「手短に話す。とりあえず聞いてくれ」

 そうして話し始めようとする青年を、ある一人の手が遮った。それは、遠坂凛という名の少女のもの。

「待った」

「どうかしたか」

 いぶかしむ様子の彼に、まるで構うことはない。彼女は冷たく言い放った。

「こちらは馴れ合う気はないの。さっさと案内しなさい、人攫い」

「なに?」

 青年は一瞬キョトンとした顔になった。そして一旦目を閉じ――何らの間を置かずに、今度は口の端に冷笑を乗せて瞼を開いた。

「ああ、そうだな。俺が間違っていた」

「ふん。ニヤニヤ笑っているのが気に入らないけど、分かったなら早く、」

 いいや、と凛を遮る青年。

「悪いがこっちが優先だ。これからゲームを始めるんだ。その前にルール説明が必要だろう?」

「ゲーム、ですって」

 その声が半音上がり、瞳に怒りの色が浮く。堪えてきた物が溢れかけているのは、誰の目にも明らかだった。だが彼女の様子を知ってか知 らずか、尚も青年は続けた。

「そうだ。参加者はそちらの四人と、我らファミリー+1。チップは互いの命、賞品としてサクラとかいう女を賭けたゲームだ。……面白い だろう?」

 すれすれだった我慢は、嘲りを含んだその言葉であっさりと限界に達した。

「こ、のぉッ、ふざけるんじゃないわよ、アンタぁ!」

 セイバーの制止も間に合わない。気付いた時には、恐ろしく鋭い平手打ちが、青年の横っ面を張り飛ばしていた。

 そして。――強制的に横を向かされた彼は、しかし。

「ふん」

 何の逆襲もすることはなかった。怒りもない、関心もない。大して感情の篭らない目で彼女を見ている。

「ぺっ」 ただ、打たれた時にどこか切ったか、口内に溜まった血を吐き捨てていた。

「凶暴だな。少しは頭が冷えたか? さっさと説明を聞いた方が身の為だが」

「この……っ!」

 怒りは容易く再燃。だが、今度は動かない。自制心を振り絞り、彼女は何とか止まった。

「今、分かった――あんた、わたしの嫌いなタイプだわ」

「だとしたらぬるい攻撃だったな。ゲームが始まったら殺す気で来い。ではルール説明だ。聞きたいことがあるなら今の内に聞いておけ」

 青年は、す、と懐に手を入れ/セイバーが得物を握りこむのにも構わず/丸められた紙を引き抜いた。

「名前もまだだったな。ロビンだ。ロール名はアーチャー。らしい名前だから、すぐに覚えられるだろ」

「……ロビン・フッドか?」

 呟くような士郎の言葉に、彼は頷いた。

「ご名答」

 そして彼は静かに、引き抜いた紙を床に広げ始めた。白紙だった。染み一つないそれが、一体何の為に展開されているのか、理由が分かる 者はいない。

 ただいずれ説明はなされる筈。敢えてそれに触れるのは止め、セイバーは一つ彼の台詞の中で気になったことを聞いた。

「ロール名、とは? クラス名とは別物か」

 答えないかもしれないという彼女の心配をよそに、ロビンはすらすらと説明を口にした。

「聖杯戦争でのクラス名とは、英霊がサーヴァントとして降臨するための器。一方ロール名は、文字通り単なる役割の名前。造られる前か ら、俺はこの役割を演じることが決まっていただけだ」

「造られる? 生まれる、じゃないんですか」

 またもや引っ掛かりを覚え、今度質問を投げかけたのはシンジだった。それにもロビンは頷く。

「ああ。人造人間だからな。ロール名に当てはめるため、あれやこれやを弄って造られた」

「じ、人造、人間?」

 答えを聞き、シンジは意思とは無関係に、口を動かしていた。

 何故か、人造人間などありえない、とは思えなかった。どうしてか、どこかで納得している彼がいた。

 何者か、脳裏にぼんやりと浮かぶ紫色の鬼が、それを肯定するのだ。

「う、うぅ」

 ――酷い頭痛が、彼を襲う。何かを思い出しそうになったのに、また記憶が手をすり抜け続けた。吐き気すら催す痛みが、体を蝕んだ。

 そして生憎なことに、他の者の目はロビンにのみ向いていた。シンジは後ろにいて質問を投げかけていたため、誰も彼の様子に気付くこと ができない。

「で、だ。あんた達のすることだが」

 それからロビンの話が再開。益々シンジに意識を振り分けられる者はいなくなり、

「……ッ! ――はあ、はあっ……」

 ただ唯一、彼にとって幸運だったのは、異常が割り合いすぐに収まったことだけ/結局記憶は流れたままだった。

 

 一枚の紙が広がり、ルール説明とやらが本番を迎える。

「することは単純だ。この空間を出れば、ある船に出る。そう、ご存知の通りサンタ・クロース号だ」

 とんとん、とロビンが広げた白紙を指でノック。すると一つの映像が立体的に浮かび上がった。

 見れば、ある船ことサンタ・クロース号の全体像である。

「こ……これ、って」

 ロビンを除く誰も彼もが、立体映像に釘付けになる中、士郎がその紙の正体に思い至り、声を捻り出した。

「立体映像の投影機だ。SF映画とかで見たことあるんだろ」

「いや、確かにあるといえば、ある。――けど、実際にできたなんて聞いてないぞ、こんなの」

「後十年も待てば出てくるだろうよ」

 誰もが声を失ったのを見て、ロビンが少しだけにやりと笑っただが、残念ながら気付けた者はいなかった。

 呆然とする面々に構わず、彼の説明は次の段階に移る。

「まず最初、この道が繋がっているのはここ。下層部だ」

 人差し指で映像の船の底部に近い場所を示すと、その部分が引き出しのように抜け、ゆるゆると宙で回り始める。

 おお、と声が上がるも、彼は気にせず言葉を進める。

「ここで相手になるのは俺だ。あらかじめ言っておく。船は見掛けより広い。頼むから体力切れとか起こすなよ」

 心外な、と。そこでセイバーが憤慨の声を上げた。

「どれほどの船かは知りませんが、海に比べれば箱庭も同然。そのような場所で、体力切れなど起こしはしない」

「そうかい、だったらいいんだ」

 自分で振っておきながら、どうでもいい口調で彼は返す。そして、浮かんでいた船の底部を指で弾いた。

 弾かれた勢いのままに、底部は射影範囲外に飛び出し、船の全体映像が再び現れる。

「俺との戦いに、もしあんた達が勝てば上の階層に進むことができる。後はそれの繰り返し。一番最後に最上階にいる魔女を倒せば、お姫様 はあんた達の手に。どうだ、分かりやすいだろ?」

 ぽんぽんぽんと、船の下層部からハイライトが上部に移る。同時に名前/ロビンの言を借りるならロール名も表示されていった。

 アーチャー。ランサー&ドクター。セイバー&マジシャン。バーバリアン。クイーン。キング。そして 最後に『BOSS』と記された最上階層で止まった。

「我がファミリーは八人――あの黒女を合わせて九人。各階には一人ないし二人が配置されている。全六階層。頑張ってクリアするといい」

 再び指でとんとんと紙を叩くと映像が消える。彼はそれを巻き上げ、何故か凛に放った。

「持っていけ。船の内部図代わりだ」

「は?」

 突然ハイテク過ぎる物を渡されたのと、相手の予想外な台詞が合わさり、一瞬硬直してしまう。だがすぐに気を取り直したか、にやりと笑 い。

「ふうん。くれると言うなら、貰っておくわ」

 だがその顔も長くは続かない。

「言っておくが、裏道なぞない。既にあの船は豪華客船から戦場へと変貌している。一目見れば分かるだろうが、一応言っておく」

 些か悪い顔をしていた凛が、ロビンの一言で面白いように表情を変えた。小さな舌打ちも聞こえた。正しくそれを探そうと考えてたのだ。

 だから、次に口を開いた彼女は、怒りを隠そうとしない荒々しい口調だった。

「ああ、そう。それじゃあこれに使い道はなさそうね。なに、先に勝者への報酬を払っておくって訳?」

「馬鹿だな、お前」

 この時、確かに士郎は、いやセイバーもシンジも空気が割れる音を聞いた。

 凛の腕が輝き出す/既にこちらに背を向けていたロビンに、士郎は思わず声を掛けそうになった。

「お……」

 しかしその口がいち早くセイバーの手で塞がれる。

 柔らかい指が唇に、とは既に彼女が鎧を纏っている為にいかない。だが相手がセイバーと知れた時、瞬時に彼の鼓動数は跳ね上がった。思 わず声が引っくり返る。

「セ、セイバー?」

「しっ。シロウ、静かに」

 小声でやり取りをする内にも、凛の腕は輝きを増していた。それが極大に達し、指先がロビンに向けられようとした、丁度その瞬間。

「最後に、おまじないの言葉でも教えておくかい。『楽しい悪事のはじまりはじまり』。そして、『お縄頂戴』。この二つを覚えておきな」

「……は?」

「『楽しい悪事の』……」

「誰もそっちの意味で聞き返してないわよ」

 ふん、とロビンが鼻を鳴らした。

「本当に一度で覚えられたのか?」

 侮るような調子に、思わず凛はカチンとくる。

「はン。さっきからアンタ、馬鹿にするのも大概にしなさいよ。まず『楽しい悪事のはじまりはじまり』でしょ。そして……」

 一つ目のおまじないを言い終わると同時、きらりと彼女の手元に、魔術刻印とは別の光が生まれた。

「え? なに、これ」

「…………」

 ロビンは無言。明かりの源は、先程彼に渡された紙だった。

 恐る恐る広げていくと、白紙の筈のそれには、いつの間にかびっしりと文字が浮かんでいた。

 そこに書かれた文章を追い、凛ははっと顔を上げた。

「うそ。まさか、これって」

「遠坂、一体何が書いてあるんだ?」

 彼女は士郎には答えない。代わりに、きっ、とロビンを睨みつけていた。

「ロビンって言ったわね。こんな物を渡しておいて――あなた、何を考えているの」

「元々フェアじゃない勝負は望むところじゃない。それは存分に使えばいい」

 どうして彼女が怒ったのか分からない士郎達は、見事に置いてけぼりを食らう。

「こんな施しをして、負けた言い訳にでもする気?」

「いいや、勝つのは俺達だ」

 話を聞ける状態にないと判断し、仕方なく士郎も凛の手元を覗き込む。

そして彼女同様に固まった。次に声を荒げたのも、彼女と同じだった。

「お、おい。これって、アンタのことじゃないのか!?」

「如何にも。だが勘違いするな。俺達はあんた達のことを調査済みだからな。条件を五分に戻しただけだ」

 首を回し、僅かに覗いた顔には、獣のような獰猛な笑みがあった。

「そもそも、我がファミリーに敗北はない。その程度の情報を知られたところで、何らゲームに支障はないのさ」

 続きセイバーやシンジも紙を覗き、一様に驚きを露にする。無理もなかった。おまじない後の紙に浮かんでいたのは、誰であろうロビンに 関する情報だったのだ。

 名前、ロール名はいうに非ず。更に身長、体重、能力、効果対象、範囲、等々。様々な情報が、そこには記されていたのだ。

 これでは正体不明の敵を、丸裸にしたも等しい。

「舐められた物だ。余裕のつもりですか」

「いいや。だが言った筈だ、ゲームだと。RPGの主人公達は、何故かダンジョンの地図を手に入れ、敵の弱点も道中で知らされる。それと 同じことだ」

 更に捲くし立てた。 「だがな、聞くがいいセイバー。その程度のことを知られたところで何だ。俺はどうもしない。名だたる英雄のよう に明確な弱点なんてないんだ。隠すことなんて、元よりない」

 少しだけ考え込むセイバー。

「……ここに書いてあることは真実か」

「好きに判断したらいい。俺のやり方を忘れていなければな」

 昨晩を思い出したか、セイバーの視線が、鋭い切れ味でもってロビンの背中に突き刺さった。

「これで、そちらの能力が割れたとするなら、それは問題ではないのか」

「ない」

 即答だった。そしてこれ以上の問答は無用だと、彼は止まっていた歩みを再開した。緑の狩人服が、風を孕み小さく波打った。――その背 中が、余りにも大きな物に見えたのは、目の錯覚だったか。

「……行きましょう、シロウ」

「ああ」

 士郎は重く頷いて、セイバーの後を追った。

「気を緩めないように。どうやら、一筋縄ではいかないようです」

「ああ。分かってるさ、セイバー」

 言われるまでもなく、ロビンの強さを彼も理解していた。

 それは肉体的なものや能力的なものではない。ちょっとやそっとでは揺らぎそうもない心。それが、彼の強さであると、士郎も気づいたの だ。

 

 だがそうなると、尚のこと解せない。

「……せこい手を使ったかと思えば、こんなことをする。アイツ等の本当はどこにあるの」

「遠坂さん……?」

 凛には分からなかった。

 ロビンは自分が切り伏せられる可能性もありながら、士郎を撃ったとばらし、かと思えば突然挑発的な言葉を繰り返し、しかし情報は惜し みなく渡してきた。

 行動に一貫性がない。だから理解できない。

 

「――さん、遠坂さん!」

「……え、なに。シンジ」

「あの、急にぼうっとしてるから――どうしたのかなって。そ、そうだ! 早く行かないと、置いていかれますよ」

 確かに先を見れば、士郎達の姿が小さくなりつつあった。シンジが袖を引っ張って急かすのも無理はなかった。

「ごめん。ちょっと考え事してて」

「考え事、ですか? でも、今は……ああっ、もうあんなに! 早く行かないと!」

「分かった、分かったからそんなに服を引っ張らないで」

 珍しく強引に引っ張るシンジ。それがまた記憶を取り戻せなかったことによる、八つ当たり的なものだと凛は知らない。

 そして彼女は彼に引っ張られつつ、何とはなしに一つの言葉を口にしていた。

 それは、二つ目のおまじない。

「『お縄頂戴』」

 その一言で、紙に書かれていた文字は全て消え去った。

 

***

 

 桃色の靄を抜けた瞬間に士郎達が感じたのは、地下鉄から出た時のようなちょっとした風だった。

 そして周りの明るさに目が慣れた頃、自分達が馬鹿でかい廊下の真ん中にいるのだと気づいた。

「こ、ここが、船の中なのか?」

 余りにもしっかりした足元は地上の建物を思わせ、ここが船の中であるという確信を彼らから奪っていた。その疑問に答えたのは、ロビン の声ではなかった。

<もちろん、その通りよ>

「――お前は!」

 壁に掛けられた額縁が、絵の代わりに一人の女性を映し出した。

 烏羽色の艶やかな長髪。細く流れる蛾眉に、切れ上がった目元。黒をベースに、金糸の文様が施された着物。

 どこまでも黒く、対照的に抜けたように白い肌の女性。

「黒巫女か」

<ご苦労様ロビン。ちゃんと連れてきたわね>

「あんたの為じゃない」

<説明はしたのかしら>

「恙無く終わらせた」

 士郎達と話している間ではなかったぶっきらぼうな物言いに、しかし黒い女は動じもしなかった。

<連れてきたことが重要よ。――これで人質など不要ね>

 時間が、止まったように感じた。その台詞に動揺を見せたのは、士郎達ばかりではなくロビンもである。

「なに? おい待てお前、一体何の話だ! 今の言い方だとまるで……」

<この子をどうにかするみたい?>

 未だ目を閉じたままの桜が、女性の腕に抱かれた。頭を抱え込まれ、少し上を向かされた体勢が、否が応にも不安を掻き立てる。

「さ、桜! あ、あんた何をする気? やめなさいよ、今すぐに! さもないと承知しないわよ!」

<あら、一体どうするのかしら。手も届かないそこから。見物だわ>

 次第に女性の顔が、桜の顔に寄せられる。その口元に微かに光を放つ陣のような物が浮かぶ。――見れば、それは非常に小さいが、セフィ ロトの樹の形を為していた。

「おい何するんだ! こっちはあんたのいう通りに来ただろ! 何が不満なんだ!」

「そ、そうですよ! 止めて下さい!」

 士郎とシンジの静止にも、彼女は艶然と薄笑いを見せるだけ。

<いいでしょう? 本気で戦う理由を作って上げるだけなんだから――こうして>

「余計な手出しをするな黒巫女! これでは話が違うだろうが!」

<あら、そうだったかしら>

 ぱしゃん、と水風船を割ったような音だった。黒巫女と呼ばれた女性と、桜の口の間隔が零になると同時だった。

 桜の姿が、赤い水になってしまったのは。

「……え」

 誰が発したかも分からぬ言葉。黒巫女だけがお構い無しに、残された桜の制服をやおら放り投げていた。

 くつくつと、面白いのかそうでないのか分からない小さな笑い声が聞こえた。

 静かに、制服が赤い水溜りに落ち込み、桃色に染まり始めた。

「誰が――誰がそんなことをしろと言ったぁぁあああ!」

 声を張り上げ、黒の女性に怒りをぶつけていたのはロビンだけだった。

 士郎は呆然となり、凛は力を失って地面にへたれ込んでいた。

「う、そ。なんで、なんで桜が……」

 今の凛に、普段の気丈な姿は影も形もなかった。そこにいるのは、一人の無力な少女だ。

「……何を、したんだ。あんたは、一体あんたは何をしたんだ!? 答えろ!」

 ディスプレイに掴みかからんばかりの勢いで、士郎が吼えた。だが尚も、黒巫女の笑い声は止まない。

「やはり、魔女か」

<あら、可愛らしい剣士さん。少々違うわねぇ。魔女ではなく、わたしは只、魔の女であるだけよ>

 セイバーの呟きには応えた黒巫女だったが、その目が捉えているのは別の者だった。

 それは士郎でもなく、凛でもなく、セイバーでもロビンでもない。

<ほら、どうかしら。見覚えがあるでしょう? 懐かしいでしょう? 人類全てをこうした貴方としては。ねえ、どうなのかしら。碇シン ジ君>

「シンジ、君?」

 勢いよく士郎が振り返ると、シンジは力なく首を横に振っていた。

「な、なんで? こ、こんなの、こんなの嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だッ! 何でだよ? ありえないよ! だって、だって何も足りてないじゃな いか! できるわけがないよ! 人類補完計画なんて起こせるわけないじゃないか!」

 カチカチと歯を鳴らし震えているシンジを、やはり黒巫女はくつくつと嘲笑った。

<ええ、そうね。だけど目の前でまず一人。さっさと止めないとどうなるか――あなただけは知っているでしょう?>

 暗転。"魔"女の姿は消え、元の絵画がディスプレイに映し出された。

 そしてシンジは士郎が動くよりも早く、

「遠坂さんっ!」

 青い顔をしたまま、それでも凛に走り縋っていた。

「遠坂さん! まだです、まだ間に合う! LCLに還元されただけなんです。あの人は死んだんじゃない。だから、ATフィールドでもう 一度自分の姿を取り戻させれば――!」

「……ぁ――。シン――ジ?」

「でも、だけど、早くしないと間に合わないかもしれない。皆死んじゃうかもしれないんだ!」

 少年の双眸からは、ぼろぼろと涙が毀れていた。何故泣いているのか、彼は自分でも分からなかった。それどころか、自分が何を言ってい るのかも分かっていなかった。

 これだけ喋っているように見えて、実のところ記憶は何一つ戻っていない。だが頭で考える前に、勝手に言葉が出てきていた。

 だからそれは、忘れられてしまった『碇シンジ』の慟哭なのだ。

「もう嫌なんだ! あんなのはもう起こしたくないんだ! だから立って! 立って下さい、遠坂さん!」

[…………」

 叫んだ。恥も、外聞もなく、シンジは顔をくしゃくしゃにして訴えた。

 その、魂からの叫びに、少女も応えた。

「……泣くんじゃないわよ、馬鹿」

「と、遠坂さん」

「ん」

 体の力が全て抜け切っていたことなど忘れたように。自ら立ち上がってから、凛はシンジの手を引いた。

「いい? 確認するわよ。桜は死んでないのね?」

「は、はい」

「また、元に戻れるのね?」

「はい」

「シンジが、元に戻してくれるのね?」

「はいっ!」

 ぽん、とシンジの頭に手が置かれた。

「分かった。貴方を信じる」

 強さと輝きを取り戻した彼女の信頼に、シンジがまた泣きそうになったのは秘密だ。

 

「セイバー。シンジ君の言ってることは、本当なのか?」

「……いえ、正直なところはなんとも。ですが彼があそこまで言うのであれば」

 示し合わせたように、頷きあう二人。

「そっか。そうだな。俺達が信じなきゃ、ダメだよな」

「はい。ですからまずすべきことは――」

 ひゅう、と見えぬ剣が空を切り、こちらに背を向け、走り出そうとしていたロビンへと向けられた。

「どこへ行くつもりですか」

「ち。流石に気づくのが早い」

 だがすることは変わらないと、彼は駆け出す。そして、彼が前を向くのと、セイバーが回り込むのがほぼ同時だった。

「お……畜生が、速すぎだッ」

「――振り向かせるつもりでしたが、貴方がそういう態度に出るのならば」

 下段から上段へ。腰の回転に合わせて鋭い一撃をロビンへと見舞う。

「ここで御別れです」

「こ、のぉおっ!」

 前向きに掛かっていたベクトルを、ロビンは無理やり後ろに転じる。全身の移動までは至らないが、極端に体を仰け反らし、

「ぐっ」

「躱しましたか。しかし二度は――」

 皆まで言わせぬ。大きく、しかし浅く斬られるに留まった胸の傷はこの際無視した。ロビンは背後に両手を伸ばして床を掴み、鏃のように 尖らせた足先を、セイバーの顎を目掛け跳ね上げた。

 ――づ、と掠る。先んじて顎を上げ、セイバーは攻撃から逃れていた。

 そしてそれだけかと顔を戻し、剣を今度は振り上げようと手に力を込め、

「いな……いや、横かっ」

「くそ、一々反応が良すぎるっ!」

 セイバーがまず振り下ろしたのは、己の体に対し左側。彼女の視界から逃れたロビンは、そこから最も遠い右側を駆け抜けようとしてい た。

 無論やすやす見逃す彼女ではない。逆にいるなら寧ろ好都合と一挙に体を回し、最高速に達した剣を振り抜く。狙いはロビンの首。

「せぇ――ッ!」

 裂帛の気合。果たして――手ごたえは、あった。

 

「…………」

 だが彼女の顔は晴れない。手ごたえはあった。が、軽すぎた。その筈だ。断ち切られ、宙を舞ったのはロビンの首ではなく、髪だけだっ た。

「――よもや、二度も躱されるとは」

「ふ、ふ。少し髪が伸びてたんでね。散髪代が浮いたよ、どうも」

 はらりと短くなった髪が落ち着く。彼の顔は引き攣ってはいたが、確かに笑いの形を取っていた。

 壁を背負い、追い詰められたことで狂ったのか。

 いや、違う。彼が手を掛けているのは、壁ではなく巨大な扉だった。

「仕切り直しだ。来い、セイバー!」

 扉の表面を撫でる。それだけで重厚且つ優雅な扉は、横にも縦にも開くことはなく、一切合財消失した。

「しっ」

 ロビンは解放された部屋に背中から飛び込む。バックステップとは思えない速さで、彼の身は進み、そして全身のバネを使って高枝へと飛 び移った。

「……枝?」

 彼の行動を追ううちに、おかしなものが混ざったと士郎は気付いた。だが間違いではなかった。

「――成程。これが、彼の戦場と言うわけですか」

 セイバーが部屋の中に踏み入る。柔らかな感触が、足に伝わった。

 その地面は最早鋼鉄ではなかった。

 視界に広がるのは、人工の建造物ではなかった。

 隙間なく床を埋めているのは、青々しい芝生。どこまでも広がるのは、鬱蒼と繁る森の如き木々。

「な、何これ? 船の中に、森があるなんて」

「ああ。それにいやに広い」

 セイバーに続き部屋に入ったシンジや士郎が呟く。確かに木々は所狭しと生え並び、壁は扉があった側の物しか見えなかった。先を見よう としても霞む。

 ――この部屋には、圧縮した空間が詰め込まれている。外見と中はまるで違うということだ。だから言っただろう? 広いぞと。

 おんおんと反響し、場所の特定をさせないロビンの声が聞こえた。

 彼を探すべく、また一歩セイバーが踏み出す。と、木々の間が煌めいた。幾十本もの矢が、彼女目掛けて押し寄せていた。

「なっ!」

 咄嗟に士郎達を庇い立ち、セイバーは自分達に当たる軌道にあった矢を叩き落す。

 外れの軌道にあった矢は、そのまま壁に突き立つかと思われたが、それぞれ孤を描きUターン。再び森の木々に埋もれた。

「矢を自在に操る――やはり、それが貴方の能力か」

「如何にもそう」

 返答と共に、倍の矢玉が殺到した。セイバーだけでは手が足りず、シンジもフィールドを展開して何とか防ぐ。

「弓の名手が名を借り、ロールアーチャー、ロビン、参る! さあ、かかって来い、英霊共!」

「――いいでしょう。サーヴァント、セイバー。剣の英霊として全身全霊をかけて貴方を倒し切る」

 双方共に名乗りを上げ、『ゲーム』の第一ステージが始まった。

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