第一話
怪異始動なり
夢幻の戦士
詩織が入学して早2ヶ月が過ぎようとしていた。
クラスにも慣れ漸くこの学校の勉強にも追い着いた頃だった。妙な噂が流れ始めたのは…
「ねぇ聞いた? 例の話」
「聞いた聞いた、北校舎に出る『首なし幽霊』の話」
「怖いよねぇ、何か被害者増加ちゅうだってさ」
他愛無い女子生徒の噂話を聞きながら、詩織は帰り支度を済ませていた。
夏が近いという事もあるのかその手の類の噂が後を絶たない。
最近持ち上がってきた怪談話だった。西校舎の廊下にでる『首なし幽霊』、普通ならただの夏の怖い話で終わるのだが今回はそう終わらなかった。
実際に目撃者や被害者が居るのだ。被害者は精神的ショックが大きすぎて未だに学校に通えない状態らしい。
学園側も、幽霊にかこつけた変質者が居るのではないかという話が上がり、ここにきて漸く重い腰を上げたのであった。
「詩織、一緒に帰ろ?」
「うん」
詩織は学校に来て初めて出来た友達・皆川春美に声をかけられた。
気が弱かった詩織に最初に声を掛けたのが春美だった。彼女は詩織と同じく独力で学園に入った方で、二人はすぐに仲良くなった。
もともと姉御肌の春美の紹介もあって、入学3日目にして詩織はクラスに溶け込む事が出来た。
「おお、しおリンじゃないか!」
廊下の向こうから聞こえてくる元気な声。それは聞き慣れた声で、その声は真夏の太陽の様に詩織を包み込む。
振り向くとそこにはベージュで統一したジャージを着た、臨時体育教師、高梨恭子の姿が在った。
前の体育教師が産休で休む為、新学期から後任としてやってきたのが恭子だった。その美貌と人柄で瞬く間に男子女子問わず慕われていると言うことだ。
「先生。その“しおリン”ってやめてくれませんか!?」
「そうか? 似合ってると思うけどな。皆川はどう思う」
「呼び名は別にして、先生がしおリンって言うのが気色悪い」
春美にそう言われしょぼくれてしまう恭子。こういった喜怒哀楽の感情をころころと顔に出すのが、恭子が生徒に好かれる理由の一つなのだろう。
しぼんでいる恭子を無視して詩織は、俄然と春美に抗議していた。
ひゅぅう
三人の中を、湿り気のある臭い匂が吹きぬけた。
「……」
「何この臭い…鼻が曲がりそっ」
「? 何いってんの詩織? そんな臭いなんてしないよ」
「何言ってるのよそんなに臭いじゃないの!」
鼻がどうかなっているのではないか、そんな事さえ詩織が思っていた。
生き物が腐乱した時に出す腐臭と同じ様な強烈な悪臭を感じないとは。しかし事実、詩織以外の生徒は臭い匂など感じてすらいなかった。
ただ一人だけ、詩織と同じ臭いを感じた人間は沈黙を守っていた。
「…お前達、もう帰れ」
「「え?」」
「遅くあると家族が心配するだろ? ほ~らとっとと行け」
何かに急かされるかのように恭子は教室に残っていた生徒たちを、多少強引ではあるが帰らせた。
誰も残っていない校舎の中。
恭子はジャージの胸ポケットから『キャスターマイルド』を一本取リ出した。
(あれは『屍鬼』の匂だ、まず間違いない…だがそうすると妙だ。ここは昔戦場だったとか処刑場だったとかの記録は何処にもない。となると残る可能性は……)
「高梨先生!!」
「うわおっ!」
横から掛けられた大声に、思わず跳び上がった。
生活指導部の梶原 重行先生だ。
この学園では最古参の老教師で今尚教育に情熱を傾けているという立派な人物なのだが、恭子はこの手の人物が大の苦手なのだった。
「あはは~…なんの御用でしょうか梶原先生」
「その煙草ですよ、煙草! 生徒の規範である教師が事もあろうに廊下で煙草を吸うなんて」
「いや~~どうもすみません、あははははは……」
すぅ…
10メートル向こうにある廊下の角へ、小さな影が横切る。それは歩いていたというより、水面を移動するホバークラフトのような何処か浮いている動きだった。
「!!」
それを見た途端、恭子の背筋に稲妻が駆ける。昔見たことがある懐かしくそれでいて怖い思い出。彼女の記憶が今鮮やかに蘇えった。思い出そうとしても、いつも頭の中に霧がかかり全く何も引き出せなかった記憶がビデオの早送りのように勢い良く回転し始めたのだ。
(まさか…始まるのか!? アノ夜が。この学園でも)
もう梶原の声は恭子には届いていなかった。
今の恭子にはこれから起こり得る最悪のシナリオと、自分がどのように立ち回るのか、それだけを考えていた。
「ちょっと遅くなっちゃったかな…」
暗くなった特別棟の美術室から中学3年生の工藤 楓が、腕時計で時間を確認しながら出てきた。
時刻は夜の七時半。コンテストに出展する作品の完成が伸びてしまっているため、連日遅くまで残って絵を描いていた。
今日も残っていたがあまりにも熱中していたらしく、気付けば誰も居なくなっていた。家までどんなに早く帰っても最低一時間はかかる事を考えると、少し不安になってきた。
幸い、まだバスはまだ来る時間帯だから、バスに乗りさえすれば少々遠回りにはなるが家の近くまで行ってくれる。そう考えを切り替えた。
(急いで帰ろう…)
そう思って急ごうとした矢先、
「ねぇ…お姉ちゃん」
「え?」
真横からかけられた声に、楓は驚くほど素直に反応した。
そこには愛くるしい顔でこちらを見上げている、おかっぱ頭の少女が居た。年齢は7、8歳という所だろうか。
楓を見てニコニコと笑っている。楓もつられて笑い返す。
しかしここで気付くべきだったのかもしれない。少女の体が酷く青白い事に。高等校舎に小学生の女の子が居る不自然さに。
そして、少女が人でないことに……
「お姉ちゃん、ねえ遊んで遊んでよ…」
「ご、ごっ、ごめんね、お姉ちゃん今急いでるから今度」
ようやく異変に気付いたのか足早にその場を立ち去ろうとする。
しかしいつの間にか制服の端を握られ振りほどこうとしても離れない。やがて距離を詰めた少女が楓の腕に触れる。
「ひぃっ!」
冷たい。少女の手はまるで、真冬の水の様な冷たさだった。
その冷たさはやがて肩に伝わり体へ。体から脚へと全身に広がった。楓はもう動く事が出来なくなった。
「お姉ちゃん私ね、昔車にはねられちゃったんだよ?」
「な、何を言ってるのよ、離してよ!」
「その時ね、首…取れちゃったんだよ」
ごろり
「い、いっ、イヤぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
足元に転がり落ちた少女の生首が、楓に向かってニィと笑った。
半狂乱となった楓は何とか逃げようとしたが、少女の体が思いの他強くしがみ付き離れない。
「イヤ…いやぁ、こんなの嘘よ、嘘よおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「遊んで…お姉ちゃん」
空中に浮かんだ生首の声が頬を伝って耳まで届く。
笑う生首を見ながら、楓は意識を手放した。
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「……川さん、皆川さん! しっかりして皆川さん」
「弥生…先生?」
覚醒した楓の目の前には、国語教師・成沢 弥生の姿があった。
「どうしたの皆川さん、こんな所に倒れたりして」
「私……美術室に残ってコンテストに出す絵描いてて、それから……!!! 先生! 女の子、ちっちゃな女の子見ませんでした!?」
「女の子? いいえ、見なかったけど?」
肩を抱き震える楓は断片的ではあるがこれまでの事を話始めた。
「それ、それでっ私その子の手を振り解こうとしたんだけど! そしたらそしたら」
「落ち着いて。それからどうしたの?」
「首が、首があ」
「首が?」
「首が落ちたんですぅ!」
有らん限りの大声で言った。それを聞いた弥生は楓の肩に置いてある自分の手に力を込めた。痛いほどに。
「弥生…先生?」
「ねぇ皆川さん。その首って……こんなんじゃなかった?」
ごろり
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
あとがき
お久しぶりです。
もう忘れ去られてしまったのではないか、と不安になっている夢幻の戦士です。
今回は怪異を中心にしていますから、主人公達は動かしてません。本当は最初から主人公である詩織を出しても良かったんですが、
そうしない方がより怖さというのが伝わるかと思い、あえて関係のない楓さんを主役にしました。
しかし、冬に怪談を書くというのはキツイですね。
考えるだけで背筋が凍る思いでした。
早く暖かくなってくれないかな~。
次回はいよいよ、詩織ちゃんと春美さんが主役です。二人にはたっぷりと怖い思いをしてもらいましょう。
それではまた次回でお会い致しましょう。
天竜:とうとう怪異が姿を現しました。恭子さんは何か知っているようでしたが――。次回に期待です。