遡ること二十年。世界は絶望と同義であった。

 

 おお、誰か。あれを、あの化物を倒してくれ――――。

 

 震えていた人類。彼らは願い続けた。来る日も来る日も祈り続けた。

 そして。その嘆願は、やがて形になった。誰でもない、同じ人間の手によって。人が自ら、新しい力を生み出した。

 それは、『ニライカナイ』。海の彼方にある楽土の名を冠した組織であった。

 “助けよ”。たった三文字の理念を掲げ、彼らは、誰も打倒し得なかった化物に立ち向かった。

 

 彼らが現れたことにより、諦観を抱いていた人類に光明が差した。誰の目にも明らかな変化が起こったのだ。

 生き物であり、天災に匹敵し、超大国をも滅ぼした化物。魔物が、減ったのである。

 魔物とは、弱小種でもどの生物をも上回る生命力を持ち、上位種ともなれば、単独で原子爆弾以上の危険性を孕む存在。そんなものを倒せるわけがない。皆が皆そう思っていた。

 だが、違った。そうではないことをニライカナイが示した。人類は、魔物に食われるだけの存在ではないのだと、彼らは行動で世界に知らしめた。

 

 人は魔物に勝てる。今では周知の事実であり、世界から彼らへの信頼は揺るぎない。だが、決して初めからそうだったのではない。彼らにも嘘つき呼ばわりされた時期はあった。

 初戦から何度目かの戦いを終ええるまで、それは続いた。その期間は、人類が絶望の淵から這い上がるのに掛かった時間だったかもしれない。

 だが、いくら嘘だといわれても、彼らは愚直に成果を重ねた。魔物を倒す。人を救う。その繰り返し。繰り返しを何度も続け、ようやく彼らは認められた。

 時間が掛かったのは、通信インフラの破壊が進んでいた影響もある。世界を繋ぐ通信網が、一時は民間人に解放されなくなったのだ。だから逆に、彼らが認められるまでの時間は、状況を考えると驚異的ともいえた。

 

 それだけの偉業達成が可能だったのは、彼らにある技術があったからである。それは、人類が初めて実用化に至った技術――――即ち、魔術武装である。

 目には目を、歯には歯を。魔物が魔法で暴れるならば、人間は魔術で対抗する。単純すぎる理屈のようだが、結果は正しかった。魔物に対抗できているのが、その証明である。

 

 時に、魔法と魔術。混乱するといけないのであらかじめ断っておくと、これらにそれほど違いはない。

 魔法とは、魔力による超自然的な現象であり、魔術とは、魔法エネルギーによる科学技術のことだ。もちろんこれだけ聞けば、まるで違うと思う者もあるかもしれない。

 だが、科学のレベルが上がれば両者の差はなくなり、ほぼ同一となる。これが、先にどちらもあまり変わらないといった理由である。

 

 魔法は変わらない。魔術は変わる。ならばいずれは追いつく。限定的には、ニライカナイはそれを実現していた。

 そして今日、またどこかで、彼らは魔術の力で人々を救っている。

 

 ***

 

「――――なんていってはみるけどさ。よっ、と。これがまた、色々と大変、なんだよ、ねぇー!」

 もこもこと地面が盛り上がる地面。そこから独り言が聞こえたかと思うと、一人の女性が飛び出した。

 そして地下より掘り出したと思しき機械を背中から下ろし、彼女は、ほうと息をついた。格好を見るに、りりこに振り下ろされた凶刃を止めた人物であるようだ。

 さて地上に出てきた彼女だが、次にしたことは、ドリルと化した両腕を地面に突き立てた上での背伸びである。目一杯伸びて、息を吐く。変声機を通した上でも、多少の疲労の色が伺えた。

「やれやれ、少しは休めるかな」

 呟いて、彼女は両手を地面から引き抜き、ゴロンと寝そべった。装備は元より土つき、体は汚れないのだから、といいわけはあるのだろうが、ややはしたない。

 ちなみに彼女の両手、やたらにゴツイそれが、それこそが魔術武装の一つだ。ドリルである。穴を掘るなど、文字通りお手の物。先程も穴を掘り、魔物の下に移動して奇襲を行ったのだから、当然だ。

「あー……。思ったより掛かったなあ」

 今、彼女がしているのは、いわゆる戦後処理である。先の戦闘で高位体がオーバーヒートさせたバリアー発生装置を掘り出していたのだ。物が地下深くに埋まっているとあって、一も二もなく彼女にはゴーサインが下されたのだ。

 そのバリアー発生装置であるが、決して小さなものではなく、運搬には重機が必須な重量を備えた代物である。普通に考えれば女性一人で運べるものではないが、彼女は何ら障害なくそれの掘り出しをやってのけた。

 それはもちろん、彼女が実は超人的な怪力を持っていたから――ではなく、特殊強化服が力を格段に引き上げているからだ。とはいえ、たおやかな女性が片手でひょいと車を持ち上げるようなものであるから、知らない者がみれば卒倒するに違いない。

「しかし、うん。いつもながら、優秀な相棒だね、君は」

 彼女は、強化服をそのように評すが、実際にその能力は優れたものである。あれだけの重いものを運んだにも関わらず、彼女自身には生身で米袋を持ち上げるより楽な負荷しかなかったのだ。その性能や推して知るべし。

 だが、幾ら素晴らしい装備があったとしても、全く疲れないわけではない。人間、疲れは肉体的なものだけとは限らない。

 暗所且つ閉所での作業は、常に非常なストレスに晒されると同義。つまり彼女は、精神的には疲れているのだった。プラス、移動はずっと同じ姿勢なので、体も凝る。

 

(何はともあれまずは休憩させろー)

 

 彼女が心中でそう叫んで、マスクの中で目を閉じようとしたのも、無理はないのかもしれない。

 

 ――――しかしながら、彼女には残念なお知らせだ。そうは問屋が卸さないとばかりに、一人の男が、彼女の姿を認めるや否や近づいてきたのである。

「副隊長。作業お疲れ様です。報告に上がりました」

「ええ? なぜにあたしさ? 報告は隊長に」 言いかけ、言葉を詰まらせた。 「あー……。ああ、うん、そっかそっか。隊長いないんだったよね。ちょっと待って」

 一時置いて、副隊長と呼ばれた彼女は、作業前に指揮権を譲渡されたことを思い出したのだった。そうとなれば動きは素早い。軽やかに立ち上がり、報告に応える体勢を整えた。気持ちの切り替えは見事である。

「どうぞ、続けて」

「はい、では……」

 ちなみに、彼女とその部下と思しき男には、立ち上がっても尚埋まらない身長差がある。年齢も、彼女の方が彼より下のはずだ。体の半ば/腹部辺りをすっぱりと取り除いた形の強化服、そこからのぞく肌の張りや艶やかさよりも、それは明らかである。

 ただし、若さ=頼りなさ、ではない。副隊長の肩書きは伊達ではないのだ。彼女は実に堂々としており、自分よりも格段に身長が高い部下にも気圧されることなく、報告を受けていた。

 彼女はふんふんと頷いて、頭の中に部下からもたらされた情報を留めていく。一通り聞き終わると、質問も投げかけた。

「人的被害は、三人かい?」

「はい。この小学校の女性教師が一人、そして教え子の女子が二人です」

 返答を聞き、普通の状態に戻した人差し指で、彼女はこりこりと頭を掻いた。

「……う~ん。出ちゃったものは、取り返しがつかないけど。そう……三人もか。あたしらの行動が遅かったみたいだ。出動の見直しをしよう。もっと急がないといけないな、これは」

 だが、この言葉に部下は疑問を抱いたらしい。すかさず、いえ、と声を上げた。

「彼女らはいずれも軽傷で、相手は魔物です。これでも十分な結果ではないでしょうか」

「こら」

 ぼす、と副隊長は軽いパンチを部下の腹部に見舞った。決して攻撃目的のものではないそれは、相手を揺るがせもしなかったが、少々の驚きは与えた。

「君、新人だね? いい機会だから、一つ言っておくよ」

 ビシッと人差し指が立てられた。

「いいかい。人的被害がゼロで、やっと十分な結果っていうんだ。それを肝に銘じな。うちにいる限り、これから先さっきみたいな物言いしたら許さないぞ」

 言い終わり、両腕を組んで怒りを表す彼女。その言葉は、非戦闘員に少しでも怪我を負わせてはならないということを、明らかに指していた。――――考えるまでもなく、無理だ。少なくとも部下の彼は思った。

 すると心でも読んだか、すぐに彼女が口を開いた。

「無理だと思うかい? そんなわけないだろ。だったらもう一個無理を重ねるんだ。それで道理。ここでもし、できないなんて弱音を吐くなら、うちには向いてないよ」

 強烈な視線が、バイザー越しに自分へ向けられているのを彼は感じた。そして、思い出した。

 

(そうだ、何を勘違いしているんだ。自分は、人を救いたいから、だからこそこの部隊に入ったんじゃなかったのか)

 

 数字の結果だけに目がいって、本来の目的を忘れていた。更に記憶が再生された。

 

(敬愛すべき『あの人』に、最初に掛けられた言葉を思い出せ。――――「立ち止まるな、人を助けろ」。そう言われたはずだ)

 

 知らず背が伸びるほどのプレッシャーの中、彼は自分の犯した過ちに気付いた。

「申し訳ありませんでした! 以後、気をつけます!」

「うん、分かったならよし。じゃあこれ、運んでおいて。そろそろ新しいのが届くはずだから」

 にへら、と音がしそうなほど。途端に態度を軟化させる彼女。勢い込んだ部下は、そのギャップに崩れそうになったが、何とか堪えた。

「あ……はい」

「よろしく頼むよ」

 

 機材を運んでいく部下を、マスクで見えないとは分かっているが、副隊長はにこやかに笑って見送った。やっておいてなんだが、重苦しい雰囲気は彼女が一番苦手だった。

 ただ、苦手だからといって逃げられないこともある。先を考えると、多少自分が嫌な思いにをしても、今のは言っておかなければならなかったのだ。それが、上に立つものの責任という奴である。

(あれー? もしかしてあたしこそ向いてないかー?)

 弱気が彼女の心に飛来するが、それは頭を振って追い払った。

「ああ、隊長様ー。早く帰ってきてくださいよう」

 さて、ところで彼らの隊長はどこだろうか。

 

 

  魔法特区龍球

 

 それは一言で表すなら、とても巨大な家。それこそ言い尽くせない大きさだ。豪邸の名に恥じない雄大さである。目を引くのは、何も大きさばかりではない。その装飾もまた破格。技術と金銭、両方が惜しみなく施されたそれは、素人目にも成金の遊びではないことが分かるのだ。

 この地に訪れる、台風の脅威をいっそ忘れたような作りともいえる。そして事実、その通り。

 ここには、そぷら達の学校にも設置されていた、防護フィールドの拡大版が敷地を囲うようにぐるりと設置おり、災害とは無縁。だからこそ庭も徹底的、且つ、豪勢に飾り立て、見るものを楽しませる作りにできるのだ。

 

 これ程の家の持ち主が、もちろん単なる金持ちであるはずがない。では、一体どういった者達なのか。

 ここに住まうのは、あのニライカナイを作った一族――――その分家に当たる者達だった。掲げた名は天鐘院。言うまでもなく、あの天鐘院りりこの家だった。

 

 屋敷の中に目を移す。と、今のそこは中々の珍事に見舞われていた。普段は一般の者では入れないそこに、今日ばかりは既に三人の部外者が立ち入っているのだ。しかも内二名が怪我人という、トンデモ事態。

 もっとも、外から見るとそんなお家の珍事よりも、怪我人をそこに運び込んでどうするのかが気になる筈だ。だが問題はない。何しろ広大な敷地の中には、病院まで含まれているのだから。ありえないことだが、事実。

 その病院の通路。そこには、ようやく目を覚ました一人の女性教諭の姿があった。間接を合わせ直した右腕は、大事を取って包帯を巻かれ、三角巾で吊られている。ただ、表情を見る限り特に問題はなさそうだった。

 しかし体とは別の問題があるらしい。ぐるりと首を巡らせ、彼女は溜息をついていた。

「いやあ、それにしてもアレやなあ。天鐘院てホンマもんのお嬢様やねんなー」

「あら先生、何故今更そんなことを?」

 心底分からないといった顔で尋ねるりりこに、巴の溜息は深くなった。

「普段の態度を見直してみぃ。いや、待て。我侭は正しいお嬢様の姿と言えんことも無い? ……いやいや、それはええとしてもやな。やっぱり家がこんだけ広うて、病院まで持っとるのを見るとな? こう、実感がようやく沸いてくるゆーか」

「そういうものですか」

「そういうもんや」

 一人は首を傾げ、一人は頷く。奇妙な向かい合わせは、もう一人の少女が着替え終えるまでしばらく続いた。

 

「お待たせー。りりこちゃん、お洋服ありがとう!」

「はい、そぷらちゃんのために揃えたものですからお気になさらず! ……ですが、本当に背中は大丈夫なんですか、そぷらちゃん」

 うん? と自分の背中に振り返り、それから元気さアピールのためか、そぷらはその場で一回転して見せた。

「大丈夫だよ~。もう痛みもないし。りりこちゃんだって、さっき見たでしょ? 私の背中」

「はい、確かに見ました。白くてとってもすべすべしてて、天使の羽も軽く浮き出た、柔らかそうな可愛い――――」 ここで暴走を自己制御するりりこ。頭をぷるぷると振って。 「いえ、しかし、怪我が残ってないなんて、未だに信じられないのですが」

 えへへ、とそぷらは微笑んだ。

「残ってた方が良かった?」

「まさか! そうなったら、B・Jでも連れて来たところです!」

 身を乗り出すりりこ。本気だった。B・Jなる黒男が誰なのか、そぷらには分からないが、今の彼女なら本当につれてきただろう。そこまで自分を思ってくれる彼女が、そぷらは本当にありがたかった。

「りりこちゃん」

「はい?」

「ありがとう、ね」

 一瞬だけ呆けた顔になったが、りりこはすぐに応えた。

「どういたしまして。そして、こちらこそありがとうございます」

 

 少しだけ間が空いた。それからやがて、誰からともなくぷっと吹き出した。一人は無邪気、一人はやや控えめ、一人は豪快。三者それぞれの笑い方。

「さっきまであんなに怖い思いをしていたのに、まるで嘘みたい」

「ええ、全くです」

「あー、なんや一気に気ぃ抜けたわ~」

 お互いにひとしきり笑う。そぷらは背中の軽い引きつりが、巴は腕に掛かる振動が、それぞれ気になったが、笑い出したらそうそう止まるものではない。落ち着くまでは少しの時間が必要だった。

 しばらくすると、ある話題が持ち上がった。

「だけど、あの人凄いよね」

「せやなー。天鐘院と摩文仁だけなら兎も角、うちも一緒に纏めて運ぶなんてありえへんで」

「しかも、車より早くですよ」

 ここまで彼女達を運んだのは、救急車ではない。運搬を請け負ったのは、かの隊長である。あの戦闘の後、彼は、乳白色をした箱型の力場に三人を乗せ、一人で担ぎ上げ、韋駄天の如き速さで彼女達をここまで送り届けたのだ。

「あれだけの力が必要なんて、どれほど大変な仕事なんでしょう」 でも、と軽く目を閉じてりりこは続ける。 「あれほどの力があっても決して驕った様子がありませんでした。――――彼は、きっととても良い人なんでしょうね」

 胸に手を当て、どこか恋焦がれる少女のように言う彼女。ただそこで、そぷらは珍しく彼女とは違う意見を口にした。気にかかっているのは、あの時のことだった。

「私はちょっと怒ってる、かな。だって、あの人はりりこちゃんを……」

 魔物と一緒に攻撃しようとした、そう口にしようとした。

「そぷらちゃん、それは違いますよ」

 だが、先を制すように、りりこははっしとそぷらの手を掴み、彼女を止めた。無論、当時気絶していた巴だけは、話についていけない。唐突な二人のやり取りをただ顔を斜めにして見守るだけだ。

「彼は、決して私を見捨てようとはしませんでした」

「でも……」

「ええ、ええ。もしかしたらそう見えたかもしれません。だけど、彼はそう見られても良いから、私を早く助け出そうとしたのですよ」

 そぷらは手を握られ、少し冷静さを取り戻した。そして、彼があの場でもし引いていたら、果たしてどうなっていたのか話すりりこを、真正面から見据えた。

「これは、言うまでもないことですが、正確なところは分かりません。ですが、きっと状況は悪くこそなれ、良くはならなかったでしょう」

「そう、かな」

「はい。例えば、彼らが先にやられて、その後で私達が食べられてしまう、というのは十分に考えられます。それに――」

 暫し、りりこの言葉が途切れた。そぷらはどうしたのか問いかける前に、彼女の手が震えていることに気付いた。

(あ……)

 彼女の異変の訳を、そぷらは理解した。

「ばれちゃいましたか? ええ、白状します。私も、とても怖かったんです」 ほうと息を吐き、気を落ち着かせる。 「……だから、でしょうね。彼が最速で事を終わらせる道を取ったのは」

 その戦法は、言うは易し行うは難し。だが彼は、完璧にそれをやり遂げた。自分に注目を向けることで、部下が地下に向かうのを見咎められないようにし、同時に人質からの注意も逸らす。そして人質を救出しつつ、敵を殲滅。結果、誰も傷つくことがなく全て終わった。

 だが、そう説明をしても、そぷらは納得がいかない顔をしたままだった。りりこは彼女を優しく抱きしめる。

「そぷらちゃんは、本当に優しいんですね。でもいいんですよ。彼は正しいことをしたんですから、これ以上責めないで下さい」

 そぷらは少しだけ戸惑いの表情を浮かべた。しかし、やがて頷いた。

「……うん」

 

 そこで、りりこは表情を一転。大人っぽいものではなく、子供らしい笑みへ。そぷらから離れると、ぱんと手を打ち合わせた。

「ああっ、しかしもちろん一番私を助けてくれたのはそぷらちゃんです! あんなに怖いものを前に、ああいう行動を取れる人なんていません! 素晴らしいです、流石はそぷらちゃん!」

「わっ!」

 再度ぎゅうと頭を抱きしめられたそぷらは、目を白黒させて先程以上の戸惑いを見せた。急激なりりこの変化には、毎度の事ながら彼女もついていけない。

 

 しかしそこで、流石に思うことがあったのか、巴が一言ポツリ呟いた。

「いやいや、うちもしたやん」

 当然というか、彼女の声はりりこの耳に届くことはなかった。

 

***

 

「ほな、うちもそろそろ帰るでー。これ、ホンマに治療費要らんの?」

 りりこが落ち着いたのを見計らい、巴が治療を受けた腕を指差しつつ声を掛けた。振り返り、りりこはにこりと微笑む。

「もちろんです。誰よりも先に庇ってくれたのは先生なんですから。お礼こそしても、代金なんて受け取れません。ああ、でもどうしてもというのなら」

「いやいやいや。要らんのやったらそれでええんや。はい、それじゃ、さいなら! また学校でなー」

 素晴らしい逃げ足。藪蛇にしてたまるかといわんばかりの逃走劇だった。残された二人は、顔を見合わせて、くすくすと笑いあう。

「あ、でも先生帰り道分かるかな?」

「確かに、こちらにいらしたのは初めてでしたね。誰かに遅らせましょう」

 そういって、りりこはリンカーを呼び出した。しかしそれよりも早く、担任と入れ替わりに屋敷の使用人の女性が一人やってきた。

「あら? いえ、丁度呼ぶところでした。巴先生をお送りして差し上げてください」

「はい、すでにそのように手配しております」

 だが、りりこは彼女の用がそれだけではないのを感じ取った。

「何かありましたか? そぷらちゃんを休ませてあげたいのですが」

「申し訳ございませんお嬢様。"本家"からのお客様にございます」

 本家。その言葉に、りりこの雰囲気が変わる。そぷらには彼女の周りの温度が下がったように感じられた。

「――――ええ。そうですか、分かりました。すぐに参ります」

 冷えた口調。余りそぷらには聞き覚えの無い調子だ。そこでりりこは振り向いて、彼女と目を合わせてきた。

「ああ、愛しいそぷらちゃん。本当に申し訳ありません。どうやら少しばかり、お傍を離れなければならないようです」

「うん。それはいいけど……」

 りりこの変化を目の当たりにした彼女だ。流石に返事も歯切れの悪いものになる。

 いつものりりこなら、そんな彼女に構いまくるところだろうが、しかし、今だけは違った。使用人にそぷらを部屋に上げるように頼むと、急ぎその場を立ち去っていった。

 

 残されたのは、そぷらと使用人の女性の二人。

「えーっと」

 そぷらは今いる使用人は何度か見覚えがあった。しかし名前は出てこない。そもそも紹介はされてないのかもしれないとも思った。

 さて、ではどう切り出そうかと考えていたところで、相手が微笑みを見せた。どうやらあちらも覚えていてくれたらしい。

「そぷら様、どうぞこちらへ」

「は、はい」

 自分の半分以下の年齢しかない子供を相手にしても、使用人の丁寧な物言いに淀みはない。思えばりりこも同い年なのだから、彼女にとっては、それが普通のことなのだろう。

 逆に、いつもは"様"などと呼ばれる環境にいないそぷらは恐縮してしまう。これではどちらが客か分かったものではない。

 しずしずと歩く使用人と、ギクシャクと歩く客の組み合わせは、傍目には中々面白い光景だった。

 

 ***

 

「では、こちらにてしばらくお待ちを。ただいま紅茶をお持ちいたします」

「お、お気遣いなく……」

 何とか記憶の奥底からそれっぽい言葉を捻り出したのだが、言った後、今のでよかったのかなとそぷらは首を捻った。使用人がいなくなり、一人になると、すぐに慣れていないのだからしょうがないと、彼女は自身に言い聞かせて誤魔化すことにした。その後は、辺りを見渡すことに精を出す。

 通されたのはりりこの部屋だ。そこには、歳相応な可愛い飾りなどは殆どない。さりとて硬い感じの部屋でもない。調度は高級品でありながら、威圧感が少ないその部屋は、部屋の主をそのまま現しているようだった。

「りりこちゃんは、いつ戻ってくるかな……」

 呟いて、彼女は部屋の中ほどにある椅子に腰を下ろし、テーブルの上に腕を重ね置いた。

 開け放たれた窓からは陽気な風が緩やかに舞い込み、花瓶に刺さった花の香りを部屋に広げる。気を落ち着かせる香り。この日あったどたばたも重なって、そぷらは思わず眠気を誘われた。

 ゆるゆると落ちていく瞼に、あ、危ないと思う気持ちはすでにない。睡魔の前に、全ての抵抗は意味をなさないのだ。

 閉じるか閉じないかの視界の端では、小さな子猫がジャンプして葉っぱのような子羊を掻っ攫い、雲のような草原を飛んで、狼を吹き飛ばす。

 冗談みたいで何の脈絡もない展開に、疑問も持たず納得。ああ、楽しそうだなあと開いているつもりの閉じた目で、キラキラとした情景を見続けた。

 

 

 ――――小さな音を立ててドアが開いた。

「……!? あわわっ!」

 はっとなり、テーブルに突っ伏していた状態から顔を上げた。案の定よだれが口があったと思しき場所に広がっているので、慌てて拭う。

 入ってきたのはりりこだ。そぷらは入り口に背を向けるようにして座っていたので、入室と同時の彼女の行動は奇行にしか映らなかったが、大体の予想はついていたのでりりこは特に何も言わない。

 一旦落ち着くのを待って、彼女がこちらを振り返るのを確認してから声を掛けた。

「そぷらちゃん、どうもお待たせいたしました!」

「あ、え、と。う、うん。お帰りなさい、りりこちゃん……って、あれ?」

 てっきり用事を終わらせて戻ってきたのだと思っていたが、りりこの後ろには他にも誰かいるようだった。

「はい? ああ、姫ねえさまですね。ええ、そぷらちゃんにも紹介いたします。この方は、」

 りりこが紹介を進めようとすると、一緒に入ってきた女性は彼女の口元に指を軽く押し当て、その言葉を止めた。どうやら自分でするということらしい。

「御機嫌よう。わたくしは、天鳳院貴美姫と申します。以後お見知り置きを」

「ふ、ふわ……」

 そこにいたのは、りりこに十歳程プラスしたらこうなるだろうという、気品溢れる女性だった。

 動きに合わせてさらさら流れる長い黒髪は絹の滑らかさ、白く透き通った肌は陶磁器のよう。同性でもぞくりとくる切れ長の目、つんと程よく自己主張する鼻、きらりと潤う唇、滑らかな曲線を描く喉元、そして服を持ち上げる胸元から、きゅうと絞り込まれていく腰のラインは、ありとあらゆる芸術品を凌ぐ完成度だった。珍魚落雁、閉月羞花という言葉は正に彼女のためにあった。

 紡ぎだした言葉はさらりと流れ、スカートを摘み上げたお辞儀も全くもって隙がない。突然そんな女性に畏まった挨拶をされれば、そぷらでなくても面食らうというものだ。流石に見かねて、りりこが口を挟んだ。

「もう、姫ねえさまったら。もう少し手加減をして下さい。そぷらちゃんは財界の嫌らしい方々とは違うのですよ」

「あら、言いますわね。わたくしとしては、とても柔らかくしたつもりですのに。駄目だったかしら?」

 頬に手をやり首を軽く傾げる、そんな単純な動作からして目が離せない。完璧すぎて寧ろいけない、罪な女性だった。

 一方そぷらは、未だぼうとしたまま。

「ごめんなさいね。そちらはそぷらちゃん、で良かったかしら?」

 呆けた様子のそぷらに目線を合わせ、さりげなく手を重ねる貴美姫。第二第三の衝撃を加えられ、やっと少女は我に戻った。

「は、はい。摩文仁そぷらです。い、以後おみ、おみしりゃ!? ……ひ、ひたかんら~!」

 先の紹介を真似しようとした彼女だが、慣れない言葉はやはり使うべきではない。すぐに舌が回らなくなり、歯の間に挟まってしまった。これには手を取った貴美姫も、驚いてから苦笑するしかない。

「大丈夫ですか、そぷらちゃん? ほら、姫ねえさまが妙に気取るからですよ」

 もう、と頬を膨らませて注意するりりこは、いつもよりどこか子供っぽい。よほど貴美姫に心を許しているのだろうと見て取れた。

「そうかしら? だったら次からは気をつけますわ」

 くすりと笑って、りりこの小さな怒りを優しく受け止めた。見た目だけではなく、中身もできた人間であるらしい。

 

「あら、そういえばそぷらちゃんの苗字は摩文仁なのね?」

「ひゃ、ひゃい、そうれすけど」

 まだ痛みが引かないまま答えたものだから、舌っ足らずな返答になってしまう。それでも意味は伝わったらしく更に質問が来た。

「もしかして、お兄さんがいらっしゃる?」

「はい」

「名前は、摩文仁於菟?」

「兄をご存知なんですか?」

「ええ、よく存じておりますわ。家に戻りましたら、お兄さんにも聞いて御覧なさいな。……それにしても」

 じいっと貴美姫がそぷらを見つめてきた。やや、そぷらは気圧され気味になる。

「え、あの?」

「失礼しました。あの於菟さんの妹にしては、随分と可愛らしいですのねと思っただけですわ。まあ、似ていたらそれはそれで大変だったでしょうけれど。ねえ?」

「ええっと……」

 そぷらは、別段兄の外見を悪く思っているわけではないので、同意を求められても困る。しかし目の前の女性に彼を貶めるような悪意を見えなかったので、怒るに怒れない。結局、どっちつかずの曖昧な笑みを浮かべるくらいしか、彼女にはできなかった。

 代わりにりりこが、ずいと貴美姫に近寄った。ジト目で誰かを見る彼女の姿など、そぷらも見たことがない。

「ひ・め・ね・え・さ・ま! そぷらちゃんのお兄様を悪し様に言うのは、いくら姫ねえさまでもダメです」

「あら。ごめんあそばせ」

 ほほほと口元を隠して笑い、貴美姫は立ち上がった。さっきも見ているはずだったが、背は中々高い。百七十は超えている。一流のモデルも押しのける彼女の立ち姿は、それだけで様になる。

「姫ねえさま、もうよろしいのですか?」

「ええ、十分ですわ。そして流石はりりこね。今度抱きしめてロザリオでもかけてあげましょう」

 では私は妹? などと心中で考えつつも表にはあまり出さず、りりこはスカートを摘んだ礼だけを返した。そぷらには、二人のやり取りの意味が分からなかったが、貴美姫の視線がこちらに向いたのを見て、ぴっと背が伸びた。

「そぷらちゃん」

「は、はい!」

「わたくし達にはね、人を見る目があるのよ」

 そんなことを唐突に言われても。そぷらが疑問顔になるのも構わず、貴美姫は続けた。

「ただできる人を見抜くだけではないわ。わたくし達が目をかける人、それは」

「そ、それは……?」

 貴美姫の顔に満面の笑みが咲いた。

 

「正義の味方ですわ」

 

 そぷらの顔が?になった。

 というのは冗談だが、貴美姫の言葉の意味を理解するまで少し掛かった。もっと凄い何かが来ると期待していただけに、ちょっとガッカリした気持ちもある。しかし、彼女は更に言った。

「そう落胆しないで下さいな。正義の味方なんて、と思ったのでしょう? だけどそれをなすことは誰にでもできるわけではありません。どうしてか分かります?」

「え……」

「それではですね、力が足りないのですわ」

 問いかけておきながら、答える暇を与えない。彼女はちょっと身勝手なのかもしれない。しかし話は続く。

「単純に力がない。だから正義の味方になれない。考えたことはないかしら? みんなどうしてか、何かしらの力を求めるものです。それは知力? それとも財力? はたまた権力かしら。ええ、まだまだいくらでもあります。――――では、何故それを欲しがるのかしら?」

 じいっと彼女の瞳が、そぷらのそれを覗き込んでいた。

「もしかして」

 答えを得た顔になったそぷらを見て、貴美姫ははい、と笑った。

「そうです。みんなが何か力をつけて、近づきたがっているのですわ」

「それが、正義の味方?」

「ええ。その人自身が目指す、正義の味方。わたくし達が見抜くのは、それに至ることのできる人たちですの」

 貴美姫の笑みに妖しい艶が混ざった。

「つまり、あなたにはその素質があるということですわ。わたくしの妹分も助けていただいたようですし」

「え、それは、別に……」

「大したことじゃない?」 いよいよ目が細められ。 「その、大したことのない一線を越えられないのが、世の大勢でしてよ」

 と。最後もしゃらりと優雅に、今一度の礼をして、貴美姫は身を翻した。

「ではまた一生の交わり道にて。正義の味方となった暁には、わたくしの正義の味方に会いにきて下さいな」

 扉が閉まり、貴美姫の言葉が完全に部屋から消えた。

 

 まるで、嵐。見た目は百合のように可憐でありながら、裏腹、実際は台風を髣髴とさせる女性だった。時間にしてたったの十数分程、そんな短時間で、落ち着いていたはずのそぷらの心を、泡立つほどかき混ぜていった。

 今の話をどう消化したらよいものか。そぷらは、信頼すべき友人に救いを求める目を向けた。

「あ、あの、りりこちゃん」

 振り向いくりりこ。そして。

「気にしないで下さいな」

 ばっさりと一言言い放った。ぐちゃぐちゃだったそぷらの思考が一時中断。固まった彼女に、りりこはくすくすと笑って言った。

「姫ねえさまは、ああ見えて人をからかうのが大好きなのです。いつも変なことを言って、みんなを丁度今のそぷらちゃんみたいにしちゃうんですよ」

「え? えええええ!? そ、そうなの!?」

「はい、そうなんです」

 彼女はりりこの言葉に疑いを持たない。よかったと息をつき、胸を撫で下ろした。それを見てりりこも、全く困ったものですよね、と軽く首をかしげた。

 

「……だから、良いんですよ。そぷらちゃんはそのままでいて下さい。危ないことなんてしないで下さい」

「え?」

 次のりりこの言葉は小さくてそぷらには聞き取れなかった。だが、彼女の顔に浮かんだ悲痛な笑みが、そぷらの心を締め付けた。

「ど、どど、どうしたのりりこちゃん!? どっか痛くなっちゃった!?」

「いえ、大丈夫ですよ。何でもありません。ああ、やっと紅茶も来たみたいですね。いい葉が入ったから、是非そぷらちゃんにも味わって欲しくて機会を待っていたのですよ……」

 すぐにいつも通りの表情になった彼女だが、それでもしばらくそぷらは心配そうに見つめていた。

 

 ***

 

 あの後、そぷらは紅茶やお菓子、更には豪勢な夕飯までを振舞われ、気が付けば結構長い間りりこと話し込んでいた。日も傾いでいたので、車で送るというりりこの提案を快く受け入れた。

 ただ、家に明かりはなく、まだ兄が帰っている様子はなかった。

「あれ? お兄ちゃんまだなんだ。えーっと、鍵開けてちょうだい」

<承認しました>

 知らぬ者が見れば、明かりもない家の前で何を声を上げているのかと訝しむところだ。しかしすぐさま家から返答がなされる。驚くことはない。そぷらの家は、思考する家、知的家屋などと呼ばれる類のものなのだ。家主達はもちろん、ゲストや望まれざる客に至るまで自ら判別を行い、入室制限を行う高性能な家である。

 不埒者が無理に押し入ろうとしたら、ホームアローンも真っ青な歓迎を受ける。当然、これまでこの類の家が泥棒被害にあったという話は聞かない。信頼性はバッチリである。

 一方家の住人たる彼女には、すぐさま開錠がなされ、扉が開く。同時に、玄関口や廊下等の電気も点灯。たったそれだけのことに、人間のような温かさを感じる。だから彼女は、家人の有無に関わらず、家自体にも挨拶を欠かさない。

「ただいま」

<お帰りなさい。そぷら>

 たどたどしい電子音声ではない、殆ど肉声のような家の声。聞く度ホッと安心するのは、きっとこの声の元になったのが、事故で亡くなったという、彼女の母親だからに違いない。

「んしょ、と」

 靴を脱ぎ、彼女が立ち去ると玄関の明かりが落ちる。彼女がいるところと、その行き先はちゃんと照らされているので問題はない。

 居間に移動して、鞄と自分の体をソファーにダイブさせる。兄には内緒の至福の瞬間だ。

「ばふっ! ふわあああぁぁ。……んあ、溜息ついたら寿命が縮むんだった!」

 古い迷信を口にした彼女。行儀の為にと於菟が教えておいた物だ。もっとも、頭では分かっていてもどうしようもない時が人間にはあるのだが。

「でも疲れたよう。お兄ちゃんまだかな……?」

 のろのろと窓に近寄って、兄の勤め先の研究所がある先を見やった。

 

 ――――遠くに光が、まるでバイクのヘッドライトのような明かりが見えた。そう思った時には、それが一本の線を描いて目の前を過ぎていた。

「!? 早っ!」

 それはそのまま家の車庫まで伸び、そしてすぐ、こちらまで走ってくる人の足音が聞こえ始めた。

「そぷらっ」

「お、お兄ちゃん、お帰りなさい」

 いつにも増して、鬼気迫る表情の兄。さしものそぷらも、ちょっとだけ驚いた。

「魔物が出たって聞いたぞ。それで、怪我をしたって……どこだ?」

「え? えーっと……」

 口篭もる彼女に、於菟は何とも言えぬ不思議な表情を浮かべた。

「言えないぐらいに酷いのか?」

「そ、そんなわけないよ! もしそうだったら家にいないよ~」

 確かにそうなのだが、はっきりと言わなければ、読心能力などない身には伝わらない。

「あの、ね」

「ああ」

「その、治った、みたい?」

「……聞いているのはこっちなんだが」

 一向に要領を得ない返答しかしない妹に業を煮やし、於菟は見せてみろと彼女をソファーにちゃんと座らせ、触診紛いを始めた。

 顔やらを触られ、そぷらからの口からは奇妙な言葉が流れ出す。

「うにうにうに」

「頭、顔、は問題ないな。手も、足も大丈夫か。……背中か?」

「ひゃあ?!」

 ぺろりとめくって。

「……どこも怪我してないな」

「だ、だから怪我してないの! もう大丈夫だから!」

 ソファーから飛び降りて、手を思い切り伸ばしたり、飛び跳ねたりして元気さをアピール。そこで、ようやっと於菟も落ち着いた。安堵の息をついて、どっかりとソファーに座り込む。

「なら、良かった。連絡を受けた時は、心臓が止まったよ」

「もう、大げさだよー」

「大げさじゃないさ」

 ぴょんと自分の太ももの上に飛び乗ったそぷらの頭を、於菟は優しく左手で撫でた。

「無理してないか?」

「うん」

「本当に、本当か?」

「……うん」

 しかし、どれだけ焦っていても大きな兄は、やはり兄だった。彼は、優しく言い聞かせるように。

「怖かったろ。泣いても、いいんだぞ」

 ゆっくり一言だけ告げた。そこが限界だった。そぷらの堪えていた気持ちが溢れ出した。

 知らず、ぽたりと熱い雫が、彼女の頬を流れた。

「――――え? あ、あれ? えへへ、どうしてだろ」

 ちょっと待ってねと目を擦るが、一度流れた涙は止まらない。堰を切ったように止め処なく零れ落ちた。

 

 そしてようやく彼女も認めた。自分は、今までずっと強がっていたのだと。

「……っく、ひっく。怖かった……怖かったよう」

 兄は何も言わず、ただ彼女を優しく抱きしめた。こちり、こちりと時計だけが冷静に時を刻んでいた。

 

「落ち着いたか?」

 そぷらが泣き止んだ時には、於菟の服は彼女の涙やら何やらでぐしょぐしょだった。

「あ、あう。お兄ちゃんごめん」

「気にするな。そろそろ汗を流そうと思っていたんだ」

 彼がテレビに目をやると、勝手に点灯。最近人気らしい芸人達が騒ぎ立てる、面白おかしいお笑い番組が流れ出した。

「まあ、なんか見て待ってろよ。一風呂浴びたら何か美味しいもんでも作ってやるから」

「あ、もう食べちゃった。りりこちゃん家で」

「何? ……そうか、しょうがないな」

 自分を膝上から下ろした後、とぼとぼと効果音付きで去っていくような兄の姿を見て、そぷらは思わず言った。

「えーっと、まだ食べられるかも」

「そうか。じゃあ、軽めのものを作ろうな」

「うん」

 於菟に急な仕事の電話が入り、その約束が果たせなくなるのは、彼が風呂から上がった直後だった。

 

 ***

 

 呼び出された場所に出向く前に、風呂上りの体を大分涼しくなった夕風に当てながら、於菟はある男に頭を下げていた。

「突然すまない。妹を一晩お願いしたいんだが」

「んだ、そんなことかよ。ああ、分かった。うちのチビッ子も暇してたからな。丁度いい」

 その男とは、彼の家の隣人でケイという。片仮名でもなくアルファベットのKらしい。偽名臭いが、全くの嘘でもないらしい。表札も掛かってないので、於菟やそぷらはそれ以外で彼を呼ぶことは無い。とりあえず困ることは無いので、特に本名を問い詰めたことは無い。

「そっちは大変だな。こんな時間からお勤めか?」

「いや。どうしても俺じゃないと駄目らしくてな。仕方なしにだ」

 彼は於菟よりも背が低く、歳も下に見える細身の青年だ。顔は悪くないだが、些か皮肉げな笑みを常に口に湛えているので、そこが彼の評価を下げている。格好はリラックスしていたのだろう、薄手のシャツ、かりゆしウェアとバミューダパンツだけだ。

「全く。何もこんな日に呼ばなくてもと俺は思うんだがな」

「はっ。可哀想に。同僚に恵まれてねえな、お前さんはよ」

 ラフな掛け合いは、中のいい証拠。於菟は肩を竦めて言い返した。

「そうでもないさ」

「そうかい。んじゃ、いってこいや。ほらそぷら。入れよ」

「はい、お邪魔しまーす」

 見知った仲でも、挨拶や礼は欠かさない。そして彼女は於菟にも声を掛けた。

「お兄ちゃん、早く帰ってきてね」

「ああ、最速でな」

 またまた朝のような弾丸速度、よりもっと速く、彼はバイクを走らせて消えた。

 

 

「つーかあいつはな、いい加減飛ばしすぎだろ。TAXIとかの観すぎじゃねーのか」

「あはは、そうかも」

 他愛もない戯言を言いつつ、ケイの家の廊下を進むそぷら。すぐに彼のいうチビッ子が飛び出してきた。

 小学校に入ったかどうかの幼い女の子だ。肩を過ぎる長い髪は黒色。だが一房だけ色が抜け落ちたように白い。しかし、何らかの病気でそうなったかといえば、どうやら違う。表情といい、全身から発散される元気具合といい、どこからどうみても天下御免のやんちゃ娘だ。

 そしてその見た目に相応しく、彼女はすぐに大声を張り上げる。

「そぷらだ!」

「あ、びぃねちゃん、こんばん……はぁぁぁああ?!」

「あっそぶのだー!」

 びぃねは、そぷらより更に小さい。だが力は恐ろしく強い。体格差をものともせず、挨拶中のそぷらを二階へと引き釣り上げていく。

「おいおい。転ぶんじゃねぇぞー」

 余りの勢いに、多分無駄だろうなと思いつつだが、ケイは一言声を掛けた。すると案の定、二人分の転倒音が上から聞こえたのだった。

「やれやれだぜ」

 時でも止められそうな呟きを残し、彼は自分の部屋に戻ることにした。

 

***

 

 さて、少女二人はタフである。転んだ如きでへこたれない。そのくらいは双方慣れっこである。

「そぷらそぷら! 何する? 何して遊ぶ!?」

「え? え~と」

「かくれんぼ! 鬼を決めるのだ! ジャン、ケン!」

「わ、わ、ちょっと待って!」

 答える暇どころか、考える隙も与えないびぃねにそぷらは慌てて手を差し出した。出た手はパーとグー。前者がそぷらで後者がびぃねである。

「む、わたちの負け! ということは、百数える間に隠れるがいいのだ! 一、二、三」

 絶対に一秒間隔ではないカウントが始動し、そぷらは弾かれたように動き出し、隠れ場所を探した。

「も、もう! 早すぎだよ~!」

 このびぃねという少女は、いつもこのように唐突かつ理不尽な早さで物事を進めていく。ただ、今のそぷらにはそれが心地いい。いつもの日常に戻れたことを実感でき、そして無駄なことを考える暇を与えてくれないからだ。

 しかし、かくれんぼという遊びとはいえ、勝負は勝負。絶対に見つかるものかと、そぷらの中にある負けず嫌いの血が燃え上がる。安全な隠れ場所以外の思考など、即座にキルコマンドだ。

「絶対、ぜーったいに見つからないんだから!」

 少女とチビッ子の戦いの火蓋が、ここに斬って落とされた。

 

「う~ん、ここでいいかな?」

 とりあえず階下に降りた彼女。階段下の物置を開き、中を覗き込む。そこにおあつらえ向きとばかりに、すっぽりと収まりそうな隙間が見えた。上手く覆いになりそうな布まである。

「ちょっと、怖いけど……ええい!」

 急いで入って、でも怖いから少しだけ明かりを入れる隙間を空けて、隙間に体を押し入れ、布を頭からほっ被る。完璧だ。と思うのは彼女だけ。布を掴む手ももろ見えで、足もちょっと出ている。どこからどうみても、完璧に妖しさ万歳の隠れ方だった。

 それでも、当の本人は上手く隠れきったものと自信タップリ。ふふふ、探せるものなら探してみろ、とちょっと油断をして壁にもたれ掛かり、そこが動くことも知らずに体重を預けきってしまった。

「ええっ?」

 叫んだときには時既に遅し。彼女の体は、忍者扉宜しく回転した壁の奥に吸い込まれていた。

「なんでー!? なんでこうなるのー!?」

 それから彼女は、しばらく落下を続けた。キャーキャーと悲鳴を上げて、辺りを掴もうとするが全く掴めない。ややあって、背中の抵抗がなくなり宙に投げ出されたことを悟った。

「やー! いやー! 落ちるー! …………ってあれ? 落ち、ない?」

 瞑っていた目を開く。風景はそうする前と変わらず真っ暗。部屋に全く明かりがないことが知れた。もちろん問題はそこではない。

「わ、私、浮いてない? もしかして」

 結構な勢いがついて目的地と思しき場所に放り出されたはずだが、彼女の体は地面に叩きつけられることはなかった。それどころか手足をばたつかせても、地面にかすりもしない。状況が全く確認できないが、空中に浮いたままのようだと彼女は考えることにした。

「えーと。これは、一体どうしたらいいの?」

 急に落ちて体を痛める恐怖はなくなったが、周りが見えないことと自ら動けないという別の恐怖が彼女を襲う。思っていることを口に出すのも、少しでも冷静さを取り戻そうという表れだ。

 その努力が報われたのかは知らないが、答えは向こうからやってきた。

「あ、降りてる? かな?」

 ホンの微かに顔を撫でていく空気の流れが、次第に降下していることを彼女に教えた。それから、彼女にはもっと長く感じたが、時間にして十秒ほどで地面に降り立つことができた。

 溜息をつき、胸を撫で下ろす。ではもう一つの問題。

「暗いよう、電気どこぉ? ぱ、ぱどぅーり、さどぅーり?」

 今の彼女と同じように、突然暗所に身を置かれたとある漫画の方言なぞ真似してみるが、全く持って面白くなかった。寧ろ空しくなって寂しさが増した感じすらする。

 とりあえずは床を探り、這いずって前に進む。これで、少なくともいずれは壁に到達するはず――――。

 そぷらの暗闇探索が始まった。

 

「……あ、なんか光ってる。携帯かな?」

 どれだけ進んでからか、そうっと顔を上げると、先程まで気づかなかった小さな光に気付いた。赤色から少しずつ色を変え、橙、黄、緑、青、藍そして紫。今度は逆に変化を始める光。落ち着いた気分だったら、その綺麗さに見とれたに違いない。

 しかし今は状況が状況。他に頼るものもないので、彼女はとりあえずその明かりに近づくのが精一杯だった。

「あれ? これ、LEDとかじゃない……」

 目と鼻の先まで近づいて気付いたが、それは携帯の明かりなどではなかった。宝石、というのが一番近い。正面からは八角形が浮き上がって見える多角形カットのそれだ。

「だけど、自分で光る宝石ってあったかな?」

 そぷらは軽い気持ちで、その石に手を伸ばす。ちょん、と指先が軽く触れたところで、それが光を増した時には、彼女は心臓が飛び出した思いになった。

「え? なになに? 今度はなにー!?」

 すぐに手を離すが、宝石は今度は光を失っていく。いや違った。光り続けてはいるが、それを固定している何かに引っ込んでいったのだ。

「ちょ、ちょっと待って! 暗くなる! また暗くなっちゃうから!」

 哀切な訴えも空しく、すぐにまた一寸先も見えない暗闇に逆戻り。

 

「あうぅ。私、なんか悪いことしたぁ?」

 いい加減泣きの入った声が、悲惨さを物語る。

 

 だが次の瞬間、その言葉に対する返事が――――それらしくない形で返された。

「情報収受完了。解析開始。終了。登録開始。終了」

「え? だ、誰?」

 目の前から聞こえたのだから、そこに誰かいるのかと手を伸ばすが、手に感じたのは柔らかな毛並みの感触だけであった。

「は、はい?」

人と機械の渡し守 ( リンカー ) 、タイプ0xFFFF起動します。初回起動です。登録を完了させるため、管理者の名前を入力して下さい」

 暗闇の中、そぷらが口を開けたままぽかんとなる。今この声はなんといったのだろう。聞き間違いでなければ、リンカー、と。そう言ってはいなかったか。

 

 ――――リンカー? 私が触れたリンカーが、壊れてない?

 

 状況が全く理解できない彼女は、戸惑いの声しか上げられなかった。

「えっ、ええ?」

「管理者の名前を登録してください」

 どうやら聞き直したと思われたらしく、再び同じ問いが投げかけられた。しかし、視認不可のため確認ができないが、相手がリンカーにしろ何にしろ、ここで勝手に名前の登録などしてはいけないだろう。では、どうすべきか。

 彼女はまた考え込もうとするが、それより先に第三者の介入で闇が取り払われた。

「そこにいるのは誰。私の部屋に勝手に入るなんて、その度胸だけは賞賛物よ」

「はうっ!?」

 いきなり眩しくなったので、目が慣れるまで時間が掛かる。急いで振り向いても誰なのか確認できなかった。だが、そぷらはこの声に聞き覚えがあった。

「あの、もしかしてレオナ、さん?」

「何? あなただったの、そぷら。でもどうしてこんなところにいるのかしら。それに電気も点けずに」

 言ってすぐ、レオナはそぷら以外の存在にも気付いた。

「……あら? 動かしちゃったの、それ?」

「はっ! あ、いや、これは、その……」

 ようやく全体像が明らかになった、先程の声の主――――黒い猫型のリンカー? と思しき物。もしかしなくても、勝手に起動させてしまったなんて言ったら、レオナもいい顔をしないに違いない。

 しかし、だからこそそぷらは、彼女に怒られることを覚悟して素直に謝った。ここでも兄の教え、相手に悪いことをしたならちゃんと謝ること、をちゃんと実行したのだ。

「レオナさん、ごめんなさい。わざとじゃないけど、勝手に触って動かしちゃったの。本当にごめんなさい!」

「そう。動かしたのは、あなたなのね?」

 確認するように尋ねられた。そぷらはただ、力なく頭を下げてはいと呟く。するとレオナは意外な言葉を口にした。

「ああ、いいのよ別に。それはあなたにあげるものだったから」

「え?」

 この時ようやくそぷらは気付いた。レオナの声には、彼女を責めるような調子がない。

「折角だからもうちょっといい時にあげたかったのだけれど。ほら、明日があなたの誕生日でしょう? まあ、完成はしているから、実際はいつでも良かったんだけれど」

「あ、あの、怒ってない?」

 今度はレオナの方がえ? とぽかんとした顔を見せた。それからふっと息を吐いた。

「馬鹿ね。そんなことぐらいじゃ怒らないわよ。ああ、その子を連れてこっちに来なさいな。名前、ちゃんと登録してね」

「う、うん!」

 本当に嬉しい時、人は嬉しさを表現できなくなるという。そぷらは、今正にその状態だった。自分が触っても壊れないリンカーが目の前にいて、それが自分専用だと告げられた。なのに、まるで狐に抓まれたが如く、現実味が感じられなかったのだ。

 でも、せめて名前を教えておこう。夢でも良いから、自分のリンカーと話したい。彼女はそう思い、自分の名を口にした。

「私はそぷら、摩文仁そぷらだよ」

「了解しました。管理者に摩文仁そぷらを指定します。構成チェック。終了。設定を保存します。完了。初めまして、アドミニストレーター」

 リンカーの呼びかけが堅すぎて、そぷらはぷっと吹き出した。

「そぷらでいいよ」

「了解しました、そぷら」

 おいでと両手を伸ばすと、猫型のリンカーはその腕に移動してきた。重さは殆どない。羽のようだと彼女は思った。

 そこで、顛末を見送っていたレオナが、もう一度そぷらに声を掛けてきた。

「終わったみたいね。こっちよ」

「はーい」

 歩み出したレオナに合わせて、そぷらが小走りで彼女に追いつく。そして、腕の中のリンカーに目を移し、もうちょっと重かったらもっと現実味を感じられたのにな、と考えた。――――ちょっとだけ体重を増した気がした。

 

「まずはこう言わなきゃいけないわね。おめでとう、そぷら」

 レオナの地下研究室、その中でも人がくつろぐことを目的とした部屋に案内され、そぷらはコーヒーを振舞われていた。

  刺刀 ( しとう ) レオナ博士 。魔法エネルギー開拓、及びリンカー開発の第一人者である彼女は、そぷらの隣人でもあった。成人女性としては背はそこそこの高さ。肩口まで出切り揃えられた髪と、細い眼鏡の奥に潜むやや鋭い目つきが、クールビューティーぽさを醸し出す。トレードマークは、いつも下ろしたての純白の白衣だ。

 彼女は、冷たそうな見た目とは裏腹に子供には優しく、そぷらは彼女に怒られたという記憶は全くない。今回も勝手に部屋に入ったというのに、彼女は怒るどころかこうやって賞賛の言葉をくれた。だからそぷらも笑顔でこう返した。

「はい! ありがとうございます!」

「あなた用のリンカーは、中々作りごたえがあったわ。でも、だからこそ言えるわ。今回のは、間違いなくこれまでで最高の子よ」

「あはは。なんか迷惑掛けちゃったみたいで」

「とんでもないわ。言ったでしょ、作りごたえがあったって。そういうのがあるほうが楽しいのよ、私は」

 余り他人には分からない程度の笑みを浮かべ、レオナは砂糖やクリームの瓶がある盆を引き寄せた。

「使う?」

「うん。流石にちょっと苦いから」

「もうちょっと大人になったら、美味しく感じるわ。どうぞ」

 砂糖はスプーン一杯。クリームはたっぷり。ようやく飲める味になったコーヒーを口に含んで、そぷらは一息ついた。ちなみにレオナはブラック。砂糖とクリームは、彼女以外が使うことを想定して用意されているのだ。丁度今のそぷらのように。

「あれ?」

 膝の上で丸くなる猫型リンカーを撫でていて疑問が沸いた。

「レオナさん」

「なに?」

「普通のリンカーって人型だよね? どうしてこの子は猫なの?」

 今度は誰でも分かる位、レオナが口の端を上げた。そして手で顔を覆うようにして眼鏡を上げ、彼女は言った。

「可愛いでしょ? その方が」

 物凄い理由でもあるのかと予想していたので、あんまりといえばあんまりな理由に、そぷらはずると椅子から滑りかけた。コーヒーを置いておいて良かったと心中で呟く。

「あの、理由はそれだけ?」

「後は、そうね。あなただけ遅くなったから、特別にね。他の人には内緒よ?」

「……あは、あはは」

 自分もレオナも話さなくても、これだけ形が違えば明らかに気付かれるんじゃないの、と思ったが、そぷらは乾いた笑いをあげて何も言わないことにした。それより、今の話の間にもう一つ疑問ができていた。

「あの、じゃあこの子の名前って、何ですか?」

 先程タイプ0xFFFFとか言っていたが、流石にそれは名前じゃないだろうと脳内で却下していた。

「その子の名前ね、まだ無いわよ」

「え?」

「強いて言うなら無題ってところかしら。だから、ね?」

 促すような彼女の目つきでそぷらは気付いた。このリンカーに名前を付けるのは、自分の役目なのだと。

「私が付けて、いいんですか?」

「勿論よ。あなたの相棒なんだから。焦らないでいいから、可愛い名前にしてあげてね」

 言ってコーヒーを飲み干し、レオナは立ち上がりコーヒーサーバーに向かった。しかし、残ってはいなかったらしく、彼女は慣れた手つきで新しく淹れる準備を始めた。

 そして時間を与えられたそぷらは、手元の猫型リンカーに付ける名前を考え始めることにした。

 

 ――――名前。名前かあ。どうしようかな。ちゃんとしたのを付けないと可哀想だもんね。うーん。

 

 急に言われて、ぽんと出てくるものではないが、折角待ち望んだ時が訪れているのだ。自分から台無しにはしたくない。

 

 ――――相棒って言ったよね? じゃあ、バディとかパートナーとか。……どう考えても可愛くないよね。ダメダメ。

 

 せめて何かヒントになるものは無いか。リンカーに向けていた視線を部屋の中に巡らせる。清潔な感じのする白塗りの壁に囲まれ、きちんと整理整頓が行き届いた部屋だ。あるのはレオナが操作しているコーヒーサーバーの他に、時系列で並べられたバインダー、大量の専門図書、世界の主要都市の時間を示す幾つかの時計、常時動き続けるコンピュータサーバーに、複数台並べられた有機ELディスプレイなど。

 

 ――――ん? コンピュータ?

 

「何か思いついたって顔ね」

 いつのまにかコーヒーを淹れ直して戻ってきたレオナが、そぷらを見て微笑を浮かべていた。

「いいわよ、言ってみなさい」

「あの、スタブなんてどうかなって」

仲介プログラム ( スタブ ) ? それとも、切り株のほうかしら」

 流石に専門としているだけあって、即座に返された。

「うん、コンピュータの方の意味。この子を通して機械とかを動かすから、あってるかなって思って」

「そうね。仲介するプログラムだものね」

「そう! それに、この名前だったらレオナさんに近い感じがするから」

 だから誰から貰ったものか、いつでも思い出せる。そぷらがそう言うのを聞いて、レオナはにっこりと微笑んで彼女の頭を撫でた。

「あなたって本当にいい子ね。でもいいの? 私みたいな変人を常に思い出しちゃうなんて?」

「そんなことないよ! レオナさんもとっても優しくていい人なんだから!」

 そう? と照れくさそうに苦笑すると、レオナはそぷらの頭から手を離した。

「じゃあ、その子に言ってあげて」

「はい。ねえ、君」

 猫型リンカーが目を開け、そぷらを見た。

「今日から君の名前は、スタブだよ。よろしくね、スタブ」

「本体名を無題からスタブに更新します。終了。よろしくお願いします、そぷら」

 

 と。ここで部屋の外が騒々しくなった。何事かと扉に目を向けると、そこがすっぱーんと勢いよく開け放たれ、びぃねが駆け込んできた。

「よっしゃー! そぷらみーっけなのだー!」

「……あ」

 すっかり忘れていたが、そういえば彼女とはかくれんぼ勝負の真っ最中だった。しかし案の定彼女は落ち込む暇も与えない素早さで、

「今度はそぷらが百数えろなのだー!」

 そう言って、またもや部屋を飛び出していった。今日は、貴美姫を嵐のようだと評したが、びぃねちゃんには格段に負けるね、とそぷらは心中で呟いた。

「かくれんぼ?」

「はい」

「そ。じゃあ余り遅くならないように、気をつけて遊びなさいな」

「はい。レオナさん、この子――――スタブ、ありがとうございました」

「ええ。大事にしてね」

 言われるまでも無い。勢いよくそぷらは返事をして、レオナの研究室を後にした。

 

「さてと。早く数え始めないと、びぃねちゃんが飛び出してきちゃうかも」

 そぷらは肩に貰い受けたばかりの猫型リンカー、スタブを乗せて、階段を上がり始めた。今日はとんでもない不運もあったが、同時に相棒に会う幸運も訪れた。禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものだ。

 明日からは世界が変わる。そんな思いを胸に、彼女は新しい相棒の頭を撫でた。つやつやの毛並みは、とても良い手触りだったことを最後に報告しておく。

 

(魔法少女レベル:1)

 

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