クロノは、このマンションに一時的に居留を始めてから、一番の緊張を感じていた。原因は、彼の前で向かい合い、座り合う少女達だ。容姿だけならば 鏡映しのように違わず、しかし、
(中身は全く別。似ているのは、外見だけ、か)
 似ているのに、全く似ていない。不思議なものだ。彼は思った。
 ただ、それ故に初見の者でも、多少なりとも彼女達の性格を聞いておけば、見破るのは容易だ。何しろ彼女達は、顔が似ているだけで、纏う雰囲気も仕草も格 好も、殆ど全て が違うのだから。

「…………」
 一方は、臆病な小動物。状況に戸惑うあまり、結局何も行動ができていない様子は、庇護欲を掻き立てる。
 服はといえば、薄黄色のキャミソールの上から黒色のジャケット、下にはやや短目の白いスカート。可愛らしく纏まっている。

「――――」
 片や、勇猛な猛獣。敵地にいようとも、落ち着き払った泰然の姿。澄まし顔でカップを傾ける所など、前者の少女には真似できない仕草だ。
 その格好は、ズシリと重い雰囲気の修道服。重苦しい黒色のお陰で、この場の誰よりも、彼女は確かな存在感を持っていた。

 しかし、その静かにしている姿を見ると、クロノとしては文句の一つも付けたくなった。
(あらぬ誤解を解くのに、随分時間が掛かってしまったじゃないか。余計な手間を掛けさせて……。これも、嵐の前の静けさじゃないだろうな?)
 嫌な予想だ。外れてくれ、と。人知れず、クロノは溜息を漏らす。
 沈黙は、それからも暫く続いた。

 

 黙っているのもいい加減限界だと誰もが思い始めた矢先、見計らったように、修道服の少女が口を開いた。
「では、お坊ちゃん。まずは、間男扱いをありがとうございますの」
 クロノの口元がひくつく。
 間男。男のある女が、他の男と密通すること。また、その男。
 彼女の言に従えば、クロノが女に当たるのだろうか。
「……君、さては分かってて嫌味を言っているな?」
「いえいえいえいえ、まさかまさか、そんなまさかですわ。ありえませんの。そんな考えなど全くありませんわ」
「いいや嘘だね。ばればれだ」
「ふふん、お坊ちゃんはいけずですのね。人のことを食べそうになってたくせに」
「そんな事実は! 一つもない!」
「そうでしたか? うふふふふ」

 意地の悪いからかいの笑み。クロノは、いい加減見慣れてきたそれだが、フェイトは、驚きの目で迎えた。
 自分の顔が、そんな表情を浮かべている所を、彼女は見たことがな かった。というか、そんな表情をする状況自体、思い浮かばなかったのだから。
「あ、あのっ!」
「はい、なんですの? ああ、名前は聞いてますわ。貴女が、フェイト・テスタロッサちゃんでしょう?」
「ちゃん……」
 何とも名状しがたい気分にだった。相手の顔が、自分と全く同じであるための弊害だ。
「その、ちゃんというのは、ちょっと」
「嫌でしたか?」
「う。す、少しだ、け……あ、あのっ、すみません!」
 親友からの呼び方は「フェイトちゃん」だが、やはり、自分の顔で呼ばれるのとでは、全く受け取り方が違う。そのようにはっきりと言えないのは、 フェイトの良くも悪くもあるところだった。

「まあ、そうでしょうね。貴女とあたくしは、こんなにも近い顔ですし。ああ、目の色は違うみたいですの」
「そう、だね。そっちは碧いんだ」
「そちらは、赤いですのね。ふふ、ルビーみたいで素敵ですの」
 おっと、呼び方の話から逸れてしまったと、話題を戻すナピィカ。
「そういえば、一方的にあたくしが知っているだけですわね。一先ずは自己紹介をさせて頂きますわ。特別指定災害対策組織『ニーラ』の試験部隊副隊長兼総副 隊長、ナピィカ・カムトゥユンですの」
「と、特別指定災害……」
「ごめんなさい、無駄に名前が長いですの、うちの組織。あたくしは、ナピィカでいいですの」
「あ、こ、こちらこそすみません。ナピィカさん、だね? 知っているみたいですけど、フェイト・テスタロッサです」
「はい。そちらの方は?」
「わたしの使い魔で……ほら。アルフ、挨拶して」
「……アルフだ。よろしく」
 突然現れた、主人と同じ顔の少女に、警戒心を剥き出しにするアルフ。先ほどの醜態もあるので、ナピィカにとっては失笑ものだったが。

「アルフさん、と。よろしくお願いしますね? フェイトちゃんの方は、あたくしの方が年上ですから、これからは呼び捨てでよろしいでしょうか」
「あ。そうなんだ? うん。フェイトでいいよ」
 歳は、クロノにでも聞いたのかと思い、納得しかけるフェイト。しかし、疑問の声を上げたのは、そのクロノだった。

「どうして分かるんだ? というか、さっきから僕をお坊ちゃんと呼んでいるのは、もしかして僕も年下だからとでも言うつもりなのか」
「え。クロノも知らないの?」
「ああ。まだ、なにも話していないからな。で、どうなんだ」
「実に良い読みですの。少なくとも声変りもしていない子供よりは、ずっと上ですわ」
「ずっと上って……。いい加減なことばかり言うな、君は」

 突っ込むクロノを、くっくっと笑い、流し眼で見やるナピィカ。
 あまりの艶やかさに、クロノは思わずドキリとしてしまう。同時に、これから妹になるかもしれない少女の顔に、邪な感情を抱いてしまったことで、自己嫌悪 もしてしまう。
 それを隠すように、彼は目を閉じて飲み物を口に運ぶ。他のメンバーもそれに追随し、自 分の前に置かれた飲み物に口を付けた。

 ただ一人、ナピィカだけが、その瞬間を狙いすまして口を開いた。

「あたくし、これでも今年で二十五ですの」

 コントか何かのように、ばふっと音を立て、ナピィカを除く全員が液体を噴き出した。
「ぐぇっほ! げっほ! ……な、何言ってるんだ君はぁ!?」
 いち早く立ち直って、文句を付けたのはクロノだった。
「そんな姿で、その歳の筈があるか!」
 もっともなクロノに対し、フェイトは別のことが気になったようで、慌てて自分の使い間の袖を引っ張った。
「ア、アルフ、わたしもこの姿のまま成長しないのかな……?」
「ええーっ? 素直なのは可愛いけど、あの言葉を信じた上で自分にも当てはめる所じゃないからね、フェイトー! それに大丈夫だよ、きっとバ インバインになるから さっ!」
「バ、バインバイン……」

 そんな俄かに騒がしさを取り戻した三人を、ナピィカは冷ややかに見ていた。
「全く失礼な方々ですの。あたくしが歳と合わない姿なのは、成長を捨てたからですわ」
「いや、捨てたと言われても、自分の意志でどうにかなる物じゃないだろう、それは」
 一蹴しようとするも、しかし、本気の目が見えた。クロノは襟を正して、彼女に向き直る。
「まさか、本気か?」
「ええ、あたくしが嘘を言うとでも?」
「む」
 フェイト達が来る前の話し合いでは、結構つかれた気がしたが、口にはしない。それよりも重要なのは、彼女の言葉の真意だ。

 成長を捨てた。それが本当だとすると、考えられる可能性は幾つかある。
「薬か、何かか?」
 首が、左右に振られる。「いいえ」
「では、なにか強力な魔法かなにかで」
「呪い? ふふ。そうではありませんわ。たった一つの、シンプルな答えですの」
「シンプルな、答え?」

「ええ。とても、シンプルな答え」
 聞き返した瞬間、向かい合ったナピィカとの間にある空気が、ゆらりと揺らいだ。
 クロノ、フェイト、アルフの三名は即座に反応し、戦場でも無いというの にいつでも飛び出せるように身構える。まるで倒すべき敵を前にした時のように、だ。彼らにそうさせるだけのプレッシャーを、今のナピィカは放っていた。

「アンタ、一体」
 アルフが声を掛ける前に、ゆっくりと、ナピィカの口が動いた。
「あたくしには、許せない物がありますの。一つは、家族と共に成長できなかった自分。足手まといにしかならなかった自分。そしてもう一つ」

 ちりっと放電音が鳴る。そして、ナピィカの手の内にある、カップの中身が、ぼこぼこと泡立ち始めた。

(沸騰している……のか?)
 強く香り出した紅茶の香が、クロノの予想を肯定する。赤みがかった薄紅の霧が、ナピィカの手元から立ち上っていた。

「――――いいえ、やはり違いますわ。何よりも許せないのは、本当は一つだけですの」

 ぎ、ぎ、ぎ、と。ナピィカが奥歯を噛みしめる音が、クロノ達にも聞こえた。同時に、彼女が両手で包み込んでいたカップが、がしゃんと音を立てて潰 れる。既に中身 は蒸発しきっており、一滴たりとも零れることはない。

「許せないのは、たった一つ。……あたくしから家族を奪った――――あの魔物、あれだけですわ! たった一体! あたくしの前で、家族を喰らい!  むごた らしく食い散らし、土足で全てを踏み躙った! あ あっ、あああっ! どうあっても許せませんわ! 何年経とうと! 何十年過ぎようと! その気持ちが、あたくしを焦がし続けていますの!」

 感情の激しさを表すように、彼女は胸を掻き毟っていた。スパークが、何度も部屋を明るくした。修道服の胸元から血が滲んでも、誰も何も言えない。 彼女の怒 りが、自分に飛び火するのを恐れていた。

「あたくしは、あれが憎い! だから自分の時間を、成長をっ! あれを倒すまで止めると、そう自分で決めたっ!」
 碧の両眼が、かつて無いほどギラギラと覗いていた。獣でも、こうはならない。本能がさせる目ではない。理性を持った獣が、激情によって行動を支配されて いる時の目だった。

 フェイト達が唾を飲む音を横に聞きながら、クロノは、初めて理解した。
 ――――そうか。自分があの路地裏で一番恐れたのは……何よりも逃げたかったのは、あの場所ではなかった。これだ。この眼だ。

 

 そして尚も狂気は続いた。
「良いですの、坊ちゃん? 魔物の情報は与えてやりますわ。必要ならば、先に断った他の情報もやりますの。規則など知ったことじゃありませんの。だから、 あたくし をさっさと 元の世界に戻しなさい。戻す手伝いをなさい。あたくしは、例え首だけになっても、あの魔物を噛み殺すっ。そのために、これまで生きてきました わ!」

 一気に言い切り、彼女はふっと息を吐いた。
 それだけで、三人は今まであった息苦しさが、消失したのを感じた。
 だが、感情は抜けきらない。クロノは、そしてナピィカの戦いを見ていないフェイト達も、彼女を『怖い』と感じていた。
 ゆっくりと下がっていく彼女の腕を見てしまう。彼女の一挙手一投足を目で追わずにはいられなかった。小さく息を吐き、緊張を解いたのは、ナピィカだけ だった。 

「さ。では、よろしくお願いしますね?」
 その、顔に張り付いた満面の笑みは、クロノ達にとって今はただただ空虚で恐ろしい物だった。

 

 三人との距離が、物理的にではなく精神的に遠のいた。そう感じても、ナピィカは表情を変えなかった。自分はただの復讐機械だ。復讐の炎が、自分の 活動源だ。
(……だから、ちくりと胸を刺すような痛みは、きっとただの幻覚ですの)
 心を冷やしていく。
 そこで、意識を直接ノックする存在を感じた。相棒であるリンカーが、通心回線を開こうとしているのだ。通心とは、声に寄らず、精神波の伝搬で意志を伝え る連絡方法である。通話ボタン代わりに、着信を受け入れる意志が、双方向回線を開いた。

<マイロード。驚かしすぎではないでしょうか>
<これぐらいが丁度いいですの。……これで怖がられた方が、都合がいいんですの>
<お話になるのですか? 魔物やニーラの情報とは、比べものにならないほど重要度が高い情報ですが>
<別に、いいじゃありませんの。これくらい>
<……イエス。ロードの意のままに>
 そして通心が途切れる。
 怯えの混じった目を向けるクロノ達を再確認し、ナピィカは再び胸に痛みを感じたような気がした。

 

 ***

 

「話、いいかしら。総隊長さん?」
「……あーのー、博士? ちゃんとノックしましたか?」
「したんじゃないかしら。いいじゃない。記憶に残らないくらい余計なことってだけよ」
 ニーラ総隊長である月白白亜の執務室に、済まし顔で入ってきたのは白衣の女性。目元が刃のように鋭く斬れ上がり、見つめられると思わずぞくりとくる 美人の女性博士だった。

 もちろん、同性である隊長少女には、その美貌も何らの意味を持たない。むしろ、彼女は呆れた様子で溜息をつくばかりだった。
「いつものことだから諦めてますけど、どうにかなりませんか、それ」
「何のこと? それよりも、これよ」

 ばさっと音を立てて、博士は、抱えていた書類を少女の机に放る。
 もしここが軍隊か何かであったなら、そうでなくとも礼儀に煩い場所であるならば、即座に怒鳴りつけられる所だ。もっとも少女は、彼女に対し何も言わな い。こんなやり取りは、いつものことだった。

 しかし一応ため息は吐いて、少女は放られた資料に手を伸ばした。それを凝視してから、十秒ほど経った頃だろうか、少女の顔が驚きに彩られ た。
「……これって、もしかして」
「ええ。おめでとうというべきかしら。あの子、ナピィカ・カムトゥユン総副隊長が死んでない可能性が上がったわ」
「えぇー……えへへえ、そうかなぁ? この三秒間で放出されたエネルギーと、それによって引き起こされている周囲の次元の歪みからすると、ありえないこと で はないですけど、どうかなぁ」
「素直じゃないのね。喜ぶところでしょう、ここは?」
「うーん、どうだろなあ――――って。ああっ」
 にやけ顔でばればれなのに、尚も紙片に目を落とす隊長少女。しかし、ふわりと甘い香りに誘われて顔を上げると、果物煙草を咥えている博士 の姿があった。

「はーかーせー! レオナ博士! ここ、禁煙なんですよっ。知ってました? 知ってますよね?!」
「火」
「まるで意に介さないっ! ええと、ですからっ」
「火」
 煙草をぴこぴこと唇で動かし、さっさと点けろと促すレオナ。むぐぐと唸って、少女は女性の口元に人差し指を伸ばす。没収ではなく、点火のためだった。
「もー。特別ですからね!」
「そうね。わたし以外がこうしたら、訓練でも付けてあげなさい。好きでしょ、人を病院に送るの」
「違います! どんな趣味ですか、それ!」
 怒鳴りつつも、ぽう、と指の先に光を灯し、煙草に指を近付ける。そして指が触れたか触れないかのところで、煙草の先は赤く燃え、細長い煙が立ち上り始め た。

 レオナが、細く煙を吐いて話を再開する。
「それで、わたしもまだ理論しか組み立てていない現象が、実際に起こったようだという話の続きだけど」
「してませんよね? そこまではまだ!」
「あなたの頭の回転は買ってるのよ。付いてきなさい」
「万年ドベだった人に、なにを言ってますかこの人」
「それで、この現象が起こったということで、取り敢えず、再現可能性の場は築かれた わ。まあ、その内一人くらい転送できるようになるでしょうね」
 ああ、やっぱり人の話は聞かないんだと、白亜は諦めにも似た心境に達する。
 そして何とはなしに、ふう――――――と、長い紫煙の行き先を少しだけ追い、視線を戻す。
「異世界論とは別の、場の理論ですか……。一度起こったことは、二度三度と起こりやすくなり、やがて常識になる」
「ええ、その通りよ」
「つまり、連れ戻せる、と考えてもいいんですね?」
「そうね。転送なりされた場所で、あの子が野たれ死んだりしていなければ、そうなるわ」
「ちょ、縁起でもないこと言わないで下さいっ!」
「可能性として、無くはない話をしただけよ、わたしは」

 すぱりと切り捨て、レオナは再び紫煙を燻らせる。
「……あなた達は不思議よね。一緒にいると喧嘩ばかりしているくせに」
「そ、それは、あっちが一方的なだけですよっ。『話すだけ無駄ですの』とか言って、いつもピリピリしてるから。――――実際の音的にもっ」
 ふっと、レオナは少女に煙を吹き付ける。
「わっ!? ぷぷっ!」
「まさか、上手いこと言ったつもりじゃあ、流石にないわよね?」
「上手かったと思ったのに……」
 あからさまにショックを受けていた。どうやら、今のは渾身の力作のつもりだったようだ。

「……は。生まれる前からやり直せばいいのに」
「ど、どれだけ悪辣なんだろう、この人」
「ま、もう一人の副隊長共々、気長に待ってなさい。すぐに転移装置の製作に取り掛か るわ」
「気長にって一体どの位待てばいいんですか?」
 言うことは言ったと、立ち去ろうとしていたレオナだったが、白亜の言葉にふと足を止め、宙を見上げて指を折り始めた。そして言った。

「そうね、十年ほど?」
「長っ?!」

 

04へ

02へ

目次へ

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu