず、魔術への抵抗が無いに等しい慎二を昏倒させるには十分過ぎる威力の呪いの一撃だった

 謙遜ではなく、凛は自分のコントロールに余り自信を持っていない。だが流石に今の距離でなら直撃させられるという確信があった。慎二が自ら近づいて来た事に加え、彼が言葉をなくしている間に更に距離を詰められたのだから、事ここに至って外す道理はない。


 「あんたは―――しばらくお家で眠っていなさいっ!!」

 「ひ…ひッ!」


 『フィンの一撃』は『ガンド』ほど生易しくないと先で書いた。―――詰る所、威力が上がるのだから魔力も上がる。当然至極、それだけの魔力の溜めに、ライダーが気付かぬ筈が無かった。

 シンジと相対して下手に身動きが取れないとはいえ、マスターの身に危機が迫っている。気に入らない主人だが黙っている訳にはいかないのだろう。


 すらりと伸びた、細くも肉感的なライダーの足が、地を陥没させるような勢いで蹴った。同時にシンジも動く。ライダーの進行方向を自分の体で塞ぐように、彼女と慎二を繋ぐ直線経路に滑り込んできた。

 ライダーは止まらない。いや、止まれないというのが正しい。ここで足を止めては、慎二の状況は絶望的だからだ。ならば如何するというのか。


 回りこむか?いや、却下だ。迂回の時間すら、今は惜しい。飛び越すのも危険を増やすだけだ。となれば、解は一つ。


 ――薙ぎ払う…ッ!――


 先程までの力を見る限り、自分なら左腕だけでもシンジをどかすには十分だろう。

 そこまでの計算をほぼ本能的に、且つ瞬時に済ませ、ライダーは左腕を振り被った。シンジも腕を振り上げているようだったが、そんな事は無駄だ。基礎能力が既に異なるのだから、同時の攻撃で負ける訳がない。

 攻撃を開始したのはほぼ一緒。しかしライダーの方が到達までの時間が余りにも短い。シンジの方は後半分以上も距離を残している。「取った!」とライダーは思った。

 

 

 


 ……衝撃は思いの他軽く、シンジが自ら後退ったのかと思うほどであった。
 ライダーは軽い疑念を抱き、視線を軽く左に滑らせて我が目を疑いそうになった。それでも彼女は現実を受け入れ、一向に走る速度を緩める事なく慎二の下へと急行する。

 

 ライダーがシンジの下を離れた直後、一つの物が落下音を奏でてその存在を知らせた。
 一本の棒のように見える物で、しかし先は五つに細く分かれていた。更に他方の先からは、液体を迸らせる"それ"。

 

 

 "それ"とは果たして――――――ライダーの左腕であった。

 

 

 腕を一つ代償として払い、地を滑るようにして駆けつけたライダーは、凛の想像を遥かに上回るスピードであった。よもや、発射された後のガンドに追いつかれるとは、ましてや掻き消されるとは思いもよらなかった。

 だが、凛にとって嬉しい誤算もあった。どのようにしたかは知らないが、シンジがライダーの片腕を切り落としていたのだ。二の腕から切り落とされたライダーは、鮮血を止め処なく流し続けている。慎二をリタイアさせられたら良かったのだが、これも悪くはないと思ったのだ。

 シンジとライダーのレベルには、かなりの差があったが、これで五分か或いは圧倒出来るかもしれない。慎二も偶には役に立つ。だけどライダーにとっては迷惑極まりないマスターだろうな、と凛は思った。考えてしまった。


 一瞬だ。ほんの一瞬の事である。だが、この事が彼女の注意力を僅かだけ削った。

 気付いた時には既に遅い。今度は凛がそのような状況に追い詰められる事となった。


 「シンジ、ここは撤退します」

 「ぐ…く、分かった!いいかッ!僕は負けた訳じゃないんだからなッ!!」


 明らかに弱腰な慎二の返答の間にも、ライダーの技――――魔術のようなそれが完成に向けて、急激に組み立て上げられていた。


 ライダーはまず先の無い左腕を振るい、大量の血液をばら撒いた。血は空中で飛散を止め、逆に一定の位置に収束し、魔方陣のような物を模った。余りにも自然に進んでいく準備に、腕を切られたのも計算の内だったのではないかとすら勘ぐりたくなる。


 拙い。

 そう思考が叫ぶ前に凛の体は動いていた。とにかく横に。飛べるだけ横に飛び、地に伏せる。反射的なとっさの動作であったが、それが正しい事を凛はコンマ数秒で知った。

 背面からの光であるというのに、視界が真っ白に埋め尽くされる。それほどの光量と、圧倒的なエネルギーの塊。絶望的な何かが凛の背後を通り過ぎた。それは通り過ぎただけだ。通り過ぎただけだというのに、自分が蒸発しそうに思えてしまう。衝撃が収まってから、振り返った凛はゾッとした。

 何も、無い。チリチリと焼け焦げる、抉れた地面が威力の凄まじさを物語っている。まさに草の根も残らぬほどに燃え尽きた地表。本能的な恐怖で心が震えた。

 だが技名は聞こえなかった。ならばこれはまだ宝具ではないという事だ。


 これが、サーヴァント。これが、聖杯戦争。


 凛は覚悟をとうに済ませたつもりだった。だが、サーヴァントの圧倒的な力には恐怖すら感じる。今も一歩間違えば跡形もなく消し飛んでいたかもしれない。それはやはり恐ろしい事だ。まだ凛が魔術師であっただけ怖いと思うに留まっているに過ぎない。これがただの一般人なら、腰を抜かして動くことすら出来ないかもしれないのだ。


 「……でも、いつまでもこうしてはいられないわね」


 凛の割り切りの速さは流石であった。ただでさえ人払いの結界が張られていない所で、あのような戦闘を行い、あまつさえ最後に素晴らしく目立つ事をして、相手は逃げてくれやがった。だから早く逃げなければいけない。至って普通の発想だが、こんな状況に追い込まれてそう判断できるものが、一体どれほどいるものか。


 「何で気絶してんのよ!」


 確かに何事にも想定外は存在する。とはいえ先程までライダーと戦闘を繰り広げていたシンジが気を失っているなど、誰も考えはしないだろう。

 彼を置いて逃げる事は出来ない。こんな所でそのまま置いていったら、お互い後がどうなるか分かった物ではないし、余計な事を一般人にベラベラ喋られても困る。

 だったら彼を背負ってでも一緒に逃げるしかない。しかし、先程の魔力奪取で凛の足元は覚束無いレベルにまで落ちている。今はシンジを背負って家まで帰るなど、不可能に近い。それでもやらなければならない。

 『奥の手』を出すしかない、と胡乱な頭で考えポケットに手を伸ばそうとする。


 と。背後で足音が聞こえた。普段ならば気付かない筈がないのに、余りにも思考能力も判断能力も低下したようだと凛は己の迂闊さを悔いた。

 一般人なら記憶を操作したりする必要がある。体に残る魔力を練り上げようとして、その時初めて足音の主の声を聞いた。


 「と、遠坂――か?何、してるんだ?」


 聞き覚えのある声に思わず振り返る。そこにあったのは見知った顔。凛が通う学校でも随一のお人よしで有名な、衛宮士郎という青年だった。

 

 

 ……参った、何でまた私だけこんなに後始末が山済みなのよ。こいつめ、眠ってないで起きやがれ。


 この日遠坂凛は、本気で自分のサーヴァントを呪った。見当違いだとは分かっているけれども、そうせずにはいられなかった。


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