『スタジオの皆さ~ん、見えますかー? ここがあの豪華船! 『サンタ・クロース』の中なんですよ~!』

『ほー、流石に広いですね。実際中に入った感じはどうですか?』

『はい、それはですねー……』

 テレビを観て、これほど困惑を受けたのは初めてだ。士郎と凛の思いはそれに尽きた。

 驚いたのは、元気な女性アナウンサーにではない、おっとり声の年輩男性にでもない。世界屈指の超豪華客船としてその名を轟かせる『サンタ・クロース』 号。その内部が、ありありと映し出されていたからである。

「この船よね」

「ああ。多分」

 彼らは一旦顔を見合わせ、再び画面へと目を戻す。しかし、何らの解決もないことは、表情から明らかだった。

「……うーん」

「名前は――うん、やっぱり何度見直しても一緒なんだけど」

 ただの富豪用の船であるなら、別段彼らに悩みはない。贅を尽くした豪奢な空間に、憧れと拒絶のない混ざる、凄いねの一言で全て済む。

 だが、一つの手紙がそれを変えた。先刻渡された例の物だ。士郎達をパーティーに招待する旨と、その場所が示されている。その場所というのが、正にテレビ に映る船だった。

 魔術関係者からの招待先が、こうして公の場に示される。偉大な史跡であれば考えられないこともないが、そうでないこれは明らかに異常。

 特に、根っからの魔術師である凛にとって、認めるわけにはいかない事態だった。

「魔術は隠匿されるべき物。その程度も分からない奴が相手だなんて思いたくもない」

 そこでふと考えた。もし、魔術を隠匿する気がないのではなく、する必要もない程桁外れの相手であったなら?

「……やめてよね。それこそ考えたくもない」

「ん? 何がだ、遠坂」

「ううん、別に。独り言」

 恐ろしい想像は、可能性というラベルはつけつつも思考の片隅に追いやった。嫌な予感は、嫌な現実を引き寄せる。だから考えてはならない。

 そこから沈黙が始まった。少女は様々な可能性を考えるため。少年は沈黙を破る言葉を考えるため。それぞれ黙り込んだ。

 手が、一つ挙がった。気弱さの塊のようなもう一人の少年、碇シンジ。

「あの、いいですか?」

「ん、何」

 手を挙げた彼とそれを当てる凛。まるで生徒と教師の風情である。

 質問はこうであった。

「魔術ってこんなに大っぴらに使っていいんですか」

「ふ」

 微笑。何となく、シンジも思わず笑いかけるが、彼女の眼を見て固まった。寧ろ何かを失敗したと悟った。

「あ、あの」

「ふ、ふ、ふ。だからダメだって言ってるでしょー!」

「ひぃぃぃぃ!」

 一瞬だった。笑みはどこへやら、スパルタ教師への変貌。見えない鞭が唸りを上げるほどの怒声だった。シンジは即座に低頭平身。平謝り開始。

「ですよね! ごめんなさい! 大金持ちしか乗れなさそうな船だったから、もしかして魔術師って凄くオープンな存在かと一瞬だけ勘違いしちゃいましたごめ んなさい!」

 凛の額に、更なる青筋追加。 「魔術師は金が無いって言われているみたいで、それはそれで癪」

「そんなあ!」

 傍から見れば、何となく軽さも感じる掛け合い。放っておけばいつまでも続きそうである。

 尤も、そんな時間があれば、だが。

「リン」

「遠坂」

「……分かってるわよ」

 セイバーと士郎の二人に窘められて、凛は乱心から帰る。いや寧ろ、乱心すらしてもいなかった。

「ちょっと現実逃避したかっただけ」

 余りといえば余りの台詞に、ますますシンジの目元に涙が浮かんだ。

「ひ、酷い。酷いですよ遠坂さん」

「えー、あー、ごほん」

 聞かなかったことにして、凛は咳払い。

「まあ、ね。分からなくもないわ。わたしもちょっとだけ、ほんの一瞬だけ! そう考えてしまったわけだし。うん」

「いやま、確かに俺もそうだったけど」 ちらりと横目を滑らせて、 「……なあ、遠坂。シンジ君、いじけてるぞ」

「う」

 見たくないなーと思いながら、ゆっくりと目を向ける、と。

「どうせ、どうせ僕なんか……」

「く、暗っ」

 ひたすらに暗い男によって、畳に呪詛よろしく『の』の字が量産されていた。思わず凛も引きかけたが、士郎とセイバーは首を横に振り、後退を許さなかっ た。

 無言掛けることの二。ちゃんと対処しろと、眼が訴えていた。

「ううう」 覚悟を決めて、振り直る。 「ああ、もう! 悪かったわよ!」

 とても謝っているとは思えない態度だったが、士郎は敢えて止めなかった。それだけで終わるようなら、流石に文句をつけた筈だ。しかし、そうはならないと 彼は信じていた。実際彼女は、こう続けた。

「今のは、八つ当たりだったわ。ごめん。……だからほら」 ぽんと自分の隣を叩く。 「戻ってきて話に加わりなさい」

「……あ。えと」

「返事」

「は、はい!」

「よろしい」

 よくよく考えると、何か間違っている気がしないでもなかったが。

「……まあ、いいか」

 これ以上突っ込むと、後々何かしら反撃を受けそうなので見逃しておくことにした。

 

 

『では、この船のオーナーに話を伺いますよー。そのオーナーさんというのは、世界的にもとってもとーっても有名な大富豪で、更にとってもハンサムな方なん ですよぉ!』

『いやはや、天は二物を与えずと言いますが、そんな方もいるのですね』

 テレビの中では場面が移り、アナウンサーの紹介通り、かなり顔立ちの整った青年が現れた。近年の富豪ランキングでトップを塗り替え、有名になった男だ。

「さあ、これ以上は時間を無駄にできないぞ」

 ただし、士郎達の目はそちらには毛ほども向かない。招待状に書かれた日付は今日、それも今夜。後幾許もないのだから、その言葉は真実だった。

「そうは言いますが、シロウ。答えは出ています。そこには行かない。どう見ても罠なのですから」

 しかし、セイバーの言もまた真実。誰もが頷いていることが、その証左であった。士郎ですら首を縦に動かしている。

「ああ、そうだ。恐らく、いや多分間違いなくそれが普通だ」

「ええ。ですからここは情報を集めることから始めるべきです」

 首は、縦に振られなかった。セイバーの表情が曇る。

「……シロウ。何か今の会話に不備が?」

「おかしい所なんてないさ、今の会話には」

「妙に回りくどい言い方ですね。一体何を考えているのですか?」

 士郎はすぐに答えず、まず招待状を手に取り、そして言った。

「セイバーは間違っていない。だけど、こっちはおかしいと思わないか? この罠は、余りにも見え透き過ぎている」

 

***

 

「……お前、一体今何と言った」

「あ? こんなバレばれの罠張るなんざ、あのクソ売女は阿呆かといっただけだろ。怒るんじゃねえよ。テメエを貶したわけじゃねーんだ」

 聞き返されたので前言を繰り返す。そして虚勢は張ってみせたものの、背後で電動ドリルでも持ち上げられたような音を聞きつけ、凶蜘蛛は肝を冷やしてい た。

 いつもの腕が手元にない状態で、口を滑らせてしまったのは迂闊としか言いようがない。しかし対外的には声の調子すら変えず、あまつさえ笑ってみせるのは 流石の胆力だった。

「カカッ。怒ったのか? ドぉクターさんよー。アレがそんなにいいか? キヒッ。テメエにも、何つーんだ、色欲とかあんだな」

「……馬鹿馬鹿しい」

 乱暴に、だが結構な重さのある何かが投げ捨てられた。確認するまでもなく、電動ドリルだろう。凶蜘蛛は、表にはそれと知られない程度の溜息を吐いた。そ して、危機は去ったと振り返り、

「――――げ」

 未だ危機は去ってなどいなかったと知った。

 きらりと光る切っ先。人の皮膚などやすやす切り裂くメスが、眼球の数ミリ前に突きつけられていた。こっちは姿勢を、あっちは得物を変えただけだった。

「おいおい、大変だぜ。えらく剣呑な方がこっち向いてる」

「王派の貴様には分かるまいよ」

 あくまでも冗談めかした凶蜘蛛の言葉など、ドクターは聞いていなかった。白衣に片手を突っ込み、気だるげながら、それでもメスをいつでも突き込める体 勢。

「私は、いや私のあの人に対する思いというのはだな、そういう下種な物とは違うのだ」

 昏い眼だった。下からねめつける様な嫌な視線。余計なことを言えば、即座に眼球を刳り貫くに違いなかった。

「ったく、よお」

 相手はどうにも説得しようがなく、こっちの状況は一歩も動けない。なら――相手を引かせる。凶蜘蛛はそう結論付けた。

 ぎ、と目を剥いた。

「クソッタレ。さっさと下ろせ。そして、俺がもう一度同じ馬鹿を言う前に、あの売女の考えを言いやがれ」

「言っても分からぬか。ケダモノめ。……まあ、いいだろう」

 直前まで本当に刺しかねない雰囲気を醸していた青年は、また言われるがままにあっさりと引き下がった。

 だがあっさりしているのは、凶蜘蛛も同じだった。つい今までの凶行などなかったように、軽い声で問い掛けたのだ。

「それで」

「あの人が考えているのは、何も難しいことではない」

 くるりとメスを一回転させ、懐にしまう。

「見え透いた罠に相手はかからねぇ。だろ?」

「通常はな」

「何だ、相手を通常じゃなくするっつーのか」

「如何にも」

 じれったくなり、凶蜘蛛は椅子から飛び降りた。

「一々もったいぶるな。面倒くせえ」

「なに。簡単なことだ」 手を振り、中空に現れたキーボードを操作する。 「ありふれたやり方ではあるが、平和ボケしたガキどもには効くだろう」

「あ? 何だこりゃ」

 ドクターが更に宙に浮かべて見せた立体モニターを覗き、凶蜘蛛は顔を顰めた。

「ゴミじゃねえか」

「正確にはその一歩手前。お姫様のおもちゃの成れの果てだ」

 白衣の青年に視線を戻す。 「はあん? あのガキのものだぁ?」

「そうだ」

「……ま、だからどうってこたぁねえが」 バリバリと頭を掻く。 「これが何だ」

「人質だ。正確には人ではないが」

 間を置き、豪快な笑い声が上がった。

「カカッ! 人質か! こりゃあ分かりやすい! だがよぉ、こんなんで来る馬鹿はそうそういねーぜ」

「ああ、そうだな。いても一人くらいだ」

 マジにいるのかよ、と嘲り笑う凶蜘蛛を尻目に、ドクターは再びキーボードを操作した。

「だからこそ、更に」

 モニターの映像が変化する。哄笑も止んだ。

「ハ! なるほどなあ! ぐしゃぐしゃに撒き散らしたくなるくれえ、いい体つきの女じゃあねえか。確かに、こっちなら効くだろうよ」

「これは、我が君と共にいる。お前は実際に見ることもないだろう」

「はあ? なぁんでだ。餌にした後、食い散らかしてやるのが礼儀だろうが」

 下卑た笑みを浮かべた凶蜘蛛に、ドクターは心底嫌気が差したような表情をしてみせた。だが説明は続ける。

「しかし残念ながら、魔術師というのは非常で非道な人種とも聞く」

「だな。それは聞いてるぜ」

 よしと頷く。 「だから、我が君が赴く」

「……何?」

 凶蜘蛛の機嫌が一気に悪くなった。

「何をふざけてやがる。おい。これはっ、俺達のステージだろうが。今更違うたあ言わせねえ!」

「がなるな。騒々しい」 冷たい一瞥で反論を一切止める。 「いいか。罠がばれ、餌にも喰いつかない。ならばどうする? 簡単だ。囲って、追い詰める」

「どういうことだ」

 ぶすっとした顔で、聞き返す。

「安全だと思える場所を無くすのだよ。まずはな。それが追い詰めることにもなる。相手がどこから襲ってくるか、分からなくなるということでもあるからな」

「あー、クソの塊が脳天を直撃したみてえに忌々しいが、分かったぞ。つまり、こういうことだな? こっちはいつでも、どこからでも襲いかかる相手だと思わ せて、敢えて罠の方を選ばせようってんだ」

 頷くドクター。 「少しは頭が回るようになったか。上出来だ」

「けっ」

 本心から褒めていると分かるだけに、嫌がり方も一入だった。

「聞きたいことは、それで全部か」

「これで最後だ。もしの話だが、それでも来なかったらどうするよ?」

 その質問に、ドクターは大きく溜息をついてみせた。

「おい」

「いや。そんな下らない事を聞くとは思わなかった」

 懐から再度メスを引き抜き、彼は壁の地図を見た。

「その時は、最悪のお披露目会だ、つまり」

 小気味のいい音。凶蜘蛛が、ひゅうと口笛を吹く。メスは壁の地図、冬木の町を深々と貫いていた。

「町が一つ消える。それだけだ」

 

***

 

「多分この中じゃ一番素人だと思う俺でも分かる。この罠は、きっとこれだけじゃない」

「それは……」

 セイバーも薄々感づいていたのか答えに窮する。そこで代わりとばかりに、新たな声が応えた。

『そう、ご名答。正解のプレゼントは、もう渡してあるわねぇ』

 一瞬で全員が立ち上がる。

「いつの間にっ!」

「ちっ」

 セイバーと凛は部屋を見渡す、が、何も変化はない。気付いたのは、士郎とシンジだった。

「違う、そこじゃない。セイバー、遠坂!」

「あ、あれ。テレビですっ」

 シンジの指差した先。今まで緩い取材番組を垂れ流していたそれには、金色に輝く豪奢な部屋とシルクのソファベッドで艶然と薄笑う、黒い魔女が映し出され ていた。

「何者だ!」

『とても難しい質問ね。哲学はお好き?』

 言って、くつくつと笑う。僅かに上がる赤い唇/そこに寄せられるたおやかな手/合わせて滑り落ちる和服の袖。全てが妖しい/艶めいている。

 絶望的なまでに引き寄せられる魔性の女香。テレビに映る女性の全身から/一挙一動一から発散される悪魔の媚薬。少しでも感じてしまえば、老も若も男も女 も問わず、狂おしく彼女を求めてしまう。

 ――――つまり、毒だ。進む先は破滅の道と知りつつ、誰も手を止められない悪魔の猛毒。これに対抗する術を持つ者は、一人としていない。

 

 そして、だからこそ止まった。士郎は止まることができた。理由は単純だった。正義の味方は、悪と相容れない。

「……あんた、一体何の用なんだ」

『――ええ、おめでとう。それが二つ目の合格点よ』

 そのやり取りで、残りの者達は体を震わせた。堕ち掛けていた穴から、一気に気を戻したのだ。

「な……に、今の?」

 呆然と呟く凛。 「まさか。まさかあれだけで魅了したっていうの? うそ。わたしが、あんなにあっさりかかるなんて。こんな、ことって」

「馬鹿なっ。一体、貴様は一体何者だ!」

 セイバーですら驚愕を隠せない。女の口元に、赤縁の細い二日月が浮かぶ。

『いいのよ、気にしなくて。それで正常なんだから。ねえ――――?』

「質問に答えろ」

 手持ちサイズの水煙草を持ち上げ、女はふうと息をついた。

『貴方達の意思を確認したかっただけ、と言えばいいかしら?』

「来るかどうか、ってことか」

『そう。それだけよ』

 紫煙がくゆる。今度は士郎ではなく凛が身を乗り出した。

「その前に聞きたいことがあるわ。あんたの後ろにいるのは、一体誰」

『あら、目聡いことね』

 指摘通り女の後ろには、正確には女の寄り掛かるソファの後ろにあるベッドには誰かがいた。服と、髪が広がって、存在を示していた。

「…………」

 何故かその髪と服を見て、凛は自分の鼓動が高鳴るのを感じていた。

『遠坂凛。悪い予感は、悪い現実を引き寄せるわよ』

 女の顔に再び月が浮かぶ。凛の背中を、冷たい汗が流れ落ちた。それは、自分の名前を知られているということに対しての恐怖ではない。

『とてもいい子よ。心と体がバラバラ。付け入るのにこれほど適した状態もないわね』

 女が動いても、ベッドに横たわる人物の顔は見えなかった。だが、士郎達の通う穂群原の制服を着ていることは知れた。

「まさか」

「ちょっと、待てよ」

 女がくつくつと笑んだ。

『この顔に、見覚えはあるかしら?』

 制服を着た女子に黒の女はキスをするように顔を近づける。それから彼女を抱き上げ、顔を士郎達に見せつけた。

『……ん』

『ほら、可愛いでしょう』

 女の舌が首から耳元までを這い、少女は小さく声を漏らした。官能的な美術作品を思わせる、その光景の真っ只中にいる彼女のことを、士郎と凛は知ってい た。

「桜っ!」

「あ、あんた一体その子に何をしたの!」

『何もしてはいないわ。まだ』

 桜の服の中に女の手が差し込まれる。次第に手は上を目指し、胸の膨らみの前で蠢く。

「やめろっ!」

「……わたしやこいつがアンタを殺そうと決意する前に、さっさとその手を止めなさい」

 テレビ越しの意味のない制止。しかし女は素直に手を引き抜いた。

『これから何をするかは分からないわねえ。あら、そういえばまだこちらの質問の答えを貰ってなかったわね。パーティーの招待、受けて下さる?』

 強制はしないという女。だが、答えは決まっていた。

「ああ、分かった。セイバーも、付いて来てくれるな」

「はい。勿論です」

「上等、行ってやるわよ。シンジいいわね?」

「はいっ」

 元より選択肢などない。相手は、このように簡単に映像を送り込め、更にあの道化師達を思うに、自由にこちらの懐に入ってこれる。ならば進むしかない。

 ほぼ同時刻、凶蜘蛛がドクターから説明を受け、そして得た答えを、士郎達は身を持って体験していた。

『ふふ。では、もうすぐそちらに到着する迎えの者に詳しい話を聞きなさいな』

 次第に女と桜の姿が砂嵐の向こうに消え、元の能天気なアナウンサーの映像に戻っていった。

 緊張から解放され、誰ともなく溜息を漏らした。

「参ったわ。こんなことになるなんて」

「しかしこれで一つはっきりしました。相手は、魔術に関係があろうとなかろうと、全てを巻き込む気です」

「最悪ね」

 吐き捨てるように凛が呟く。

 

 ――――呼び鈴が鳴った。全員が顔を見合わせる。

「お迎えか」

「わたしが先頭になりましょう」

「ああ、たのむ」

 先頭をセイバー。続き士郎、凛、最後にシンジの順で並ぶ。一行はそのまま廊下を移動し、玄関へと辿り着いた。

 ガラス越しに人影が見える。最初の一回以外、呼び鈴を鳴らす気はないのか、その影は微動だにしない。

「開けます」

 振り返り、確認を取ってからセイバーが玄関を解放した。

「――――多少話は聞いているはずだが、俺が迎えのものだ」

「ええ、確かに聞いています」

 立っていたのは、緑の狩人服を着込み獣皮のブーツを履いた、時代も場所も間違えたような青年だった。その視線は鋭い。例えどこまで行こうとも、逃れられ そうにない強い眼差しだった。

 しかし、彼以外は誰もいない。舐められた物だと内心で呟き、凛が少し前に出た。

「迎えはいいんだけど、どうやって行くつもり? 真正面から一般人に目撃されつつっていうなら、後でこっそり向かわせてもらうわよ」

「いいや、それには及ばないね。既に関係者以外は追い払ってある。移動手段も人の目にはつかない」

「どうだか」

 しばし凛と青年の間で、視線が激突するが、すぐに相手が引いた。

「ついて来い。話は移動中に行う」

「ふん。一歩でも出た瞬間、矢が飛んできたりするんじゃないでしょうね」

 皮肉だった。凛の警戒は少しも緩まない。士郎達とてそれは同じ。だが、青年は踵を返しながら、軽く言ってのけた。

「安心しろ、それはない」

「へえ、何で言い切れるの」

 後姿でも、青年が笑っていることが知れた。彼は言った。

「あの夜、撃っていたのは俺だ。だから今狙い撃てるわけがないのさ」

「ん、な」

 士郎は思わず頭に手をやる。自分の頭上で弾けた矢玉を思い出したのだ。

「――なるほど。貴方が犯人でしたか」

 既にセイバーは蒼銀の鎧を装着し、不可視の剣を手にしている。

「斬るか。いいぞ、構わない。だがそれでは案内はできなくなるな。それでいいなら斬るがいい。背後から、不意をうって」

 両手を広げ、一切振り向かずに彼は言ってのけた。現状と、そして誇りに関わる脅し。言葉だけで二重にセイバーを縛り付ける。彼女の答えは。

 

「……いいでしょう。船につき、振り向いた瞬間が貴方の寿命だ」

「それでいい」

 彼女の答えに満足したか、青年は歩き出した。士郎達は急いで靴を履き、後を追う。

 しかし程なく追いつく。何しろ緑の青年は門から出てもいなかった。それどころか、

「何だ? 門に靄が掛かって――――」

「面白い体験をしたくはないか? ここにそのまま進め」

 門だけに掛かった奇妙な靄は、酷く濃い。桃色に煌めくそれの向こうには、あるはずの道路すら見えない。

「まず、貴方が進むべきだ」

 強い口調で言うセイバーに、青年は肩を竦めた。

「信用されていないな。いや、当然だった。では先に行かせて貰うが、さっさとついてこないと、案内はできないぞ」

 ぽふ、と靄の向こうに青年が消える。その瞬間に足音もなくなった。この靄の先が道路に繋がっていないのは、ほぼ間違いなかった。

「……何だか、古い映画でこういうのを見たな」

「ああ、士郎もそう思う?」

 何故か、青くてずんぐりと丸いロボットが、二人の脳裏に浮かんでいた。

「あの、まず僕が行きましょう、か? 何かあってもATフィールドで」

「いや、そんなことはさせられない」

 言って士郎は、靄に向かって直進した。

「あ。シロウ、少し待ってくださ」

 言葉の途中で、彼の姿もまた靄の向こうに消えた。

「くっ。マスターだけ先に行ってどうするというのです」

「あ」

 続いてセイバーも消えた。

「しくった。出遅れたわ。行くわよ、シンジ!」

「はい!」

 そして、凛とシンジ。これで全員が靄の中に納まった。それを待っていたのか、靄は薄くなり、やがて完全に消えた。

 

 その後、慌てた様子の大河が飛び込んできた時には、尋常ではない何かが起こっていた痕跡など、一つも残ってはいなかった。

 

 

 靄に包まれた空間。士郎達は緑の青年に連れられ、一歩一歩進んでいた。

「靄で前も見えないかと思ったけど、周りにあるだけで中はそうじゃないんだな」

 彼の脳内で、ますますとあるロボットの記憶が再生される。

(これって、結構不安定とかいってなかったっけ。大丈夫か?)

 特に危険はなさそうなので、気が緩み始めたか妙な心配心が沸きあがってきた。と、考え事をしていたせいか、先程同様前を行くセイバーの背中に当たってし まう。身長差ゆえ顔をぶつけずに済んだのは幸いだった。

「わぷっ。どうしたんだ、セイバー」

「いえ、彼が止まったので」

 確かに、セイバーの言うとおり、最も先頭を歩いている筈の案内人が、その歩みを止めていた。そしてきょろきょろと辺りを見てから、士郎達に振り向いた。

「ふん、やっと油断したなあのクソ女め。よし、ここなら目も耳もない。ようやく安心できるな」

「何? 貴方は一体――」

「手短に話そう」

 そして、ある話が始まった。

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