「こっ、これは一体……! ここで何があったのですか、ハラオウン執務官?!」
 ああ、やっぱりそうなるよな。僕だってそうだったよ。若き執務官は、声には出さず、心の中だけで彼らに同調した。
「すまない。僕も、まだ現状の理解ができていない。説明は、後で必ずするから、少し待ってくれ」なにより、と視線で示す。「今は、彼らを弔いたい」
「は、はい。それは、そうですが」
 武装局員の男が納得できていないのは、一目瞭然だ。それでもクロノは心を鬼にして言う。
「手伝ってくれ」
「……はい」
 キツイ言い方でもしないと動かないだろうと判断し、クロノは敢えて命令するように言った。彼とて心苦しい。できるなら存分に説明をしてやりたいし、現場 の検証も進めたいと思う。
 それでも、彼らには動かざるを得ない理由があるのだ。亡くなった者達を含め、彼らはこの国に、もっと言えばこの世界には存在しない人間である。グズグズ して、現地の人 間に目撃されるわけにはいかないのだ。
 今こそ、結界をはって誤魔化しているが、いつまでもそうしている訳にもいかない。結界を抜ける者が、いないとも限らない。しかもその場合は、高確率で " 闇の書の騎士達"である可能性が有る。だから、急がなければならないのだ。可能な限りAs soon as possibleで。

「執務官」
「どうした」
「説明は待つと受け入れたばかりで申し訳ありませんが、一つだけお聞かせ下さい」
「一つだけだな。分かった聞こう」
「ありがとうございます。それで、これは我々が派遣される理由となった、もう一つの事件――――連続魔導師殺傷事件ですね」
「……恐らくは、だがね」
 即答はできない。答えにも曖昧さを残っていた。だが、武装局員の男の言葉は、クロノの中でほぼ確信となっている答えだった。彼も、それ以外思いつかな かった。

 武装局員の彼が語るところの『連続魔導師殺傷事件』とは、闇の書の守護騎士達による、蒐集行為とは一線を画した大事件である。
 時期をほぼ同じくして、管理局に降りかかった二つ目の事件だ。発生範囲も蒐集事件とほぼ一致している。自然と、管理局は「守護騎士達の仕業であろう」と 考えていた。

 始めの内だけ。

 直ちに、その考えはひっくり返ったのだ。単純な理由である。事件の現場が、いずれも、"ここと同じ惨状に 成り果てていた"からだ。リンカーコアの蒐集を目的とする守護騎士達が、ここまで派手にやらかすことはあり得ない。なぜなら、殺害後には蒐集ができないの だ。禍根を断つために、蒐集後に殺害していたとしても、ここまでするのは無駄。ましてや今回は、蒐集相手を不用意に傷つけないように振る舞っている節もあ る。
 これらを踏まえると、守護騎士達への疑惑は、ほぼなくなる。
 クロノ自身、すぐに守護騎士達の件とは別に、この事件を重要視していた。

 そして今回の一見。これが、両事件の犯人が異なる決定的な証拠となる。管理局の魔導師で初めて、同事件に巻き込まれながら、生きて帰ったクロノ・ ハラオウンという存在のお陰で。
「いや、まどろっこしいのは無しにしよう。僕は、犯人を確認した。守護騎士達ではなかった」
「目撃したっ? 犯人をっ!? そ、それでどうなさったんですかっ」
 クロノは首を左右に振って答える。
「確認は、した。だがもういない。彼女が、消してしまったからな」
 視線を移動させ、ナピィカへ送る。少し、クロノ達から離れた所に立つ、件の彼女は、再び顔の半分以上をバイザーで覆っていた。これは、クロノの助言だっ た。

(流石にフェイトと似すぎているからな……時期が時期だ)
 ナピィカは、最近ようやく裁判の終わったフェイトと、あまりに外見が酷似している。万が一顔を見られたところで、裁判がひっくり返ると心配などない が、妙な 勘繰りは、どちらのためにもならない。故にやむを得ない処置だった。
 もっとも、バイザーを掛けた少女の姿は、非常に目立ってもいたが。
(仕方ないとはいえ――――選択を誤ったか? 彼女だけでも先に拠点に送るべきだったか)
「……ええ、全くですの」
 なにか聞こえた気がした。

 一方、クロノの言葉を聞いて武装局員の男は、眉を顰めた。
「消したとは、また穏やかではありませんね。彼女は、一体?」
「それも不明だ」
「不明、ですか」
「所属は聞いているし、名前も聞いているが、まだ確認が取れていないんだ」
「執務官殿が知らない組織となると、現地の魔導師でしょうか? この管理外世界では、グレアム総督や、嘱託魔導師のタカマチのように、魔力持ちの人間が生 まれるのは 稀だと聞いておりましたが……」
「その認識は正しい。改める必要はないだろう」
「……と、言いますと?」
 男の考えが、ほぼ答えに辿り着いたと見て頷くクロノ。
「彼女は多分――――」

 言いつつ、彼も得られた情報を頭の中で再整理する。ナピィカの格好は、管理局の制服ではない。それどころか局の存在を知らない。更に、ここが地球 の日本という国だ と知って驚いていた。「主要都市以外が、ここまで復 興している?」等々の発言。
 それらの情報を統合し、彼が弾き出した答えは。
「Unadministrative world No.97:Person who wasn't able to return to the his/her world. ……Case 0000000001638」
「第97管理外世界:意図せぬ移動により、自己の世界への回帰が不可となっている者。事件ナンバー、0000000001638。やはり」
「そういうことになる。彼女は、この『地球』の……次元漂流者だ」
 次元漂流者。それは、異なる次元空間に、何らかの理由でもって移動し、戻れなくなった者を指す。早い話が世界間の迷子だ。無論、彼女にそういえば 不機嫌な顔で、「迷子ではありませんの」と言うだろうが。
「最上位の魔導師ともやり合えるだけの力も持っているからな。扱いが難しい。今は、あちらも触れないでくれ」
「りょ、了解しました」

 

 ――――話の中心となっていた少女は、クロノ達から離れた場所に一人佇み、口元には微かな笑みを湛えていた。
「どうにも見知らぬ場所だと思ってはいましたが、次元漂流者……ねえ。調べることは、多そうですの。ねえ、イミーヌ」
「Yes, my lord.」
「ではまず、時空管理局とやらの情報を、ありったけ集めなさいの。これだけ群がっていれば、どの通心帯域を使っているかは、割り出せましょうの?」
「OK」
 彼女のバイザーの中が、明滅しているのを、誰も気付くことはなかった。

 

 一通りの始末が完了したのは、小一時間の後だった。それから更に、生者死者問わず局員達を送り返し、クロノがようやく一息吐けた頃には、日が傾き 始めていた。
 この世界で拠点としているマンショ ンで、やっと緊張を 解いた彼は、ソファーに背を預け緊張を解きほぐしていた。
「ふう」
「おや」
 丁度風呂上がりの少女が、そんほ溜息を聞きつける。
「そろそろ落ち着かれましたの?」
「流石にな。もう、大丈夫だ」
「それは重畳ですの」
「……本来は僕が、君にかけるべき言葉なんだがな」
 苦笑するクロノ。前の席には、風呂に入り血を流し終えたナピィカが座った。しかし、改めて彼女の格好を見ると、クロノの表情が複雑なものになる。
「何というかな……その、君の格好は」
「あら、何か問題がありますの?」
「血塗れよりはよっぽどマシだがな」
「でしょうね」
 中々の上品さで、紅茶に口を付ける少女。その着衣は、どんな者が着る物なのか、大体の見当が付いた。世界が違えども、意外 と こう言う所は似るのだ。

 足元まで伸びる漆黒のワンピース+手首と首元だけに折り返された白色+胸のやや上に金糸で象られた正十字。
「それは確か、教会の女性達が着る物ではないか?」
「おや、知っておりましたの?」意外そうな口ぶりだった。
「ああ、まあな」
「なら話は早いですの。その通り、修道服ですわ。これでもあたくし、シスターですのよ」
 キャップはない。故に彼女が僅かに動く度、さらさらと流れる 豊かな金髪。しかし、十字の刺繍を掻き抱く姿勢は、クロノに深い納得を与えた。
「成程、だからさっきも…………」
 言葉が途中で止まる。死者を見送る姿に、聖女の幻想を見たような気がしたのだ。だが、どうしてそれを言えよう。そんな歯の浮きそうな台詞を素で言えるほ ど、彼はすれていないし、もの知らずでもない。
 ただ、不自然極まりない中断は、ナピィカの疑念を誘うには十分だった。
「はい? 先ほどどうかしましたの?」
「え、あ、いや、何でもないっ」
「別に構いませんの。言ってご覧なさいな。ほら、ちょっとやそっとでは怒りませんの」
「いや、だから、その……んっ。んんっ!」
 わざとらしい咳払いで誤魔化そうとし、強引に話を切り替える。
「それで! それはどこから持って来たんだ? 見たところ、特に荷物があるようには思えなかった が」
「……ふぅん。あくまで誤魔化すと。ま、いいですわ。この衣装のありかでしたか?」
 半眼で軽くクロノを見て、しかしすぐに話を合わせる少女。見逃してくれたことに、クロノはホッと溜息を漏らした。
「ああ。そんな服は、先ほどまで持っていないよう見えたが」
「服を含めた生活必需品は、常に圧縮倉庫に放り込んでありますわ。これもその中の一つですの」
「圧縮空間か。なるほど」
 物体の圧縮格納。それ自体は、クロノ達も持っている技術だ。ただ、あまり大きな物は持ち運びできないというのが、彼らの常識である。彼女は、"生活必需 品"といった。どれほどの量かは知らないが、そこそこはあるだろう。なら、自分達の技術と同等と判ずるには早い。クロノは、そう結論づけた。
(風呂場に入る前には、彼女はなにも持っていなかった。なら、この家の中で、圧縮空間からあの服を取り出したことになる。もし、何かしらの魔法が使われれ ば、流石に魔力の流れで気付く。それがなかったということは)
 技術自体が違う。魔法でないなにかを、ナピィカが持つ示唆でもある。
(なら、確かめねば)
 眦を決すクロノ。ぴくりとナピィカは反応し、彼に視線を合わせてきた。

「これから幾つか質問をさせて貰うが、構わないか」
 まずは軽い社交辞令の調子で切り出し、話の展開を目論む。
「いいえ」
「そうか。ではまず――――」
 ん?と首を傾げる。一連の流れに、なにか不備を感じた。
「待ってくれ。今、なんと言った?」
「だから、質問に答えるのは嫌ですのと」
 しれっと言い、紅茶を楽しむ彼女に、クロノは、信じられないと目を丸くした。
「ど、どうしてだっ」
「そんないきり立たないで下さいの。お座りなさいな。この程度で一々動揺していて、人の上には立てませんの」
 クロノより小さく、幼い体で、ましてやフェイト・テスタロッサと同じ顔では、どこか笑えない冗談を言われているようだが、正論だった。ゆっくりと座り直 し、再び問うた。
「では、もう一度聞こうか。どうして答えないと言うんだ」
「なにもかも答えないとは、一言も言っておりませんの。こっちの話も聞きなさいな」
 カップとソーサーをテーブルに戻しつつ言う。
「あたくしは、先程の化物の情報を持っ ております。それはお教えしますの。なんだったら倒す手伝いも致しますわ。ですがそれ以外のことは、例えばあたくしの組 織、そして持っている技術については、職場との契約上教えることができませんの」
「……だろうな」

 機密はどこの組織にもある。そこは納得できた。文句を付けるつもりはない。だが、彼女はこう続けた。
「ですがこの世界には、正確には貴方達の世界には、非常に興味がありますの。特に魔法とか、時空管理局のこととか、色々とお聞かせ願いますの」
「君も無関係じゃないからな、多少の所は教えよう」
「多少? なにを勘違いしておりますの。全部吐きなさいな」
 ひくりと、クロノの眉が動いた。
「全部、だって?」
「詳しくは後で話しますけれど、あたくし達はあの化物と戦っていますわ。戦力になりそうな物は、幾らあっても足りませんの。だから洗いざらいお吐き遊ば せ。特に、貴方達の最終兵器のこととか」
 最終兵器――――まさか、アルカンシェル? 思い当たった瞬間に、クロノは沸騰した。
「バカを言うなっ! 君だって機密契約があるから、自分の技術は話せない と言ったばかりだろう! そうでなくても、管理局の内部を、ましてや兵器の情報を晒すことなんてできないっ」
「へえ。そう」
 平然の少女と、焦燥する彼は、実に対照的だった。少女の姿をした魔女は、更に唄い上げる。
「ま、そんな情報程度は、いずれ頂きますの。それじゃ、あたくしを元の世界に戻す手助けを、よろしくお願いしますの」
「――――」
 おい、こいつ今、とんでもないことを言わなかったか?
 少女の言葉を、クロノは脳内で再確認する。
「後者はいい。だが情報を貰う行はどうにも穏やかに聞こえない。まるで、違法かつ強引に奪取しようとでも言うようだ」
「必要とあらば」
「君は、管理局と敵対でもしたい のか?」
「いいえ? 仲良くしたいと思いますわ。だから、メンツを潰すようなことは、なしにしてあげますの。ま、そちらから情報をくれるなら、友好を考えてもよろ しいで すわ?」
 傲岸不遜。神の従僕からかけ離れた姿だった。いや意外と正しい姿かもしれないが。
 どちらにしろ、"プチッ"なる音を、クロノは己の中に聞いた。
「無茶苦茶を言うなっ。自分のことは教えないが、こっちのことは利用すると言いたいのか!」
「ですから、先ほどから言ってますように、魔物の情報は、お教えしますわ」
「それで、こちらの兵器の情報を出せと? 釣り合うものか!」
「おやおや、聞きもしないで、そんなことを言ってよいですの?」
 まるで意に介さない彼女に、苛立ちは募った。
「もし。もしもの話だが、それが条件だとするなら、僕達は、君に協力はできないぞ」
「さあ、どうでしょうね」
 釣り上がる魔女の口の端に、クロノは嫌な予感を覚えた。
「なにが言いたい」

「――――次元漂流者」

 彼女の発した言葉に、クロノは眼を細めた。
「よく知っているな、そんな言葉を」
「ええ。ちょっと間抜けな人達が横で話していたのを聞いていましたの」
 こいつ、と顔をこわばらせる。
(聞かれていたのか? 小さな声で、しかもかなり離れていたのに? ……いや、待て。仮に聞かれていたとしても、そこまで困ることじゃない。軽く流してや ればいい)
 ――――なのに、どうしてこうも焦る? 魔女は、彼の焦りを見抜き、にこりと笑んでいた。
「あたくしの現状は、次元世界間の迷子なんでしょうの? それを正義の味方が放って置いてよいですの?」
「余りにも悪質そうな人間を、敢えて助けてやる必要はないと思うがな」
「命の恩人に向かって、言うじゃありませんの。あたくし抜きなら、お坊ちゃんも今頃、あの路地裏の一部ですわ」
「……分かるものか、そんなこと」
「分かりますわ」
 躊躇った彼と違い、彼女は即答だった。

「どうして、そう言い切れる? 僕にはまだ余力があった。あそこから逆転する可能性も十分にあった」
「――――ぷっ」
 ややぽかんとし、直後吹き出す彼女を見て、クロノの眉が顰められる。
「無理だったと言いたいのか?」
「さあ」答えは語らず、再度ソーサーを持ち上げる。「そんなことより、まずは、お坊ちゃんの返事から聞きたいですの。次元漂流者を、管理局がどう扱うの か、ね」
 片瞼だけを開けてクロノを見る魔女。"どうする?"と片目だけで見て、答えを促していた。

(……OK。分かったよ、答えてやろうじゃないか)
 バカにされていると気づき、クロノも腹を括った。
「いいか。そもそも管理局が重要視しているのは、"ロストロギア"と呼ばれるとある危険物だ。本来、迷子を家に届けるのは、僕らの仕事ではない。だ が、次元漂流者というのは、ロストロギアによって生まれる可能性があるからな。事件の一環として、解決を図っているに過ぎない」
 次元断層といった現象が起きて、それに巻き込まれたりとか、だ。心中のみの情報だった。わざと端折り、事態を分かりにくくしようという算段である。これ 以上飲まれ てたまるかという、若き執務官の意地だった。
「へぇ。ロストロギア。それはなんでしょうの?」
「今は無き、古き世界の超遺失物だ。下手な物になると、世界を滅ぼすしなもある」
 話が逸れたなと、話題を戻す。
「ロストロギアに関連する以上、君達次元漂流者を、可能な限り元の世界に戻すのは、僕達の責務と言えるだろう」
「ああ、良かったですの。なら、あたくしを元の世界に戻すのは、OKということですわね」

「いいや、NOだ」
 すっぱりとストップを掛ける。少女の眉が顰められたのを見て、クロノはよしと、話の流れを掴んだのを感じた。
「君は、状況が特殊だ。こちらに何人もの死者を出している化物を倒すだけの力、そして僕らに敵対しかねない思想。助 ける前に、君が次元犯罪者でないのかどうか、調べる必要がありそうだからな」
 自分が有利だと思っているのか? 思い上がりも大概にしろよ。そんな思いを込めて、鋭い眼光で少女を射貫く。

「……なるほど。そうきましたか」
 クロノの発言の後、居間に下りた沈黙の帳。ティーカップを置く音が、いやに響いた。目を伏せた彼女の雰囲気が、がらりと変わったのを、クロノは嫌でも理 解した。
「もうちょっと面白い駆け引きができるかと思いましたのに」人が変わったように重苦しい声。「お坊ちゃんは。本当に、本っ当に、お坊ちゃんですの ね」

 再び上げられた目をみて、クロノはぞっとした。海の深淵より深い碧眼。その色は、恐怖という感情を存分に刺激した。背筋が、氷柱と置き換わったか と思うほどにぞくりとした。瞬時に喉がカラカラに渇いた。
「き、みは」
「あたくしの外見に囚われましたわね? やり方が直情的すぎますの。こっちは、わざとらしいほど教科書通りに要求を出しただけですの」
 ただし、彼女の言うそれは人を騙す教科書である。始めに高い要求を吹っかけておき、後で下げた要求を出して、それを呑ませるやり方だ。順番を逆転させれ ば、どちらも呑まない筈なの に、一方がよいと勘違いしてしまう。
 ある意味では、悪魔の誘いにクロノは乗らなかったと言える。だが、彼の行動は、百パーセント正解でもまたなかった。
「ですが、こちらからの対価も、決して小さい物ではありませんでしたの」
「あの、魔物を倒す方法とやらがか?」
「ええ。お坊ちゃん、貴方は、管理局はロストロギアを重要視していると言いましたわね? 魔物をよく見なさいな。あれは、生体ロストロギアというべき物で すわ」
 目を見開く。恐ろしい相手だとは思っていた。しかしそれだけでは認識不足と、少女は言う。
「しかし、あれを生体ロストロギアなどというが、君はロストロギアのなにを知っている」
 その問いには、肩を竦める少女。
「重要なのは、そこじゃありませんの。貴方が知るべきなのは、無限に生き、無限に成長し、無限の欲望の塊――――魔物をどうしたら退治 できるか。それではありませんの?」
 そして薄い桃色の唇は、最悪の予言を告げる。

「さもなくば、世界はなくなりますの」

「……魔物が、世界を滅ぼす存在だと言うつもりか」
「当然ですの。伊達に"魔の物"と呼ばれてはいませんわ」
 余りにも自信に溢れる姿だった。それを見て、一つの疑問が湧く。
「君達の世界は、まさか滅ぼされたのか?」
「やっとまともに頭が働き始めましたわね。でも、その答えは、いいえですの」一瞬弛んだ目だったが、すぐに底知れぬ深さに戻る。
「確かに滅び掛けましたわ。でも、 まだあたくし達は負けてはいませんの」
 ナピィカはそう言い、クロノからは見えないように拳を握り込んだ。残念ながら彼にはばっちりお見通しの位置だったが。

 そこで彼は、頭が冷えていくのを感じ た。
(もしかして。彼女は、ただ焦っているだけなのか?)
 あれほどの戦力だ。彼女が欠ければ、彼女の組織や世界にとっては、相当のダメージになるだろう。だから彼女は、なりふり構わず帰ろうと+土産も持ってい こうとしているのか?
「こら。レディーをじろじろ見るなんて、マナーがなっていませんの」
「そうだな。いや、悪かった」
 単なる勘だったが、それでもクロノは思った。自分の考えは正しいのではないかと。
「成程、君達の状況は分かった。だが、それならこうも言えるな。僕らだって、魔物に打ち勝てる」
「言いますのね。ですが、状況が違いますわ。基本的に自分本位である魔物達は、あたくし達の世界では、それぞれの覇を競ってお りますの。逆にこれが互いを牽制することにも繋がっていますわ。
 しかし、 ここにいるのは、たった一つのグループだけ。ならばあれらは、己の本能に従って行動するだけですの」

 即ち、この種を食らい尽くせ。冗談めかした台詞は、しかし、全く笑えなかった。既に、死者が多数出ているのだから。

「更に拙いことに、こちらには魔法使いがいますわね?」
「いるにはいるが、どうかしたのかそれが」
「どうもしますわ。魔物は人を食らうだけで、強さは変わりませんの。ですが、魔法使いを食らったとなれば、話は別。魔力を増やし、知能を増し、言うなれば 進化するのですわ」
「まさか」思い当たる節があった。「さっきの奴が、突然強さを増したように感じたのは」
「考えている通りですの。あれが、下の下から上の下になった存在ですわ」
「あれで上の下、と? では、上位存在になれば一体」
 尚も続けようとするクロノを、ナピィカは手で遮る。

「サービスはここまでですの。後はお坊ちゃんが答えてからですわ。あたくしの事情を探らず元の世界に返すか、否か」
 呆然となるが、確かに、そこに答えないまま話が進んでいたと思い出す。
「く。そんな条件を」
 飲めるかと言いかけたところで、手がまたも振り割入った。
「別に断っても構いませんの。貴方方への説明なんてかったるいことせずとも、次元航行に関わる情報だけ頂いて、自分で帰還手段を作ってもよいのです わ」
「生憎だが、次元航行に関する情報は、管理外世界の者に易々と渡すわけにはいかないという事情を知らないようだ」
「百も承知ですわ。誰が、真正面から頂くと言っておりますの? 当然、横合いから掻っ攫うに決まってますわ」

 頭痛を堪えるように、クロノは頭に手をやった。
「さっきから似たようなことを言っているが……管理局の機密を盗むつもりか? 重罪だぞ。そもそもできる わけがない」
 だが、嘲るような笑みが返された。
「余裕ですの。現に、一度為しておりますもの」
「なに?」
 きっぱりと言い切るナピィカに、嘘をついている態度には見えない。
 クロノは、胸のざわつきが再燃したように感じた。今度は寧ろ大炎上だった。

(――――おい。まさか……いや、しかし)
 疑念は少し前からあった。何も知らなかっ た彼女。それこそ管理局の存在もだ。なのに、ここにきてどうにも、こちらの事情に"なぜか"詳しくなっている。

「待て。いつ、自分の立場を知った? ここが君の世界ではないと。それに、いつ、ロストロギアの意味を知った。そして、僕らの技術、兵器について、 どうやって情報を得た」
 嬉しそうに細まるナピィカの目で理解した。嫌な予感が当たった。全ての答えが収斂していく。
「ふふ。"ここ"の地球だけでなく、あなた方のシステムも、本当にセキュリティがざるで助かりましたわ。確か、闇の書と、その守護騎士、で すの? そちらと戦いながら、同時に情報のない敵と戦うのは難しいと思いますけれど、如何なさいます?」
「馬鹿な! アースラのシステムに侵入をしたというのか?!」
 彼女と顔を合わせて、最大の衝撃だった。
「自分が一体何をしたのか分かっているのか!」
「ええ、勿論。ですから、分からないのはお坊ちゃんの答えだけですわ。ほら、もう一度問いますわ。
 あたくしの情報提供を受けますわね? そ して、あたくしを 元の世界に戻しますわね?」
「ぐ、ぐぐぐ……!」
 やっと理解した。どうして、彼女と話していると、ああも不安になったのか。彼女は聖女などではない。悪魔だ。ともすると魔物より、ずっと。

(だが、考えろ。本当とは限らない……いや、それでも)
 相手の言葉の真偽は不明だ。限りなく黒だとしても。
 しかし――――仮定、もし、アースラのシステム侵入を許したのが本当だとしたら? 下手をすれば、アルカンシェルの制御すら奪われたり、アースラを自 爆をさせられる可能性もある。
 だが、艦の人間を危険に晒す"かもしれない"。それだけで答えは、極めて限定される。
 なのに、まるで選択肢を選ばせる ように示すナピィカを、実は本当に悪魔じゃないか、とクロノは臍を噛んだ。

「さあさあさあ。いかがなさいますの? はい? それともYES?」
「…………くっ! ……ああ、そうか。君の考えは分かったよ」
 答えは極めて限定されている。しかし、犯罪者には屈しない。時空管理局が、犯罪に負けてはならない。
 差し違えてでもどうにかする――――。クロノの目付きが、剣呑さを帯び始め、その手元に水色の輝きが灯った。

「やる気ですの?」
 ぱきりと、手を鳴らすナピィカ。手袋にでも覆われているのか、手首より上も真っ黒だ。色のせいか、異様なまでに迫力があった。
「できれば力に訴えるような真似は避けたかったが」
「ッハ、問題ありませんわ。あたくしはこっちの方が、本業ですの」
 緊張がキリキリと高まる中、小さな光が二人の間に入った。
「マイロード。流石に意地悪が過ぎるようでなりません」
「なんだ?!」
 む、と。ナピィカの顔が、好戦的な表情から、つまらなそうな物に変わる。
「なぁに? 貴女にしては珍しいですのね。あたくしのやり方にケチを付けるなんて」
「そのような意図を、持っていないことは明確です。わたしは、貴女のリンカーですので。故に」
「この光と声は? 君のデバイスか」
「ノン。デバイスではなく、リンカーベル……もといリンカー。あたくしの相棒ですの」
「勿体なきお言葉です。それでどうでしょうか、ロード。落ち着きを取り戻しましたか」
 ちかちかと点灯する光の声に、ナピィカは拗ねた声で言う。
「ふん。元々落ち着いてますの。命を助けた相手に、まるで犯罪者扱いされたようで、カチンときただけですわ」
「……おい、まさか次元犯罪者じゃないか確かめると言った時のことか?」
「ええ」
「僕の記憶が確かならば、その時には既に、君は十分挑発的だった筈だが」「わーすれましたのー」
 肩を上げて、I don't knowのポーズ。クロノは、さっきまでの緊張から一転し、へなへなと力が抜けそうになった。

「ということはなにか。僕をおちょくるだけおちょくったと言いたいのか。全部嘘やはったりだったのか」
「いえ、情報入手犯罪行為は幾つか」
「なーにちくってやがりますの。だったら、貴女は共犯者ですの」
「勿論です。否定などしません」
「殊勝な心がけですの」
「相棒ですから」
「やっぱりやることはやっているのか?! く、と言うか、こら! そちらだけで話を進めるなっ」
 強引に割り込み、クロノは小さな光を指さす。
「君らの犯罪行為は、後々言及させて貰う! だが、その前にこのリンカーとやらと、君のことを聞いておく!」
「ですから、リンカーはあたくしの相棒と言いましたの」
「分かるかっ、それだけで!」
「後、わたしのお話は、時空管理局のお話と引き替えに」
「まだ引っ張るか!」

 怒鳴るクロノを、ひょうひょうとナピィカは躱す。
「どうして君は……!」
 尚も問い詰めようとしたところで、一つの音が聞こえた。玄関が解錠された音だ。そして、新たな少女と女性の声が続いた。

「ただいま……あれ? クロノ、帰ってる。でも、靴が一つ多いような」
「おーい、帰ったよー。なんだか騒がしいね」
 玄関より聞こえた二つの声に、クロノは青ざめた。
「まずいっ」ナピィカの手を取り、「君っ! 何も聞かないで、今は隠れてくれないか!」
「お坊ちゃん。あたくしのことは、君じゃなくて、いい加減名前で呼びなさいの」
「言ってる場合かっ、君だってそうじゃないか!」
「言ってる場合ですの、そしてあたくしはいいんですの」
「無茶苦茶だ!」
 無駄な問答に付き合っていられるかとばかり、ぐいと手を引く。しかし、少女の体はぴくりとも動かない。逆にクロノが倒れ込む形になり、互いの息のかかる 距離まで接近した。

 初めはきょとんとしていたナピィカは、互いの体勢に気付くと、幼い顔に似合わない、艶のある笑みを浮かべた。
「ふぅん。大胆ですの」
「ち、違うんだ! そんなつもりは……はっ!」
 必死に否定しようとし、だだだと廊下を走る音に改めてクロノは焦った。
「アルフ! 廊下を走ったらダメだよ!」
「返事がないだろ。なにか起こってたらどうするんだい、フェイト!」
 正論かも知れないが、今ばかりはよして欲しかった。クロノがそう思う間もなく、マンションの廊下は途切れ、リビングにアルフを吐き出した。

「あああ……」この世の終わりが来ました=クロノ。
「あ・あ・あ」なにかが始まっちゃいました=アルフ。

 アルフは震える指で、クロノを指す。
「な、なにを、してるんだい……?」
「よ、よし。あるふ。いいかおちつくんだ。これは、だな。はなすとながくなるんだ。とても、とてもながくなる」
「おーい、お坊ちゃん。舌がいかれてますの」
「だ、れっ……誰のせいだと――――――――ぉ!」
 首を正位置に戻すと、目鼻の先にナピィカの顔が。忘れていたため再度吃驚し、ふっと第三者の視線が軽くなったのを感じた。ヤバイ!と音付きで振り返る も、時既に遅し。アルフの姿は、もう扉の傍から無くなっていた。

「アルフ、やめ……」
「フェ、フェイトー! フェイトフェイトフェイトー! クロノがクロノが、シスター・フェイトを手篭めにしようとしてるー!」
「なんだとー!」
 両手が自由なら、腹を抱えて笑う勢いのナピィカは言う。
「やーん、手籠めにされちゃいますのー」
「乗るんじゃない! おい、待てアルフ! 発言がおかしいことに気づいてくれ! 頼むから、全力で気付けっ! さてはいい感じに混乱してる なー!」
「あっはっは。どっちもどっちですの」
 慌てて走り出そうとするクロノの手を、ナピィカは掴んで話さない。更にはしなまで作り、
「ええ、そうなんです。初めてはベッドの上でと言いましたのに。この人がここでいいだろうと言って無 理やりあたくしを!」
「だからっ、乗るんじゃない! は、な、せっ!」

 とたとたと小走りの音。びくと震えるクロノ。半開きの扉からこっそり覗く影は、赤い眼をしていた。
「……え? あれ? クロノ……と、わたし?」
「あらまあ」
 一方は困惑で彩られ、一方は面白い物を見たと笑む。違う表情を浮かべた同じ顔が並んだ。

「ほ、ほんとにシスターのわたしだ」

 驚くところはそこかよっ! 頼むから、さっきまでのシリアスを返してくれ!
 クロノの魂の叫びは、空しく虚空に消える。

 

 ***

 

 月白白亜は、数日前からまともに寝た記憶がなかった。
 机上を走るペンを、ひたすら目で負っていた気がする。もしくは、山のような書類の文字だけを。
 最早ほとんど思考を停止させながら、逆にペンを止めることなくひたすら振るい続ける。

 おかしいな? どうして、わたしはこんなことばかりしているのかな?

 ささやかな疑問が芽生えた瞬間、彼女の手元で紙が破ける音がした。
「みぎゃあ!?」
 あまりと言えばあまりの悲鳴。紙と一緒に、カリスマがブレイクした瞬間でもあった。
「うふ……ふふふ」
 ゆらりと立ち上がり、ペンを壁に放り投げる。壁に突き立ち、かと思えば真ん中からひしゃげて砕け散るペン。独特の壊れ方は、彼女が無駄に技量を発揮した 証だ。
「……ああっ! お気に入りだったのに!」
 やった後で、しまったと叫ぶ。もちろん覆水は盆に返らない。ペンは粉々になり、もう先っぽを壁に埋めるのみで、影形がない。思わず手元で破れた紙を、更 に粉々にちぎりたい衝動に駆られるも、今度ばかりは寝不足で整備不良の理性が、なんとか止めた。

「うぐぐぐぐ! あー、もーやだー! どうして、こんな仕事しかないのっ?!」
 一旦愚痴を漏らすと、絞りのある白の制服が、いつも以上に煩わしく感じられた。少しだけ胸元を緩め、大きく息を吐き、背もたれにどっかと倒れ込む。

「あーあ……わたしがここにいるのって、こんなことをするためだったかな」
 答えは否。彼女は、魔物を倒すために組織に属したのだから。
「そりゃあ、人が魔物に襲われていないのはいいことだけど……」
 思いついた悩みを口にする、やはり自分は戦乱の英雄でしかないと再確認してしまい凹む。書類仕事以外の仕事がある=誰かが魔物に襲われている。ままなら ない。望んだことが、望まないことになるなんて、因果な仕事だ。髪をくしゃりと掻き上げる。

 そんな彼女の前に、丸くぼんやりとした光が下りてきた。よく見れば、光の中には小さな人の姿がある。小人、或いは妖精のようだ。布をゆったりと巻 き付けた白の衣装に、太陽を示すアクセサリーをふんだんにあしらった姿。大きさが人間大なら、十六程度の少女の姿だ。ただ実際には、三十センチほどの身長 である。
 それを見ても、白亜は驚かない。なぜなら、その妖精は彼女の相棒であり、彼女に与えられた魔術式自動人形であるからだ。
「リンカー、イラ・コチャは報告します。仕事の残は、極僅かです。息抜きは、全て終わった後がよいでしょう」
「分かってる」
「では」
「でもさ。やりきれないことってあるよね」
 妖精が首を捻る。仕事は正にあと一息であり、それが白亜にできない仕事だとは思えない。そう考えてるのが丸わかりで、白亜は苦笑する。
「違うんだよ。別にさ、できない仕事をさせられているって訳じゃないの。……でもさダメなんだよ、わたし。世界最強の戦力持っててさ、救世主とか言われた りだとかさ。でも、仲間が一人いなくなっただけで、こんなに弱いって分かるんだ」
「……仕事はこなしていますし、戦闘にも陰りはありません」
「まあ、ね。大人だから。こう見えても。隠すのはそれなりにできるよ」
 言いながら、彼女は破れた紙を伸ばし、継ぎ目を合わせる。もちろん、それだけでどうにかなるわけではない。だからもう一手だ。
「イコ。やって」
「Recovery」
 イコというのは、妖精の愛称である。呼びかけに応え、彼女が書類に手を翳すと、途端に紙の継ぎ目は消えてなくなった。破れていた紙が、完全に元通りの姿 を取り戻したのだ。何度か再生した紙を引っ張り、亀裂がないことを確認すると、白亜はその上に、サラサラと別のペンを走らせた。
「これで、お・わ・り、っと」
「はい、確かに。以上です。お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様」
 白亜が、とん、と軽く机を叩くと、山と積み上がっていた書類が、燐光と共に消え去る。転送の魔術だった。行き先に確認し、正しく転送されたと見ると、彼 女は思いきり伸びをして息を吐いた。

「ねえ、イコ」
「はい」
「わたしはさ、弱くなった。あの子が一人いないだけで」
 イコと呼ばれる妖精には、その言葉に思い当たる節があった。いや、今この隊にいる人間なら誰でも白亜が落ち込んでいる理由には、覚えがあるのだ。
「ナピィカ総副隊長のことでしょうか」
「うん、そう」
「落ち込んでも仕方がありません。事実は受け止めるべきです。彼女は既に」
 現場の状況から弾き出された最悪の結末を、機械らしい冷静さで口にしようとするイコ。白亜は人差し指を出して止めた。
「ノーだね。正しくない。それは全く正しくないよ、イコ」
「現在地球上に、彼女の反応はありません。導き出される答えは一つです」
「まだまだだなー。あの子のこと全然分かってないよ」
 首を傾けるイコ。彼女のそう言う仕草の愛らしさを、白亜は密かに気に入っていたりする。
「どういうことでしょうか」
「あの子は、そんな簡単に落ちないよ。きっと、全てを果たすまでさ」
 優しい顔で言い切り、目を閉じる白亜。――――しかし、次の瞬間には、ぎんと凶悪さを増した瞳を見開いた。
「だから、返ってきたら仕事の山にジャイアントスイングじゃボケー!」
「……」

 イコが、ナピィカだけでなく、自分の主人のこともよく分からなくなったが、ただの余談である。

 

 ***

 

 ぽすとすくりぷと。

「よく、事件番号まで覚えていましたね、執務官殿」
「ああ、まあな。尊敬する人が生まれた星だからな、ここは」

 この最年少執務官は、意外とミーハーかもしれない。心の人物ノートに書き加える武装局員の男が、いたとかいないとか。

 

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