彼女と初めて会ったのは中学三年の四月。ゆっくりと散っていくサクラの花びらが印象的で美しいけれど何故か悲しいある日。オープンスクールである高校を訪れた僕は迷っていた。
その当時、僕は進路の事で思い悩んでいた。趣味で始めたチェロ。それをさらに磨くために音楽学校に入るか。それとも進学校に入るか。どちらも魅力的でどちらも僕にとっては等価値だった。言うなればどちらも良かったのだ。その当時は。
どちらに進むか決心がつかなかったので二年の頃から何度も開かれていたオープンスクールに顔を出し、いつの間にか先生方にも顔を覚えられていた。ただどちらにもこれといった惹かれるものが無く、宙ぶらりんなままだった。
そんな時だ。彼女と出会ったのは。
舞い散る桜の中、目に涙をため、風に髪を靡かせながら桜の花びらの一つ一つを記憶するかのように佇んでいた彼女。幻想的で美しく、そして儚い。もの悲しいまでの思いを伝えるそれは僕の心に恐ろしいまでの衝撃を与えた。
そして僕は決めた。音楽学校でもなく進学校でもない。気分転換に行ってみたそこに。学区内随一とまで言われる名門校に。
もしかしたら初恋だったのかもしれない。一目惚れだったのかもしれない。だけれどそのときはそんな事考える暇のなく勉強した。両親が驚くほどに。
そして翌年の三月。合格発表の日。
遊ぶ暇さえも惜しんで勉強し、両親に心配までされた僕は合格していた。初めてそれを見たときは訳が分からなくて混乱して何度も見なおした。合格したって分かった瞬間、涙が溢れてきた。無駄じゃなかった。それだけが心の中にあった。
そして四月。
勉強したお陰か何故か入試一位で合格していた僕の短いスピーチの後、壇上に上がった人物に僕は絶句していた。去年の今頃。桜の舞い散る場所で出会ったあの人だったから。あのときのような儚さは無いけれど、記憶の奥にしっかりと焼きついている姿とあまり代わりが無かった。また会えた事が嬉しくて涙が出そうになったが何とか堪えた。
彼女が生徒会長だってことを知ったのはその時だった。


桜舞い散るあの頃に・・・・・


かたかたかたとキーボードを叩く音が響く部屋に二人の人物がいた。一人は優しそうな顔に隠しきれない笑みを浮かべながらキーボードを叩く「一年生代表碇シンジ」と打たれたカードを胸元に下げている男子生徒。もう一人は腰まで伸ばした美しい艶のある髪をいじりながら片手でキーボードを叩く「生徒会長雪原アヤ」と打たれたカードを胸元に下げている女子生徒。
「それにしても先輩。なんでこんなに量が多いんですか?」
「風紀委員がサボった分・文化委員がサボった分・図書委員がサボった分も引き受けたからな」
シンジというらしい男子生徒の言葉にアヤというらしい女子生徒が答えた。言葉の内容からするとアヤのほうが年上らしい。
「先輩・・・・・安請合いしすぎなんですよ。昨日も結局八時まで残ったじゃないですか」
「そうでもしなければ間に合わんさ。そういうシンジはわざわざ付き合ってくれてるが」
「・・・・・先輩一人にしとくと徹夜でもしそうで気が気じゃないんですよ」
シンジは思う。ここではっきりと「貴方のことが好きですから」と言えたらどんなに良いだろうと。だが、言える事は無いだろう。なんせ彼女は好きな人がいるのだから。言って関係を壊してしまうよりこのまま友達として終わったほうが良い。このままならどちらとも思い出のままで終われる。
「(それでいいのか分からないけれどね)」
とシンジは心の中で言った。中学の頃、彼女に一目惚れし、死ぬ気でここに入ったときの自分は何処にいったのか思わず聞いてみたくなる。
そんなシンジの心境を知ってか知らずかアヤは一人で仕事をさっさとこなしていく。そのスピードはシンジの作業速度よりも明らかに早い。それにちょっとした劣等感を感じながらシンジはキーボードを叩く。
かたかたかたかた
     かたかたかたかた
二つの音が混じりあい、音楽を作る。それを聴きながら最近自分がチェロを弾いていないことを思い出した。あれほど熱中していたはずなのに。自分は飽きっぽい性格だったのかと自虐的に考えてみる。
「ふぅ・・・・・」
見るとアヤが肩に手を廻し、コリを解しているところだった。どうやらもう終わったらしい。シンジが自分の分を見てみると自分のほうが早く始めたはずなのにまだすこし残っている。待たしてはなんだと思い、タイピングの速度を上げていく。
「そういえば昨日のお礼がまだだったな。今日の分と一緒に何かおごるが何が良い?」
「そうですね・・・・・じゃあ、バレンタインデーに義理チョコでも貰えます?」
アヤの問いにシンジは冗談めかして答える。半分は本気で半分は冗談だ。チョコはもらえるのなら天に昇るほど嬉しいが義理チョコは嫌だ。
「ふざけるな」
「いたっ・・・・・」
アヤにコンと頭を叩かれ、タイピングの速度が少し落ちるシンジ。その目にはすこし涙があるが別段嫌そうではない。
「ふざけてませんよぉ・・・・・。クールビューティー。冷静の魔女に義理チョコでも貰えるなら銅像建ちますよ。どど~んと」
クールビューティー。そして冷静の魔女。それはアヤの異名だった。そのルックスと性格
、そして全国模試一桁常連の実力から入学当時から人気が高かったアヤを狙って何人もの男が挑戦したがそのことごとくが失敗している。なかには今では全国区で活躍しているサッカー選手やプロになっているモデルも居たそうだが「興味ないから」の一言で撃沈している。その噂と常に冷静な事からこの二つ名がついた。
「ふふっ・・・・そんなものでよければ何時でもやるぞ?」
「その言葉忘れないでくださいね?」
アヤの言葉にシンジが冗談めかして言う。シンジは別段普通そうだがその胸はかなり高鳴っていた。それを気づかせまいとシンジは後すこしとなった原稿をさらに打ち込んでいく。
かたかたかたかた・・・・・
「冗談はともかく何時もの餡蜜堂でいいか?」
「ええ。あそこの冷やし白玉って最高なんですよね」
シンジの声にアヤが頷く。
「夏はいいが冬は何時も困るな。食べた後、体が冷えて叶わん」
「僕が暖めてあげましょうか?」
「ふふっ・・・・・凍傷を起こしていいならな」
「氷漬けにされて一生愛でられるのもなんですから遠慮しときます・・・・っとできた」
シンジが最後の文字を入力し終わりノートパソコンの電源を落とす。
「なんだ?私では不服なのか?」
アヤが悪戯っぽい笑みを浮かべてシンジに言う。首を傾げながら下から覗き上げられるアングルにシンジは何時も以上に胸が高鳴るの抑えられなかった。
「いえいえ。滅相も無い。ただ姫に氷漬けにした男を愛でるなどと不毛な事をさせるのもなんですから」
「(逃げなきゃ駄目だ。逃げなきゃ駄目だ。逃げなきゃ駄目だ。逃げなきゃ駄目だ。逃げなきゃ駄目だ!碇シンジ!ここで逃げないと今まで築き上げてきた信頼が全て水の泡だ!今まで抑えてきた苦労もすべて水の泡になるんだぞ!それでもいいのか?!)」
表情はいつもどおりのものにしておきながら心の中では思いっきり今ここで抱きしめようとする本能を抑えるのに必死なシンジ。その様子を知ってか知らずかアヤはさらに魅力的に微笑んだ。
「ふふふ・・・・・それでは騎士殿。餡蜜堂までの護衛を頼めるかな?」
「ええ。姫様の護衛となればこの碇シンジ。胸の青薔薇にかけて見事遂行して見せましょう」
恭しく頭を下げ、アヤの後について出て行くシンジ。その手が扉近くのスイッチに触れた瞬間、生徒会室に闇が落ちる。
そのまま出て行った二人は気付かなかった。シンジが触っていたパソコンが誰も触っていないのに突然起動し、「EVANGERION」と言う文字を画面に出した後、何の予備動作の無しに消え去った事を。

二人は夜勤で残っていた先生に鍵を返すとそのまま校門を出た。今の季節は十一月。いろいろと肌寒く感じる季節である。アヤと色々と話しながらシンジは今にも雪の降りそうな夜空を見上げながら歩いていた。その所為だろう。いきなり十字路の角から現れたその人物を避ける事もできずぶつかってしまった。
「いつつ・・・・・何処見て歩いてるんじゃ!」
「いてて・・・・・ごめんなさ・・・・・って」
シンジは謝ろうとして時、懐かしい似非関西弁を耳に入ったのを見て硬直する。
「トウジ!」
「シンジやないか!」
幸か不幸かシンジがぶつかったのは中学時代の悪友、鈴原トウジだった。似非関西弁を操り、何時も黒ジャージを手放さず、委員長こと洞木ヒカリに何時もどやされていた鈴原トウジ。自分ひとり違う学校を受けるといったときに反対もせず、「そうか・・・・・さびしゅうなるな」とだけ言ってくれた鈴原トウジ。始めてあったときにちょっとした勘違いから大喧嘩にまで発達し、その後お互い気心の知れた仲になれた鈴原トウジ。
「お前の学校こっちの方向なんか?」
「うん。すぐそこなんだよ」
シンジが指にさす方向に顔を向けたトウジが硬直する。何と言うかそれは正に「美しい」その言葉が似合う人だった。風になびく艶のある髪に黒曜石を削り出して作ったかのような瞳。
「(き、綺麗な人やな~)」
とトウジが柄にも無く思ってしまったほどの美貌を持つアヤは自分の心の中にすこし感じた鈍い痛みに戸惑っていた。なんなのだろう?この痛みは。自問してみるが答えは一向に出ない。
「シンジ?時間がかかるなら今日はやめておこうか?」
「あ!すみません。また後日と言うことでお願いできますか?」
アヤの声にシンジがすまなさそうに謝る。
「いや、いいよ。お礼なんて何時でもできる。じゃあまた明日学校でな」
「ええ。また明日」
アヤがシンジに手を振り、シンジもアヤに手を振り返し、振り返ったときにはトウジはすでにシンジの肩を痛いほどに掴んでいた。
「と、トウジ?」
「シンジ・・・・・。ワイら親友やんな?」
「え?あ、うん。そうだけど」
何時もと違うトウジの様子に戸惑ったシンジはトウジの問いの意味が分からず頭の上に「?」マークを三個ほど作った。
「なら、あの人の事教えてくれるやんなぁ?」
続くトウジの言葉にシンジは全て悟った。また一人彼女の犠牲者が出たかと心の中で嘆いて見せるが自分もその犠牲者の一人である事に気付くと引きつった笑みを浮かべた。
「と、トウジ?先輩は止めたほうがいいと思うよ?」
シンジが穏やか目に止めろといって見せるが。
「先輩かぁ~。つうことは年上。くぅ~萌える!萌えるで~~!」
まったく聞いていない。自分の都合のいいところだけ抜き取って聞く事ができる特殊な耳を持っているらしいトウジはシンジの言葉に構わず萌えている。その様子にシンジは思わず頭を抑えた。基本的に気の良い人物なのだがこういうところだけは困る。
「無理だよ。先輩、好きな人いるから」
ぴしっ!と擬音を立てた後、ぎぎぎとさびた鉄が擦れあうような音と共に振り返ったトウジは言った。
「嘘やんな?」
トウジのすがるような問いにシンジは無情にも首を横に振った。
「嘘や~!シンジは嘘ついてるんや!!」
「トウジ!落ち着け!落ち着けってば!!」
シンジが涙を流してこの場から走って逃げ出そうとするトウジを何とか押さえ込む。
「いいか。『真実は時として残酷な物だ』って」
「ちなみに誰が言ってたんや?」
シンジの言葉にいくらか冷静さを取り戻したのかトウジが言う。シンジはその言葉に目を背けるように横を向き、少々詰まりながら答えた。
「・・・・・加持さん」
「嘘や~!加持さんはそんなシリアスなキャラちゃう!」
「認めろ!事実だ!真実だ!」
シンジはまたもや走って逃げようとするトウジを取り押さえ、叫ぶ。
「そうやな。ワイは認めるわ。でも諦めたわけ違うで!ワイは絶対にあの人に惚れられて見せる!!」
「無理だよ・・・・・」
「え?」
シンジに叫ばれなんとか何時もの調子に戻ったトウジが声高らかに宣言するがシンジの先ほどまでとは違う暗い声音に驚く。トウジが驚いてシンジの方を見ようと目を向けるとそこにはすこし顔を伏せたシンジの顔があった。
「まさか・・・・・まさかあの人の好きな人ってシンジなんちゃうやろうな?」
「そうだったらこんな辛い思いせずに済んだんだけれどね」
シンジは自虐的に微笑みながら言った。その言葉に親友と恋敵にならなくて済んだ事を嬉しく思いながらトウジはシンジに聞いてみた。
「じゃあ。誰なんや?」
「名前は知らない。けれど・・・・・」
顔を伏せたままシンジは小さく語りだした。
「先輩の幼馴染で先輩と同じ位頭が良くてスポーツもできてルックスも良い人。生きてたら素直に身を引いて違う人を見れたかもしれないけど・・・・・でも・・・・・死んだんだよ。その人。去年に」
「・・・・・そうか」
シンジの言う事は良く分かる。たとえ、生きた人間がその好きな人以上にその人の好みにあったとしても生きている人間が死んだ人間に勝つ事はほぼ有り得ないし、その人が自覚もなしに美化していく思い出には生きた人間は絶対に適わない。だからそんな人をできるだけ好きになるな。好きになれば終りだ。結婚と言う名の鎖に繋がれ、毎日、自分と同じ名の家事に追われている男の言葉である。
「お前も大変なんやな」
「うん・・・・・」
トウジの優しい言葉にシンジは頷く。思わず涙が出そうになるが何とか堪える。別にトウジに見せるのが恥ずかしい訳ではないが、なんとなく堪えた。そう、なんとなくなんだ。シンジは自分に言い訳し、すこし濡れている目じりを目で拭った時、トウジが持っている大きな鞄に気がついた。
「あれ?トウジ。それなんなの?」
「え?あぁ。これか?これはな。ギターや」
「ギター?!」
トウジの口からおおよそトウジには使いこなせないであろう物の単語が出てきたことに驚きながらシンジは聞き返した。
「なんや?ギターもしらんのか。ワイは友達として恥ずかしいぞシンジ」
「いや、何も聞き返したのはギターの意味を知らなかったからじゃなくて」
トウジのおおよそ聞き逃せないボケにシンジは思わず突っ込んだ。
「冗談や」
なら真顔でボケないでよ。とシンジは一瞬口をついて出ようとした言葉を何とか抑えながらシンジは問いを発した。
「バンドでもやってるの?」
「おう!軽音楽部の期待の新人やぞ?」
「み、見えない・・・・・」
髪を金髪に染め、頭をがんがん振り上下に振りながらギターを弾き、マイクで拡張されたトウジの声にきゃあ!とか叫ぶ女の子にウィンクしながら、洋楽を歌うトウジの姿を想像したシンジは呆然と呟いた。
「何勘違いしてるんかしらんけれどそんなに見えんか?」
「だってトウジって軟派なの嫌いだったでしょ?」
「あぁ・・・・・そやったな。でも軽音楽部のみんな見てたらそんな事言えんで。軟派なんかちゃう。みんな真剣にやっとる眼や」
トウジは握りこぶしを作りながら豪語する。その様子にもしかしてトウジって軟派っていう言葉の意味を勘違いしてたのかな?とシンジは思うが今更水をさすのもなんなので黙っていた。
「すごいんだね」
「そやで。ケンスケもこの前、写真のコンクールで金賞取ったみたいやしな」
「あ!それ僕も聞いたよ。二時間くらい。ケンスケって写真巧かったんだね」
「そやな。ワイもあいつの写真って盗撮したもんしか見てへんかったから巧いか下手なんか分からんかったけどな」
「トウジなら盗撮じゃなくてもわからないような気がするけどね」
「言ってくれるな。シンジ」
「そう?」
「ああ。そや。昔のお前やったらそこで『そう?』やのうて『ごめん』って言ってたはずやぞ?それになんか喋り方も変わったような気がするし」
「加持さんのお陰・・・・・いや、所為かな?先輩ってあんまり喋るほうじゃないから会話をしようと思ったら僕が盛り上げるしかないんだよ」
実際その事ができなくて当時はかなり苦労した。何を喋ろうにも当たり障りの無い事しかできずにすぐに会話は止まるしうえに好きな人と一緒にいて嬉しいはずなのに胃潰瘍までできかけていた。そのことを相談された加持が女性と巧く会話する必勝法をシンジに叩き込んだのだ。
「愛・・・・・やな」
「うん。それなのに先輩は気付いてくれないんだよ」
はぁ・・・・・とシンジは溜息をついた。それでどうにかなるとは思っていなかったが、お陰で会話も盛り上がり、それなりに仲良くなれたときに好きな人がいるのを聞いたので傷も大きい。
「ま、お互い様やな」
「お互い様?どういうこと?」
「ホンマ鈍いやっちゃなぁ。お前結構人気あったの知らんかったんか?」
「はぁ?なんで?」
「そんなんワイが聞きたいっちゅうねん」
トウジはやれやれとばかりに顔を振ると立ち止まった。十字路になっているこの場所は何時も中学時代トウジ、ケンスケ、そしてシンジの三人が別れの挨拶を交わした場所。
「ここまでやな」
「うん。そうだね。また」
「なぁ、シンジ」
「ん?」
「がんばれや」
次いつ会えるかどうかは分からない。もしかしたらこのまま二度と会えないかもしれない。だからこそトウジは言った。中学時代の悪友に、自分の勘違いから親友になれた少年に。
だからこそシンジは返した。心いっぱいの感謝の気持ちを込めて。
「・・・・・ありがとう」
その言葉を友に。

シンジが住んでいるのはマンションだった。コンフォート17。ちょっと上流階級の人たちが住むそれなりに大きなそれは意外と人気のあるらしい。
「ただいま」
誰もいないのは分かっている。だが、シンジはそれを日課にしていた。両親がもうこの世を離れてから三ヶ月が経つがこれだけは欠かした事が無かった。
ありふれた自動車事故。言ってみればそれだけだが家族を奪われたシンジはそんな物では済ませなかった。相手が国会議員の息子というだけで課せられた軽罰。そんな物を許せるほどシンジはお人よしではなかった。
国会議員の息子の家を探し出し、家を出てくる頃を狙って鳩尾に渾身の一発。蹲り、動けなくなったそいつに二十分間の暴行を加えそして捕まった。捕まえた警察官がシンジの境遇に同情してくれ表沙汰にはならなかったが一応注意は受けた。
「ふぅ・・・・・」
制服から私服に着替えた後、途中のコンビニにより、買った野菜等を冷蔵庫に手際よく入れていく。このあたりは両親が死ぬ前からさせられていたのでとっくの昔に馴れてしまっていた。料理も選択も全て自分でできるようになっている。
「何時でもお嫁さんに来て状態かな?」
言ってみて自分のエプロン姿を想像してみた。・・・・・やばい。似合いすぎる。
シンジはかぶりを振ってそれ以上考えないようにしながら下からフライパンを出した。出ている材料からすると野菜炒めでも作るようだ。
ぴ~んぽ~ん・・・・・。
シンジが火をつけようとした瞬間、タイミングよくチャイムが鳴る。シンジは作業を一時中断しながら玄関へと向かった。
「シンジ君・・・・・悪い。かくまってくれ」
ドアの覗き穴の向こうにいたのはぼろぼろになった隣の夫婦の夫であり、シンジがある意味尊敬してやまぬ男性。加持リョウジだった。両親が死んでからは特にお世話になっている。
「待ってください。今開けますから」
シンジが言いながらドアの鍵とチェーンを外す。遮る物が何もなくなった扉をリョウジは強引にこじ開けた。
「た・・・・・助かった」
「で、今回は誰に手を出したんです?」
玄関先にぼろぼろになったリョウジが座り込む。その様子を見ながらシンジは溜息をついた。リョウジがこんなになる理由をシンジは一つしか知らない。それすなわち。
「今回は広告部の尼崎君。いやぁ、ウブで可愛かったよ」
リョウジには浮気癖があった。それも尋常じゃないくらいの。しかし、決してそれは「浮気」であり「本気」ではないことをリョウジの妻である葛城ミサトもそして誘いをかけられる女性たちも知っていた。お酒を飲ますことくらいはするが酔いつぶれてもきちんと家まで連れて行ってくれる。下心はないし、人の話を聞くのも巧いし、また助言するのも巧い。こうまでそろえば一人や二人くらい本気で色仕掛けを書けることくらいはするがそれに転んだ事は無い。リョウジ曰く。
「あいつの嫉妬してるときの顔が一番好きなんだよ」
らしい。つまりはあくまで本命はミサト一本なのだ。
「しかし、今度の怒りようは尋常じゃなさそうですね」
「まぁ、な。広告部といえばミサトの直属の部下になるし・・・・・う~んちょっとやばいんかな?これは」
「で、きっちりと荷物まで持ってきてるわけですね」
「そういうこと」
シンジの言葉にリョウジは男臭い笑みを浮かべた。どうやら何から何まで計算づくらしい。
「すくなくとも三日は世話になりそうだからな。ま!よろしく頼むわ」
こうしてリョウジがシンジ宅に転がり込んできたのは一回や二回ではない。すくなくとも五回は超えているはずだ。恐らく追い出すほうのミサトもこっちにいるのは分かっているのだろうとシンジは結論付けた。だからといって分かっていて追い出すのもどうかと思うが。
「はぁ・・・・・とりあえず荷物を置いてきてください。救急箱出しますから」
ところどころ引っかき傷があるリョウジの顔は独特の男臭さも手伝い、そのての筋の人に見える。ワルサーP38とか持たしたら似合うかもしれないと思い、シンジはすこし笑った。
「あぁ。頼むよ」
「そういえば、晩御飯食べました?」
「そんな余裕も無かったよ。帰ってきたら即攻で放り出されたしな」
「だったら何か作りますよ。ついでですし」
シンジは救急箱の中から出した消毒液でガーゼを濡らして傷口の周りを拭う。若い人がよくやる間違いなのだが傷口自体を消毒するのは違う。正確にはこうやって周りを消毒するのが正しい方法だ。とかまったく意味の無い事を思いながらシンジは手際よく消毒する。この行為にも慣れてしまった自分がいるのにシンジは今更ながらに気がついた。
「お!シンジ君の手料理か。こりゃ、楽しみだ」
「ミサトさんと比べないでくださいよ」
「そりゃ、あいつの料理は食えたものじゃないからな」
リョウジはシンジの皮肉っぽい答えに笑った。
「その人と結婚しようと考える加持さんを純粋に尊敬しますよ」
「あいつの料理が食べられないのなら自分で作れば良いだけの話しだろ?」
「女は家庭に、男は会社に。なんていうつもりありませんけどNerv日本統率支部、営業部統率部長がそんな事できるとは普通考えませんよ」
「相手は同じ職場の広告部統率部長だしな。忙しいのは変わらんよ」
リョウジとミサトは職場恋愛。そして職場結婚だった。大学時代から面識があったらしい二人は職場で再会し、忙しい合間を縫い、すこしづつ会いその恋心を育てていった。そして一年前に結婚。未だに熱い二人なのだ。色々な意味でだが。
「ミサトさんはずぼら過ぎる気がしますけど」
「否定はしない。・・・・・肯定はできないがな」
「それって暗に否定してると思いますけど」
「そうか?」
シンジの言葉にリョウジは首を捻った。その様子が可笑しくてシンジはすこし笑った。
「そうですよ。ほら上がってください。風邪引きますよ?」
「ありがとうシンジ君。でもまるで世話女房みたいなセリフだな」
「い、言わないでくださいよ。自覚してるんですから」
シンジの言葉に今度はリョウジが笑う番だった。男臭い笑みを浮かべながらシンジに言う。
「ははは・・・・・じゃあ、ミサトに捨てられたらシンジ君に世話してもらおうかな?」
「加持さんなら何時でもOKの三連呼ですよ?」
リョウジの言葉にシンジは冗談めかしてある中学時代のクラスメイトの口癖を言った。どこか背伸びしている感じのするその少女はシンジと直接的な交流こそ無かったが、よく人の頼みごとを引き受け、クラスの女子からの人気も高いようだった。
「アスカの口癖なら止めてくれよ。あの子の所為でミサトの機嫌がどれだけ悪くなったか」
シンジの冗談に顔を顰めたリョウジが言った。リョウジに異常に懐いていたその子の所為でリョウジとミサトが一度破局寸前まで陥った事がある。それ以来、リョウジはアスカと言う名のその少女が苦手らしい。
「自業自得な感がありますけどね」
「おいおい、シンジ君。俺はただ相談に乗っただけで一方的に懐いてたのはあっちだぞ」
「加持さんはその手で何人の女性を口説いたんですか?」
「・・・・・気にしないでくれ」
シンジの問いにリョウジは面白くなさそうにそっぽを向いた。その様子が何時もの兄貴然とした様子にいつもと違うものを感じ、シンジは笑った。
すこしばかり心寂しいと感じてきていた生活もすこしは楽しくなりそうだった。リョウジがいるだけでシンジは心の中に何か温かいものがうまれたのを感じる。
「野菜炒めでいいですよね?」
「なんでもいいから早く作ってくれ・・・・・。腹減った」
リョウジの一昔前に流行った『たれパンダ』のような格好にシンジはまた笑った。


次の日。シンジが放課後生徒会室の扉を開くとそこには誰もいなかった。何時もアヤが座って書類に目を通している机には誰もいない。誰よりも先に生徒会室に来ているアヤには珍しい事だった。
シンジは昨日遣り残した仕事を片付けようとパソコンの電源を入れる。昨日のノルマは終わったがまったく仕事は残っていた。
「あれ?早いね。シンちゃん」
見ると生徒会室前の扉の辺りに少女が立っていた。色素の抜けた白い肌に蒼銀の髪そして血のように赤い瞳。絵か何かから抜け出してきたような雰囲気を持つ神秘的な雰囲気を持つ彼女は笑いながら生徒会室に入ってきた。名を綾波レイと言う。
「レイ?身体は大丈夫なの?」
「うん。平気。風邪はみんな治っちゃったよ」
三日ほど前から風邪で寝込んでいたらしいレイはシンジに言った。自分専用の机に荷物を置き、シンジと同じようにパソコンの電源を入れる。
「昨日はアヤ先輩と一緒だったんだよね?何かやましい事でもあった?」
「あ!あるわけ無いだろ!そんなの!!」
シンジが真っ赤になるのを見てレイは笑う。レイはシンジがアヤに尊敬とはまた違った好意を持っているのに感づいている人の一人だった。
「シンちゃんは昔から奥手だもんね」
「ほっといてよ」
レイとシンジは幼少時代から面識があった。シンジの記憶の中に小さい頃、田舎のシンジの祖父の家でよく一緒に遊んだ記憶はあるのだがそのときはこんな普通の少女ではなく、寡黙で人を寄せ付けないような雰囲気を持つ子供だった。途中、シンジと打ち明けていって慣れていったことまでは覚えているのだが・・・・・。
「(記憶が無いんだよね)」
そのあたりの記憶だけがばっさりと抜け落ちているのだ。レイといった山の匂いや草原の風の感じや川の冷たさなどは覚えているのだが何処をどうやって遊んだのかまったく記憶が無い。両親に聞いた事もあったのだが巧くはぐらかされてしまっていた。
「そういえばさ。アヤ先輩今日休みなんだって」
「え?そうなんだ・・・・・」
「やっぱり残念?」
レイの冷やかすような視線にシンジは苦笑した。どうにもこの少女にはかなわないような気がする。
しかし、苦笑するシンジの頭はちょっとした復讐を思いついた。
「レイがいるからね。あんまりそんな事は無いよ」
シンジはレイに微笑みながら言う。その言葉にレイは真っ赤になってうつむいた。
「な・・・・・何を言うのよ」
自分のからかう人間なのにシンジのちょっとしたからかいに一々反応するレイが可愛くてシンジは笑った。その様子にからかわれたことに気付いたのだろう。レイは頬を膨らませながらパソコンにデータを打ち込んでいく。
「それにしても聖歌祭に向けて、なんで生徒会までこんなことしなきゃいけないのよ」
「仕方ないよ。みんなクラスとかクラブの掛け持ちで忙しいんだから」
聖歌祭。それはシンジたちが通う学園で言う学園祭のようなものだ。その名の通り12月24日に行われ、他の学校のものとは違い、かなり規模が大きく、そして一日で終わる。毎年、夏休み明けから準備を進められ、12月24日と言う日でも来客数は大きい。恐らく、クラスの出し物のほとんどがカップル向けに作られているのにも要因があるのだろうが。
文化祭ゆえに文科系に所属している生徒は運悪くすればクラブ、委員会、クラスと三つに挟まれることとなり、四苦八苦する姿が見られるのが11月あたりのこの学園の風物詩だった。
「でもさ。シンちゃんだって私だってクラブあるのよ?それを無視して押し付けるなんて・・・・・」
「でもレイは美術部で絵は描き挙げてるし、僕は確かに管弦楽部だけれど今回の聖歌祭には演奏しないし」
レイの言葉にシンジが穏やかに反論する。
「でも・・・・・やっぱり納得いかないわ!なんで私たちが校内に貼るポスターの下書きや先生に配るプリントのデータ入力までしなきゃいけないのよ。私たちは便利屋じゃないのよ」
「まぁ、それには同感だけど」
レイの怒鳴るように言う言葉にシンジは同調した。学園側もよせばいいのにこんなときに限って委員会の活動を活発化させたがる。恐らく、聖歌祭で良いイメージを植えつけたいが為に意識改革を進めているのだろう。
「でもやらないといつまでも終わらないよ?一度引き受けた以上きちんとしないと」
「そうだけど・・・・・納得いかないわ」
その後も「納得いかない」とばかり繰り返しているレイを見ながらシンジはタイピングの速度を上げていった。少しでも少なくしなければ後で泣きを見るだけだ。今日は宿題がいやになるほど出ているが故にできれば早く帰りたかった。
「悪い。遅れた」
「悪いね。二人とも」
「ごめんなさい。今からやるね」
扉から聞こえてきた声に顔を上げると眼鏡をかけた男と長髪の流しのギタリストのような雰囲気を持つ男、そして中学生くらいにしか見えない女が立っていた。二年代表の日向マコトと同じく二年代表の伊吹マヤと副生徒会長の青葉シゲルだった。
「お、レイちゃん復活?」
「ヴイ!」
シゲルの声にレイはピースを作る事で応え、二人とも笑う。ほほえましい光景である。一時期、この仲の良い二人が付き合ってると噂になったのが不思議じゃないほどに。しかし、シゲルは他に彼女がいるし、レイも他に好きな人がいるので「そんな事は絶対にありえない」と二人が口を揃えて言い、後に喧嘩になったのを何故か思い出してシンジは笑った。
「レイちゃんがいない間、寂しかったんだよ?みんなまじめだしさ。冗談言っても『そんな事言ってないでさっさと仕事を片付けれくれないか?』って雪原に言われて、肩身が狭かったんだから」
「よしよし。大丈夫。大丈夫」
泣きまねをしてみせるシゲルの頭をレイがポンポンと叩いた。こんなふざけたまねをよくするが副生徒会長に選ばれただけあって能力と人望は高い。
「こら、シゲル。遊んでないで早くするぞ?昨日、来れなかった分をさっさと片付けなきゃいけないんだからな」
「そうだよ。青葉君。早くしないとまた9時とかになっちゃうよ?」
マコトとマヤが荷物を置きながら言う。この二人、仲がいいのでよく恋人同士に間違えられるがそんな事は無い。しかし、マコトはマヤの事が好きでマヤはマコトの事が好きなので両思いなのだが、後一歩踏み出せないで留まっているままなのだ。
「これで雪原先輩以外、生徒会室の常連が集まったわけですね」
「そういうことになるな。他の連中はほとんどがクラスとかクラブで休みらしいし」
シンジの言葉に答えながらシゲルは自分の机に荷物を置いた。そして自分のノートパソコン横に置いてあるノルマを見て嫌そうな顔をする。
「うへぇ・・・・・こんなにあるの?」
「青葉先輩のは特別なんです。なんてったって『いつもきちんとしないからあいつの分は水増ししてやってもいいぞ』っていうありがたい雪原先輩のお言葉をいただいてますから」
「う・・・・雪原。そりゃないよ・・・・・」
シゲルは肩を落しながらキーボードを叩き始めた。生徒会内で一、二を争うほど早い指の動きがどんどん紙を消費していく。
「そういえば今日はあいつの命日か。こりゃ雪原は来ないな」
「どうしてです?」
シゲルの何気ない言葉にシンジは思わず、言ってしまっていた。これでは自分がアヤに気があるのがまる分かりではないかと後悔するがシゲルはたいしてからかう様子も無く、キーボードを叩きながら言った。
「雪原には昔、好きな奴がいてな。幼馴染だったんだが傍から見て恋人みたいに仲が良かったんだよ。俺はそいつの友達でな、すごい奴だった。全国模試じゃ一番、二番は当たり前。スポーツは万能。性格もルックスも完璧。はっきり言って嫉妬するのも馬鹿らしいほど完璧な奴だった」
「それで?」
「んで。そいつは去年の今日、車に轢かれそうになっていた子供を助けて、代わりに自分が撥ねられて死んじまった。すごかったぞ?葬式は学校でも泣く奴続出。っていうおれも泣いてたんだけどな。勉強面でもスポーツ面でもあいつを目標にしてた奴って結構いたからな。ライバルがいなくなったって喜んだ奴は一人もいなかった」
恥ずかしそうに頬を掻くシゲル。
「その葬式で一人出席しなかったのが雪原なんだ。代わりに家で何日も泣いたらしい。三日位した後にいきなり出てきたときびっくりしたぞ?げっそりやせ細ってたんだから」
「・・・・・」
「それからあいつはなんとか元にもどったみたいに見えたけどたまに泣くんだよ。サクラとかあいつが好きだったものとか見ると今でも」
「そう・・・・・ですか」
シンジはすこし顔を伏せながら言った。やはり敵わない。アヤが彼のことを語ってくれたときに見せたすごくうれしそうで、でもすごく辛そうな表情を見たときから感じていたが敵う訳が無かったのだとシンジは心の中で自嘲した。
「で、すこしは雪原攻略の参考になったかな?」
「な?!」
シンジが落ち込んでいるところにシゲルが投げ込んだ爆弾はシンジの頭の中を真っ白にさせるのに十分なものだった。なに言った?青葉先輩は今何を?
「もしかして気づかれてないって思ってたのか?気付いてないのはここでは本人くらいだよ」
シンジのその様子が面白かったのか笑いながらシゲルが言った。シンジが横を見るとマヤとマコトも笑っている。自分たちのことには鈍感なくせにと心の中で呟き、シンジはイスに座りなおした。
「ま!がんばれよ」
シゲルが乱暴に叩いた肩を抑えながらシンジはキーボードを叩き始めたのだった。

シンジが時計を見ると時刻はもう既に7時を回っていた。結局あの後シゲルにからかわれ続け、まったく作業が進まなかった故のこの時間だ。シンジは自分自身はとっくに終らせ帰ってしまったシゲルを恨みつつ、角を曲がろうとして何か黒いものが目に入った。
なんだろうとそっちに目をやると黒い喪服が目に入る。とぼとぼと陰のある歩き方はそれに最も相応しくない女性をシンジに連想させた。
なんとなく気になってしまい、家とは違う方向に向かっていく女性に足を向ける。小さく歩く女性とシンジの歩幅がまったく違うため、すこし歩けばシンジに横顔が入るようになっていた。
「雪原先輩?」
シンジは呆然と呟いた。その言葉に始めてシンジの存在に気付いたのか喪服の女性、アヤが驚いた顔を向ける。
「シンジか」
「シンジか・・・・じゃないですよ。何でこんなところにいるんです?今日休みじゃないんですか?」
見れば分かる上にシゲルから聞いていたがシンジは一応アヤに聞いてみた。その奥底にアヤ自身に否定してもらいたいという気持ちがなかったといえば嘘になる。
「ん。今日は昔の友達の命日でな」
「そうなんですか」
「そういうシンジはどうしてここにいるんだ?こっちは家の方向じゃないだろう?」
「考え事してたら道間違えちゃったみたいで」
『あはは』と気楽に笑ってみせるシンジ。それにすこし笑いながらアヤは言った。
「でも急ぎなよ。なんか天気がやばそうだし。雨が降りそうだ」
「良く分かりますね」
「空気がすこしづつ纏わりつくような感じになってきてる。これも・・・・・あいつに聞いた事だったな」
シンジの問いに答えながらアヤは遠い目をした。何か遠くのものを思い返すようなその目に自分はまったく映っていないような気がしてシンジは何か心の中で生まれた黒いものを持て余していた。
「あいつって・・・・やっぱり先輩が好きだった人のことですか?」
「ん。そう」
「・・・・・そうですか」
さらに悲しそうに変わったアヤの様子にシンジは深い罪悪感を覚えた。聞かなくても分かっていたはずなのに何故聞いてしまったんだろうと自問してみるが答えは見つからない。ただ黒い塊がシンジのなかでさらに大きくなった事だけが分かった。
「やっぱり・・・・・僕じゃ頼りになりませんか?」
「え?」
気がつけばそんな言葉が口から出ていた。アヤの驚いた顔が目の前にある。シンジはそれを見て、今までにない以上に湧き上がってきた『抱きしめたい』と言う欲求をなんとか堪えた。
「いえ・・・・・なんでもないです」
根性無し。シンジは心のどこかがいったような気がした。このまま彼女を抱きしめて告白してしまえば巧くいくかもしれない。
だけれどシンジは拒まれる、拒まれない以前の問題にこの居心地のいいぬるま湯のような関係を壊すのが嫌だった。このままでもいいかもしれない。そう思えるようになった関係を崩すのが嫌だった。
「そう」
アヤのほうも別段不思議に思っていないようだった。少なくともシンジの目から見れば。何時もの通りの表情に戻り、さっきと同じように陰のある歩き方で歩いていく。
シンジはそれを呼び止めようとしたが言葉が出てこなかった。慰めの言葉があるわけでもない。そんな状態で呼び止めてもどうなるのか。気まずい状況になるだけだとシンジの心の中が言った。
シンジは伸ばした腕を下ろそうとしてふと腕に何か冷たいものが当たるのを感じた。二、三度当たるとさらにそれは強くなってくる。雨だった。
「ちょ!先輩!」
シンジは気がつくと叫んでいた。アヤは走ろうとしていた足を止めシンジを見返していた。
「そのままじゃ濡れます!傘持ってますから使ってください!」
シンジは叫びながらアヤに近付く。鞄の中から取り出したオレンジ色の折り畳み傘をアヤに手渡した。
「いいのか?」
「ええ。どうせ僕もう一つ持ってますし」
嘘だった。シンジの鞄の中には傘は一個しか入っていない。それに気付いたアヤが笑いながら言った。
「嘘をつけ。世の中に鞄に二つ折りたたみ傘を持っている人が何処にいる?」
「え~と・・・・・たぶんここに」
シンジは何時もの調子でふざけて言うとぺしと軽い平手打ちを食らう。
「いい加減な事を言うな。お前のだろう?お前が使え。私は走って帰るから」
「無茶言わないでくださいよ。ここから先輩のうちよりもここから僕のうちのほうが近いです。それに、女性を一人で雨の中、傘も持たせずに走らせて帰らせたとなれば僕のフェミニスト精神が廃ります」
「・・・・・」
「・・・・・」
シンジとアヤは暫しの間、にらみ合ったままじっとしていると二人揃っていきなり吹き出した。
「ぷっ・・・・雨の中、何で傘の譲り合いで喧嘩しなければならないんだろうな?」
「くくく・・・・・そうですね・・・・・」
「仕方がない。このまま二人で一本の傘に入って私の家まで行こう。それからシンジが傘を持って自分のうちに帰ればいい」
「え・・・・・・それって・・・・・」
「そう。いわゆる『アイアイ傘』と言う奴だな」
シンジが頬を染めているのに対し、アヤはまったくといっていいほど冷静である。たぶんこのあたりにクールビューティーの由来があるんだろうとシンジはあまり意味のないことを考えていた。
「どうした?行かないのか?」
「あ!はい!行きます行きます」
先に一人歩き出したアヤについていくようにしながらシンジは何故か納得できないものを考えていた。こういうのって普通男の御役廻りじゃないのかな?そういう考えが頭から離れなかった。

シンジが家の扉をくぐって、加持と自分のために食事の準備をし、さらにそれを食べ終わり、片づけが終わってもシンジの心の中の黒い部分は一考に晴れなかった。むしろ大きくなっている感じすらする。それをごまかすように勉強に打ち込むがまったく効果がなかった。集中できず、嫌な思考が頭の中から離れない。先輩を力ずくで自分の物にしてやればどうだ?頭の中にささやきかけるような声も聞こえてくる。
まったく勉強に集中できず、宿題が遅くまでかかりそうだったのでコーヒーを造ろうと冷蔵庫を開けるが不幸な事に中の牛乳は空っぽだった。それを買いに近所のコンビニへと繰り出したのだが、何故だか牛乳は全て売り切れで何時もは行かないような隣町のコンビニまで来てしまった。
「で、今に至ると」
シンジはなんと無しに言ってみる。シンジはやっと手に入れた牛乳を手に家に帰る途中だった。コンビニの袋の中に入る1?の牛乳の重みを嫌と言うほどに感じながらシンジは帰路を急ぐ。時間帯がヤバイ。補導でもされたら洒落にならない。
と、シンジが歩いている道に天秤路が現れた。右は自分の住むコンフォートへの大きな通りに行く道で左はシンジも知らない道だった。
シンジが迷わず右を選択する。さらにそのまますこし歩くと大きなマンションが見えてきた。シンジの住むコンフォートではない。シンジが暴行を加えた国会議員の息子が住んでいる部屋があるマンションだ。シンジはそのまま通り過ぎようとするが、その玄関から見覚えのある顔が出てくるのを見て、その足を止めた。
私服姿で寝不足らしくぼーっとしているが間違いなくそれはアヤだった。シンジはアヤを呼び止めようとするがその目が何も写していないのに気付いた。何時もの黒曜石のような輝きは感じられない。変わりにあるのは死んだ魚のように濁った目。シンジはそれに何か危機感を覚え、足を止めた。
アヤはそのシンジの様子に気付くことなく歩みを続ける。そしてその顔にいきなり光が当てられた。アヤの様子を見ていたシンジはその正体にいち早く気付く。車だ。それも100キロはゆうに出しているだろうと思われるほどの。シンジはその運転手がこくりこくりと顔を上下させているのに気がついた。完全な居眠り運転。
「雪原先輩!」
シンジが叫ぶがアヤは反応しなかった。濁った目で歩き続ける。その様子に何か言いようのない不快感を感じるシンジ。
「くっ!」
気が付けば身体が動いていた。車道や歩道なんていうものがない場所で居眠り運転などする運転手などどうでも良いがアヤは命に代えても護りたかった。アヤを突き飛ばし、自分もそこからどこうとする。しかし、間に合わなかった。十字路でかなりのスピードを出していた車はそのままシンジの身体に突っ込んでくる。
「シンジっ!」
アヤの声が聞こえたような気がした。そちらに顔を向けようとして身体が真横からの衝撃で吹き飛ぶ。身体が宙に浮かび上がるのをシンジは感じ、そして一瞬、意識を失った。

僕が目を覚ますと先輩の顔が目の前にあった。僕が一度だけ見た顔が。涙に濡れた泣き顔。
「あれ?どうして泣いてるんですか?」
僕は言った。状況が理解できない。身体は動かないし、身体が寒い。まるで真冬の雪の中にいるように寒い。
「馬鹿・・・・・・馬鹿・・・・・」
先輩はそれだけしか言わなかった。だけれど馬鹿って酷くありませんか。
それにしても先輩。寒くありません?僕だけかなこんなに寒く感じるの?
「なんで・・・・・どうして?」
それ僕のセリフですよ。何で僕は牛乳を買った帰りに動かない身体を先輩に膝枕されてるんです?いや、膝枕は嬉しいんですけど。理由がまったく分からなくて。
「どうして・・・・・私を庇ったりしたんだ!私はあの時、死にたかったのに・・・・・」
死にたいって・・・・・何があったんです?また僕に相談できない事ですか?それとも相談したくない事ですか?
それにしても庇ってって・・・・・僕何したんだろう?
「お前は・・・・・いつもそうだ。まったく分からないような行動して。私を振り回して。でもなんだかんだいいながら仕事を手伝ってくれて。それが嬉しくて・・・・・」
思い出した。先輩庇って車に轢かれたんだっけ。それじゃこの寒いのは血が流れてるのか。それにしてもあんまり痛くないんだな。動こうとすれば痛いけど。
「どうして・・・・・どうして・・・・・」
「先輩・・・・・泣かないでくださいよ。先輩の泣き顔なんて一度見るだけで良いんです。知ってますか?僕・・・・・先輩のこと好きだったんですよ?あそこの学校に入学を決めたのも先輩にもう一回遭いたかったからなんですから」
「な、何を言って・・・・・」
「強いて言うなら遺言ですかね?なんかものすっごくやばそうなんです。寒いし、痛いし、辛いし。さすがに天使は見えませんけど天に召される一歩手前っていう感じです」
「ば、馬鹿なこと言うな!」
「だから・・・・未練は無しにしときたいんですよ。地獄行きなんて嫌ですから」
「だけど・・・・・私は・・・・・」
「知ってます。いい返事はあんまり期待してませんよ。でも・・・・伝えたい事は伝えたいし」
「分かった。もう喋るな!すぐに救急車が来るから!」
「無理ですよ・・・・・。本当に寒い・・・・・ねぇ、先輩。無理だと思いますけど笑ってくれませんか?」
「え?」
「先輩の笑った顔見て逝きたいんですよ」
「この・・・・・・馬鹿が」
先輩はぎこちなく微笑んで見せてくれた。
「そうそう。その笑顔。そういえば姫」
「・・・・・何だ?」
「餡蜜堂にはお供できませんでしたけどこの碇シンジ。命に代えても姫をお守りしましたぞ?」
「馬鹿・・・・・・・・・」
僕の言葉に雪原先輩は涙で濡れた顔で微笑んで見せた。その顔を見ながら僕は少しずつ何かが身体から離れていったのを感じて、意識を混濁させた。

僕が目を覚ますとそこには何もなかった。比喩ではない。下も上の右も左も何もない世界。ただあるのは虚構。何もかも飲み込んでしまいそうな闇。思い出すのは魂が身体から抜け出すときの恐怖。あれは夢じゃない。じゃあここは・・・・・。
「起きた?」
そんな事を考えていた僕に話しかける人物がいた。僕はすこし驚きながらそちらを向くとそこには紫色の服を着た僕と同い年くらいの美少女がいた。
「君は・・・・・」
「ボク?ボクはエヴァンゲリオン」
「え?エヴァン・・・・・何?」
僕が聞きなれない言葉に聞き返すとエヴァ何たらと名乗った美少女は形のいいあごに手を当てて考え込むようなそぶりを見せると。
「う~ん、言いにくいかもしれないからエヴァもしくはハツミって呼んでよ」
と言った。いや、だけれどエヴァもしくはハツミって・・・・・・名付け親のセンスを疑うよ。
「じゃあ、ハツミ。ここは何処なの?」
「ここ?ここは君たちの認識で言う地獄と天国の狭間の世界かな」
「うわっ!思いっきり死後の世界?!やっぱり僕って死んだの?」
「うん。これ以上無いほどきれいに死んだね。いや、それ以下もないんだけど」
僕の言葉にハツミは笑いながら答えた。しかし、当事者である自分から見ても緊張感のない会話だな。たぶん、死んだってことをきちんと実感できてないだけだと思いたいんだけど。だってこのままじゃボクが変みたいじゃない。って移っちゃったよ。
「で、君は死神か何か?」
「失敬だね。これでも僕は君を幸せにしにきたんだよ?」
「幸せに?」
思わず聞き返した。今いるのが地獄と天国のハザマで死んじゃった僕を幸せにするとかこれ如何に?
「まぁ、すこし遅れて手遅れになっちゃったんだけどね」
たははと邪気のない笑い方をするハツミ。いや、でもすこしなのか?これが。遅れて僕死んじゃったなのにすこし?
「もともとボクはシンジの学校の転校生として下界にやって来て、シンジとの大恋愛の末ゴールインするはずだったんだよ」
「はぁ?」
ゴールインするはずだったって?どういうこと?まったく分けが分からない。
「それは予言か何かで?」
「ううん。神様がそうしろって」
「はぁ?」
いや、天国、地獄もあるのなら神様、閻魔様もいるだろうけどそれにしても勝手に人の人生決めるのもどうかと思う。
「ボクたちエヴァンゲリオンにはチャームの能力があるんだよ。目を見るだけでボクのことを好きにさせてしまう能力が。それを少しずつうまく使って結婚しろって言われてたんだけど・・・・・」
「その前に僕が死んじゃったわけね」
「うん。そう。でも神様の言いつけは絶対だから護らなくちゃいけないの」
「どうやって?」
いや、目の前にいる美少女は「美」がつくだけあってかなり可愛い。中学時代の悪友の一人、ケンスケが居れば「売れるっ!売れるぞぉぉぉぉ!」と魂のシャウトを上げるであろう程。だけど悪い事に僕は雪原先輩の事が好きで、どうにもそういう対象に見ることは出来ない。ちょっと残念に思う自分がいるのを感じて「浮気者!」と言ってやる。
「死んじゃった人とくっついても意味無いんじゃいの?」
「うん。だからさっき神様に許可貰ってきたの」
「許可?」
「うん。時間を超える許可。ねぇ、シンジ。シンジなら何処が良い?何処でも大丈夫だよ」
無邪気に笑うハツミ。だけれど時間を超える許可ってそんな事までできるんだね。神様。死後の世界なんて物があるんだから何が起こっても驚かなくないよとか覚悟しててもこれはちょっと驚いたよ。
「じゃあね・・・・・」
僕はその時間を言った。初美はすこし怪訝そうな顔をしたけれど何か紅い玉のようなものに力を込め始めていた。僕はハツミに言われるままに目を閉じる。次に目を開く場所があそこである事を祈りながら。

シンジはゆっくりと目を開けた。最初に目に入ったのは視界いっぱいに舞い散る桜の花びら。この先にアヤがいるのは分かっていた。場所時間。全てが正確である。なんていったて神の力で送られたのだから。
「シンジ・・・・・」
シンジを呼ぶ声がするのを感じ、そちらに目を向けた。見ればちょこんとサクラの根元に座っている紫色のドレスを着た美少女がいる。
「浮気は一人までだからね?」
「ははは・・・・寛大な事」
美少女、ハツミのウィンクと許可を貰ったシンジはゆっくりと歩いていく。その先に何があるのかはわからない。あの結末がもう一回待っているかもしれない。それでも・・・・・。
サクラのなかシンジはサクラの花びら一つ一つを記憶するように見つめながら目じりに涙をためている美少女にゆっくりと近寄った。幸い、といって良いのかは分からないがシンジには気付いていないようである。シンジはゆっくりと近付いて美少女に言った。
「どうして泣いてるんですか?」
「え?!」
振り向いた顔は驚きに満ちていた。それを満足げに見てシンジは微笑みながらもう一度言った。
「どうして泣いてるんですか?」

後書き
人は言う。奴は無謀だと。人は言う。奴は馬鹿だと。しかし奴は書き続ける。なぜなら奴が馬鹿だから。
と良く分からないオープニングで始まりましたこの後書き。どうでしょうか?『桜舞い散るあの頃のに』。自分でも無謀だなとか思いながら書き始めたこの小説。ぢつは過去最長だったりします。あんまり長く書かないYuuとしては珍しいですね。それもかなり。さぁ、これを貰った天竜さんは永久保存しませう。(笑)しかしまだまだ描写が甘いですね。時間があれば改正版を送らしてもらうかもしれません。
今回のテーマは「オリジナルキャラ」、「学園エヴァ」、「逆行」の三つ。学園エヴァで逆行はできるのか?という壮大なテーマにYuuは挑みました。きちんと逆行といえるかは謎なんですけど。だから長いんですね。先生。これでもかなり削ったんですけど。一応エヴァキャラ総出演の予定だったのに出たのは結構少なめ。これは続編の予兆か?!と思った人。見たければ、バンバンカウンターを踏みましょう。一応続きは考えてありますが、時間がないんで、記念小説行き決定してますから。いや、時間がないのは私が受験生だからであってYUUさんだからじゃないですよ。(笑)
自分で言うのもなんですけどなんだか美少女ゲームのオープニングみたいな小説ですね・・・・・。なら攻略可能数は・・・・・12人?!おぉう!某妹ゲームに届いたぞ!いや、全員のエピソード考えるの大変だし喜んでいいのか分からないんですけど。シナリオライターさんって大変だったんですね・・・・・。これからは皆さん、彼らに敬意を払ってゲームをしましょう。(笑)
なんだか最後も壊れてますね。最初から最後まで。これ以上醜態をさらさないためにさっさとペンを止めようと思います。それでは皆様。もしかしたらまた会う日まで。
           By Yuuと言う名の仮面をかぶったYUUかもしれないYuu

天竜:人はやり直すことができません。しかしもし、そこでやり直しと言う選択肢を得られたのなら――。シンジ君、彼の行動は以前とどれほど違ってくるのでしょうか。

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