「――なら、契約を解除する?」


 わたしのこの一言が少年にもたらした効果は、絶大な物だった。


 顔を青褪めさせ、目の端に涙すら浮かべていたシンジは、わたしの言葉を聞き遂げた刹那、目を見開いてこちらを見つめてきた。

 どこか、安心した気持ちが見受けられるが、誰もすぐに開放するとは言ってない。  取り敢えず、現状を話しても罪にはならないはずだし。


 「よく聞きなさい。 失敗したとはいえ、わたしはサーヴァントとしてのあんたを呼び出すのに、今まで集めてきた宝石を半分も費やしたの。 逆に言えば、まだ半分は残っているともいえるわね」

 「じゃ、じゃあ…僕の他に――えと、サーヴァントとか言うのをもう一回召喚できるって事ですか?」

 「……」

 

 わたしの沈黙を、シンジは勝手に肯定と受け取ったようだ。 
 ――――しかしそんなに甘い話があってたまるかと内心で呟く。

 そう。 今の言葉は、僅かな可能性に掛けての挑戦。 つまりはただのはったりに過ぎないのだ。


 確かに自分で言った通り、宝石はもう半分残っている。
 だが、それまで使ってしまっては私の魔術師としての戦闘力は格段に落ちる。  サーヴァントの援護どころか、自分の身を守ることすら危うい。


 それに何より、最早時間は無い。 綺礼へサーヴァント召喚完了の旨を今日中に伝えなければ、恐らくわたしに聖杯戦争への参加権は与えられない。
 あの男の事だ。 既にわたしの他に聖杯戦争の準参加権を手にしている奴を見つけているだろう。


 経済的に、時間的に、余裕は始めから無い。 だからこそ、わたしは万全に万全を期して、召喚に望んだ筈なのに―――――――――ッ!

 

 

 

 わたしも、本当に運が無い。 ただ失敗しただけならまだマシだった。
 失敗したらしたで、サーヴァントと些か揉めたかもしれないが、少なくとも戦う事は出来ただろう。

 だというのに、わたしの手元に寄越されたのは、サーヴァントとは思えない、ただの気弱な少年。


 ――本当に、不運としかいえない。

 


 それでも今は現実を再度直視せねばなるまい。 サーヴァントであると思いたい少年が――シンジが、こちらを期待の眼差しで見つめてきているのだから。


 「あ、あのっ! ほ、本当に僕は戦わなくてもいいんですか!?」

 「――ええ。 契約を切ったら戦う義務はなくなる」

 「なら、」


 まあ待ちなさい、と手でシンジを留める。 彼は怪訝な顔になったが、そんなの知った事ではない。

 わたしはただ言い残した最後の事実を言う為に、そうしたのだから。

 


 ――何言かを相手に告げる。

 言葉に表せばそれだけの行動だというのに、わたしは深呼吸を要した。


 呼吸を殊更に整えるわたしを見て、漸くシンジも自分が思っているほど簡単な事ではないと気付いたのか、表情を硬くした。
 そうだ。 そっちにもちゃんと受け止めてもらわねば、こっちとしてもとても困る。

 

 「契約を解除すると……」

 「っ!は、はいっ!?な、何ですか!?」

 「契約を解除すると、アンタその後消えるわよ。 それ、承知の上なのよね?」

 「――え?」


 承知のはずが無い。 こいつ、サーヴァントの事については本当に何も知らないみたいだし、さっきの説明でわたしはそんな事一言も述べた覚えは無い。
 だからわたしの一言でこいつが血相を変えて、またもや泣きそうな顔になるのも、予想範囲内であった。


 「え? えっ? えぇっ!? な、何で、僕が…き、消える、なんて……」

 「当然でしょう。 現界する為に必要な魔力をサーヴァントに与えるのがマスターの役目。 マスターのいなくなったサーヴァントが現界していられるのはホンの僅か。いつかは確実に消えてしまうわ。 ――さあ、もう一度聞くわよ? それでも構わないのよね?」


 最後に自分で極上と思える笑顔を添付。
 さて、彼の目に今のわたしの姿はどう映っただろうか?


 先の尖がった尻尾が見えた?
 それとも、鋭い翼が?
 或いは背景が変わった様に見えただろうか?

 まあどれでもいい。 とんでもなく意地悪…いや、追い詰めてるのは自分でも承知している。 だからこそ後は彼が結論を出すのを待つだけだ。
 やり方としてはちょっと早まった気がしないでもないが、もう行動に移してしまったのだから仕方がない。


 ちらり、とシンジに目を向けると、案の定顔を伏せ、
 肩を震わせながら何かを呟いていた。


 「…んで…僕、ばっかりこんな目に…神も仏も本当に…いないよ……あ、れ? ――――――神?」

 

 え?


 "神"


 その単語が、彼にとってどんな意味なのかは分からないし、想像する事も出来ない。
 だがしかし、明らかな事が一つだけあった。

 先程まであった、彼の気弱な雰囲気が少しだけ…薄れたのだ。 いや薄れたというなら、彼がそこにいるという現実感か。

 そして、今までにも増して呟きが増え始めた。


 「神…神の御使い。エンジェル、天使…使徒?そうだ、使徒は…使徒は、敵……」


 どんどんとシンジの口から漏れてくる言葉に、わたしは背を冷や汗が走るのを感じた。


 ちょっと、何洒落にもならない呟きを漏らしてんのよ、こいつ! まさか天使と戦っていたとでも言うの!?

 ああっ、訳分かんない! ん? 待ってよ…そんな事を呟くって事は――!


 「ねえ! 何か、思い出したの!?」

 「――ぇ? ぁあ! いえ…その、ちょっと引っ掛かるだけなんですけど」

「嘘ね。 そういう割には、結構色々漏らしてたわよ?」

「そ、そうでした? 何か無意識だったので……」


 本当に数瞬前の自分の言動に覚えが無いのか、何と言ってました?何てのたまって来やがるシンジ。

 …もしかして、もしかすると、こいつってばただの鳥頭じゃなかろーか。 あの三歩歩けば忘れるとかで有名な。


 「あのぉ」

 「あーあー、分かってるわよ。 アンタはさっきね、神の御使い、つまり使徒が敵だとか言ってたのよ。 少しは思い出せた?」

「いえ、その…全然」


 思い出そうとする努力が(少なくともわたしからは)伺えないシンジの態度に、再び自分の青筋が浮かび上がりそうになるのを感じた。

 いけないいけない。 遠坂家の者として、常に優雅にあらなければいけないのよ。


 取り敢えずさっきまでの取り乱した行動は無かった事と扱って、必死で自分にそう言い聞かせる。

 

 

 にこり


 ――ビクッ!

 


 ……失礼な。
 私が優しく笑いかけているというのに、蛇に睨まれた蛙みたいな表情になるとは一体どういう事? 人の事をメデューサかなんかと勘違いしてない?


 ならもっと笑みを深く――――

 

 

 

 ――いやいや、何やってんだろ、わたし。


 原因はハッキリしている。 事が上手くいかな過ぎて、自分の許容範囲を超えそうなのだ。

 


 ああっ、せめてこいつの記憶が戻って、実はもの凄い力の持ち主で、クラスはセイバーだったりしたらいいのに!


 「うわ、自己嫌悪――なんて妄想を」

 「も、妄想……?」


 ――そこ、顔を赤らめるなっ!

 今度こそ睨み付けた。 体を引くどころか、完全に膠着してしまったようだが知るもんか。 変な事を考えるほうが悪い。 あんたのせいで悩んでるってのに、のほほんとしてるんじゃないっ!


 「そ・れ・でっ! そっちの答えは出たの!?」


 もう自分の語尾が強めになるのを押さえきれない。 あくまでも強めだ。 怒ってなんていない。


 「!! ――い、いえ…その、もうちょっと時間を……」

 「そんな物はないっ。 さあ、今すぐ答えなさい! 力を出せるようになって私のサーヴァントになる!? Yes or はい!?」

 「何気に選択肢が有りませんよ、それ!?」

 「なら消えたいの!?」

 「いや、消えたくはないですけどっ!!」


 ぎゃーぎゃーと意味のない言葉の応酬。
 遠坂家の人間としてあるまじき行為だと考える理性もどっかに遣って、ただただ感情のままに言い合う。

 だからなのか。 そのお陰で先祖からの戒めの罰が下ってしまったのか。

 

 

 ――最悪の状況において、最悪な相手が現れることになった。

 

 

 「よぅ、そこのお嬢ちゃんにボウズ。 何喧嘩してんだい?」

 「うるっさいわ……!!」


 そこでピタリと。

ようやっと頭が冷めてくれた。 いや寧ろ凍りついたのかもしれない。

 

 わたし達に掛けられた声の発信源は遥か上方。 シンジが見事に突き破ってくれた屋根、その穴を覗き込むようにして青いライダースーツのような物を着た男がいた。

 微動だにせず、黙っているだけでも男から発せられる圧倒的な魔力。

 凍り付いた筈の頭でも、すぐさまはっきりとその正体を理解できた。


 「サ、サーヴァント・・・」

 わたしはこの時、これまでの人生の中で最も強く、死の予感を感じることとなった。


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