いやー、酷い嵐だよ。参ったね。おい、アンタ。屋根の穴ふさいでくれたかい。

 ん、ああ。

 よしよし。なら、取り敢えずは大丈夫だね。
 おっと。待った待った、服が濡れちまうよ。ちょっと着替えてくるから待ちな。どうしたんだいナピィカ。もしかして怖いのかい?

 だって、だってやぁなの。かあさま、おそらごろごろうるさいの、ぴかぴかひかってるの。

 おー、とと。よしよし。そんなに怖がんなくて大丈夫さ。

 ――――閃光/雷鳴。

 やだぁ! ひかったぁ! かあさま、かあさまっ!

 よしよし。泣き虫だねえアンタは。大丈夫、大丈夫だよ。怖いものじゃないって。
 ああ思い出すねえ。丁度さ、アンタがうちに来たのはこんな日だったんだよ。あ れは、ある意味アンタのお母さんなのかもねぇ。

 

 ***

 

 リビングでは、深く、長い沈黙が続いていた。
(折角、余計な誤解が解けたと思ったのに、彼女はなにを考えているんだ。
 ……おい。もしや、わざとか? わざとやったんじゃないだろうな?)
 表面上は普段通りに取り繕うクロノも、ナピィカを恨めしそうに見やり、内心で溜息を漏らさずにはいられない。

 そして、その状況を生み出した当の本人が、手持ち無沙汰なのをいいことに、「あら埃が。ぷーっ」などと、髪を弄っていたりするものだから、苛 立ちを感じるどころではない。軽く、殺意が生まれそうだった。

(……人のペースを乱すのは得意らしい。結構なことだ)
 一度ならず二度までも。そんな意味が籠もる溜息が出た。

 最初はナピィカが、まるでクロノに襲われているかのように振る舞ったから。その次も、彼女がありったけの狂気をまき散らしたからだ。お陰で、今度 こそ場の雰囲気は壊滅してしまった。

 アルフは、ただでさえフェイトに似ている彼女に、警戒心を抱いていたというのに、今や、それは最高潮だ。そして、アルフの主人であるはずの フェイトに至っては、すっかり怯えている。

 クロノは、人目も憚らず頭を抱えたくなった。話をここで切り上げるのも考えた。
(しかし……くそ。やはり、話は聞かなければならない。現実に"魔物"とやらがいるんだ。どういう性質のものなのか。どう対処しなければならないのか。 情報が必要なんだ)
 そして、話を再開させられそうなのは自分だけ。腹を括るしかなかった。

(ああチクショウ。やってやるさ。どのみち、この中での最高責任者は僕だ。母さん……艦長ならもう少し上手くやるんだろうが。
 いや、言っても仕方がない。あれだけ局員が殺害されては、しばらくこっちに来られ ないだろう。だから僕は、あの人の息子としてではなく、船のNo.2として、振る舞う必要があるんだ)

 とはいっても、どうやって切り出したものか。
 覚悟を決めて、早速躓きそうになった彼だが、丁度、木っ端微塵になったティーカップが眼に止まった。そこではっとする。

「ナ、ナピィカ……さん。手は大丈夫なの――――ですか? カップの破片が刺さっていただろ……刺さっていたのでは」
 しまったと思ったが、もう遅い。相手の実年齢(ただし自己申告)を思い、敬語にしようとしたのだが、失敗した。ため口からの無理な変更と、緊張とが相 俟った結果である。思わぬ失敗に、彼は顔を赤らめた。

 だが、失敗ばかりとも言えない。彼の言葉を聞いたナピィカが、冷たい顔からぽかんと惚けたものになり、次いで笑みを漏らしたのだ。先ほどまでのよ うに、顔に貼り付けただ けの笑いではない。本心からの柔らかなものだ。

「喋りにくそうですわね? なんでしたら先程までと変わらない口調で結構ですの」
「う……す、すまない。それなら、ありがたい」
 失態ではあったが、場の空気を変えるのには成功した。彼は、そう言い聞かせて、自分を納得させる。事実、話は続けられた。

「寧ろ謝らなければならないのは、あたくしの方ですの。つい力を入れ過ぎてしまったようで。飛んだ粗相をしてしまいましたわ。申し訳 ありませんの。弁償は後ほど」
「いや、別に構わない。戦いの後だ、気分が変に高揚することもあるだろう。弁償なんか気にしないでいいさ。それより、君の怪我の方が、ずっと問題だ」
 本当に気にしていないといった感。ナピィカの表情は更に和らぐ。
「ふふ。それでしたら大丈夫ですの。怪我なんてしておりませんわ」
「まさか。そんな訳はないだろう。血が滲んでいた筈だ」
「気のせいですの。ほら」
 言って、手を広げて見せる。
 今更ながらにクロノは気づいたが、その手は服と同様に真っ黒だった。手袋でも着けているのだろう。艶やかな表面には、彼女の言 葉通り、確か に傷一つなかった。

「ね。なぁんにもしておりませんの」
「確かに何もしてないな。では、む……いや」
 胸の方か、と言いかけて慌てて口を噤むクロノ。しかし時既に遅し。相手にはしっかり伝わっていた。彼女は、折り返された白襟に人差し指を掛け、彼を誘 う。
「み・ま・す・の?」
「見・な・いっ!」
 先ほど失敗した時よりも、真っ赤な顔で叫んだ。

 

 ナピィカが襟に手をかけた時、顔を赤らめたのは、何もクロノだけではない。
(うう……不思議な気分。まるで、わたしがそうしているみたいで……)
 そう思ったのは、ナピィカと瓜二つであるフェイトだった。自分なら、あのようなことをしない。だから、恥ずかしく感じられた。

(あうあうあう。や、やめてぇ~)
 ぐるぐる回る思考。それ以上はやめてくれ。それじゃあまるで、わたしが痴女みたいではないか。等々。

「――――ああ、それでは」
「!」
 と。そこで、当のナピィカが振り向いたものだから、フェイトの心臓は、一気に高鳴った。

「な、ななな、なんでしょうか」
「? どうかしましたの? そんなに驚かなくても結構ですわ。ああ、いえ。そういえば驚かせるようなことをしたのは、あたくしの方でしたわね。ごめんなさ い ね、さっきは。ちょっと取り乱しましたの」
「いや、えっと……あの」
 先の狂乱が、実は今の動揺に関係ないことを、フェイトは言えなかった。素直に謝罪している相手に、「痴女みたいとか考えていました」などとどうして言え るのか。
 だから彼女は、俯きがちに黙り込んでしまう。 その行動を、ナピィカが自分を恐れての結果だと判断してしまうことには、思い至らないままに。

「少し脅しすぎましたの……」
「あ、あの、そういうことじゃ」
「……まあ、そう言う認識でも構いませんの。取り敢えずフェイト、こちらにおいでなさいな」
 手招きするナピィカ。フェイトは素直に立ち上がり、それから問うた。
「あの、どうして?」
「ああ」
 ナピィカは、ちょいちょいと胸元を指さす。
「先のお坊ちゃんへの一言は冗談。男の人に軽々しく肌を見せる気は、さらさらありませんの。ですが、彼はあたくしが 怪我をしているとお疑いのご様 子。だからここで、貴女が 確かめて下さると助かりますの」
「あ、そうだね」
 納得して歩き始めると、クロノから声を掛けられる。
「足下に気を付けて。破片が散らばっているからな。片付ける道具を持ってくる間に、確認を頼んでもいいか?」
「うん、分かった」
「じゃあ頼むぞ」

 言葉通りに、クロノは居間を後にする。そしてフェイトは、破片の散らばり具合を確認しながら、恐る恐るナピィカの所へ歩みを進めた。何故か、アル フ も一緒だった。
「アルフ?」
「気にしないでいいよ、フェイト。あたしも自分の目で確かめておきたいだけだからさ」
「大袈裟ですのね」
「別にいいじゃないだろ? 手間が変わる訳でも無し」
「……まあ、この際一人でも二人でも構いませんの」
 この時、アルフとナピィカの間で火花が散っていたのを、フェイトだけが知らない。

 ――――この子に変なことをしたら承知しないよ。
 ――――しませんの。アホらしい。

 

 二人が十分に寄ったのを見て、く、とナピィカは襟を引っ張った。妙な気恥しさを感じながらもフェイトは、その胸元を覗き込む。アルフも、それに続 いた。
 見えたのは、フェイトと同程度に緩やかな膨らみを描く素肌だ。怪我も穢れも、一切なかった。

「……あれ? 本当に、何もしてないだって?」
 どこか納得いかなげに眉を顰めるアルフ。フェイトは対照的に、表情を緩めた。
「うん。本当に怪我してないね。良かった。でも、さっき血が見えた気がしたんだけど」
「ですから気のせいと言っておりますの」
「血の臭いもした筈なんだけどな」
「あら。では、さっきのでしょう。つい先ほどまで血塗れでしたから。流しきったつもりでしたけれど」
「血、血塗れ?」
「あたくしのじゃありませんから、大丈夫ですの。ただの返り血です」
 え゛?と固まる二人を尻目に、
「少しだけ失礼しますの、フェイト」
 たまたまいい位置にあったフェイトの手を掴み、それを支えにナピィカは立ち上がった。

「……あ、あの?」
 なにを思ったか、立ちあがってからも、手を握り続ける。フェイトからやや戸惑いの声が上がると、ようやくぱっと離した。
「どうかしましたか?」
「ああ、いえ。柔らかい手だと思っただけですの。あたくしとは大違いで羨ましいですわ」
「そ、そんなこと……」
 無い、とは言えなかった。フェイトの手を包んでいた彼女の手は、まるで鉄か何かのように冷たく、堅かったのだから。

「ま、生身でない以上、仕方ないことですの」
「……生身でない?」
 今度の戸惑いの声も、フェイトとアルフの両名から上がった。だが、ナピィカは敢えてそれに応えない。代わりに、リビングに入ってきたクロノに目をやって いた。
「さて、お坊ちゃんも戻ってきたようですし、一先ず片付けを行ってから、話を再開すると致しましょう」
「は、はい……」

 


「ああ、美味しいですの。では、なにからお話しいたしましょうの?」
 片付けを終え、再び湯気を立ち上らせるティーカップを手に、ナピィカが切り出す。ただ、先ほどと違うのは、参加者が一人追加さ れたことだ。

「いやあ、お姉さんビックリしちゃった。こんなにフェイトちゃんそっくりな子がいるなんてさ。わたし、エイミィ・リミエッタ。よろしく ね~」
「特別指定災害対策組織『ニーラ』の試験部隊副隊長兼総副隊長、ナピィカ・カムトゥユンですの。フェイトについては、あたくしもビックリしていた所です の。こちらこそよろしくお願いしますの、エイミィ」
「あや、早速呼び捨て?」
「ええ。見た目はともかく、あたくしの方が年上なので。なんならちゃん付け致しましょうか? エイミィちゃん」
 固まるエイミィ。「……冗談、だよね?」
「残念ながら、大マジですの」
「らしいよ」
 クロノも、紅茶で口を湿らせつつ同意する。
 執務官補佐、兼、アースラオペレーターのエイミィ・リミエッタが、ナピィカの年齢暴露に驚きの声を上げたのは、その直後のことだった。

 

 さて、と。固まる彼女を尻目に、クロノは話を再々開する。
「ではまず……そうだな、魔物とやらの話……の前に、君の相棒について聞かせてくれ」
 その言葉に、おや、と驚いた顔をするナピィカ。
「そちらからでいいですの?」
「そちらからがいいだろう」
 落ち着いた声で、きっぱりと言いのける彼に、ナピィカは軽く首肯した。

「イミーヌ、良かったですわね。貴女の出番ですの」
「はい。只今」
 ぽうと灯った小さな光に、一度は目撃したクロノ以外の三人が、揃って驚きの声を上げる。光が、テーブルの上に降り立ち、その中から小人が現れると、今度 こそクロノも目を見開いた。

「お初お目に掛かります。わたしの名は、イミーヌ。Man-machine rink interface. 通常、リンカーと呼ばれております。第一世代人工知能搭載の魔術駆動型人形です。以後お見知りおきを、よろしくお願いします」
 こつ、と。テーブルに打ち鳴らされ、堅い革靴が鳴る。そこに立つは、執事服に身を包む、身長三十センチほどの小人だった。

 性別は女性。それは、体にフィットした服に浮かぶ、メリハリのあるラインが示していた。人の顔ほどの大きさしか持たない小人だが、外見年齢で言えばナ ピィカより遙かに大人である。
 その黒髪は腰まで届き、エナメルの滑らかさと、黒真珠の輝きを同時に持つようだ。つんと釣り上がった目や、横一字に結ばれた口元は、彼女の意志の強さの 現れか。
 そして挨拶を終えると、直立不動でぴくりとも動かない。ともすれば、出来の良い人形のような彼女を見て、フェイトは言った。
「……妖精みたいだ」
「NON. リンカーです」
「わ」
 反応は早い。そして、謝罪の言葉を口に仕掛けたフェイトに、続けて言った。
「しかし、そのように思われるのも仕方がないことでしょう。こちらの世界には、わたしのような"リンカー"は存在していないようですから。敢えて近いもの を考えるならば、妖精というのは、ええ、実に良い形容であると考えます」
 回りくどいが、口を滑らせた彼女をフォローする言葉だ。イミーヌの知性が、かなり高いレベルにあると、その場の誰もが理解した。

「機械、いや、知性を持ったロボットと言うべきか?」
「はい。ただし、わたしの役割は、自身が労働するのではなく、人と労働機械の仲立ちをすることにあります」
「仲立ち……ね。具体的には、どういうことをしているの?」
「ユニバーサル・コントローラーとして、ありとあらゆるインターフェースに介在し、人が機械を利用する際の緩衝材となります」
「なるほど。常時起動する、補助装置と言うことだな? となると……そうだな。簡単な例で申し訳ないが、例えば、君一人でテレビやエアコンのリモコン代わ り ができ、またコンピュータへの入力といったこともできると、そういった理解で構わないか?」
「正にその通りです。すばらしい理解力をお持ちです」

 クロノやエイミィが、代わる代わる質問しても、イミーヌは淀みなく答えていく。できる秘書といった風である。ただ、そこでナピィカが異論の声を上 げた。
「流石にそれだけでは、看板を偽りすぎでしょうの。一般向けなら兎も角、貴女は、あたくしと共に戦場を駈ける最強の相棒でしょう」
「イエス、マイロード。わたしは貴女のための雷霆であり、光輝であります」
「ふふん。ゼウスとは良い選択ですの」
「光栄です」

 雷霆とは、ギリシャ神話の最高神たるゼウスの武器であり、光輝もまた彼の甲冑の名前である。もちろんその場の大多数が、地球の神話には疎いため、 彼女らの会話にはついて行けない。
 それでもフェイトは、辛うじて理解できた点について、おずおず手を上げ て尋ねた。
「武器になるってことでいいのかな?」
「ええ、フェイト。その通りですの」
 しかも、伊達じゃありませんの、ふふふ。と怪しく笑うナピィカ。それに気付かず、フェイトは言った。
「じゃあ、バルディッシュと似ているのかも」
「……バルディッシュ?」
 ここにきて初めて、「それは知らないぞ」という顔を覗かせるナピィカ。
「うん。インテリジェントデバイスって言うんだ。ちょっと待って……はい」
 フェイトが取り出した金のワッペンを、ナピィカは興味深そうに見やる。
「これが?」
「そう。わたしのデバイス。バルディッシュ、挨拶して」

"Hello"

 きらりと光り、挨拶をするデバイスに、ナピィカは本人も知らずの内に顔を輝かせた。
「おー、喋りましたのっ」
「インテリジェントデバイスと言うくらいですから、その程度はこなせるのでしょう」
 何気ない言い方。だが、どこかイミーヌの声のトーンは低い。
「おや? ……もしかして、わたしがこの子に驚いたことに妬いてますの?」
「NON. 違います」
「まーったく、子供ですの」
 静かに答える彼女になにを感じたか。ナピィカはくくと笑いをかみ殺した。

「ごめんなさいの、フェイトにバルディッシュ。この子は、まだロールアウト直後で、学習期間中ですの」
 なんだって、と誰もが目を剥く。あれほどの受け答えができながら、まだ学習期間中という。その言葉が信じられなかったのだ。
「待ってくれ。それは、事実なのか?」
 クロノが問うと、イミーヌはこくりと頷く。
「はい。わたしの回路が始動してから、現在で丁度四千九十六時間になります」
「ということは……大体百七十日余りかぁ。こりゃ、最初の完成度がとんでもなく高いのかな」
「む。エイミィ。貴女中々計算が速いですわね」
「そうかな? これくらいはみんなできるよ」
 ね、と彼女が振り返ると、クロノやフェイトが首肯を返した。渋い顔をしたのはナピィカ一人だけである。

「……ま。それはそうとして、この子の話に戻りますの」
「あれ? もしかして計算が苦手とか――――」
「それはそうとして、この子の話に戻りますの」
「……はい」
 有無を言わせぬ笑顔だった。

 再々々開。

「こほん。さて、今言った通り、この子はまだ子供でして、できるなら色々こちらで学ばせて頂きたいと思いますの」
「ああ、そうだな」
 心中で、"君のように性格が曲がらないように"と付け加えるクロノ。
「今、なにか変なこと思いませんでしたの?」
「いいや、思っていない」
「即答とは怪しいですの」
「……思っていないぞ」
「躊躇うとは怪しいですの」
「どうして欲しいんだ、君はっ!」
「さあ」
 がくりと肩を落とす。これ以上は時間の無駄だった。

「……もういい。君の相棒のことは、大体分かった。次は魔物のことについて教えてくれ」
「はーい。了解ですの。どこから話しましょうの?」
 ふむ、とクロノ。
「まず、あれは君の世界の生物という認識でいいのか?」
「はい、とも、いいえ、とも言えますの」
「謎かけをしている暇はないんだが」
 ただでさえ時間が掛かりすぎているんだぞと、ジト目で暗に訴える。それに気づき、ナピィカは、ぱたぱたと手を振る。
「いえいえ、そんなつもりは毛頭ありませんの。あれはあたくし達の世界で生まれたものであっても、元があたくし達の世界にあったわけではないと……」
 そこまで言って、うーんと腕を組む。
「少し口では説明しにくいですの。百聞は一見に如かず。 イミーヌ、出しなさ いな」
「イエス、マイロード。ゼロ、イチで表示を行います」
 ナピィカが広げた掌を軽く上げると、その上に、真球 の宝石が現れる。ゆっくりと回転し、常に色を変える不思議な球だった。

「これが全ての始まり。立体映像ではありますが、多少は雰囲気を掴めるかと思いますの」
「充分だ。だが、まさか……それは」
 あの現場での、壮絶な光景がクロノの脳裏をよぎった。
「ええ。お坊ちゃんはこれに見覚えがある筈ですの。
 そう。これが、魔物の最重要部分ですわ。これに取り憑かれることで動物が魔物となり、これさえ破壊したら魔物ではなくなりますの。逆に言えば、これが 残っ ている限り何度でも甦りますわ」
「なるほどな。だからあの時、君はそれを探してあんな真似をした訳か」
「む。お坊ちゃん、あたくしが毎回ああいうことをしているとでも言いたげですの」
「……違うのか?」
 訝しむクロノに、ナピィカはむくれてみせる。

「全然違いますわっ。本来は面倒だからあんなことはしませんの。纏めて 吹き飛 ばした方が楽ですから」
「そうか」
 にしては手慣れている気がしたが、などと野暮な突っ込みは入れない。だが、別の方でそろそろと手が上がった。

「……あ、あの、ナピィカさんにクロノ、ちょっといいかな?」
「なんですのフェイト」
「魔物って、なにかな?」
「そうそう。勝手に話進めてるけど、あたしらはそれ知らないんだよ」
「ああ」ぽんと、手を打ち、「ははあ、確かに。貴女達への説明をすっかり忘れてましたの。イミーヌ」
「イエス、ロード」
 また、別の映像が空中に浮かんだ。手の平サイズ に縮小されてはいたが、それは異形達の姿だった。

「うえっぷ。何だいこりゃ」
 吐き気を催すような造詣の数々に、アルフは、げえっと舌を出す。
 他の面々も似たり寄ったりの反応だ。ただしクロノだけは、別の反応を見せた。

「……こいつは」
 彼が指さしたのは、数いる魔物達の内、最前列にいる個体だ。それだけは、彼にも見覚えがあった。
「さっきの魔物か」
「ええ、その通りですの」
 苦虫を噛み潰したような顔のクロノ。先の光景が頭によぎったのだろう。しかし、彼の発言は思わぬ波及を見せた。

「ちょ、ちょっと待ったぁ! クロノ君っ。連続魔導師殺傷事件の犯人と遭遇したって報告があったけど……まさか!」
「まあな。その、まさかだよ。これが、犯人だった」
「嘘ー!? こんな変なのが相手だなんて聞いてないっ! 大丈夫だったっ? 怪我してないっ!?」
 叫び、クロノの体をぺたぺた触り出す彼女に、むしろクロノの方が驚いた。恥ずかしいやら、むず痒いやらで、瞬く間に茹で上がった。
「ちょ、落ち……落ち着けってエイミィ! 報告にも上げた通り、僕は無傷だ!」
 強引に突き放しはしないものの、きっぱりと断言する。それを聞き、エイミィはへなへなと腰砕けになり座り込んだ。
「だって! こんな、こんなにやばそうな奴だなんて思わなかったのに!」
「あのな」溜息。「エイミィ。こんなことは、言いたくはないが――――これまで何人やられたと思っているんだ。相手が魔物じゃなくても、きっと恐ろしい奴 だったさ。だろう?」
「そりゃ……そうかもけど」

「おいこら。夫婦漫才をやめないのであれば、説明も打ち切りますわよ」

 ばっと二人が振り向くと、口を尖らせたナピィカがいた。
「あたくしが助けた以上、お坊ちゃんに問題などありませんわ、エイミィ」
「え、えと。あはは。……ごめんね?」
「心配するのが悪いと言っている訳じゃありませんの。ただ、そういうのは、後でゆっくりべったりしやがれですの」
 やれやれと肩を竦める彼女に、クロノとエイミィ両名は、頬を赤らめた。

「悪かった。話を続けてくれ」
「えーえー、嫌でも続けてやりますの。さて、フェイトにアルフ、そしてエイミィ。分かりましたか? これが魔物ですの。もっとも、これでもあたくし達が遭 遇したものの内、ほんの一部分 ですけれど」
「これで、一部か」
「ざっと見、四十はいるのにね」
 露骨に嫌な顔をするクロノとエイミィ。どれもこれも、醜悪な面構えなので、それも仕方なかった。
「はい。そして、見てお分かりのように、一体たりとも同じモノはおりませんの。見た目だけではなく、能力もバラバラ。ですが、たった一 つだけ共通点がありますの」
「共通点?」
「はい、それは――――」

 

 ――――人を喰らう。

 

 一言で、体感温度が二度ほど下がった。
「人を……この、魔物達は、人を食べるんですか」
 緊張しているフェイトに、ナピィカはこくりと首肯を帰す。
「ええ。あたくし達が食べ物を欲するように、アレらは、あたくし達の体を欲してますの。しかもそれが、魔法使いであれば、尚のこと」

 そう聞いて、クロノも先の話を思い出した。
「確か魔導師を喰らい、奴らは進化するんだったな」
「ええ。より強靭に、より魔力を備え、人間にとってより大きな害悪となる為に。人を滅ぼし尽くすまで。否、或いは、絶滅させても、奴らは止 まりませんわ」
「何ともしがたい。……とんでもない奴らだな」
「言えてますの。ま、そのとんでもない奴らが、あたくし達の主な敵なのですけれど」
 ナピィカは茶化すように、けらけらと笑う。雰囲気が寒々しいので、すぐに取りやめたが。

「魔導師から力を得る、ね。じゃあ、ある意味『闇の書』に似ているのかな?」
「さあ、どうでしょう。ただし少なくとも、闇の書の守護騎士とやらとは違い、魔物はリンカーコアとか言う物だけを狙うほど、甘くはあり ませんわ」
「……あれ? 尋ねたのはわたしだけど、そういえば何でナピィカさんは闇の書のことを知っているの?」
「ふふん。知っていることを知っているだけですの」
 しれっと返す彼女を見て、よく言うと、クロノは心中で呟く。彼女が、アースラのシステムに侵入し、情報を盗んだことは、先の二者会談から明らかになって いるのだ。
 だが、爆弾でジャグリングをするつもりはない彼は、せっつくように先を促すに止めた。

「さっさと話を進めてくれ」
「はいはい、早いと嫌われますわ、お坊ちゃん?」
「お、大きなお世話だっ」
「ふ」
 やたらと色っぽい流し眼をされるが、クロノも今回ばかりは乗り切った。極短い間だが、色々あったお陰で、彼には耐性らしきものが付いたらしい。

「つまらないですの。……ま、いいでしょう。さて、魔法使いを食べれば強くなる魔物達ですが、あたくし達の世界では一つ問題が起こり ましたの」
「問題?」
 フェイトが首を傾げる。だが、クロノには何となく、嫌な予感があった。

「魔導師が一人もいなくなった、とか言わないだろうな」
「大正解ですの」
「……当たってしまったか」
 正解が嬉しくなかった。しかも、彼女は更に言った。
「ただ、魔物のせいではありませんの」
「魔物のせいじゃ、ない?」
「ええ」
「それ以外の要因となると――――まさか」
「そのまさか」

 ナピィカの顔は、笑っても怒ってもいなかった。全くの無表情。そのままで彼女は言った。

 

「魔物がそれ以上に強くなることを恐れ――――他でもない人間が、同じ人間であった魔法使い達を、皆殺しにしたのですわ」

 

 唖然とする暇もなかった。
 ぱちり。ナピィカが指を弾くと、一つの立体ウィンドウが開く。棒グラフが現れた。縦軸は人数。横軸は、一ヶ月ごとに進む時間。
 始まりでは、一億あまりあったものが、右に進むにつれて激減していく。そして、Todayまで辿り着くと、ゼロに。

「…………」
 開いた口が塞がらないとは、正にこのことだった
 淡々と示されたデータの意味は、余りに重い。グラフのタイトルは、"Number of magicians"。一億人以上の魔法使いが、たったの数年で全滅したというデータだ。
 それも、ナピィカの言葉を信じるなら、 誰でもない人の手によって。

 その状況で、真っ先に再起動を果たしたのは、アルフだった。テーブルを叩き、勢いよく立ち上がる。
「こっ……こんな酷い話があるかい! その魔導師達が、なにかした訳じゃないんだろ?!」
 激高する彼女とは逆に、ナピィカは静かすぎるほど冷静だった。
「ええ。ごく少数は、やけっぱちに犯罪を起こしたと聞いておりますけれど、ほとんどはなにもしておりませんわ」
「だったら! どうして――――!」

 テーブルをがつんと打つ。カップの幾つかが、音を立てるも、アルフの耳には届かない。彼女の、いや彼女を含むその他の者達に共通していたのは、納 得でき ない仕打ちへの怒りだけだった。

「どうして、一億人以上も虐殺されなきゃいけないんだ!」
 落ち着きなさいの、とナピィカは言う。
「これは一応公式になったもので、本当はもう少し残っているはずですの」
「もう少しって何人!」
「確か――――符術師『Lazy Lady』、賢者『ドロワの魔女』、海神『赤袴』、壺主『蟒蛇』、人形師『蜂蜜』……等々おりまして……ただ正確な数はというと、その」
「その他に才能のみ持つ者が数人。合計でも、二十には満たなかったかと」
 イミーヌの今ばかりは不要なフォローに、ナピィカは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「ほとんど変わらないじゃないかっ!」
「あ、あたくしだって認めたくはありませんの! ……ですけどそれが、人の理性の限界でしたの」
 視線を逸らす。或いは、強く振る舞おうとする彼女の限界が、そこに現れていた。
 それを見て、流石にフェイトがアルフを止めに入る。
「アルフ、ダメだよ。ナピィカさんが、それをした訳じゃないんだから」
「フンッ。どうだか。関わってないなんて、一言も言って無いじゃないか」

 鼻を鳴らすアルフ。確かにナピィカは、そう言っていなかったので、彼女の言葉は正しい。
だが、それは言ってはならぬ一言だった。

「……取り消しなさいの。あたくしや、あたくしの家族を侮辱する言葉ですわ!」

 ぢりっと空気が焦げた。ナピィカが、幾度かスパークを散らしながら、立ち上がり吠えていた。思わぬ反応に、アルフは、う、と 後ずさる。
「な、なんだい」
「何度も言わせるな。取り消しなさいの」
「……本当に、関わってないんだろうね」
「当然ですの!」
 怒りで、ナピィカの目はギラギラとしていた。

「よいですか。天地神明に誓っても、あたくしの家族は、『魔女狩り』には一切関わっておりませんの。いいえ、むしろ止めようとして追放されたのが、 あたくしの父母ですのっ。それを――――」

 まくし立てる。口角から泡を飛ばしても気付かないほどの勢いだ。悲しみと怒りが混じる声だった。嘘など、混じりようもない必死の訴えだ。それだけ でなく、どうしてか泣きそうな顔で、彼女は言葉を紡いでいた。

 事、ここに至ればアルフとて、自分の間違いを悟る。最後までは言わせてはいけない。そう思うや否や、彼女はばっと頭を下げた。
「あたしが悪かった!」
「よくも! ……って」
「ごめん。本当にすまない! 謝って許されることじゃないだろうけど、今のはあたしが悪かった。確かに、アンタとアンタの家族を侮辱する言葉だったよ。だ から、ごめん」
「む。むぐぐ」
 口をぱくぱくと開閉させ、顔を真っ赤にし、瞳を揺らす。許すか否か。迷っているようだった。そして、フェイトもアルフに続いて頭を下げた。

「あの、わたしからもごめんなさい。アルフも、悪気があった訳じゃなくて、その……あんなに酷いことがあったなんて思うと、きっといてもたってもい られなかったんだ」
「……どうして、貴女が謝りますの」
「アルフは、わたしの使い魔だから。使い魔のしたことは、わたしのしたことだから」

 アルフの頭が跳ね上がる。
「そ、そりゃ違うよ! 今のはあたしがバカやっただけだ! フェイトにはなんにも悪いところなんてないんだよ!」
「ううん。一応主人だから、ね? こんな時くらいは」
「ううう、フェイトー……」

 かばい合う二人を見つつ、ナピィカは先のフェイトの発言を、口中で繰り返していた。
「……使い魔」
 目を閉じ、もう一度唸り、十秒ほど経ってから、彼女はぱっと瞼を開けた。

「――――よし」
 アルフ、と呼びかける。
「今のは水に流しますの。あたくしも上手く話せませんでしたし、そちらは事情を知らないで先走った。どっちも悪かったということで、ここは一つ手を打ちま しょうの」
「許してくれるのかい?」
「ええ、まあ。ただし、次はありませんの」
「もちろんさ」

 そこでぽつりと、感慨深げにアルフは言った。
「家族、大事だったんだね」
「なにを当たり前のことを言ってますの。大事じゃない家族なんてありませんわ。例え血が繋がって無かろうと、あたくし達は世界一の家族でしたの」
 安らぎの表情で、手を抱く。過去を思い出しているのか、優しい微笑みすらあった。

 だから、だろうか。ホンの少し前に、母親との別れを経験したフェイトは、彼女に問わずにはいられなかった。
「聞いても、良いかな。どんなお母さんだったの?」
 彼女が問うと、ナピィカは視線を宙に投げた。
「そう、ですね。強くて、いっそおおざっぱなほど大らかで、でも、とても優しくて……」くつくつと笑って。「信じられます? 鳴き声が聞こえたって言っ て、大嵐の中飛び出し て、捨てられていたあたくしを見つけたんですって」
「それは、なんというか――――うん、凄いや」
 "捨て子"というところでコメントに困ったが、曖昧にそう返すとナピィカは満足そうであった。
「ええ。まあ、先にも言った通り、血が繋がらない家族だったのは、あたくしが嵐の中に捨てられたからですの。それでも、母様はあたくしを引き取って、本当 の子供と同じように育ててくれましたの。もちろん父様も、とても優しかった」

 嬉しそうに。それはそれは、とても大切なものだとすぐに分かるほど、彼女の語りは幸せに満ちていた。

 ――――対比的に、彼女の家族が魔物に引き裂かれたという事実が、余りに凄惨に浮かび上がるほどに。

 

「……魔物の話に戻りますの」
 ぽつりとナピィカは言い、立ち上がっている立体ウィンドウを全て消した。

「さっくり言ってしまいますと、こちらの世界にいる魔物は、恐らく一体だけですの」
「一体だけ? では、もう終わっているじゃないか」
「いいえ」
 首を横に振り、イミーヌの名を呼ぶ。そうして、新しく開いた立体ウィンドウには、一人の薄絹のみを纏った美女がいた。
 クロノ達が知る由もないが、それは、ナピィカがこの世界に来る原因となった魔物であった。

「無数に湧く魔物の中でも、最強と謳われる名持ちの一つ。――――『鏡の貴婦人』。これが、この世界にいるたった一体の魔物ですの」

 『鏡の貴婦人』。ガラスのソファーに体を横たえ、冷たき瞳を細めながら、堕落へと誘う邪笑を浮かべる女の姿を取る魔物。
 立ち上がったウィンドウには、彼女の身体的特徴のみならず、その危険度が最高ランクであること、そして奪った命の数まで示されていた。

「そ、総殺害数が、約七億人……?! 馬鹿な!」
「クロノ君、それだけじゃないよ。確かこの世界で一番強い質量兵器って、核兵器とかいうやつだよね? ほら、ここを読むと」
「その、核兵器を一万発以上打ち込まれて無傷だったって書いてある……嘘」
「全くですわ。あたくしだって、信じたくはありませんの。でも、事実ですわ」

 彼女の口ぶりから、情報に嘘がないことをクロノ達は悟る。
「魔物の最上位は、それほどのものと言うことですの」
「……君の言っていたことも、納得できた。世界が滅ぶというのが、嘘ではないとね」
「そんな、しょうもない嘘は吐きませんの」
「だが、問題はこの鏡の貴婦人とやらが、僕が相対した魔物とは似ても似つかないと言うことだ」
「それなら単純なことですの。これの能力が、写し取り映し出すからということでして――――」

 すました顔でティーカップを持ち上げ、傾けたところでナピィカの片眉が上がる。

「すっかり冷めてしまいましたの。お代わりを頂けて?」

 

 ***

 

 あちらこちらが、人工の光で満ちた作業場だった。百人いようが、狭さも感じさせないだろう広大な部屋だ。才色兼備の言葉が相応しい女性博士のレオ ナが、ただ一人で作業を進めていたのは、そんな場所である。

 しかし今日は少し趣が異なっていた。彼女の傍には、煌々と輝く立体ディスプレイがあり、そこから、どこか気怠い感じのする女性の声が漏れていたの だ。

<でぇ? 最近、どこからか『ドロワの魔女』とか言う呼び方が聞こえるんだけどさ。お前、なにか関係しているだろ。どういうことか、キリキリ吐きあ そ……>
「なんだ。わたしが、言ったのがそのまま付いたのね。良かったじゃない。ドロワ」
<うぉい! おいおいおいっ! まるでわたしの名前みたいに呼ぶんじゃない!>
「うるさいわね。もう一つの方を広めるわよ」
<……一応聞いとくけど、どんなものだ>
「寝落ちの賢者」
<なにそれひどい>

 あー、とか、うー、とか意味のない言葉を垂れ流すディスプレイに、いい加減苛ついてきたか、レオナは低い声で「ねえ」と、相手に呼びかける。
「こちらは忙しいのよ。用がないなら切るわよ。寝落ち」
<そっちは本当にやめてくれよ。あー、昔はあんなに可愛かった……か?>
「シルク、ミルク。どっちでもいいから、そのディスプレイ消しなさい」
<あ、ちょ、ごめんごめん! 声でのやりとりとか久しぶりだからホント調子に乗りましたすみませ」

 ぶつりと途切れる音声。
「切りました」
「ありがとう、シルク」

 どこからともなく聞こえる幼い声。些か柔らかい声でレオナが返すと、しばらくの間静寂が訪れた。しかし、長くは続かない。

「かあ様かあ様、お客が来たみたい」
「母上母上。ノックの数、実に三十二回を数えました」

 先ほどの声に、もう一つの幼い声が加わり、そんな報告が上がった。剃刀のように切れ上 がった目付きの女博士は、はあと物憂げな息を漏らす。
「そう。誰?」
「うん、総隊長みたい」
「総隊長です。どうしますかと問います。ノック、六十四回を超えました」

 創立者を除けば、属する組織のトップである少女が、過激なまでのノックを重ねながら訪ねて来ている。とすると、対応方法など一 つだろうに、幼な声達は、母と慕う博士にその方法を問うた。

 そして彼女の答えは――――また碌でもなかった。
「そうね。わたしには聞こえないから、無視して構わないわ」
「あはっ。分かったぁ」
「はい。了解です」
 二つの幼な声は、何の戸惑いもなく、その言葉を受け入れる。そのまま静かに、作業が続く。

 かと思われたが、そうなっては堪らないのが、ノックし続けていた少女である。

「『本当は聞こえているのに無視するなショット』ぉ!」
 純白の光と共に吹っ飛ぶ扉。その延長線上には、レオナの背中があった。しかし、光と扉の破片、そのどちらも彼女まで三メートルといった所で 見えない壁に阻ま れ、あっけなく砕け散る。どういった理屈か、破片と呼べるようなものすら残らず、光の粒のようなものだけが、はらはらと舞って、やがて消えた。

「……やぁっぱり、いるぅー!」
「危ないわね。魔物以外に魔術攻撃を仕掛けるのは、御法度よ。それに、相変わらず命名が酷すぎるわ」
「今のは、無視され続けたから怒ってたの! 確かに、ちょ、ちょっとはやり過ぎたかもしれないけど……て、また人の名前付けに文句付け ないで下さい!」
「次から次にと、本当にやかましいわね」

 手を打ち払うようにして、自分の周囲にあった空中投影ディスプレーおよびキーボードを消すと、レオナは、自分の背丈以上の砲杖を構え る総隊長の少女に向き直った。

「さあ謝りなさい。わたしの部屋の扉を壊したこと、怪我を負わせかけたこと」
「……あれ? おかしくないけど、おかしい状況になりつつある?」
「謝って」
「え、えっとぉ」
「謝って」
「う、ううぅぅ……」
「謝ることもできないの?」
 全く自分に非はないという声色での、四度の請求。それが、少女には耐えられなかった。例え、理不尽な要求だとしても。

「ご、ごめんなさぁいっ!」
 満足げに頷くレオナ。 「じゃ、帰っていいわよ」
「……はい。失礼しまし…………てないっ!?」
 一旦返しかけた踵を、返し返す少女。
「なに。うるさいわよ」
「いやいやいや! だって、わたしの用事終わってませんから!」
 心底疑問顔のレオナ。 「終ったでしょう? わたしへの謝罪は」
「そもそも、それじゃありませんっ! ああもう!」

 大きく肩で息を吐く総隊長少女に、女博士は可哀そうな物でも見るような眼差しを向ける。
「モルダー、あなた疲れてるのよ」
「……ええっ! 主に貴女のせいですし、わたしはモルダーでもありませんけどねっ!」
 結局少女が本当の用事を済ませるまでには、これから一時間が必要だった。

 

 その後、再び静寂を取り戻した作業場で、レオナは、胸元のポケットから細い眼鏡を取り出し、それを掛けた。ほうと、憂鬱な吐息を虚空に溶かす。
「……本当は、貴方達を傷つけようとしたことも謝らせたかったのに。ごめんなさいね」
「ううんううん。大丈夫、大丈夫だよ、かあ様」
「そうです。わたくし達には、いつでも母上がいらっしゃいますから。怖いことなど何も、一つもありません」
「そう?」

 眼鏡の奥から、慈愛の眼差しを向けるレオナ。その視線の先には――――誰もいなかった。だが、彼女だけはそこに確かに二つの姿を 見ていた。

「貴方達は良い子よ。とても、誰よりも優しい子。だから世界に、いつか間違いを認めさせる。必ず、貴方達を産んであげる」
「はい、待ってます。愛しています母上」
「わたしも待ってる! 大好き!」

 感謝の言葉を呟き、目を閉じ、何度も頷くレオナ。やがて、もう一度瞼を開けると、そこにはいつもの彼女がいた。鋭く、全ての問題を打ち砕く瞳の博 士が。

「さて」
 ぱ、きと。細やかな指 が鳴らし、ディスプレイとキーボードを手元に戻す。
「神への挑戦を再スタートね。取り敢えずは、迷子の迷子のRotkäppchenでも捜しましょうか」
 高らかにキーを打つ音が、部屋に何度も木霊した。

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