「博士、この漫画読みましたの?」
「貴女ね。わたしの部屋にある物だからそうに決まっているでしょう」
「……科学の粋を集めたような、この部屋でなければ信じましたわ。だけど、明らかにここだとミスマッチ極まりますでしょう? 信じられなくて聞いて もおかしくありませんの」
「ああ、そう。で? それだけかしら」
「なんてあっさり……。それに反論しないと言うことは、違和感は認めてますのね」
「だからなに?」
「いえ……まあ、いいですの。この鏡の世界について少し思うところがありますの。お訊ねしても?」
「いいわよ。忙しいから手短にね」
「言われずとも。あたくしの思ったのは一つだけですわ。もし鏡が歪んでいたら、その先の世界はどうなるのかと」
「それが疑問? そうね、じゃあ一つ答えらしきものを――――捻れるんじゃないかと思うわ。それこそ、色々と」
「色々と?」
「そ。色々と。例えば、あるものと繋がっていた物が、別の物に繋がったりね」
「ふぅん、なるほど」
「あくまで、一つの答えのようなものよ」

 ――――少女と博士の会話

 ***

 嗚呼、綺麗だなァ。

 己に迫り、そして散った黄金の輝きを見て、『それ』それは思った。
 『それ』は、綺麗な物が何より好きだった。綺麗な物を集め/眺め/耽る/合間に食事。それが生き甲斐で、それが生き方だった。
 だが――――と。『それ』は横に目をやり、くっと唇を歪めた。

「しかし、敵わんよな あ」
 ほうと吐息を漏らす。
 更に首を廻らす。『それ』の居場所は美しかった。上/下/右/左。全方位に、黄金を超越する美があった。この世で最高の美が。
「そう。真の美とは、 即 ち、わらわなれば」
 自分を映す部屋中の鏡を見て呟く。ふふと微笑む。
 薄絹だけを身に掛け、ほぼ裸に近い格好の女性だ。ビーナスの誕生よろしく、貝に横 たえられた肢体が艶めかしい。貝もまた硝子でできており透明であった。
 再度、感嘆の息。
「よいなあ。実に鏡はよい。この世に一つしかない物を、幾らでも増やしてくれる。即 ち、至上であり最上に美しきわらわを。これほど心地よ いことが他にあろうか。どうだ、そなたもそう思うであろ?」
 と。そこで視線を前に戻した女。返答は、無数の金の光だった。

「ホ」
 面白げに、女の口元が歪み、同時に着弾した。
 爆発音が幾重にも重なる。無数の鏡の内、五十を下らない数が砕け散った。

 突如訪れる静寂。

 

「下らない」
 沈黙を破ったのは、冷め切った声と足音だった。
 破片を踏み砕き現れたのは、白き服に身を包んだ少女。寧ろ童女と言うべき幼き姿だ。顔は見えない。目元をすぽりと覆うバイザーが、彼女の顔を隠してい た。そして少女は、より苛烈に謳い上げた。
「実に、実に実に実に下らない! 下らない妄想ですのっ。流石は、魔物一のナルシストと言われるだけありますわね? いっそのこと、湖に溺れては いかがですの? きっと、ずっと世の中のためになりますの。おっと失礼。教養ゼロでは、元 ネタが分かりませんわね。あたくしとしたことが、凡ミスをしてしまいましたの」
 つらつらと暴言を投げかける先には、生命の生存を期待するだけ無駄と思われる黒煙。だが白の少女は構わない。生存を確信している口調で吐き捨てる。

「返 事がありませんわね?」
「よう、口が回る物と感心していたのだ」
 煙が張れ、先とまるで変わらぬ女性の姿が現れた。
「くくっ」
「ちっ」
 少女は、忌々しげに舌打ちを鳴らす。
「予想通りですけれども、むかつきますわ」
 当然の結果だとは、知っていた。だが知っていることと、心からの納得は別物だと、改めて思い知らされた。
(一千メガジュール超のエネルギーを内包した雷撃ですわよ。どれほど対策を整えようと、間違いなく防ぎようのない攻撃ですのに!)
 なのに、世界は間違いを起こした。嗤う『それ』を残してしまった。相手は、殆ど 裸同然の格好だったというのに、傷一つない。
(F●ck! あり得ませんの!)
 下手人として、あまりにも不愉快な結果に、少女は歯を軋らせた。

 そんな彼女に気をよくでもしたか、半裸の女は、歌劇のように手を広げた。
「分かっていたのであろ? なにを憤ることがあるか。ホホホ……」
「可愛げがないと言ってますの」
 辛うじてバイザーの下に覗く口をへの字に曲げる。黒く低透明質で、硬い仮面の下でも、同じように不機嫌な目付きをしているのだろう。

(あれを取っ払ったら、ねえ)
 バイザーを取っ払った姿を想像して、半裸の女性はくすりと笑んだ。今ですら、極めて低い背と甲高い声のせいで、子供の遊びのようなのに、それすら取っ 払っては、完全にお遊びじゃないかと、おかしく思ったのだ。

「何を笑ってやがりますの」
 よもや敵から、そう見られているとは露ほども知らない。若しくは、知りつつ無視しつつ、少女は続けて毒を吐いた。
「ゴキブリや、カビよりもしつこい。殺虫剤でも必要ですの? あれで終わっていれば、よかったものを」
 酷い物言いに、嗤いを深める半裸の女性。
「子供なのは、見かけだけではないなぁ。ガキめ」
 透明の貝に横たわったまま、見下す。言うだけあって、匂 い立つように豊満な肉体を見せびらかしていた。
「あのような物でわらわをやれるものかよ。驕るな。侮るなよ、紅頭巾」
「……顔を確認せずに言い切ってよいですの?」
 少女は、女の行動の意図を知り、苛立ちを募らせる。しかし、ただの子供ではないんだぞと意味を込め、顔の半分を覆う、漆黒のバイザーを指で 叩いた。
「間違っていれば、お笑いですの」
「ホホホ!」
「……なにがおかしいですの」
「おお。おかしいな、紅頭巾。ナリは童女でその口調、更に攻撃は電撃。答えを出すには十分であろ」
「ちい。誰が童女ですの、誰が」
 ますます不愉快そうに口が歪み、ふんと鼻が鳴った。

 しかし、"紅頭巾"とは、バイザーと違う意味で、少女に相応しくない単語だった。彼女のことを言うとしたら、寧ろ白だ。
 例えば、小さな肩を覆う ケープや、どこぞの貴族のように雅な上着、無風にあってはためき 続けるスカート。それらは、いずれも純白だからだ。
 ケープに隠れた肩の部分や、金糸を含む上着の袖口、スカートにある多少の模様等々を含めるなら、もちろん純白とは言えない。が、それでも全体的には、ほ ぼ白で ある。赤の要素は皆無なのだ。

 にも関わらず、半裸の女は、確信を持って、少女のことを紅頭巾と呼び続ける。
 ただ、今は単に要素が足りていないだけなのだ。女が、少女を石英の爪先で指さし言う。
「確かに今の姿では、紅頭巾というのも、な。紅頭巾よ。その格好はどうした。処女雪が如き純白では、名が泣こう? 白粉でも被って参ったか」
「結構ですわ。元より、ありがたがって名乗っている訳ではありませんの」
 眼を細める女。「その割には名前通りの姿で、嬉々として戦っていたと覚えているのだが、はて」
「流石は腐り切った目ん玉。なーんも見えておりませんの」
「腐れ落ちたのは、そちらも同じであろうよ。半人半物の紅頭巾」
「はっ。言ってなさいですの。ガラスの靴も王子様もないシンデレラ」

 挑発の応酬も、これ以上は不要と少女は判ずる。断ち切ってやると意志を込め、両手をクロスさせ、叫んだ。

「着装!」

 途端、幾何的な光が爆発し、少女の手を包んだ。
 顕現する銀のグローブ。一見金属質で硬そうであるのに、彼女の指の屈伸に合わせて伸縮する不思議な素材でできていた。しかし防具としての役目は、依然損 なわれない。同時に武器としての性能も。

「さて」
 着装を追え、少女が口を開く。言い負けたと寸毫も思われたくないため、ささやかな抵抗だった。
「汚れていない理由を教えて差し上げますわ。ここまで障害らしき障害が、全くありませんでしたの。生憎と、あたくしはただ進むだけで汚れるドジではありま せんから。以上ですのっ」

 嘘だった。
 実際には、道中で数百の怪物を絶命させて来ているのだ。女も、勿論それを知っている。だからこそ意味がある挑発なのだ。
 ――――あの程度では返り血も浴びな いん だよ、ばぁか。

 しかし意に反し、女は応じない。静かに手櫛で髪を梳きながら問う。
「ホ。では、どうする?」
「見りゃわかりますでしょうの」
 手を振りかぶる→腰を捻る→腕を捩じる→緊張極限に=引き絞った 弓の立ち姿。尚も女は動じない。
「愚かな。わらわを倒せると思うか?」
「できなくとも、やってやりますの」

 踏み切りは、だん、よりも寧ろ、どん、と響いた。刹那の時で、半裸の女性に逼迫する彼女は、自身の速さも電撃級であった。
「やぁてやりますの! ――――らァ!」
 突き出した銀のグローブの指先からは、三十センチの輝きが伸びていた。それは、アークの 刃だ。核シェルターの隔壁をも、溶けたバターと同様に掻き回せる極光である。それを、人の形をしたものに対し、躊躇いなく振るう。
「いっ、けえぇぇえええいっ!」
 力の一点集中。貫通力の点で、先の雷撃を遙かに上回る雷刃の一刺しだ。今度こそ絶対に絶縁及び防御不可。最大の絶縁体である空気など、とうにプラズマ化 しているのだから、女が如何に耐雷性を持とうと 無意味だ。
 この一撃で貫ききる。そんな、少女の意志そのものの攻撃だった。

「っだあ!」
 裂帛の気合。大砲をぶっぱなしたよりも派手な音が響く。女の横っ面が、真っ赤に弾け飛んだ。

「よし――――っ! やっ――――」
 勝利の確信に笑いかけ、息を呑む。目を見張った。
「…………てない?!」
「当然であろ」
 弾けたのは、女の頬付近の空気のみと知り、少女は愕然となった。
「こ……このぉっ!」
 絞り出した声には、悔しさが滲んでいた。動かない。女の頬まで残り数ミリという間隔が、どうしても埋まらない。
「これだけやっ て、ぴくりとも動かな いなんて、どんなインチキですの!」
 浮かぶ脂汗は、彼女の渾身を示している。だが、その渾身を女は嘲嗤う。

「戯け、ぬるいわ。その程度では掠りもせん。それともう一つ言うておくぞ? 例え服が白かろうと、汚らわしいぞ、そ なた。わ らわに近 づくでないわ。もっとも、それ以上近付けはせんであろうが」
「おのれッ!」
 だが少女も認めざるを得ない。見えない壁に刃を立てるようなものだ。今も、彼女の攻撃は、ミリもマイクロも進まないのだから。

 ……だったらどうする?

「こうしたらどうですの!」
 ほんの少し引き――――ごすと、叩きつけた。
 ごす、 ごすん、ごす、ごしゃ。様々な音が鳴る。していることは一つだけだ。繰り返し、繰り返し、同じ場所を殴りつけている。

 それすらも女は嘲笑う。
「ホ」終には呆れ声で言う。「ぬるいぬるい。終いには欠伸も出ようぞ」
「効かなかろうがなんだろうが! 諦めるとでも、お思いですのっ?!」
「そなたがどうではない。わらわが飽きたというておる」
「黙れッ!」
 だが結論は出た。初撃は失敗。連打も無駄。

 では、と。少女は、問いかけを再度幻視する。

 Q.どうする?
 A.強引がダメなら、より強引にやってやればいいじゃない。

 マリー・アントワネットもビックリの捻り無し回答。女は、少女をガキと評したが、大正解である。彼女の思考は、超突撃に寄っているのだから。
 だから、分かりやすい解にしか帰結しない。つまり、"よぉ――――し、もっと力込めてぶん殴ったるから覚悟せ いや"。

 答えを弾いたら即実行に移るのは、猪武者の性だ。
 足下に金の平面を展開。魔力を変質させ生まれた足場だ。恐らく、現在地球上で最も強固な足場である。だが、それも砕けろとばかり踏み 抜い て、彼女は進む。
「もっと――――もっと――――もっと!!」
「無駄だと言って…………」そこで女も気付く。「――――」
 初めは毛程の綻びだった。それが、やがてばりばりと音を立て始めた。少女と女の隙間が、砕けようとしているのだ。

「……これはこれは。ほ。そなた、よもやわらわに届くか」
 余裕の声から若干変化し、感心の風情となった。
 あくまで感心だ。焦りは微塵もない。"畜生、まだなめているな?"。
 少女は、奥歯を噛み締め、バイザーの奥で目を見開いた。足の反発力を、そのまま腕にプラスする。
「も、う、少し…… もう少しでっ!」
 広がる隙間の罅を、楽しそうに女は見つめる。
「驚いたな。断絶空間を割るかよ」
「名前など知らずとも、一向に構わないですの!」
「どうであろうな。学なしはどちらかよ」
「軽口は」
 罅は既に限界に達していた。もう一歩だ。
「これで終いですの!」

 いよいよ、互いを隔てる空間が破壊され、隙間が零となる。そして攻撃が届く――――
「が、無駄な足掻よ」
「っ?!」
 反射的に飛び退る少女の行動は、正解だった。
 直後、切り離したアークの刃が、粉々に砕け散るのが見えたからだ。同質のものを、逆ベクトルで衝突させられ、掻き消された。
「い、ま……のは」
 にいという、音すら聞こえそうな女の笑み。「何人たりとも、我が反射は侵せぬ」
「そんなっ! まさか反射鏡界ですの!? 遠距離攻撃でないというのに、なぜっ!」
「よもやこう思っておったか? 砲撃にしか効果がない、と? ホホ。誰がそのような戯言を、いつ、どこで口にしたか、言うてみるがよい。ほぅれ、つ いでに残り滓もくれてやるぞ」
 ゆっくりと、ほこりを払うが如き仕草。彼女から一歩分開いた先で空間が歪み、少女にとっては、見慣れた輝きが虚空より発芽した。
 奇しくもそれは、先程少女が使っ ていた刃と同じ色をしていた。全てを侵すアークの輝き。
 誰よりもその力を知っている筈の彼女ですら、一瞬硬直してしまったため、回避が間に合わず、腕を持ち上げ防御しようとしてしまう。

 致命的な破砕音が聞こえた。バイザーの中心からだ。同時に、少女の背が急激に仰け反った。

「ホホホホホ!」
 鏡だらけの部屋に、高らかな笑いが木霊する。いつの間にか割れたものすら復元済みとなり、破片は残ってもいない。彼女の行動が無駄だったとでも言うよう に、少女の死に向けて、部屋の主は笑い続ける。
 ホホホ、ケラケラ、一頻り笑う。
「自らの攻撃でやられるなど、畜生にも劣る滑稽さよ!」

 だが、嘲笑は唐突に止んだ。
「で。いつまでそうしておる」
 まるで先の焼き直しだった。ただし演者は逆だが。

「――――ふん」
 こちらも焼き直しである。転倒寸前の仰け反りから、軽々と少女はリターンし、リンボーダンスも余裕の腹筋背筋とバランス力を見せつける。
「あー。死ぬかと思いましたの」
 彼女が絶体絶命を乗り越えた方法は、至って単純である。攻撃が炸裂する瞬間に、自ら後ろに倒れ込んだだけだ。それともう一つ。
「結界だな。人間には見えんだろうが、わらわにははっきり見えるぞ」
「ええ、そっちは人でなしですものね。しかし結界などと……。そんな上等なものではありませんわ」
「ほ。では何と言う。防災頭巾とでも呼んでやろうか」
「はん。お好きになさりませ」
 罅の入ったバイザーに、少女が手をかけると、顔の周囲空間に波紋が走る。常時展開される特殊力場だった。それこそが少女を守ったものの正体だ。一定以上 のエネルギーを遮断 する魔術障壁である。

「しかし完全ではないな。そもそも、己の攻撃も防げぬなら、本末転倒であろうよ」
「業腹ですけど、そこには賛成しますわ。……博士め。帰ったら改良させてやりますの」
「帰れると?」
「思っていますが何か?」
 気でも触れたかと、女は再び嗤う。
「ウィズなどと呼ばれても、所詮は人の子の作り出した技術! 究極の魔物には敵わぬ。故に、そなたはここで死に逝くのだ」
「悪いですわね。そっちに賛成はしませんの」
 ゆっくり罅を広げていくバイザーを、しかし待たない。手をかけて一気に引き剥がす。少女の素顔が、この鏡の世界で初めて露わになった。

「そうそう、それでよい。このわらわの前だぞ。無粋な物は、取り去るが礼儀よ」
 心の籠もらない女の拍手。
「ふん……。少しだけ、ほんの少しだけ、油断しましたの」
 地に落ち、光の粒子へと還元されていくバイザーを少女は見送らない。代わりに半裸の女を見据えていた。
「……ん」
 額から垂 れ た一筋の血を親指で拭い、舐め上げる。
「アレの場所を聞くために、多少は手加減を考えていましたが、もうよいですの。次の一撃で、地獄の最下層まで超特急 で 送って差し上げ ますの」
 確殺の宣言を一身に受ける女は、「戯け」の一言で、彼女を切り捨てる。
「吠えるでないぞ汚物。わらわを誰と心得る」
「『鏡』の名を持つ、ただの自称貴婦人ですの」

「ホ」
 静止し再動する。
「面倒よな。どうあっても逆らうか。そこらで朽ち行けばよい物を。汚物ごときが、わらわに手間をかけさせる」
「朽ちるのも、アレを倒した後になら、考えて上げてもよいですの」
「いい加減、わらわに大層な口を利くでないぞ」

 女の瞳孔が興奮からか僅かに開く。空気が変わった。圧倒的な威圧感と勘違いするまでの魔力の奔流を、女が放ち始めた。
「う、ぁ」
 呻き、成程と納得する。"これが最上位体の魔力"。"初めて魔力を感覚として知ったよ"。
 生物として、上位者を前にして尚、少女は気丈に口を釣り上げた。
(魔法使いではない、あたくしでも感じられるなんて。ふん、上等じゃありませんの!)
 再確認できた。目の前の女は、巫山戯た格好や言動、どことなく小物臭さがあっても、難敵。強敵だ。確かに、三強の一角に違いなし。

 ふと、少女に魔力の知識が浮かんだ。

 魔力。それは、魔法の根源にして、近年発見された超エネルギー。なんにでもなり、またなんにでも使える。無限の可能性を秘めている。
 どこのご都合主義 だこの野郎なんて突っ込んでも、事実は動かない。
 だが、かつていた魔法使いならともかく、少女にとってはぽっと出の力に過ぎない。生まれから今まで、それと生き続けているであろう、目の前の女とは比べ ものにならない習熟度だ。

「――――だったらなんだといいますの・・・・・・・・・・・・・!」
 現状を再認識すると、メラメラと反骨心が燃え上がった。生来の負けず嫌いが発動したのだ。
「例え付き合いが短かろうが、才能がなかろうが! 魔力の扱いは負けませんのっ」
「ホ。魔法勝負で魔物に勝とうなどと、囀りよる。逝け、うつけもの。そなたの持つシリンダーを全て合わせたとて、わらわの魔力には敵わん。超えたいと欲す れ ば、まず、その 十倍は持て」
「名前を大事にするのではありませんでしたの? 魔法ではなく魔術。量の優劣など関係ありませんわ」
「言うと思ったわ。戯け。ここで死んで、もう一度生まれ直すがよい」

 バカめと嗤う女に、どっちがと嗤い返す少女。

「なら問いますの。魔力運用効率は?」
「なに?」
「五十、それとも六十%は超えてますの? 術構築の精密さは? 発動速度は? 影響物の種類は? 感応体、発生補助体の研究はお済みですの?」
 弾劾するように次々と突きつける。
「確かに魔力タンクとして は優秀のようですけれ ども、肝心の発現が、 余りにもお粗末すぎますわ。その程度で最強を気取るとは、はははっ、そちらこそ笑わせますの!」
 哀れみを込めた言葉を受け、女性は始めぽかんとし、段々と怒りの感情を露わにしていった。
「……のう。そなた、相当に口が過ぎるぞ」
「おや、怒りましたの? この程度で? あはっ。やっぱりそっちこそ小物ですの。あたくしは、間違ったことは言っておりませんわ。あなた達は、ほんの少し 魔力が多 いだけの怪物に過ぎませんもの。しかもその力に酔った だけの!」

「よく吠えたわ!」

 挑発は、これにて完了。女の顔から、ようやく完全に笑みが消失した。
「不愉快だ! 疾く去ね!」
「やってみなさいの!」
「おう、よいさ。遅延の無限反射鏡を見せてやろう――――出よっ」
 ずっと後手だった女が、初めて先制を取る。軽く手を掲げると共に、部屋を埋め尽くす鏡全てが煌めいた。それらは全て、金の輝きを示していた。
「紅頭巾よ、これがなにか分かるか?」
「あたくしの攻撃ですわね。小賢しい」
「小賢しい? それがどうした」
 掲げた手を軽く握る。中指と親指の先を密着させ、俗に言うスナップの体勢を取る。そのまま真っ直ぐに下ろし、少女に突き付ける。引き金の風情だった。

「わらわのことを魔力タンクと言ったな。仮 にそうだろうと、何 が問題であ るや? 数は全てに勝る。ペットボトルと、ダムでは話にならん」
「ダム? はっ」鼻で笑い、悠然と構える。「そちらこそ知りませんの? ダムを壊すのは、いつだって蟻の開けたような小さき穴ですわ」

 言い切ると、少女は足を引き半身になり、腰を落とした。そして大きく腰を捻り左腕を前へ。相手への照準器代わりだ。更に引いた右腕は、握り拳の中 から中指だけ飛び出ていた。その形はまごう事無き、

「F●ck you、腐れ貴婦人ですの」
「言ったな、ガキが……! 疾く逝ね!」

 スナップのトリガーが引かれ、鏡に映っていた黄金が一斉射出された。その射出の途中で、輝きが別の鏡に映ると、違う輝きが誕生した。無数の鏡が、 同様のことを繰り返し、瞬時に女の攻撃は、カウント不可の 出鱈目数に増大した。人一人に向けるには、明らかに過剰な攻撃だった。

「かくれんぼが好きですの?」
 だが少女に一切の焦りはない。無数の攻撃を前に、単純明快な行動を取る。突撃という、彼女らしい行動を。

「前へ、前へ、前だけへっ!」
 殆ど光の壁となった攻撃が迫る中、吶喊の意志を叫ぶ。
「必滅のッ!」
『Gigantic Lightning Spear』
 三つ目の声は、少女の装備する"リンカー"の声だ。同時、少女の中指から光が伸びた。長さにして四メートル超、幅も膨れ最大直径二メートルの超特大の突 撃槍。 少女を覆い隠して余りある大きさだった。

「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお おおッッッ!!!」
 自身を巨大な突撃槍に見立て、突進を開始。防ぐのが無理な攻撃が迫るのなら、こちらの攻撃で薙ぎ払いながら進む。それが彼女の結論だった。

「かかかっ!」
 耳がおかしくなるような轟音の中でも、なぜか女の嘲笑が響く。
「相も変わらずバカの一つ覚え! 強引よな!」
「それが効くなら、強引も糞も全て正道ですの!」
 事実、突撃槍は強力だった。女の攻撃は、全て吶喊の余波で蹴散らされたのだから。
「このまま一気に行きますのっ!」
「行けると思うかっ」
「何度も何度も聞き返してんありませんの! テメーはオウムかですの!」
 吠え返し、踏み込む。威力も気合も共に十二分だ。
 そして女に接触し、やはり停止させられる。トラック同士の正面衝突でも、こうはならないだろう爆音と共に、再び少女の足は止まった。
「またっ、この壁……っ?! でも、こんな壁がぁっ! 一体、なんぼのもんですのぉーーーーーー!」
「醜い醜い。なんと醜い足掻きよ。一切合切、終始その全てが無駄に散ると知れ」
「だぁ、まぁ、れぇぇぇえええええ!」

 みし。己の肩が軋む音を聞く
 ――――知るか。音が出るだけだけ余裕があるんだろ、もっと行くぞ。
 己を叱咤する。両手に両足に 力を込め、ブー スターを全力全開に。乱暴な光翼の羽撃きが、彼女の背後で起こる。
 ――――まだ? まだ大丈夫?
 自分に問いかけ、彼女は答えを出す。
 ――――よしっ! やってやる!

「イミーヌ! シリンダーを構わず全部ぶち込みやがれですの!」
『OK. My lord. Load cylinders. Load, load, load, load――――Full charge』
 処理の完了が告げられると、少女の背面で、これまで以上に空間排斥力が跳ね上がった。強烈にギザつく槍の表面。前後から押し込まれ、中ほどで膨らんでい た。込めすぎたエネルギーは、最早暴発寸前の体を示す。
 だが、まだ終わりではない。
「さあ行きますわよ……!」
 もう一 歩踏み出す。更に前進する。地面が砕け、体の中からもぱつんと音が聞こえたが無視をした。続くのなら続ける。終わりがないなら終わらせる。
 強引な子供の理論を、意地で通そうとする。

 そうして、変化は訪れた。

「なんと」
 初めて女の顔に焦りが浮いた。目に見えぬ防御フィールドは未だ健在だ。されど次第に軋みは大きくなり、彼女にそれを伝えていた。故に、彼女は焦った。
「ま、さか……まさか、まさかまさかまさか!」
 先とは違い、本気の防護フィールドである。なのに撓む。
「こんな馬鹿なっ。たかが人間の攻撃! わらわに届 くとはずがないっ!」
「いいや届く! 届かなかろうが、届かせる! 何が何でもっ! いつだってそうしてきたのが人間ですわッ!!」
「く、ぉあ――――ッ!」

「いいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいい、っけぇぇえええええええええええええええええ ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 こんどこそ終わらせてやる。固き鉄の意志の元、少女は前進する。
「ふん……っ!」
 ぎ・ぎ・ぎ。重い金属が擦れ合うような音を立て、歪む槍の切っ先。軋み、割れる音を鳴らしたのは、少女の肩だった。
 ――――え、なに? やっと限界? 悲鳴を上げるの遅すぎ。とっくに決めちゃったよ、 もっと進むってさぁ――――っ!
 がたが出始めた脚を、腕を、無理矢理に酷使する。

 究極の槍と無敵の楯が奏でる、矛盾の破壊音。
 ――――あかん、もうダメやって。
 腕と槍と隙 間の軋みを、聞こえないと無視し続ける。

 "          "。

 そして破裂した。

(……あ)
 一瞬の空白が空き、思い出したように槍が動いた。
「抜けた!」
 ならば侵攻だ、進め侵せ貫け! ぐんぐん踏み込む。

「え?」
 ――――いや、待て。変だ。
 感触がおかしかった。堅い壁を破った。だったら無抵抗か引っ掛かるだけ。なのに実際には、餅へ突き刺したようにべたべたとした感触しかない。遅々として 槍が進まない。

 現象を体感し、少女は即座に理解した。
「これは……罠ですのっ?!」
「ほほほほほ!」
 高笑いが響き、正解を言外に告げた。
「……全く。予定が狂ってしまったわ。まあよい。このままわらわが行けば、問題などなくなるでな」
「行く?」
 女の言葉に焦る。
「どこに行くつもりですの! いいえ、逃がしません、まだ終わってませんの! どこにも、行かしはしませんわっ!」

 女が無論聞くわけもない。虚空を見上げつつ言う。
「いいや、行くさ」
 ふと視線が下りた。子を見送る親の如く、少女を見た。
「おお、そうだ。そな た、少しは見ごたえがあったぞ。褒美とし て、ここで終わりを授けようぞ」
「なにを言って――――」
「これよ」
 周囲の鏡から幾つかが飛来し、少女を挟んだ。
「合わせ鏡……? 一体何をっ!」
 無限の虚像の中、実像だけが一人叫ぶ。
「横を見よ。見えるか。鏡とは即ち世界、境界、可能性よ。それら全てが、別の今この瞬間。故に――――ほ。無限の今日の彼方に、呑みこまれるがよい」
「一体どういう」
 少女に問い返す暇は与えられなかった。
「きゃ!」
 問いかけが、可愛らしい悲鳴に変わった時、状況は激変していた。
「ひ、引き込まれる!」
 遅々としていた歩みが嘘のように、隙間が少女を引き込み始める。嫌な予感と共に、隣の像を見やる。
 血塗れとなり、消滅していく自分 達が見えた。
「う、うそぉっ?!」
 翻って自身の行く先に目を転ずる。槍が先から消滅してきていた。霧散する魔力も吸い込み、ますます吸引力が上昇する。
 上りきっていた血が、一斉に頭から転落していった。

『Emergency!』
「バカっ、見りゃ分かりますの! ブースター逆転!」
『Ye――――Sorry. Too lat―――』

 光翼の羽搏きを逆しまにし、足を地面に突き立てる。床をべりべり捲れさせ、だが止まらなかった。

「鏡の…………っ、貴婦人――――――――っ!」
 視線だけでも殺してやると睨む。最後に女は、やはり嘲笑を見せていた。
「さらば」ひらりと手を振り、「ほほほっ! Take a good jorney!」

「あああぁぁああああああああああああああああ!!」
 ばしゃり。舞う鮮血が、地面を染め上げた。

 

 ***

 

「という夢を見たんだけど、どう思うかな、ユーノ君」
「……いや、うん。取り敢えずさ、もう一度寝ようよ、なのは」
 暗闇の中、短針が三を指す時計をチラ見しつつ喋るフェレット。それに真剣に話す少女。
 知らぬ人なら言うだろう――――"何だここ"。しかし実際には彼らだけのため、 少女の熱弁のみが続く。

「だ、だってだって、その夢の中の子って、ジュエルシードを持って行っちゃった、あの女の子にそっくりだったよ? きっと無関係じゃないと思う の!」
「うーん…………」
 それ、単に自分がぼろ負けしたから、逆にぼこぼこにしたいって欲求じゃね?
 フェレットの胡乱な頭が、トンでも回答を弾き出す。余りにも碌でも無いので 即封印を決意する。もう一つ理由を上げるとすると、単に 眠かったからだった。

「だからね、それでね」
「……ね。なのはなのは。取り敢えず、今はなんだから……さ? 朝じゃ駄目かな?」
「むー」
 脹れっ面。この程度では、普段見せない顔だった。それでも、彼女にとっては仕方がないことだった。夢にしては生々しすぎたのだ。鼻の奥に血の匂いがこび り着いているよう。忘れたくて も流せないショックを彼女に与えていた。
「夢の中の子が、この辺りにいたりするかもしれないのに」
「流石にそれは……」逡巡。「……どうだろうなあ」言葉を濁す。
 無いとは言い切れないんじゃないの? 同様の経緯で助けられたバカがいたし。
 自分だけど。考えて後悔するフェレット。

「ユ、ユーノ君?」
「う、うん。何でもないんだ……ははは」砂漠の風を思わせる乾いた笑いだった。「でも実際問題として、僕は特に念話も感じなかったか ら。ただの夢だと思う。多分ね」
「う―……でもぉ」
「じゃあ、この辺りの風景があった?」
「あ……と。そ、それは」

 沈黙しばし。やがて、なのはの答え。「なかった」
「でしょ?」
 なのはが夢に見た物と言えば、鏡で煌めく一部屋のみ。似てる場所を敢えて挙げるなら遊園地のミラーハウスくらいのもの。
「でもないよ、近所に。というか、そこでも見られない豪奢 な作りだったよ」
「うん、よく分かった。だったら、少なくともこの辺じゃないよね」
「うぐ……はい」諦めきれないなのはは、尚もフェレットに詰め寄る。「で、でもでも」

「もー。だからさ、なのは」
 溜息混じりに押し止めようとして、ぴくんと顔を上げる。
「……しっ!」
 器用にも手を口に寄せ、静かにしてとポーズ。
「ふえ?」
 首を傾げて、彼女も気付いた。誰かが階段を上がってきている。
「にゃっ!」
 ベッドに戻り布団を被る。近年稀に見る俊敏さだった。ほぼ同じタイミングでドアが開放される。誰かが、部屋を伺っていた。誰かと言っても、家族の内の誰 かだろうとなのはは予想していたが。

<わーわーわー?! 気、気づかれた?! 気づかれちゃった?!>
<だ、だから落ち着いてなのは! 念話が、ダダ漏れだから!>
<きゃーきゃーきゃー!>
<誰か! 誰かこの子を止めてあげてくださーい!>

 大混乱。幸い念話という魔導師間の無声通信のため、騒ぎは漏れなかった。そのため、部屋を伺う誰かさんには聞かれずに済んだ。
 そしてその誰かは、しばらく留まってから言った。

「……お休み、なのは」
 扉を開けてから一分ほど。ようやくドアは閉状態に戻された。

 

「ぷはっ」
 いつからか止めていた息を再開。
<……はー。まさかお父さんが来るなんて>
<結構大きい声出してたからね、なのは>
<え、そうなの?>
<そうだよ>
 失敗を生かし、今度は念話で話し続けるなのはとユーノの二人。ただし後者は、念話でも眠そうな声だった。

<あ>
 ここでやっと、なのはもユーノの状態を理解した。
<ご、ごめんねユーノ君。どうしても、話したくって>
<いいよ……。ふぁ……。じゃあ、続きは明日でいいんだよね? なのは>
「うん、また明日。おやすみ、ユーノ君」
「お休み」

 最後は互いに声に出して言った。

(続き……見られるかな)
 僅かな願い。ジュエルシードではなく、どこかの誰かへの願い。
(お願い。あの子がどうなったかを教えて下さい…………)

 

 ――――朝。
 目を覚ましたなのはに、ユーノは問いかけた。
「なのは。昨日の夢の話は良いの?」
「ふえ? 夢? ……夢って、なんの夢だっけ?」
「……まあ、そんなところだろうと思っってたよ」

 彼女が、この夢のことを思い出すのは、人生二度目の魔法関係大事件に巻き込まれた時である。

 

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