―――interlude 2―――


 公園が見えた。
 遊んでいる子供達の数こそ少ないが、間違いなくそこは公園と呼ばれる場所である。大人の何倍も生命力に満ち溢れた幼子達が思い思いに遊ぶ憩いの場。

 普通ならば、そこは皆で一斉に有り余る体力を発散する場所であり、その為に費やされるべき時間を彼らは十分に与えられていた。だというのに、異様とすら言える影が、ポツリと一つだけあった。

 ―――その少年は、ただ静かに他の子を眺めているだけ。 少しだけ離れた場所から動こうとはせずに、ただただじぃっ……と。見つめている。


 だが彼の様子に気付く子供達がいた。視線に気付くと、満面の笑みを浮かべて彼に声をかける。それはとても子供らしく、無邪気な様である。


 こっちにおいでよ、一緒に遊ぼう―――と。


 ついに自分に掛けられた言葉を聞き、今し方までは沈んだ面持ちだった少年の表情が、瞬く間に輝くような笑顔に取って代わられた。そして彼の足は、声を掛けてくれた子達がいる砂場へと向かって進み始めていた。


 少年を呼んだのは、少女達だろうか。
 無論、彼らの歳を考えるなら、何ら不思議なことでは無い。幼く、無邪気。故に何の躊躇も無く、性別の垣根を越えて遊べる時期。少年、そして少女らは今正にその時を生きているのだ。

 

 さて、少年が向かったのは砂場である。砂場という特色を生かす遊びとなると、できることはある程度限定される。
 何をしようか――。そうやって悩む時間はすぐに終わり、少年少女達は皆で決めた"何かを作る"という行動にのめり込んだ。


 砂を集める。
 形を整える。
 水を掛ける。

 その繰り返し。

 砂で何かを作るという行為は一見単純だが、皆で一斉に取り掛かるとなると協力心がなければ難しい。だが彼らは小難しく考えはしなかった。したいからする。失敗したら直す。
 互いの役割は遊ぶ中で自然と決定され、彼らの顔に常にあるのは真剣な眼差しと、楽しげに笑う口元だった。

 眩しい。一種の嫉妬を覚えるほどに彼らは輝いていた。子供は神と人間の境界にあるものだという話を聞いたことがあったが、確かにこの輝きは神々しいといってもよいのかもしれない。

 子供の幸福は壊せない。正に何人たりとも侵せない絶対の領域がそこには築かれていた。

 

 


 …一体どれ程、遊んだのだろう。

 小さきもの達にとって、時間とは恐ろしく長い。勿論子供達も例外ではない。だがそれでも尚時は経ち、終わりはやってきてしまう。


 絶対領域を初めに崩したのは、少年の真正面にいて砂を集めていた少女であった。ついと少年の後ろに目をやり、これまでと同等以上の喜色を言葉に乗せ、言った。


 "あ、ママが来たぁ!"


 少女の言葉は少年を固めた。彼の目は見開かれ、信じられないという風ですらあった。


 そんな少年の変化には気付かず、今の今まで一緒に遊んでいた少女達は自分達の母親がその視界に入るや否や、次々に砂場を飛び出していた。


 少年は動かない。


 バイバイ、またね!■■■くん!


 少女達は、少年に力一杯手を振って一方的に別れを告げる。少年の返答は待たない。サヨナラさえ終われば、後は母親との会話に完全に移行する。
 他意はないのだろう。しかし結果、少年はあっという間に一人になった。


 少年は動かない。

 少年の迎えは、ない。



 再び動き出した少年は、一心不乱に砂の建物を完成させ始めた。


 それは、孤独を紛らわすためか。それとも他の事を考えないで済むようにか。

 少なくとも、ただ中途半端が嫌だからやっているという訳ではあるまい。それならば、あんなに胸の痛くなるような悲壮な表情を顔に浮かべるものか。


 とつとつと進む作業を見てふと、さっきまでよりも、少女達がいたときよりも早いなと思った。それほどまでに、この楽しみの失せた砂場作業に対する少年の動きは早い。

 砂の形に対する意見の相違もなく、冗長な遊びも挟まず、ただただ真摯に砂の建物の完成を目指すのみ。していることは同じはずなのに、どうしてこうまで印象が変わってしまうのだろうか。心が締め付けられる光景――それでも目は逸らさなかった。

 

 やがて辺りが暗くなり、街灯が灯り始めるころになって、漸く少年は手を止めて立ち上がった。
 少年が完成させたのは、一見した所派手ではないが、素晴らしいまでに斜面が綺麗に均されたピラミッドであった。

 それは遥か西に位置する国の古き王が、生まれ変わりを信じて作り上げた至高の墓。子供の手によってその形を持たされた砂は、電灯の灯を受けて何とも言いがたい寂寥感を醸し出していた。


 軋む様な音を立てていたブランコも、今は静かに。
 風は吹かない。
 人も通らない。


 余りにも静かな情景は、世界に生きるのは少年一人であると錯覚させる。言いようのない孤独感があった。


 無論それはただの幻想。公園を出て、道を歩いてゆけば人の声も聞こえるだろう。人工の、しかしながら暖かみを感じさせる光も、家々に点って見えるに違いない。


 なのに、少年は孤独を選び、同時にそれを否定していた。
 ――一人でいい。だけどこんなのは、嫌だ。――
 気持ちは行動に表れ――気が付けば彼は、自分の小さな足をこの世に一つしかない小さなピラミッドに放っていた。

 

 一度。

 二度。

 三度。


 地団駄にも似た少年の八つ当たりは止まらない。

 

 芸術的ですらあった滑らかな斜面だが、当然ながら少年の足を受けきるだけの防御力は有しておらず、すぐさま歪な形に変形していった。

 それでも止めない。何度も何度も、少年は自分を、自分の作品を否定する。


 蹴って、踏んで、歪めて……

 

 

 少年が息を切らせる頃になると、ピラミッドはもはや原形を留めていなかった。僅かに土台の部分に、その名残が見えるという程まで破壊し尽くされていた。

 無残に潰れたピラミッドを見下ろして、少年は息を整えた。そうして何を思ったのだろう。少年は足を折りしゃがみ込んで、今度はピラミッドの再生を始めた。

 自らが散らかした砂を手を広げて再収集し、土台に乗せなおして、元に戻そうとする。


 ピラミッドを蹴り出した時から徐々に溜まり始めていた涙が、堰を切ったように流れ始めた。しかし少年は何度か強引に涙を拭うだけで、修復のために動かしている手は一切止めなかった。


 手を止めたら駄目だ。絶対に止めるな。止めたら最後、涙が溢れるだけでは済まない。


 そんな強迫観念じみた思いを、少年の姿に感じる。

 

 




 ……――――ああ、この少年はまた同じ事を繰り返すのだろうか。

 何とはなしにそう思った瞬間、ぞくりと総毛だった。同時に憐憫の情も沸いた。
 人を哀れむなんて傲慢なのかもしれない。それでも止まらない。これ以上少年の姿を見続けるのは、余りにも辛すぎる。

 


 辛いと思うと同時にふと、疑問が浮かんだ。

 不幸さを比べるわけではないが、自分自身小さい頃に親を無くし、それ以来一人である。だが、わたしはあそこまで孤独で、哀れに見える存在だったのだろうか。

 


 ――否。 答えは断じて否だ。

 確かに孤独ではあった。今だって学校という空間を抜け出れば、或いはそうである。
 しかし哀れに見えたはずが無い。わたし自身認めないし、他人にも思わせる気もない。


 魔術師の家に生まれた事で、孤独で辛い道は半ば強制的に運命付けられた。だがわたしは後悔なんてしてないし、ましてや泣いて同情を引こうなどとは思わなかった。
 強制が有ったにせよ、最終的には自分で選んだ自分の道なのだ。
 大変な事は何度もあった。死を覚悟するくらい日常茶飯事で、光明の見出せない難題に歯噛みする事もあった。それでも、負けなかった。負けたりしなかった。

 例えその過程が剣山を敷き詰めたような最悪の悪路であっても、全て納得済みで"自分で"選択した物なのだ。

 

 


 ――自分で?


 内面に没頭し自分自身の事を省みて、漸く少年に対する疑問は氷解した。


 そっか。
 自分で選んだ道でもなく、
 自分に出来る事が何かも見えてなく、
 頼れるのがどうしようもなく頼りない自分だけだと彼は思っているから…………


 あんなにもあいつは――――

 

 


 グイと腕を引かれたような浮遊感。夢の時間は終わり。


 ならば、もう一度。 もう一度少年の姿を見ようとして、軽く驚いた。


 先程まで暗がりに沈んでいた筈の空は血の紅に。
 電灯がぽつぽつと照らしていた公園だった場所には紅い海が――――――

 

 


 ――interlude 2 out――




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