僕が今いるのは外だ。
まるで見覚えのない町を少しでも見覚えのある町にするべく、心持ちゆったりと歩いていく。やや距離を置いているけど、隣には遠坂さんもいる。たまに辺りの説明を入れ、しかしその殆どをただ歩くのに徹している。その態度は僕に、地理を覚えておきなさい、といっているようだ。実際外出の前に言われた。僕も、しばらくはここで暮らさないといけないと分かったので、言われるがままに辺りを見て回っている。
…こうして見ている限りは、遠坂さんはただの女性にしか思えない。性格は…その、多少きついけど、何故か以前から慣れているように思う。いやそれはどうでもいい事で、僕が未だに信じられないのは、隣を歩く彼女がただの女の人ではなく―――魔法使い、だという現実だ。
魔法使いと、そう僕は言ったが正確には魔術師であると遠坂さんに教えられた。初めはその違いが分からなかったけど、それも説明してもらったので、今の所理解は出来ている。要するに、魔術とは人間が頑張ったら出来るのを再現するもので、魔法とは人間がどう足掻いても出来ない事を起こして見せるものをいうのだ。
その違いは分かった。が、どっちにしろ僕には出来ない事をやってのけるのだから、魔法でも構わないと思った。思っただけにしておけばいいのに、ついうっかりそう口にしたものだから、遠坂さんには呆れた顔をされてしまった。僕の勝手な感想なんだから軽くスルーして欲しいよ。
それにしても、遠坂さんが魔法使い……もとい魔術師である事以上に受け入れがたいのが、僕が遠坂さん以上の力を持っているという事だ。これこそどうにも信じられない。
確かに昨夜、青い服を着たの男の人を手に持った槍ごと弾き返す赤い盾みたいな物――"ATフィールド"――を出せた。でも、今となってはどうやってやったのか…その"ATフィールド"とやらが何であるのかすら分からない。朝、遠坂さんに聞かれた時は下手に誤魔化した様になったが、僕も本当に分からなかったのだ。
大体遠坂さんも無茶苦茶なんだ。何も思い出せない僕のほうが混乱しているのに、そんなに怒らなくてもいいじゃないかっ。
…勿論面と向かっては言えないので、それこそ心の中のぼやきで済ませた。
***
「ここら辺で休憩にしましょう」
遠坂さんがそう提案したのは、町の中にポツンと現れた野原だった。思うに公園らしきもの。しかし確信を持てないのは、余りにも人がいなさ過ぎるが為だ。
それに……
「…なん、だろ。凄く――凄く、キモチワルイ」
「そう、シンジにはそう感じられるのね」
どういう事なのかと尋ねると、隠し立てすることなく遠坂さんはあっさりと話してくれた。ここは、僕が今強制的に参加させられている聖杯戦争――その前回に当たるものの終結地であるというのだ、と。
…ということはちょっと待ってよ。つまり、何かしらの幽霊のようなものでもいるのか?うぅ、そう考えるとさっさと離れたくなってきた。
だけど。
離れたいのは山々だけど、何だろうかこの感じは。何ていえばいいのだろうか、このどこか懐かしい感触を。敢えて――敢えて言葉にするならば。
「……拒絶?」
ぽろっと、上手く自分の口からこぼれ出た言葉に、自分自身で強く納得した。この土地は何も入れようとしていない。入ろうとする者全てを拒絶している。それは例えようもなく強烈な他者否定。
辛うじて入れるのは、雑草などの植物だけ。耳を澄ましても、動物の声は聞こえてこない。
ここはまるで…まるで…
じゃないか。
―――え?
何だ、今のおかしな空白は?何で抜けるんだ?何で聞こえないんだよ?
だけど感情が沸点に達するより前に、
刹那の時を置き、
衝撃が全身を貫いた。
始まりは、頭痛。チクリとした針の痛みから、電柱が丸ごと入ってきたような痛みに広がった。
「っぐ…わああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
まるで昨夜に戻ったみたいに。それだけで死ねそうなほど強烈な痛みが僕を苛んだ。
骨に鑢を掛けて、首から下をぐちゃぐちゃに潰されて、神経を一本一本直に切られていけば、或いはこの痛みに通じるのかもしれない。痛みで死にそう、狂いそうなほど痛くて、狂う前に痛みで引き戻される。この世で最悪のエンドレスループだ。
「ど、どうしたのっ!?」
「い、痛い…っ!!」
「痛いって、どこが…」
どこが?どこどこが痛いなんて言っていられないし、もう考えられない。僕の口から漏れるのは、意味を成さない単なる悲鳴でしか、ない。
「ぁあ、あぁ!うっ、ぐっ…ああああああああああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA―――!!!」
神経回路/断線。
やめろ…
シナプス/逆流。
やめてよ…
シンクログラフ/反転。
頼むよ…
神経接続/強制解除。
もうやめろ…やめろよぉぉぉおおおお!!
意識暗転。
ここはどこ自分だ自分に自分の内面に引き込まれていくでも聞こえる周りの音が聞こえる遠坂さんの声が聞こえるいや聞こえない聞こえなくなったおかしいよなんだこれ一体なんなんだこれ僕の記憶なのか違うそんな筈はないそれこそ違うこれだこれなんだすぐ捕まえろ今度は離すなそれだけ見ろ掴め気にするな気にするな気にする暇があるのならもっと自己の内面に埋没して自分を掴めでも痛い離さなければ死ぬかもしれないなんでこんな痛い…痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイ……
再び暗転。
それは数秒?だったかもしれない。永遠かと思ったけれど、でも終わりが来た。そして―――得た物も、あった。
「うん、思い、出した…」
「え…えっ!?何!?どんな事を思い出したの!?」
前にいる人は誰だったっけ。何で分からないんだろう。――いいか、別に。どうでもいいんだそんな事。
だって思い出したんだ。ホンの少しだけど、僕は自分を掴んだ。だからそれをまた忘れてしまわない内に、早く早く言葉にして残さないといけないんだ。
「…使徒は天からの使い。そして僕らの敵。奴らは持っている…壁を。何人にも犯されざる聖なる壁、それがATフィールド。銃は効かないし、核も効かない。破るにはもっと強い攻撃か、同じものをぶつけるしかない…」
「でも、あんたもそれを使っていたのよ。つまりシンジも使徒、なの?」
そうかもしれない、そうじゃないのかもしれない。でもどうでもいいじゃないかそんな瑣末事。僕はね、僕を少しだけ思い出したんだよ。それでいいじゃないか、十分だよ。
嬉しいさ。だから息が荒いのも仕方ない。
嬉しいよ。だから自分が宙を浮いているような感じがするのも仕方ない。
嬉しいんだ。だから鬱陶しい。ざわざわする。この金属音は要らないんだ。
煩い音を立てる何かが、僕達に向かって迸ってきた。
「ATフィールドッ!!」
「え?あっ、ぐ…!」
近くにいた誰かが膝をついた、気がする。胸に手を当ててるっけ。でも僕の視線はそこには向いていないし、向ける気も起こらない。
何よりも僕の目はフィールドに阻まれて中空で停止している、長くて頑丈そうな鎖に繋がれた巨大の釘のような鈍器に向いてしまっているのだから。
その先を辿る。
見えた。女性だ。
鮮やかな紫色の長髪。
黒いピッタリとした服に身を包んでいる。
巨大で異形の一言に尽きる目隠しも目を引いた。
…でも、僕は―――
―――戦いたいと、そう、思った。
ああ、ああ…やっと分かった。
僕は嬉しくて高揚しているんじゃない。
嬉しくて、嬉しすぎて、嬉しすぎるから、
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暴走、しているんだ。
口角が裂けるほどまでの笑みを浮かべている自分。普通の僕ならまず絶対にしないそれを認知した、僕の一際冷静な部分は静かに或いはまるで他人事のようにそう結論を出した。