やーやー。どうもどうも、毎度お馴染み、清く正しい射命丸! 文々。新聞の射命丸文でございます。いやあ、本日は実にお日柄も良く、風も心地よい ですね え。如何でしょうか? 外での取材など! あやや、そういえば陽の光はお嫌いでしたか。これは失礼を致しました。ではお詫びにこちら。余りにも紅く、その 紅さ故に血のワインと呼ばれている(らしい)、ヴァンパイア・ルビーをお贈りいたしましょう。え? いえいえ! 袖の下などでは決してありません。最近 (嫌がらせばかりする)知人より頂きましてですね、折角の品ですので、一人で飲むには忍びなかったのですよ。このまま死蔵するよりは、皆様に(全て)召し 上がっていただきたいと、そう思うわけでございます。そんなそんな、ご遠慮なさらず。ささ、どうぞどうぞ。で、本日伺った要件ですが――――おや? 眉が 寄っていますが、どうかなさいましたか。


「はン……よくもまあ、そこまでペラペラペラペラ口が回ると思っていたところさ。本音もうっすら透けて見えるよ。おい、天狗ってのは、みんなそうなの か?」
「あややー。場を和らげるための序の口でしたが、お気に召しませんでしたか?」
「質問に質問で返す。なるほどいい度胸だ。だが、敢えて返答してやろう。度が過ぎるんだよ、お前は」
 それまで、わざとらしい礼儀正しさを撒き散らして天狗/射命丸文も、流石にこの一言でがくりと肩を落とした。糊のきいた白シャツと、黒のスカートまで一 緒にしょげているように見えるのは、単に目の錯覚か。
 もちろん、気を落としたことすら演技である。それでいて、演技臭さを隠そうともしていないのだから、
(大したタマだ)
 紅い屋敷の吸血姫、レミリア・スカーレットが鼻を鳴らすのも無理はないのだった。小さな吸血姫の小さな挙動で、薄紅色をしたふわふわドレスと帽子は、軽 く揺れる。
 さて、ここから嘘つきの天狗を糾弾する――――のかと思いきや、そこは紅魔館という屋敷を背負うレミリアである。
「……まあ、いいさ」
 一言で、さして重大ではない無礼は見逃す。それから彼女は、空のカップを持ち上げた。傍に人もいないのに、無意味な行動である。だが、間もなく、カップ には重さが加わった。その不可思議現象を、レミリアは当然とばかり享受し、背後に「さて」と声を投げた。
「門番だけでなく、メイド長である貴女まで。揃いも揃って、この天狗を通したのだから、意味はあると見ていいのかしら」
「無論です。お嬢様」
 音も動きもない。レミリアの傍らに現れたメイド/十六夜咲夜は、そうとしか表せなかった。
 催眠術だとか超スピードだとか、チャチなものでは断じてない。もしこれが、高速移動の最たるものとでもいうなら、速さに一等の自信を持つ射命丸文は、じ わりと対抗心を滲ませたことだろう。だが咲夜のそれは、まるで違う力によるものである。ならばこそ、彼女の営業スマイルは、にこやかなまま保たれる。

「ふうん、そう。なら直接問うとしよう。用事はなんだったかしら。天狗。いえ、新聞記者、射命丸文」
「では早速。スカーレットの党首たるレミリア様に置かれましては、"節分"なるものをご存知でしょうか」
「文字通り、季節の分け目。または、立春、立夏、立秋、立冬と一年に四度ある節目の時の前日のこと――――といったところね。なに。今更そんなことを聞き に来たのかしら。村の寺子屋にでも行きなさい。存分に教えてくれるわよ、トナカイが」
「ははは。いえいえ、それは遠慮します。しかしながら、流石に素晴らしいご教養をお持ちですね。もちろん、それだけを聞きに来たのではありませんのでご安 心を。興味が有るのは、そこで使われるある物についてです」
「ある物」
 延々続く回りくどい言い回しに、レミリアが飽きたとばかり目を逸らしかける。が、ちょうどタイミングを見計らったように、文は一つの袋を取り出した。
「これですよ」
「なによ、それは」
「大豆です」
「だから、なんなのよ」
 おすまし声がはがれかけたので、んっ、と軽く咳払いをするレミリア。文は、気付かなかったふりをして続けた。
「ま、ま。そんなに睨まないで下さいよレミリアさん。これは、純粋な興味からお聞きしたいのです。節分、特に立春の前日であるその時には、『福は内、鬼は 外』と掛け声をかけて、豆をまくそうです。そして、正にそこです。一つ疑問が出来まして。鬼と言えば、レミリアさんも吸血"鬼"。一応、鬼と付いています し、もしかして豆を当てられたら効くのか なと」
 にこにこ顔の文とは対照的に、レミリアはますます顔を顰めた。
「呆れた。下らないことを考える」
「いえいえ。普段は接点がないものが合わさって、新しい結果を生み出す。これは、とても面白いのものなのですよ」
「――――咲夜」
 こいつは、望んだものが手に入らない限りは帰らない。そう見て、レミリアは従者に呼びかけた。果たして咲夜は、主の一言を正しく理解し、レミリアの隣に 再び立った。傍目には、ピクリとも動いていない。しかし文の手から袋は消え、咲夜の手の内には、炒った豆の入った升がこさえられているという明らかな変化 があった。
「こんな物でどうにかなるわけがない。……全く。結果は目に見えているけど、それでは貴女は満足しないでしょう? 天狗」
「ご協力に感謝します」
 小さなため息を漏らし、レミリアは、鋭い爪の生えた人差し指で、くいくいと自分を指した。その指示は当然、咲夜にである。
「失礼します」
 恭しく一礼をし、豆を数粒手に取る。レミリアは、面倒だと目を閉じた。体のどこかに豆があたる、軽い感触だけを期待して。
 そして実際に豆が当たった。――――じゅう、と肌が焼ける音と共に。

紅魔館の一幕

「っ!」
 ぐわっと目を開けるレミリア。ただし、お嬢様のプライドに掛けて、無様な悲鳴などは上げなかった。代わりに、従者にじろりと目をやり、低い声を上げた。
「咲夜」
「はい」
「これ、どうやって作ったのかしら」
「時を止めているので、適切な言い方ではありませんが、八時間ほど聖水に浸し、その後、一つ一つに印を入れてから炒りました」
 どうぞ、と手渡す咲夜。レミリアは煙を上げる手の中を見て、顔を引き攣らせながら吠えた。
「印って……こらっ! これ、十字架じゃない! しかもなんで聖水になんて浸すのよっ」
 畏まって咲夜は腰を折った。「昔の癖で、つい」
「ついで、主人を殺す気か! 指を出しなさい指をっ」
「はい」
 なんの気負いもない。咲夜は、言われたままに指を差し出した。レミリアはそんな彼女の指に爪を立て、小さな傷を作る。滴る血。そのまま手を引き、指の血 を紅茶の中に誘導する。音らしい音も立てずに、血は紅茶に混ざった。咲夜の血が入った紅茶を、レミリアは優雅に飲み干し、そして、妖艶にゆっくりと唇を舐 め、それみよがしに微笑む。
「痛いでしょう。その傷は罰と思いなさい」
「なんだったら手首からいきましょうか」
「この罰効かない?! ちょっと、そこの烏天狗! もっといい罰とか知ってたら教えなさ……いない! 逃げたか、あのアマ!」
「さ。お嬢様。遠慮なさらず」
「ちょ、やだ、咲夜、目が怖……うー! うー!」


 にわかに騒がしくなる紅魔館を眼下に、文はばさりと翼を打った。彼女は一足先に魔境から逃げ出し、上空でにまにまと笑っていた。
「いやあ。自称高貴な方の趣味にはついていけませんねえ。ま。そこそこ面白かったですけど」
 吸血鬼にも、特別な豆は効く。文花帖に書きこんで、文は懐に収める。
 冬の寒空である。まるで人間がそうするように彼女もまた上着の前を寄せ、マフラーを首に巻きつけ、耳まで覆うニット帽を深々被り、垂れ下がるボンボン は、ぺしりとはね除けた。準備は万端である。
「さ。では、本命にいきましょう!」


文ちゃ~ん


   ***

 普通の魔法使い、霧雨魔理沙の朝は不定期である。昨日は早かった。明日は遅い、かも。そんなものである。
 今日は、昨日に続き二日連続で早い日だった。やけに目が冴える。昨晩食べた茸のせいだろうか。そんなことをちらりと思ったが、すぐに気にならなくなっ た。茸はいいものである。悪いわけがない。茸ラヴ。
 閑話休題。
 そんなこんなで早起きした彼女が、まず足を向けたのは博麗神社。なんとなく面白いことが起きれば、まず動く少女がいる。だったら、一緒にいた方が何かと 都合がいい。
 ――――そんなことを思ったのが拙かったのだろう。
「おーす。霊夢いるかー? って、うおおっ! なんじゃこりゃ!」
「……あら。魔理沙じゃない。早いわね」
 奇声を上げる魔理沙にも構わず、この神社の巫女である博麗霊夢は手を動かし続けていた。その行動こそが、奇声の生まれた元であるにも関わらず、説明は一 切ない。なので、魔理沙は改めて問うた。
「おいおいおい。なんだよ、この大量の豆は」
「大豆よ。炒ってるの」
「いやいや、そうじゃないって。見りゃわかるって、その位。わたしが聞きたいのは、どうして炒り豆がこんだけあるのかっていう理由だぜ」
 あきれ顔で、魔女帽をくしゃる。ただし、手を離すと途端に元通り。魔理沙自慢の帽子である。兎も角、彼女の反応は当然だ。。今の博麗神社の境内は、炒り 豆の詰まった袋で埋め尽くされているのだ。
「うひゃあ。こんなにたくさんの豆なんざ、豆腐屋くらいでしかお目に掛かれねーぜ」
「作っているところ見たことあるの?」
「いーや。想像」
「でしょうね」
 来た当初に顔を向けただけで、霊夢は後は延々と豆を炒り続ける。説明も相変わらずない。業を煮やし、魔理沙は彼女の前に回り込む。
「なあ。なにしてんだ? あー、いや、豆を炒っているのは分かるんだ。そこはもういい。問題は、どうしてそんなことをしてるのかってな。いい加減説明して くれてもいいだろ?」
「……まあ。そろそろ手が疲れてきたから、無駄話も有りよね」
 無駄とは酷いぜ。言いつつも、耳を傾ける魔理沙。
「今日はなんの日か知ってる?」
「ん? んー、春分……は明日か。なんだ? 何かあったっけか」
「ふふん。節分よ、節分」
 名称自体にピンと来ていないと見たか、霊夢は続けた。
「簡単に言えば、こうやって炒った豆を撒いて、悪いものを祓う行事よ」
「なんで豆なんだ?」
「魔と滅に響きが通じるからよ」
 言って、霊夢がくるくると指を回すと、足下の土に「魔」と「滅」の漢字が浮かんだ。その無駄な技術と文字の意味。そのどちらかに感心したか、ふうんと魔 理沙は頷いた。
「魔に滅ねえ。でも一ついいか? そんな行事今まで聞いたことない気がするぜ。去年はなかっただろ? それともわたしに秘密で、みんな騒いでたのか?」
「なわけないでしょ」
 これで最後と、豆を袋に詰め、霊夢の視線が上がる。
「今年からよ。わたしも聞いたのが昨日だもの」
「うわー。適当だなあ。広まるのかよ、今更」
 半目になり、乾いた笑みを浮かべる彼女を、巫女はばっさりと切り捨てた。
「うっさい。折角だから付き合わせさせてあげるわ。アレ持って付いてきて」
「アレって……うわっ。一体どれだけ用意してるんだよっ! バカみたいに袋が多いな、また!」
「ここぞとばかりに、かき集めてやったわよ。幻想郷中から」
「よくそんなことできたな……ていうか、何に使うんだ?」
 霊夢の目が、爛と輝いた。魔理沙は、「あ、まさか」と思うが、彼女の答えはそのまさかだった。
「売るのよ」
「売るって……」
 振り返った霊夢は、満面の笑みであった。
「村人に決まってるじゃないっ」

 一刻後、霊夢と魔理沙の二人の姿は、人里にあった。大量の炒り豆の入った袋を互いに担ぎながらだ。無理矢理に付いてこさせられた魔理沙は、当然、道中か ら不満を垂れ流している。だが、目がきんきらきんにさり気なく輝いている霊夢が、そんなことを気にするわけがなかった。
「おおい、霊夢。疲れたぜー」
「いつも人ん家来ては色々飲み食いしているんだし、この程度で文句言わないの」
「ちぇー」
 ふわり、音も立てず二人が着地すると、一つの人影が近付いてきた。
「よっす。来たな」
「あれ? なんでアンタがここにいるのよ。珍しい」
「竹林の警備はいいのか?」
「慧音に呼ばれたんだよ」
 言って肩を竦めるのは、白いシャツに赤いズボンの少女/藤原妹紅だった。纏わり付く子供達に「もこサンタ、もこサンタ!」とはしゃがれ、「あー、サンタ は期間限定なー」などと答えながら、霊夢達に向き直った。
「慧音がさ、今日は竹林に迷い込む人間もいないから大丈夫だろ、てさ」
「どうして分かるのかしら。アイツの能力って、未来を読むものじゃなかったと思うんだけど。それにアンタ今、私達を待ってたみたいなこと言わなかった?」
「ああ、言ったよ」
 ひょいと手を出す妹紅。ひらつかせながら、
「豆、配るんだろ? 手伝うよ」
 かきり。霊夢の片眉が上がった。
「配るぅ? ……なに、言ってんのよ」
「はあ?」
「やはりそう来たか」
「お」
 眉を顰めた妹紅だったが、直後に聞こえた声に、顰め面を解いた。
「ああ、慧音。よかったよ、来てくれて。で、どういうことだい?」
「いやな、昨日のことなんだが、博麗の巫女が、大豆を大量に買い占めていると話を聞いてね。なぜかと首を捻っていたところ、稗田阿求から『節分』の話を聞 いたんだ。しかも、博麗の巫女に先に話したというおまけ付きで」
「節分か。懐かしいね」
 知った顔で頷き、次いで、ジト目を博麗の巫女に向けた。
「で? 話を先に聞いたもんだから、幻想郷の村人が知らないのをいいことに、豆を一人占めして、んでもって売りつけようって魂胆か」
「――――ッハ。そんなわけないでしょうが」
「明後日向いて、汗流しながら言っても説得力がないよ」
 指摘され、霊夢はきっと鋭い目を妹紅に投げた。
「い、いいい、いいじゃない! こうやって用意してきたんだから! 大変だったんだからね!」
「そもそもお前が買い占めなければいいだけの話だろう。……魔理沙も協力者か?」
 じろりと見やる慧音に、一緒にされては堪らないと、魔理沙は全力で首と手を振る。
「いーや、ただの配達手伝い人(強制)だ。朝っぱらから寄らなきゃ良かったぜ」
 肩を竦め、そして彼女は、霊夢の背を軽く小突いた。
「諦めろって。な?」
「ううう……なけなしの財産切り崩したってのに……」
「慧音、どうする?」
「泣くことないだろ……」
 涙目になる霊夢が流石に不憫に思えたか、妹紅と魔理沙が慧音を見やる。
「なにもただとは言わない。豆の代金は払うさ」
「ほんと?」
「ああ。ただし、霊夢が買った値段で、だ」
「働いたのに……全部炒めるの大変だったのに……」
 尚も涙ぐむ彼女に、ううむと口を曲げる。しかし、予想の範疇だったので慧音は彼女の耳に口を寄せ言った。
「いいか、よく聞くんだ。こう言うところでは、実を取ろうとしないほうがいい。例えば、博麗神社特製の炒り豆と銘打ち、村人達にただで渡すとするだろ う?」
「ただは嫌よ」
「お前、泣いてたのはどうした。……まあ、いい。例えばの話だ。配る時には、さらりと御利益の話なども付け加えるといいかもしれないな。するとどうだろ う。博麗神社に興味を持って訪問者が増え、お賽銭が増え――――」
「魔理沙! なにしてるの、さっさと配るわよ!」
 仰天の変わり身だった。
「……慧音先生よ。なに言ったんだぜ?」
「いや、わたし自身、ここまで効果があるとは思わなかった」
 俄然やる気を取り戻した霊夢を三人は呆れて見やり、何があったか何となく理解して苦笑し、豆配りに手分けして繰り出すのだった。


 異変は、豆を配り始めてから、半時と立たずに訪れた。


「ん? 今なにか……」
「悲鳴が聞こえたんだぜ」
 始めに気付いたのは、妹紅と魔理沙だった。すぐに、霊夢と慧音にも伝わり、四人は悲鳴の発生源へと急いだ。
 そこは、村でも特別な場所であった。なにしろ先の話にも出ていた――――
「稗田のお屋敷じゃないか」
「おおい、阿求さん。どうかしましたか」
 開け放たれた門からひょいと顔を覗かせ、慧音が呼びかけると、よたよたと歩いてくる人影があった。九代目阿礼乙女、稗田阿求その人である。普段なら綺麗 に映える、鶯色と山吹色の着物が、今は黒く染まり酷い有様だった。顔にも点々と黒い跡があった。
「あうう……」
「こりゃ酷い。墨まみれだ」
「あーあー。高そうな着物が、お釈迦じゃない」
「どうかしたのですか?」
代わる代わる言葉を掛けると、ややあって返答があった。
「……鬼が」
「鬼?」
 四人は首を捻った。鬼。それはかつては、人の敵として君臨した存在。だが、今や幻想郷からは(例外はあれど)いなくなった種族である。その名前が出てく るのは、妙であった。
「鬼と言いましたか」
「ええ、はい。突然わたしの部屋に沸いたのです。小さな鬼が、沢山」
「服や顔は、それにやられたのか?」
 頷く彼女に、魔理沙は懐疑的だった。
「妖精か何かを見間違えたんじゃないか。アイツらってば、ほら、たまにアンタにちょっかい掛けに来るんだろ?」
「よりにもよって、阿礼乙女たるこのわたしが、妖精と鬼の区別も付かないと?」
 静かながら、怒りの籠もった言葉だった。慌てて魔理沙は詫びを入れて、阿求の部屋を見てくると買って出た。霊夢、妹紅もそれに続き、慧音だけは阿求の身 支度を整えてやるために彼女に付いていくことになった。

霊夢、妹紅、慧音、阿求

 間もなく、三人は部屋に辿り着き、中からこしょこしょと騒ぐ音に気付いた。
「先に行くぜ。霊夢は後釜頼む」
「わたしが余ってる件」
「自分で考えな」
 妹紅に言うが早いか、魔理沙は飛び出し、「動くと撃つ。間違えた。撃つと動く。わたしが動く……って!」
 慌てて身を翻した。間を置かず、部屋の中からは水差しが飛び出し、魔理沙の髪を掠め、庭先でがしゃんと音を立てた。
「魔理沙っ!」
「こ、こいつは参ったぜ。ホントに鬼だ」
 と。彼女が怯んだ隙を突いて、小さなものが部屋から飛び出た。人の手の平にのる程度の大きさ。ちょっと丸く、ずんぐりとした体。そのくせ、頭にはしっか りと小さな角がある。それは、ボロ一つ纏わない姿の小鬼だった。部屋から出るや否や、妹紅や霊夢目掛けて飛んできた。
「きゃきゃきゃきゃきゃ」
「ちっ」
「うりゃ」
 先ほどまで配っていた豆で手元をふさがれていた二人は、思わずその豆を一握りし、可能な限り素早く投げ抜いた。効くわけもないだろうが、多少の足止めに なれば……との思いである。
 だが、どうだろう。豆に当たった小鬼はあっという間に姿を薄れさせ、しゅぽんと消え去ってしまったのだ。
「うえっ? なんだそりゃ」
「はぁ……?」
「へええぇぇぇ。本当に豆が効いてるじゃんか」
 妹紅や霊夢の呆然に続き、魔理沙は感心した様子を見せる。
 だが、気を抜くのは拙かった。彼女に、墨をたっぷりと含んだ筆が飛びかかったのだ。
 今度は避けることもできなかった。べちゃりと音を立て、彼女の頬には、真っ黒な雫が描かれる。白いエプロンドレスが汚れなかったのが、不幸中の幸いだっ たかもしれない。もちろん、本人にとっては不幸に違いない。
「ふ……ふふふふふ。おいおい。流石の魔理沙さんも……ここらが我慢の限界だぜぇ――――っ?!」
 とても何かを持っていそうには見えなかったエプロンのポケットに両手を入れるや、魔理沙は限界まで掴み取った炒り豆を取り出し構えた。
「豆の弾幕も、パワーだ、物量だ!」
 そして、投げる、握る、投げる、握るの繰り返し。
 手をはたき合わせつつの、勝利宣言が行われまで、さほど時間は掛からなかった。
「ざまあ!」

 しかし、それで終わりではなかった。今度は、村中から悲鳴が上がったのだ。さては同じことが起こっているのかと、三人は顔を見合わせた。
「魔理沙、豆持った?!」
「言われなくても。えーと……竹林の焼き鳥屋!」
「妹紅! ああ、あたしも持ってるよ」
「ならよし、続け!」
 こと異変、こと妖怪退治となれば、博麗の巫女の面目躍如である。さっきまでの銭ゲバぶりはどこへやら。霊夢は真っ先に飛び出して、村人達の前に立つので あった。

 村の中は、至る所に阿求の部屋にいたような鬼が溢れていた。
 角を曲がれば。屋根を見上げれば。防火槽の中を覘けば。空の桶をひっくり返せば。鬼達は、どこにでも潜んでいた。
「三人だけじゃ、手が足りないわね」
 彼女はそして何を思ったか。豆の詰まった袋を村人に押しつけた。
「ほら。手が回らないからあなた達にも豆を渡すわよ。博麗神社特製の炒り豆よ。これを撒いた撒いた! この際掛け声も忘れないこと! 福は内、鬼は外!」
「こ、こんなのが効くわけない」
 如何にも正論を吐く村人だが、今ばかりは間違いである。霊夢は証明代わりに、無言で豆を投げ、飛び出してきた鬼に当てた。しゅぽんと鬼が消える。村人達 の目は丸くなった。
「分かったなら、ほらこれ持つ。いくわよっ」

 半時後。博麗神社特製の炒り豆のお陰もあって、鬼の数は随分減っていた。特に、霊夢、魔理沙、妹紅、更には遅れて合流した慧音の活躍で、残存する鬼は村 の中心に追いやられていた。
「あと少しね。ここまで数が減ったなら普通の弾幕でも……!」
「いや待て、霊夢。村の中でそんなことをしたら、建物に当たってしまう。今まで通りこれだけでいくんだ」
 豆の袋を掲げる慧音に、仕方ないと霊夢は静かに頷いた。魔理沙の焦った声が聞こえたのは、丁度その後だった。
「おい見ろ。残りの鬼が集まってるぜ!」
「固まって何をする気だ? 嫌な予感がするよ」
 妹紅の言葉が切っ掛けであるかのように、小鬼達は集合し、とぷんと溶け合う。そして――――巨大化した。
「は……はああぁぁぁあああああ?!」
 黒い小鬼はもうどこにもいなかった。そこにいたのは、花柄の鎧に身を包む、巨大な赤鬼が一体である。
「ちょ、慧音、あれは流石に弾幕必要じゃないかなぁっ?!」
「……い、いや妹紅。ぎ、ぎりぎりまで、やれるところまでやってみるんだ! みんなも手伝ってくれ!」
「そうよ。さっきまで逃げ回っていたちっこいのが、ちょっとばかり膨れただけ。構わず手持ちの豆を投げていくのよっ」
 人里の守護者たる慧音と、妖怪退治のプロである霊夢のどちらの言葉に押されたかは定かではない。だが始めは呆然としていた村人達も、掛け声と共にパラパ ラと豆を撒き始めた。
合わせて、霊夢は霊力を、魔理沙は魔力を、妹紅は炎を纏わせた豆を、思い思いに鬼へ投げつける。慧音は、特に威力の強い三人の豆が民家に被害を及ぼさない ように、妖力の薄い膜を辺りの屋根に張っている。流れ弾が存外に強く、脂汗を流す彼女は、それでもしっかりと状況を見ていた。豆があたった鬼は、少しずつ だが後退を始めていたのだ。
「やった、効いてるぞ……みんな、いいぞその調子だ!」
「博麗の巫女の目の前で狼藉三昧できると思わないでよね。福は内!」
「鬼は外!」
「福は内!」
「鬼は外!」
 これを何度か繰り返す度に、鬼は村の外周部まで押し出された。そして、
「福は、内っ!」
「鬼はっ」
「外ぉっ!」
 最後の掛け声で、霊夢達と村人達の豆撒きが重なった。大量の豆が大鬼の体を打ち据え、巨大な悲鳴を上げさせた。ビックリして耳を塞いだ村人達の目の前 で、しかし大鬼は崩れ落ち、霞のように消え去ったのだった。
 しばし呆然となる村人達。だが、やがて自分達の手で鬼を退治できたと知るや、わあっと歓声が上がった。
「おー。やったやったぜ。まさか今時鬼退治ができるなんてなあ」
「……ま、ね」
「ん。どうしたんだ霊夢。表情が暗いぜ」
 思うところがあるのか、魔理沙の言う通り霊夢は、やや影のある顔だった。
「ふん。問い詰めてやるわよ」
「え? おいおい、あっちで村人達が呼んでるぜ? お祝いしそうな勢いだってのにどっか行くのかよ」
「アンタだって分かってるでしょ」
 ぐりぐりと胸の真ん中を人差し指で指され、魔理沙は相好を崩した。帽子をぐいと引き下げ、軽く隠すようにして、
「いやあ、まあねえ。伊達に神社に入り浸ってないんだぜ?」
「威張るな。全く……と言うことなんだけど、構わないかしら」
「止めても行くんだろう?」
「こっちはわたし達が見ておくよ」
 優しく笑う慧音に、任せなと親指を立てる妹紅。彼女らに軽く頷くと、魔理沙と霊夢は飛び立った。

 目指す先は――――


 ふくはーうちー、おにもーうちー、ふくはーうちー、おにもーうちー……
「ふふふ。やってるね。ただの無駄な行為だが、ここまで妖精メイドを集めてやってみれば、意外と見られるもんじゃないか」
 なあ? と日傘を持つ咲夜にレミリアは目配せする。
「お嬢様のおっしゃる通りです。掛け声のアレンジもとても良いです」
「当然さ。ここは吸血鬼の館だぞ。豆撒きなんて児戯といえど、鬼は外なんて誰が言わせるものか」

 と、その時、
「おねぇさまぁ~」
 後ろにはぁととでも付きそうな声を背後に聞き、レミリアの頬が引き攣った。小さく呻く。
「げえっ、フラン」
 まるでそれに合わせるかのように、じゃーんじゃーんじゃーんと鐘が鳴る。見れば、咲夜の仕業だった。
「ちょ、何しているのよ」
「折角ですので気分に合わせた音楽を」
「音楽じゃないでしょ、それは!」
「もう、お姉様ってば!」
 背後から取り付かれては、無視も適わない。
「……フラン。はしたないわよ。淑女というのはね」
「そんなことよりお姉様。面白いことをしているのね。わたし達もしましょうよ、ま・め・ま・き」
 ぱっと離れて、フランことフランドールは、姉であるレミリアの返答も待たず、手に持った何かを相手に投げつけた。言うまでもなく、豆撒きの豆だ。
「あははっ」
「あいた、あたっ」
 じゃれているだけなら、姉として付きやってやるか。そんな慈悲の心を持ったのが或いは拙かった。
「痛いっ! ほ、本当に痛いってば!」
 吸血鬼の腕力による豆撒きは、割と深刻なレベルでレミリアに痛みをもたらしていた。更に、
「は、はああっ?! ま、また煙が出る!」
 やけに痛いと思い、受け取ってみれば、なんのことはない。十字傷の付いた例の咲夜特製の豆だ。き、と傍に立つ従者に目をやると、恭しい礼が返る。
「さぁくぅやぁ! なぁんでフランが、あの豆を持ってんのよっ」
「フランドールお嬢様が豆をご所望でしたので。つい」
「だーら! つい、で主を殺す気かって言ってるじゃないっ」
 従者のついがわたしを殺しそうですと、嘆くレミリア。続く豆の嵐。
「あはっ。お姉様お姉様、面白いわ、これ。すっごく面白い。持ってたらしゅーしゅー言うの!」
「きゃあああああ! フランのおててが焼けてるぅぅぅ! 駄目よ、そんなの持っていたら! ぽいしなさい、早くぽいって!」
「ぽい」
「わたしに撒くなあああぁぁあああ!」

「……面白そうね。声かけていいものか迷うわ」
 ぴたりと、レミリアは悲鳴を止めて、新しい声の主に振り直った。その顔に浮かぶのは、不敵な笑み。醜態なんてなかったんや! と言わんばかりの変わり 身、カリスマぶりであった。
「おや、これは珍しい客だ」
「今更取り繕っても遅いわよ」
「はて。なんのことやら」
 だが、どれだけ格好を付けても、頭の上に乗った豆や、首に取り付くフランのせいで、色々と台無しである。彼女自身、頭の豆はしゅうしゅうと鳴る音で気付 いたか、顔を赤らめ、払いのけた。フランはそのままにしている。
「で。紅魔館になに用かな。博麗の巫女殿は」
「一々格好付けなくていいってのに。用事は簡単よ。わたしの勘だとここにいるはずだし」
「魔理沙、この子はなに。痛いの?」
「分かっててそういうことを言うもんじゃないぜー。ほら、豆を投げられた」
「いたぁぁあああい!」
 霊力の籠もった豆は、十字豆とは違う痛みをレミリアに与えるのだった。

「……話をしましょう。と言うか戻しましょう。どうして、ここに来たの」
「村で鬼が出たのよ」
「わたし達、フランも含めて、今日は外に出ていないわよ」
「吸血鬼じゃなくて、本当の鬼よ」
 うん? と首を捻るスカーレット姉妹。自分達ではない鬼というと、心当たりは少ない。
「人里で暴れていたの?」
「そ。こんな小さな鬼がね」手で、小鬼のサイズを示す。
「なにその小ささ。新しく幻想入りしたの? どうせならおっきいものきなさいよ」
「ご名答。最後にはくっついて、天をつく巨大な鬼になったわ」
 無言。そんなことができる鬼なんて、もう、一人しかいなかった。

「――――萃香。出てきなさい」
 なにもない場所に、霊夢が一粒の豆を投げると、それは不自然に弾け飛んだ。
「ありゃ。バレバレか」
 一度ばれてしまえば、もう隠れる気はないのか。よ、と掛け声と共に、薄い靄が萃まり、一つの形を成した。
 それは、小さな女の子だった。ただ、幾つもおかしな点があった。格好はいい。上は白いシャツで、下は紫をあしらったスカートと、特におかしなことはな い。だが、手足には鎖が繋がり、彼女が動く度にじゃらりと鳴っていた。鎖からは球や三角錐の重りが下がり、傍目には重そうである。しかし、童女は重さを感 じないように軽やかに振る舞う。きっそそれは、特徴的な二本の角が示す、彼女の正体のせいなのだろう。
 彼女はそう、最早幻想郷からはいなくなったとされている「鬼」であった。
「伊吹萃香。今回の異変、小鬼や大鬼が人里に現れたこと。貴女の仕業ってことでいいのよね」質問ではなく、確認であった。萃香もまた、躊躇うことなく頷い た。
「そうさ」
「人里での騒動は御法度。それを知りながらどうして……」
 続きは言わせなかった。萃香は、しいと人差し指を立て、片目を瞑りながら、悪戯っぽい笑みを覘かせた。
「少し待ちなよ。そろそろ来るからさ」
 何が、など問う間もない。すぐに、妖精メイド達がピチュる音が聞こえ始めたからだ。
「何事かしら。騒がしい」
「お邪魔するわよ」
 と、驕佚さを隠そうともせず現れたのは、赤いチェックの女。日傘をくるくると回しながら、笑顔で薄い恐怖を撒き散らしていた。流石に彼女の登場は読んで いなかったか、霊夢は驚きも隠さず問いかけた。
「幽香。どうしてアンタがここに?」
「とても素敵な招待を受けたのよ。大きな、大きな豆の塊をぶつけられたわ――――そこの鬼にね」
 目を細め、威圧感を増す幽香に、だが、萃香はかんらかんらと笑って答える。
「あんなの避けられないのが悪いさ。弾幕勝負なら落ちてた所だね」
「あんなゴミなんて、避けるまでもないわ」
「へいへい。酒も弱けりゃ、弾幕勝負も弱いってね」
 がきんと、幽香の片眉が上がる。
「誰が、酒も弾幕も弱いと?」
「おやあ? 酒に飲まれて、記憶が消えたのかにゃー?」
「前回のは、引き分けで終わったはずよ」
「うん? ああ……まあ、ねえ。そういえば引き分けだった。うん。一応そうか。時間切れだった」
「引き分け、かあ? わたしの見立てでは、幽香の方は結構ぐでんぐでんだったぜ。……っとと。危ないもの向けんなって」
 虎の尾を踏んだかと、魔理沙は首を引っ込めて後ろに下がる。幽香は、彼女に向けていた日傘を持ち直しつつ、こきりと指を鳴らした。
「結果が不満なら、いつでも受けて立つわよ。なんならこれでも」
「人の屋敷で暴れないでくれるかしら」
「ははっ。いやいやごもっとも。暴力的なのはどうかねえ。大体において、折角勝てるチャンスをやろうというのにさ。ん? どうしたんだい変な顔して。今日 は折角の節分だろ。豆撒きの日だ。だったら、鬼目掛けて豆を投げるのが正当というものじゃないか? そしてこれなら、屋敷も壊れない。だろ、お嬢様」
 二人の希望を叶える名案と、満足げに頷く萃香。その手には、早速大きな升に山盛りの豆があった。
「ルールは簡単。豆を相手に当てて、参ったと言わせたら勝ちさ」
「そんな子供だましで、わざわざ遊ぶ必要性がないわね」
「弾幕勝負の一環さ。それとも、弾幕勝負なんて怖くてできません、てか?」
 覚えのある安い挑発だったが、幽香はそれで動いた。妖精メイドが残した升に手を伸ばし、豆を掴み取り、振りかぶって――――

「うっわ~……本当に豆があたったのかって音だぜ。パン、だってよ、パン」
「同じように投げ返す萃香も萃香よね」
 始めからトップギアで始まった勝負を、魔理沙と霊夢は遠巻きに流れる。時折流れ弾で、妖精メイド達が一回休みになっているのはご愛敬。また、こっそり忍 び込んだ三人組妖精もまた、姿を消していたところで運悪く剛速豆でピチュり、誰にも気付かれることなく退場していたりするのだが、全くの余談である。

「よくやるわねえ……。ねえ、レミリア、見ているだけだと口が寂しいんだけど」
「露骨な要求をする巫女ね」
 呆れたようにいいながらも、そこは一城の主である。指を鳴らし、咲夜にワインを用意させる。
「酒は?」
「たまにはこっちも付き合いなさいな」
「わたしはどっちでもいいぜ。肴も用意してくれると尚いいがな」
「どいつもこいつも……!」
 ええいと手を打つ。途端、庭に清潔なシートが広がり、幾つもの料理が並んだ。
「ほらっ、これで文句ないでしょ」
「人数が少ない」
「すぐに来るわよ、どうせっ!」
 その言葉の通り、飲み仲間は瞬く間に萃まった。酔いどれ鬼の力か、飲み会好きの面々の鼻の良さなのかは不明である。
「あははっ。いいぞー、やれやれー」
「今日の宴会弾幕有り? 無し? 有りだよねー」
「豆でやる分には止めないわよ。能力使ったら夢想封印ね」
「やったー!」
「ちょっと、勝手に決めないでよ!」
 幽香対萃香の豆撒き合戦は多いに盛り上がり、盛り上がりすぎて自分もしたいと言い出す輩が出てきて、霊夢がそれを了承するものだから、場所の提供者であ るレミリアは堪らない。
「だ、大体そんなに豆は用意していないわよっ」
「ああ。その点に関しては大丈夫だぜ」
 ほら、と魔理沙が取り出したのは、飾り気のない大きな袋。ひっくり返すと、炒り豆が山のように出てきた。明らかに袋に収まる量を超えているのに、口を開 けている限り、豆の流出は止まらないようであった。
「にしし。じゃあ文句はないな?」
「う、ううう。さ、咲夜ぁー!」
 歯車が回る音。針が進む音。こちりと言う音が響いた瞬間、紅魔館の庭は無限に広がった。
「安心下さいませ、お嬢様。館には傷一つ付けさせません」
 そっちかよ。など思っても口にはしなかった。諦観の溜息とと共に、レミリアは好きにしろと呟いた。
「……もう、好きにして。ただし、こっちを巻き込むんじゃな――――」
 台詞の途中で、散弾銃の如く、炒り豆がレミリアを襲った。一旦閉じ、再び開いた目は、殺意の真紅に染まっていた。

「……ふ。ふふふ。全員纏めて相手になってやろうじゃないっ。フラン、一緒に来なさいっ」
「一緒? 一緒でいいの?」ぱあと、花咲く笑顔。「やったぁ。ええ、行きましょう、お姉様!」
 蝙蝠の羽と宝石の羽が広がり、豆弾幕の空を一気に駆け抜ける。あちらこちらで、墜落の音が重なったのは、言うまでもない。


「やー。逆襲のお嬢様とでも言いましょうか。八面六臂の大活躍ですねえ。ぱしゃりぱしゃり」
 わざわざシャッター音を口にして、豆撒きの戦場を遠巻きに撮影するのは、烏天狗の射命丸文。だが、突然ぴたりと動きを止める。視線を感じたのだ。振り返 ると、瀟洒なメイドが立っていた。
「十六夜咲夜さん。どうかしましたか」
「礼をと思いまして」
「お礼? はて」
 覚えがありませんと首を傾げる文に構わず、咲夜は慣れた手付きで紅茶をカップに注いでいく。例え場所が空の上だろうと、なんらの危うさもなかった。
「お嬢様が以前起こした異変は覚えておられますか」
「ああ。紅い霧の」
「それです。その時に、博麗の巫女に負けて以来、お嬢様は大人しくなりすぎていました。それは、しかしどうなのでしょう。お嬢様は、もう少し傲岸に振る舞 うべきです。少しは発散をしなければ、きっと体に悪かったでしょう」
 ははあ。文は頷いた。
「なるほど。だから、今回の騒動は丁度良かったと? しかし、どうしてそれのお礼がわたしに来るのでしょうか。なにもしていませんよ、わたしは」
「稗田の当主に、節分を伝えたのは、そもそも貴女でしょう?」
「あやややや。……さあ? 取材話の一環で、ちょっとだけしたかもしれませんね」
「だから、ささやかなお礼ですわ」
 差し出された紅茶は、限りなく紅かった。
「う……本当に紅茶ですか、これ? 悪いのですが、飲めそうにない気がします」
「では毒味を」
 拒否されるのが分かっていたのか。咲夜はすぐに自分で口を付けて見せ、おかしなものではないと示してみせる。一瞬後には、空のコップを取り出し、新しく 入れ直した紅い紅茶を、文の前に差し出した。
「どうぞ」
「むむ」
 ここまでお膳立てされては飲まないわけにはいかない。念のため匂いも嗅いでみるが、見た目以外は至って普通の紅茶のようだった。
「ちなみに聞いても良いですか? この紅茶はなんでしょう?」
「紅茶、と呼ぶ割りには紅くない。そう思って、独自に研究してみました」
 答えになっていないし、情熱の注ぎ先が間違っている――――と思ったが、人のことは言えないので文は肩を竦めるに止めた。
「では戴きます」
 くぴり。まずは一口目。匂いは悪くない。温度も丁度いい。仄かな苦みと甘みが喉元を過ぎていく感覚は、文をとても良い気分にさせた。有り体に言って、美 味しかった。どころかとても美味しかった。自然と二度三度カップが傾く。
「ん。申し訳ないのですが、想定外にいいものです。今度宣伝させて戴いても?」
「ご随意に。――――ああ、一つよろしいでしょうか」
「はい。どうぞ」
 良い気分のまま、質問を快諾する。だが、咲夜の目が細められていることには気付かなかった。
「始めに貴女が持ってきた豆。面白い仕掛けがありましたね」
 文が、ぴたりと止まった。悪寒を感じ、咲夜を見るが、瀟洒なメイドは普段と変わらぬ姿だった。
「面白い仕掛け、と言いますと」
「まるで吸血鬼を殺すためのような」
 取り出したのは、炒り大豆が被せられた銀の玉。文の背中に、冷たい汗が流れた。
「さあ? そんなものが混入していたなんて、初めて知りました」
「そうですか」
 意外とあっさり引いた咲夜に違和感を覚えたが、見逃してくれるならこれ幸いと文は羽を広げ、その場を離れた。

 いや、離れようとしたが、できなかった。
(あ、れ?)
 いつからか、指一本動かない状態だった。そのくせ空から落ちもしない。どうしてなら、咲夜がまるでダンスをするように、文の背中に手を回し支えていたの だ。
「お嬢様の退屈を紛らわせてくれたことに感謝を」
 背中に回した手とは逆の手で、動けない文の唇をなぞる咲夜。柔らかな唇が、僅かに引っ張られ、小さな歯が覘く。
「お嬢様の敵となるものには鉄槌を」
 顔が、文の顔に近付く。互いの息が掛かる距離で彼女は言った。
「これは警告。半時もすれば、痺れは取れます。もっとも、こうしたのは貴女の持ってきたワインですから知っているでしょう? だから」

 二度とは許しません。

 人の声に恐怖を感じたのは初めてだった。指一つ動かせずとも、こいつは風で吹き飛ばさなければならない。文はそんな思いに囚われた。逆巻け颶風。咲夜に 気付いた様子はない。ならば、いざ――――

「ちからつかうなっていったでしょーがー」
「んがっ」
 景色が変わった。それも、霊夢達の近くであった。咲夜が時を止めて移動したのだろう。そして、妖力を撒き散らしていた文に下ったのは、宣言通り酔いどれ 巫女の必殺技だった。
(ぐ、くそ、メイドめぇ、人間の分際で……!)
 さしもの文も、抵抗できないところを襲われては堪らない。遠のいていく意識の中、彼女は復讐を誓うのだった。

 だが、次の覚醒時には、自分の懐に入れられた自らのあられもない写真と、裏に書かれた「まだありますので。行動は計画的に。 紅魔館筆頭メイド」の文字 に、復讐の炎が不完全燃焼になるのであった。
「あ、あんな子供に出し抜かれるなんてぇ――――っ!」
「文さん文さん、落ち着いてー!」


 どこをどう帰ったものだろう。
 覚えていなくても、家には着いている。泥酔の謎であると、霊夢は勝手に思っている。
 大抵そういった日の次の日は、ゆっくりと起床すると決めていたのだが、今日ばかりはちょっと事情が違っていた。

「なに……? 表がうるさいわね……」
 目を擦り、身なりを整えて、境内に向かう。道中、次第に覚醒し、うるさいと聞いていたのが大勢の声だと知った時、彼女の目はぱっちりと開いていた。
 境内に溢れかえる村人達を見た時には、歓喜の余り「はうぁぁ」と恍惚の笑みを浮かべていた。これで夢のバラ色ライフ。そう思うと、緊張で発声もしにく かった。
「お、おはようございます、皆様?」
 思わず聞いてしまった霊夢に、村人達の視線が集中した。一瞬恐怖を感じた彼女に突き付けられたのは、一枚の新聞。
「これはどういうことだい」
「え、え? なに? ……あら。今日の文々。新聞じゃない」
 紙面に目を落とし、そこに踊っている文字に、霊夢の顔は凍り付いた。

『巫女と鬼は繋がっていた?! 昼間の騒動に自作自演の疑い!』

 他にも、博麗の巫女はダークサイドにうんたらかんたらと書かれていたが、そんなことは頭に入らない。問題は、村人達が大挙して押し寄せてきた理由だっ た。
「え、ええと。この新聞は正確じゃなくて、わたしだって知らなかったのよ! ま、豆だってただだったしいでしょう?!」
 最後は半ば逆ギレ気味。もちろん、そんな言葉が聞き入れられるはずもなく、霊夢は非難囂々を浴びることになるのだった。

「わたしのせいじゃないのにー! 不幸よー!」

 博麗霊夢。射命丸文の八つ当たりによって生まれた、可哀想な被害者である。
 原因は、多分神社での豆の撒き忘れ。



おまけ一

「……誰も来ないなあ」
 地底の赤角鬼は、独りごちる。



おまけ二

「えーりん、いつもありがとう!」
「……ええと姫様、これは」
「今日は節分よ。――――歳の分豆を食べるのよね? だ・か・ら」
 目を三日月に細め、とても輝夜は楽しそうに笑っていた。
 そして当の永琳はというと山盛りの炒り豆を前に、ああ、一応炒ってくれたのね、えーりん嬉しいなどと、類い希なる頭脳を停止させていた。
「では、ありがたく頂戴いたします……鈴仙と」
「げげっ!」

Fin.

~Where's ogres? Nobady knows.~
Thank you for Naoto(Illust)
And you!

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